ハッスル連合軍

マグナムTOKYO(黒木克昌)

かつて香港中のマフィアを恐怖に陥れたことから、ついた異名は“九龍の鬼(クーロンキー)”。しかし、その正体はあくまでもナゾである。あるときは殺し屋、あるときはビジネスマン、そしてまたあるときはメキシコ帰りのプロレスラー、“100の顔を持つ男”として、世界中を渡り歩きながら探偵を生業とする。レイザーラモン行きつけの喫茶店『ともだち』のマスター、ほんこんのおやっさんの紹介で、RG&KGと知り合う。2008年11月20日の『ハッスル・ツアー2008 in 後楽園』にて、ピンチに陥ったKGを見事救出。そして、『ハッスル・ツアー2008 in 茨城』でHG&RGとタッグを組んで初勝利を飾った。しかし、HGがモンスターHGになってしまったことに憤慨し、モンスター軍に対して徹底抗戦を主張する。後にハッスル軍に正式加入し、名前もマグナムTOKYOに戻し、モンスターHGとのシングル3連戦を全勝した。さらに、モンスター軍の高田総統から後継者の指名を受けて困惑したが、『ハッスル・エイド2009』で高田総統の最後を受けて奮起。次の後楽園大会でハッスル軍解散を宣言した。天龍源一郎の鞄持ちからプロレス界に入った人物。


越中詩郎


2008年7月11日の『ハッスルGP 2008』のメイン終了後に高田総統より新たなGP代表が決まったと告げられた直後に登場し、高田総統に対して宣戦布告とも取れる発言を行う。次の一回戦ではザ・モンスター℃に圧勝し、二回戦で坂田亘に敗れたものの、50歳と思われない実力を発揮する。その後、肋骨を痛めた天龍源一郎とタッグを組んでモンスター軍の標的にされるが10月16日の『ハッスル・ツアー 2008 in 後楽園』でボブ・サップ&モンスター・ソルジャー組を退けて見事に復活した。2008年11月22日の『ハッスル・ツアー 2008 in 茨城』のメイン終了後に復活した天龍と共にリングに上がり、ハッスル軍入りを表明した。


川田利明

ハッスル旗揚げから参戦。当初はハッスル軍の中心選手となっていたが小川直也との不甲斐なさから、モンスター軍に移籍。以降、モンスター軍のNo.2として君臨し、時には総統代行も務める側近中の側近である。一時は天龍源一郎の加入もあってNo.3に甘んじていたが天龍の追放後はモンスター軍に無くてはならない存在となった。2008年7月9日より始まった『ハッスルGP2008』で、地元栃木での決勝戦においてハッスル軍リーダー坂田亘を破る快挙を見せて初代覇者となった。元三冠ヘビー級王者。『モンスターK』とあだ名される。高田総統が『ハッスル・エイド2009』で死んだ後、後継者に名乗りを上げるが内部分裂の危機に陥り、事実上の解散状態に。しかし、総統の仇討ちを諦めきれずに恥を忍んでマグナムTOKYOの許でハッスル連合軍の旗揚げに加わった。


小路晃

高田総統の友人である高田延彦の推薦を受けてPRIDEから初参戦。初戦となるはずだった『ハッスルGP 2008』でゼウスにフライパンで襲撃されて失神。次の8月21日の『ハッスル・ツアー2008 in 後楽園』でゼウスと戦うが敗れた。あまりの不甲斐なさと自身が出直したいということでモンスター軍入りを希望。高田延彦の推薦ということもあり、査定マッチはされなかったが新人ということで昇進したばかりの島田工作員から二等兵の称号を与えられた。しかし、新たに加わったパンチ・ド・℃(二代目モンスター・℃)との待遇に不満を持ち、二等兵を辞めると公言。2009年5月27日の後楽園大会で坂田亘に敗れた後、制裁を加えようとした島田工作員を払い腰で返り討ちにして脱退を宣言した。6月25日の後楽園大会で坂田亘と共にアン・ジョー司令長官を倒してタッグを結成した。高田総統の死後、マグナムTOKYOらと共にハッスル連合軍の旗揚げに加わる。


レネ・デュプリー


RG

HGの相方。HGがハッスル参戦すると、これに続かんと2006年2月8日の『ハッスル・オーディション』を受けて最終選考まで残る。鈴木浩子に拾われてハッスル参戦。やられキャラとして鈴木一家・坂田軍団・ハッスル軍と渡り歩く。鈴木浩子の推薦を受けてGM(ハッスル運営全権委任者)にもなった。2008年7月11日の『ハッスル・ツアー in 後楽園』のメインで赤鬼蜘蛛に勝利し、現在、天龍源一郎とWARGを結成する傍ら、やられキャラとして密かにボノちゃん部屋のあーちゃんに対抗意識を抱いている。後にHGがモンスター軍に加わった後もハッスル軍のやられキャラとして君臨し、2009年4月23日の後楽園大会ではあーちゃんとの最弱王決定戦に勝利し、あーちゃんとの決着を付けた。高田総統の死後、いち早くハッスル連合軍の旗揚げに参戦表明するが実力で『補欠』扱いになってしまった。


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