終章 最後の戦い

 慶長十三年初春、戦国の世を歩んだ金子宗安が病に倒れた。城崩しの変により御家騒動に決着をつけ、当時はまだ認められていなかった末期養子を成立させた後、家督を義康に継がせて自らは犬居藩領に隠居所を設けて側室の桐と移り住んだ。正室の菊は義康の重臣松山景義の叔母だが城崩しの変で寵愛した宗昭と共に死んでいる。義康は藩政では金子藩の基盤を築いた名君となる一方で父に対する嫉妬心を生んだ。一度は三州にまたがる最大勢力を築きながらも豊臣・徳川に屈した戦国大名の器の大きさに義康は圧倒的な差を見せつけられた。そのためか、名君は次第に狂君となり、秘かに宗安を討たねばならないと感じるようになっていった。

 隠居所は盛況していた。かつての家臣たちが宗安を慕って集まり、その中には先崎十左衛門や上野伊賀守時康らの姿もあり、各々協力しあいながら集落を形成していった。宗安は十左や時康らと話し合い、皆を守るために天竜川から水を引いて集落の周りに堀を築いた。見た目には柵もなくば櫓もないため、他人からの警戒も緩い。田畑を作るために水を引いたと言えば誰もが納得した。それでも四方の入り口に番所を設け、中心は広場として四方を見渡せるようにした。後に宗安村と呼ばれる村には多くの寄進が集まり、金子家の菩提でもある慶照寺からも援助の申し入れがある程だった。そんな中、犬居藩主金子信春が急死したとの報せを受ける。信春はかつて興国寺城の戦いで命を落とした徳村家義の嫡子で家義の主で宗安の弟であった金子直信に乞われて養子となっていた。同じく養子であった直久の後を受けて藩主となっていたのだが、わずか二年での急死に誰もが強い衝撃を受けた。我が子当然のように寵愛した宗安が病に伏せる程であり、信春に続いて死ぬのではないかと危惧する
者も現れるほどだった。これを機とした義康は犬居藩を継承するために動いていた信春の叔父信家に対し、あらぬ罪を被せて改易とし、犬居藩はわずか三代十二年で絶えたのである。そのため、犬居藩の庇護を受けていた寺院や商家、庄屋などに金子藩からの援助が及ばず、没落するところも出てきた。病に伏せる宗安の耳にも入る難事に顔をしかめざる得なかった。義康の暴挙を止めるために宗安は一計を案じて時康を通じて馬奉行の曾我忠親に命じて駿府に走らせた。駿府城には大御所徳川家康が鎮座している。
「宗康は息災か?」
「いえ、病に伏せっております」
「何と!?」
家康が驚いた表情を見せる。
「ですが、御家の大事を優先させるために私を駿府に遣わしました」
「御家の大事とは?」
「ますはこれを…」
忠親は宗安の書状を家康に渡す。書状には犬居藩領の返上と、もう一文。
「我が子の仕置きをするとな?」
「はっ」
「名君と言われる義康を討つと言うのか?」
「義康は名君に非ず、嫉妬心に包まれた狂君にございまする」
狂君と聞いた家康は険しい表情を見せる。世間の噂は皆無に等しい。
「故にいくさ人の心情を我が子に見せたいとの仰せでございます」
「いくさ人の心情?」
「戦を知らずに育った我が子に戦の何たるかを教えたいと」
「ふむ…。いくさ人の心得か…」
家康は少し考える。家康にとって宗安は三河以来の譜代ではない。むしろ、戦国大名としてお互い敵対し、秀吉の時代に臣下になった外様ではあるが、宗安の戦略は家康の上を行く。伊達に東海に覇を唱えていたわけではないことをよく知り、家康が駿府に居を構えた際、西の直前の要衝は掛川城であり、その北の要である金子城に宗安を添えることで防御の陣形を整えた。そこに難があると宗安自らが申し出てきたのだ。自らの一族に難があると。
「義康を討った後は誰を添える?」
「義康の嫡子宗恒にございます」
家康はまた驚く。
「宗安の手筈はもう整っていると?」
