後伝

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後編 春秋の風

 慶長二十年、大坂夏の陣は徳川方の勝利に終わり、徳川方として参戦した護間政種は本領を安堵された。先代より仕えていた慶生院龍斎こと金子慶政は旗本衆を率いて参戦して活躍した。戦後、家督を元服したばかりの嫡子慶種に譲って皆を驚かせた。隠居するには早い歳であったが慶政には心残りがあった。暇を願い出るため、先代藩主の政兼を訪れた。
「金子に行くとな?」
「はっ、母を迎えに行こうかと思います」
「たしか、お慶殿であったな?」
慶政は元服する歳に母の一字をもらっている。お慶は父宗政が通っていた茶店の娘だがお慶の母は祖父照政のもとで女中をしていたこともあり、当初は父と兄妹ではないかと疑われる程であった。お慶は側室であったが男子が産まれたのはお慶だけであり、正室や他の側室から疎まれることはあったが持ち前の器量で乗り切っている。後に金子家の駿河侵攻により、宗政と正室の離縁が成立し、お慶が新たな正室に迎えられ、仲は実に睦まじく、慶政の他に姫を三人作った。しかし、その慶政が父との不和により出奔して以来、母の安否すらわからなかった。父は関ケ原の戦いの前年に隠居したことを風の便りで知った。すでに娘たちも嫁いで気楽に過ごしているという。
「左様か、積もる話もあろうが気を付けて行ってくるといい」
「ははぁっ」
翌朝、慶政は供も連れず、単身遠州へと旅立った…。