外側ではなく内側からも切り崩しを謀るのが戦国の心得。
「義康が外に出れば大義名分は整います」
「義康一人が動いているわけではあるまい」
家康は城崩しの変のことを言ったのだ。城崩しの変では宗安の嫡子宗昭だけではなく多くの譜代に混じって首謀者がいた。正室の菊姫である。菊姫は我が子を寵愛し、夫と側室の子である義康を追放した。これにより、家臣団が二分してしまうという窮地に陥ったのである。家康はそれを危惧していたのだ。
「それもすでに」
宗安は側近の上野時康に命じて信春の死因を探らせた。すると、次から次に事実が明らかになってくる。直信の死後、藩主となった直久に腹心を近付けることに成功した義康は夜伽をする女中数人を買収して寝所にて暗殺。数日後、女中の死体が相次いで見つかっている。直久の暗殺に成功した義康は次に信春の暗殺を仕掛ける。日々の食事に毒を少量ずつ盛って弱っていくように仕向け、最後は職務中に死ぬというこれ以上ないやり方で暗殺した。これを聞いた宗安は怒り狂い、高価な価値がある壺を叩き割ったという。
「ならばやってみせい」
家康は宗安の策が成しているのならばと仕置きをすることを認めた。一方で宗安は江戸家老島田元興を通じて幕府にも犬居藩領の返上を申し出るよう伝えた。元興は宗安のもとで留守居などを務めた興房の孫である。当初は難色を示したが藩を守るためと懇々と説得されて、義康に内密で返上を申し出て受理され、天領となったことを伝えられた義康は逆に驚いた。義康はすぐに元興を召喚しようとしたが病を理由に拒絶され、逆に混乱する藩政を指摘される始末で、義康の中でも混乱をきたしてしまっていた。そんな頃、隠居所に義康の嫡子だが病弱を理由に廃嫡となった政康が異母姉の涼と共にやって来た。生来、歩くのもままならず杖なしではいられなかった。この日は快晴で宗安の体調も少し良いようで庭に置いた木製の椅子に座っていた。
「お祖父様、お久しゅうございます」
「うむ、二人ともよくぞ参った。息災で何より」
「今日はお祖父様にお知らせしたく参りました」
「知らせ?」
「松平備前守様、松山肥前守が御役御免を言い渡され、蟄居閉門を命じられました」
「何だと!?」
宗安はまた驚きを隠せない。義康が本当に狂ったのではないかと思う程であった。松平清之は祖父清政の代から宗安に仕えている以上に将軍秀忠の曾祖父清康と清政は従兄弟関係にあった。その縁故関係が功を奏して金子家が難を乗り切っている証拠でもある。また、松山景義の父景成は宗安の守役で幼馴染であり、城崩しの変の後に病死するまで筆頭家老として宗安を支え続けた。景義は嫡子であったが考えの違いから父と対立し、他藩に仕えていたが後に和解している。
「義康に讒言できる者はもはやおりませぬ」
「今、近くにおるのは?」
「備前守様の隠居で家督を継がれた清信様にございます」
「やはりな」
宗安は黒幕が清信であると確信した。義康が最も寵愛しているのが清信であり、犬居騒動にも腹心として清信が潜入していたことを改易となった徳村家の者から聞き入れた。本来なら清之からその事実を受けるところだが清之は秀忠に乞われて江戸に入っており、清信とは離ればなれになっていた。また、弟の清綱は江戸屋敷にあり、清信に苦言を呈する者はいなかった。
「左内」
「はっ…」
亀井左内が呼ばれる。黒装束に身を包んだ忍びである。左内は亀井左馬介の娘お耀と婿養子の信牧の子として生まれた。早くから祖父や父から忍術を仕込まれ、弱冠十六歳で父と共に宗安の護衛に付いた。
「宗恒、景義、清之に繋ぎを取れ。その上で城中や城下に宗安に謀反の疑いありと噂を流せ」
「承知」
左内が行くと十左に振り向く。
「最後の戦いだ。始めるぞ」
そう言うとわずかに頷いた。