 遠州金子藩。東海道の要衝である掛川の北東にある小藩で度々政変があったが何とか乗り切り、初代宗康の孫である宗恒が藩主として藩政を仕切っている。藩政は安定しており、民はようやく安寧を過ごせるのかと期待していた。そんな折、不穏な噂が流れた。宗恒は噂の真意を確かめるべく金子城二の丸にある御殿大広間に重臣を集めた。筆頭家老松平清之、国家老松山景義、城目付長居数政らが揃っている。
「信春に子がいると聞いたが誠か!?」
宗恒は全員を前にして問う。
「はっ、信春様の死後に秘かに産んだそうです」
すでに信春の妻であるお基は捕らえられており、激しい拷問の末に白状したものの、仕置役が気付いた時には死亡していたという。お基の実家である永山家にも町奉行所の手入れが入ったがすでにもぬけの殻であった。当主永山安政は宗康、義康に仕えた古参であり、嫡子義政は馬廻衆を務めていたがお基の捕縛後に自害している。一族で遺児を守ろうとしているのがわかる。
「安政と逃げているだろうが年寄の足ではそう遠くに行けぬ。捜し出せ!」
「はっ!」
犬居の乱を知る宗恒をはじめ、重臣たちは再び起こりうる政変にはやきもきしていた。信春の遺児が生きていると知れば犬居衆が黙っていないと踏んだのだ。慶政が故郷に戻ってきたのは正にその直後である。掛川から金子城下に入った慶政は菩提寺である慶照寺を訪れた。
「御免!」
門前で一礼して声を掛ける。すると、奥から坊主が現れた。
「どなたですか?」
「慶生院龍斎と申す。御住職はおられるか?」
「はい、少々お待ちください」
境内から本坊へ続く石畳を歩いていくと、本坊の近くで子供がいた。
「このようなむさ苦しいところに子供がいるとは」
「むさ苦しいは余計じゃ」
奥から僧侶が現れた。傘を取っている慶政の顔を見て驚く。
「この放蕩息子めが、ようやく帰ってきたか」
「父上、ご無沙汰しております」
そこに在ったのは慶政の父宗政である。宗政は兄宗康の許で金子城留守居役や宗康の影武者などを務めた。
「まったくだ。こんな年老いた父を捨ててどこに行ったかと思えば…」
「その割りには元気そうではありませんか。子供まで作っておられて…」
「戯け、あれは預かっておるだけだ」
「父上が子育てを?」
そこに住職が姿を現した。すでに九十八歳となった慶照寺有庵である。俗名は松平元忠と言い、筆頭家老松平清之の叔父である。寺の執行は孫の有円に任せている。
「あまり父上を苛めるでないぞ」
「これは御老体」
「老体じゃと!?、まだまだ若い者には負けぬわ!」
三人は爆笑する。これを見ていると過去のわだかまりなど無いに等しく見える。奥に通されるとさっきの子供と遊ぶ母の姿があった。
「母上、ご無沙汰しております」
お慶は帰れ帰れと手を振る。
「お前のような馬鹿は知らぬ。帰れ帰れ」
「母上にはお詫びしたくても仕切れませぬ。とりあえず…」
京土産を披露するとお慶の顔色が変わる。わかりやすい性格だ。次第に親子の輪が出来上がる。これを見ていた有円は懐かしい顔をする。
「父上と母上を思い出しました」
「左様か、わしも色々あったが俗世は捨て切れなんだ。あやつも一緒だったか」
有庵の嫡子有紹は当初は武士として松平家に仕えてきた。しかし、血で血を洗う戦国の世を経て、泰平とは名ばかりの度重なる政変を見て世間を嘆いて父を追って出家。有庵の隠居に伴って慶照寺の住職となったが流行り病で死に、今は有紹の嫡子有円が弱冠十八歳で住職となった。有庵の後見があったが立派にお勤めを果たしている。
「時に先程から幾つかの気配を感じるのですが、心当たりは?」
慶政はすでに鯉口に手をかけている。宗政や有庵は成長した慶政の姿を見た。仮にも護間藩剣術指南役である。名の通った剣豪を相手でも引けを取らない。慶政から放たれる殺気に感化されてか、障子の奥に隠れていた永山安政と娘のお近が姿を現した。
「御無礼をお許しください」
「永山殿か、久しいな」
慶政は安政をよく知っている。父に仕えていた重臣だったからだ。
「慶政殿もお変わりなく」
慶政は安政の態度に違和感を覚えると共に、金子藩の情勢は護間藩先代藩主護間政兼を通じてわかっていた。政兼は金子藩で剣術指南役を務めた一条刀斎の嫡子であり、城崩しの変にも関わっている。その際、政兼は犬居の地を訪れて金子右近の傍にいた信春の姿を見たという。そして、その隣には子を宿したお基の姿も…。
「この子はもしや…」
「信春の子馬之助じゃ」
宗政が言う。そして、ここに至るまでの経過を聞く。
「何と理不尽な…」
慶政が憤る。
「しかし、ここに来るのも時間の問題」
宗政と安政の関係を知っていればすぐに追っ手はここに迫るだろう。
「今は清之がうまく躱しているようだが…」
有庵が言うがここで匿っているのが発覚すれば松平家の断絶を否めない。とはいえ、寺で籠城したとして十数人しかいない上に大半は坊主だ。
「だが、躊躇している暇はない」
慶政は政兼の話を思い返していた。そして、一筋の光を見いだす。
「お涼殿は健在か?」
「うむ、宗安村で軟禁状態にあるが嫡子宗勝と共に元気にしておる」
宗安村とは初代宗康が隠居した後に造った集落である。
「お涼殿は叔父宗康公と直信公から剣術を学んだと聞きました。繋ぎを取れますか?」
「それは難しいかもしれぬ。藩士が厳重に警戒しておる」
「なれど戦力には十分です。有庵殿、万が一の場合は寺を閉門して時を稼いでくだされ」
「お主はどうする?」
「血路を開きまする」
そう言うと慶政の健脚は軟禁されている屋敷に向かった…。

 夜半、金子城下は慌ただしい。信春遺児の捕縛命令が出ているからだ。慶政はそんな隙を突きながら、自慢の健脚で二人が軟禁されている屋敷に近づく。表裏の門前には番所があり、警戒が厳しいが気配を完全に断って塀を飛び越えて中に侵入し、中庭へと出る。そのわずかな動きを察知したのが宗勝である。刀を持って寝所から中庭に出る。
「何者か?」
「先崎宗勝だな?」
「如何にも」
「金子宗政が一子慶政と申す」
月の光が中庭を照らす。闇に紛れた慶政が姿を現した。
「何と!?」
宗勝は驚いた。長年、藩を出奔していたと聞いていた男が目の前にいるのだから。慶政と宗勝は面識がない。
「ここより出る気はないのか?」
「あるが、母を置いてはいけぬ」
お涼は昨年より病にかかっているという。その姿を見せてもらう。まだ四十半ばというのに顔には皺が目立ち、随分と老いて見える。しかし、慶政はお涼に近づく。
「心氣魂の儀、見事」
そう耳打ちするとお涼の眼が開眼する。すると一気に気色が良くなり、皺が無くなっていく。
「何者じゃ?」
「金子宗政が一子慶政にござる」
「何!?」
ガバッと起き上がる。先程の弱々しい姿はない。心氣魂は幾天神段流の極意で体内の氣を封じることで活性化を弱め、無駄な氣を使わないことで老いが進むが死ぬことはない。
「よくぞ見抜いた」
「我が師がよく使う術故、すぐにわかり申した」
「師とは?」
「護間政兼」
「なるほど」
お涼は合点する。幾天神段流に通じる者にとって護間政兼を知らない者はいない。すぐに奥に向かい、支度をして出てくる。刀を帯びている。
「で?、ただ逃がしてくれるわけではなかろう?」
「一人の子供を守って頂きたい」
「子供を?」
「廃絶となった犬居藩主金子信春の一子馬之助の死守」
「それでか、表の気配が少ないのは」
「交渉は成立ということでよろしいか?」
「今の我らに断る術はない」
「それでは」
慶政はにこやかに笑うと正面より屋敷を出た…。

 慶政が出て四刻。宗政は険しい表情をする。慶照寺に匿われていると知った宗恒は直ちに町奉行大崎隼人に捕縛の命を授けた。大崎は宗恒の小姓から町奉行になった男である。命を下すと同時に慶照寺の血縁である筆頭家老松平清之と軍目付松平清綱の蟄居閉門を命じた。清之はこれを機に引退することになる。また、清之の娘の嫁ぎ先にも監視の目が入り、援軍すらままならない。
「戯け!、誰に申しておるか!?」
門前にて怒声が飛ぶ。大崎の襲来に対応する宗政だ。宗恒の寵愛を受ける大崎に恐れや焦りはない。相手が一門衆であろうと一歩も引かない構えを見せる。
「これ以上、邪魔立て致すならば慶照寺はおろか、宗政様でも只では済みませぬぞ」
「どのように済まぬのかやってみせよ!」
宗政は恫喝すると大崎は刀を抜いた。斬るつもりかと思った矢先、一筋の剣圧が真空を切り裂いて番士を数人斬り捨てた。
「何奴!?」
一瞬視線を反らした隙に宗政と有庵は門内に逃げ込む。大崎は即座に捕縛しようとしたが慶政が間に入る。
「悪いが中に入れさせるわけにはできぬ」
慶政と大崎は面識が無い。しかも、大崎は実戦経験の乏しい町奉行である一方で慶政は数多くの戦場を駆け巡っている。背後から宗勝が襲いかかったため、囲みは次第に崩されていく。
「くそっ!」
大崎は力の差に気付いていない。尚も抵抗しようとする大崎に慶政と宗勝の剣技は猛威を奮う。あまりの強さに怯んだ番士たちは逃走を図り、総崩れとなった。
「くそっ!、退け!」
大崎は退却を命じ、三人は悠々と慶照寺に入った。

「何だと!?」
宗恒は絶句する。慶政の出現とお涼、宗勝父子の脱出は想定していなかった。三人の登場は馬之助捕縛よりも困難な事態に直面していた。そこに家臣が慌てた様子でやって来た。
「も、申しあげます!」
「何事か!?」
「か、金子宗政様、慶政様お涼様が参られております!!」
「何だと!?」
宗恒や居合わせた重臣たちは動揺する。基本的に一門衆は堂々と入ることができ、何よりお涼は宗恒の異母姉に当たる。軟禁屋敷から脱出されたとはいえ、無碍に断れるはずはない。三人が現われると重臣たちが左右に分かれた。
「久しいな、宗恒殿」
宗政は一門衆の長老として宗恒に話し掛ける。
「愚息が帰ってきたでな、会わせようと思いましてな」
「丹波護間藩剣術指南役金子慶政にございます」
「丹波護間藩…」
宗恒は祖父宗康の剣術指南役を務めた一条刀斎のことを思い出した。刀斎は死ぬまで藩内の調停に奔走していたことを幼い心ながら頭に浮かんだ。
「政種殿とは江戸への参勤の際に何度かお会いしたことがある。父君の政兼殿はすでに隠居されていたが息災か?」
「はい、今も藩に強い影響をお持ちです」
「左様か…」
宗恒にとってこのような会話は耳に入っていなかった。姉の鋭い視線を痛く感じた。今まで軟禁されていたのだから当然のことである。
「宗恒、心ここに非ずという感じじゃな」
「姉上…」
「私が言いたいことがわかるか?」
「父上が姉上に施した所業のことですか?」
義康は父の死後、嫡子義勝と娘のお涼を城下に軟禁した。養父先崎十左衛門勝理がいた頃はそのようなこともさせなかったが、宗康を追うようにして逝くと宗恒によって城中に幽閉されていた義康が躍動し、義勝とお涼は身柄を拘束されてしまったのだ。しかし、兄妹とは申せ、血は繋がっておらず、愛し合ってもいた。二人の間に宗勝が産まれた後、義勝も病に倒れた。元々病弱であった義勝が父により廃嫡された要因でもあり、不遇であった兄のことを何とか助けてやりたいと思っていたところに犬居の乱が起こり、義康の許から逃れていたのだ。
「お涼、済まぬ…」
「私は!、私は幸せにございました」
二人の双眼は涙で濡れていた。傍らに後に宗勝と名乗る建介がいる。
「建介を頼む…」
「兄上!」
お涼は義勝の手を握る。
「先に逝く…わし…を……許して……く…れ……」
宗勝は息絶えた。この数年後、後見は下男だが建介は元服したのだ。お涼は父の所業を許した宗恒を憎かった。
「わしはお前を許さぬ!」
掴み掛かろうとするお涼を制したのは慶政であった。
「今、ここで宗恒殿に手を掛けるのは得策ではありません」
「くっ…」
「宗恒殿にお聞きしたい」
「何じゃ?」
「昨日のことです」
町奉行大崎隼人が慶照寺を囲んだことを伝えた。
「あれは宗恒殿の命か?」
「左様」
「何故?」
「他藩の者に語る必要なし」
「ならば、わしにならば言えよう」
隠居しているとはいえ、金子藩において絶大な影響がある宗政が言う。
「長老、その件ならばそれがしが申す」
重臣の目付衆支配草津玄之進が前に出る。目付衆支配は軍目付、城目付、郷村目付等を束ねている。
「わしは宗恒に聞いておる。貴様に出る幕はないわ!」
恫喝された玄之進がおとなしくなる。
「宗恒、今はこのようなことをしている場合か?。城崩しの変、犬居の乱に続いてまた藩を乱すつもりか?」
「何のことを言っているのかわかりませぬ」
「戯けが!、わしの目を節穴だと申すか!!」
信春の遺児馬之助が慶照寺に匿われていた経緯を話した。
「……」
「済んだことは今更言っても仕方あるまい。わしに考えがある」
この言葉に重臣たちは事態が良い方向に行くのではないかと思った…。