 数日後、城下に宗安謀反の噂が流れ、城中も不穏な空気に包まれる。
「まことに父上が動くのか!?」
「そのような噂でございますが、犬居の一件もあり、我らに反感を抱いているのは事実」
「清信、父上に暗殺が漏れたと思うか?」
「犬居の一件が宗安様の所業であればおそらく」
「むむむ…」
義康は唸った。
「戦となればどれだけの兵を集められる?」
「およそ二千」
「向こうは?」
「現状では女子供を入れて五百程度」
「討つなら今だな」
「左様にございます。それも一日、いや、半日程度で終わらせるほうがよろしいかと」
「公儀か?」
「はい、公儀は目を光らせています。万が一、藩を取り潰しともなりかねません」
「わかった。事は急を要するが内密に進めてくれ」
「承知致しました」
清信がその場から辞すると替わって軍目付長居弘信が入ってくる。弘信は宗安の守役を務めた弘政の三子で兄たちが閑職であるのに対し、弘信は義康にうまく取り入って軍目付の要職に在った。
「弘信、馬の調達はできたか?」
「すでに数百集めております」
「うむ、準備ができ次第、一揆鎮圧に向かう」
「ははっ」
義康は早くから父を討つための準備を怠っていなかった。それも城崩しの変が起こる前から準備していたのだから驚きだ。父を討つのは恨みからではない。常に先を読む戦術に惚れると同時に嫉妬した。父に勝つにはどうしたらいいのか、兄は父を追放することによって力を示そうとしたが、城崩しで打ち破られた。ならば、自分は…。戦国を知り尽くす父の前では足掻きなのかもしれないがそれでも倒したいという気持ちだけは揺るがなかった。義康は武将というよりも謀将に等しい。正面からの攻撃に必要なものは揃えつつある。しかし、隙あらば狙えるものも揃えなければ勝てないと読み、かつて亀井左馬介と敵対し、最後は殺された吉野時蔵の一派を召喚した。吉野時蔵は左馬介の下で副将をしていたが織田信長の離間策に乗じて離反し、黒雲の幻斎に付いた。黒雲は左馬介の両親を殺害し、生涯を通じて左馬介と戦い続けた謎の忍びである。時蔵を配下にしたのはうまく利用できると判断したからで最後まで捨て駒として時蔵をあしらい、左馬介を誘き寄せる囮として使った。しかし、左
馬介も忍びの長である。罠にかかるのを承知で時蔵に迫り、黒雲の罠を辛くも潜り抜けて時蔵ら十数人の忍びを討った。その恨みが時蔵の後を継いだ明王の弥助に繋がった。弥助は当初から時蔵の腹心として働き、時蔵の死後も配下をまとめて諸大名のもとで働いていたところ、義康からの破格の雇いに応じたのだ。この動きはすぐに亀井忍軍を束ねる亀井信牧にも知らされた。
「これも因縁よ」
信牧は左内らと共に宗安のもとへ参じた。
「吉野の残党まで加わるか。信牧、二つ頼みがある」
「何なりと」
「一つは隣国に繋がる要所を抑えよ。内外を出入りする者たちの動向に気を配れ。もう一つは残党を確実に滅しよ」
「はっ」
信牧は消えるように去る。
「まもなく…か…」
宗安は庭の桜を見ながら動静を見つめていた。

 数日後、宗安謀反の動きはさらに強め、義康は清信、弘信、さらには城崩しの変で失脚した家臣の中には一門矢野家から義邦、義常兄弟が加わった。二人は義政の子で義綱の孫に当たる。義綱の娘は宗安の父照政の後妻である。
「準備は整った。父の動向は?」
「慌ただしさがあり、出入りも激しさが増しています」
「うむ、出方を見る前にこちらから出る。明朝出陣する」
「ははぁっ」
義康の腹は決まった。城中は慌ただしくなる。その動きは宗安には筒抜けである。亀井忍軍が吉野党との小競り合いの中で得た情報でもある。宗安の傍には十左と時康がいる。さらに、義康を見放した政康は宗安の後見を受けて十左の養子となって義勝と名を改めた。
「これで先崎家も安泰だな」
「何を申す。本家は弟が家督を継いだ。今は勝歳の代になってるわ」
弟の勝正は隠居し、甥の勝歳が継いでいるが父子とも騎馬に達者で常に先鋒を務めてきた家柄である。しかし、今回の戦には加わらず留守を押しつけられている。扉が開く音が聞こえる。
「大殿、只今参りました」
呼び掛けに応じて面々が集まる。
「来たな、生臭坊主」
「十左、失敬なことを申すな」
慶照寺有庵は齢八十の高齢ながら僧兵として騎馬隊を率いていた。有庵の本名は松平元忠と言い、父の清政は家康の祖父清康とは従弟に当たる。また、現当主の清之の叔父になる。
「寺は?」
「はっ、愚息に任せております」
有庵が僧籍になる前に生ませたのが有紹で父を追って僧侶となり、慶照寺を継いだ。次いで松家信基、基恵父子も姿を見せる。信基は松平家の家臣であったが武勇に優れており、埋もれさせておくのは勿体ないと清政の推挙で金子家に仕え、直信の一字を得て信基と名を改めた。以降、直信と共に働き、犬居藩馬奉行も務めた。嫡子である基恵も騎馬組に属していたが藩が取り潰しとなり、父と共に再起を図るために宗安のもとに駆け付けたのである。
「明朝、義康が城から出る。わしの戦いを愚息に見せるつもりだ。皆、力を貸して欲しい」
宗安は皆に頭を下げる。そして、指示を行う。
「まずは仕込みを見せようか。信基、地面に隠してある柵を打ち立て四隅に櫓を立てよ」
「はっ」
信基が去る。
「続いて基恵、百の兵を預ける。騎馬は川に阻まれる故、鉄砲で打ち崩せ。その後は橋を利用して長槍と鉄砲で敵の進入を防げ」
「承知致しました」
基恵も去る。
「十左、有庵、各々騎馬百を与える。敵の先鋒が崩れたら東西の橋より打って出よ」
「おう!」
「承知!」
二人も下がる。
「最後に…」
義勝を見る。
「お前には騎馬隊が打って出た後、後方より狼煙を上げよ」
「狼煙を…ですか?」
「うむ。それで勝負が決まる」
「わかりました」
義勝が平伏して下がると桐を呼ぶ。
「怖いか?」
「昔から散々怖い思いをしてきましたので今更という感じでございます」
「さすがは我が姪よ」
桐は犬居藩主金子直久の娘であり、父の死後、家督騒動を防ぐために宗安に預けられた。その後、側室となった経緯がある。
「さぁ…、始めるぞ」
宗安のいくさ人としての気勢は高ぶっていた。

 未明に事態が動く。義康より宗安暗殺の命を受けた弥助ら吉野党が隠居所に近づく。まもなくというところで弥助たちに手裏剣やくない等の飛び道具が飛びかい、目に見えぬ早さで刃が交じり、火花を散らす。
「むっ!?」
弥助が刀を身構える先には無数の忍びの姿があった。亀井忍軍を率いる信牧の姿である。左内も傍らに控えている。
「弥助よ、そう簡単に突破できると思うなよ」
「己れ…、積年の恨みを今こそ晴らしてやるぞ」
弥助は真っ直ぐ信牧に飛び掛かり、あちこちで敵味方が入り乱れる。しかし…。
「ぐっ!?」
弥助の肩が抉られる。血飛沫が舞い、痛みを感じたのも束の間、弥助の首が飛んだ。実力の差は歴然としており、吉野党は歴史の闇に消え失せた…。

 明朝。金子城から騎馬八百、鉄砲五百、足軽七百の総勢二千の兵が出陣する。総大将は金子義康、傍らに松平清信、矢野義邦。先鋒は長居弘信である。この日は霧が立ちこめており、視界はまったく見えなかったが、天竜川からの風が視界を広げていくが隠居所に近づくに連れて、義康の目の前に立派な砦が現れた。川を堀とし、柵と櫓で集落を囲んでいる。義康勢に少なからず動揺が見える。
「謀反を起こす輩だぞ。砦ぐらいは朝飯前。なれど小城に等しき砦で何ができる!」
義康の一喝で動揺が収まる。砦正面に軍勢が集まる。
「かかれぇ!」
「おおぉぉぉぉぉ!!!」
先鋒である騎馬隊が怒号と共に襲いかかる。

ドドドドドッッッーーーーーーーーーー!!!!!