「よくぞ、参られた。長旅であっただろう」
政兼は感慨深けに言った。護間藩内にある護間政兼の屋敷に八人の姿があった。金子宗政、慶政、お涼、宗勝、永山安政、お近、そして、金子馬之助である。
「よくぞ、ご無事で」
正室のお紅も政兼に倣う。宗政が宗恒に提案したのは自らとこれに関わった藩士の放逐であった。慶照寺は関わりなきものとし、町奉行大崎隼人も藩を騒がせた罪を背負わせて切腹させた。大崎一人に責めを追わせることで金子藩を守ったのだ。
「宗政殿、久しいな」
「政兼も元気そうで何より」
二人は久しぶりの再会を喜んだ。お涼と宗勝は一時の滞在でまた金子に戻ることになるが、宗政や永山安政らは二度と戻ることはなかった。慶政は自らの屋敷を持っていたが、城下に屋敷を与えられた宗政は安政を用人とし、馬之助を安政の養子として永山馬之助改めて春政と名乗らせ、政種の子である政儀の代に城目付として重臣の一角を列した。安政の娘のお近は慶政の次子慶信に嫁いで一男三女に恵まれた。
「宗勝」
「はっ」
政兼は屋敷に居候する宗勝を呼んだ。
「手合わせせぬか?」
「よろしいので?」
共に木刀を手にした。政兼は幾天神段流一条刀斎の名を受け継いでいる。宗勝にとってこれ以上の相手は無い。宗勝は正眼の構えになったことに対し、政兼は自然体の静の構えになった。見守るお涼はこの時点で宗勝の負けを悟った。その通りに宗勝が仕掛ける前に政兼が流牙散布八連を放った。一度に八つの刃が飛びかう高速剣である。当然、返し技があるが宗勝は遅れを取ったため、全ての刃が宗勝の急所に入った。
「愚か者め」
そう呟いたのはお涼であった。お涼の剣の師匠は祖父宗康であり、奥義を含めた全ての剣技を宗康が死ぬ直前まで叩き込まれていた。
「宗勝、いずれは金子に戻るのであれば我が奥義、見事手にして見せよ」
「ははあっ」
政兼の言葉に宗勝は感謝したがお涼にとっては耳の痛いものであった。幾天神段流は護間家が持つ本流、三条家の三条幾天流、金子家の遠州直伝幾天神段流があり、それぞれが独自の剣技を研究し、奥義を極めんとした。結果的に宗勝は本流と遠州直伝を受け継ぎ、嫡子宗匠へと流れていくのである…。

後伝 完


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