「来たな、構えい!」
信基の号令のもと、柵から伸びる鉄砲筒が騎馬隊を狙う。
「まだまだだ!、十分に引き付けよ!」
まもなく堀に馬が届きそうになる。
「今だ!、打てぇぇぇーーーーー!!!」

パパパパァァーーーーン!!!

銃声と共に馬から兵が落ちる。
「打てぇぇぇーーー!!!」
続けて放たれる鉛は馬の動きを完全に止める。さらに櫓から基恵がじっと覗く鉄砲筒から一発の鉛が騎馬隊を指揮する弘信の額を打ち抜いた。反動で弘信が落馬すると先鋒が崩れる。
「者ども行くぞ!!」
「おおぉぉぉぉぉ!!!」
十左、有庵が東西の橋から打って出る。
「義勝、狼煙を上げよ」
「はい!」
集落後方にある狼煙台にある薪や草木に火を放つ。黒煙が空高く上がった。
「おっ!、あれは!」
金子城で異変が起きる。二の丸にいた義康の嫡子宗恒、城中に屋敷を構える松平清之、松山景義、長居数政、木村政良(徳村家継の娘の子)らが挙兵し、瞬く間に城を制圧する。続けて、展開する義康勢の後方にある山から一塵の軍勢が背後を急襲する。
「葉祇宗直、見参!」
宗直の父宗通は金子家臣団の中で十左、朱鷺田忠勝と並んで猛将で知られる。宗直は父の死後、犬居藩に仕えたが現在は浪人の身である。騎馬隊わずか三十騎の襲来であったが東西から攻め立てられる義康勢は十左と有庵の鬼神の如くの武勇に足軽たちは混乱している。鉄砲で反撃を試みるが何故か弾詰まりが起きて無力化されていた。それも全ての鉄砲である。そのため、前後から攻め込まれた義康は全軍に退却を命じる間もなく一目散に逃走する。義康の逃走に残された者たちは討死か降伏を余儀なくされ、義康もまた反旗を翻した宗恒により捕らえられたのである。

「見事よ」
天領となった犬居に秘かに入り、戦の様子を見ていた徳川家康は宗安の戦ぶりに持っていた扇子をパチンと鳴らした。
「この分であれば金子はまだまだ役に立つ。咎めは無しにしてやれ」
「はっ…」
秀忠と酒を交わしていた家康の視線は大坂の役を見つめていた。しかし、家康の思惑は思わぬ形で消えることになる。宗安による犬居の乱後、家督は宗恒が継ぎ、清之、景義も家老に復帰した。義康は城の一角に幽閉されて生涯を終えることになる。犬居領は返上となったが藩政は混乱から安定になりつつあり、犬居藩に仕えていた者たちも金子藩に再仕官するか帰農し、藩のために働こうとする動きが見えた矢先、宗安が病に倒れた。日に日にやつれていく姿に桐が必死の看病をする姿が見られた。秋から冬にかけて快晴となり、少し暖かく感じた頃に宗安は病床から立ち上がって庭に座った。
「無理しないでくださいまし」
桐が宗安に声をかける。
「桐よ、やや子の顔は見れそうにない」
桐は身籠っていた。れっきとした宗安の子である。
「何をおっしゃいますか」
「元気な子を産んでくれよ」
宗安は雲一つない空を見上げた。
「この世は…儚き…もので…あっ…た…」
「宗安様?」
しかし、宗安からの返事はなかった。戦国の世を駆け巡った金子宗安入道宗康は側室の桐に見守られながら逝った。享年六十三である。

 時代は大坂の陣、島原の乱を最後に平穏の世を迎えつつあった…。

戦国鷲君伝 完


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