殻 〜不徳者と呼ばれた剣豪〜

 江戸末期、幕末と呼ばれる時代。この頃の京都は日本有数の激戦地でもあった。薩摩、長州ら討幕を目指す志士たちが暗躍し、これを防ごうと京都守護職松平容保率いる幕府軍が迎え撃つ。逆に監視の目を盗んで徳川の足元をすくおうと画策し、密偵を放ってはこれを潰すという繰り返しが各地で行われていた。
 しかし、幕府側には強い味方がいる。松平容保の傘下に新選組という集団があった。彼らは治安維持という名目で薩摩・長州の志士たちを見つけては尋問し、歯向かえば斬り捨て御免の権限を持っていた。志士側も黙ってみているわけではないが新選組の面々は凄腕揃いで大半がどこかの流派に属し、免許皆伝まで得ている者たちばかりなのだ。局長近藤勇は天然理心流試衛館主という肩書きを持ち、彼を中心に手練と呼ばれる7人の猛者がいた。彼らは当初浪人組という組織を結成したがある事件で松平容保預かりとなり、そして、そのまま新選組という新たな組織を結成するに至っていた。そんな新選組の中に1人だけ変わった人物がいる。
 名を金森平八郎といい、近藤の門下だった男だ。”副長助勤”という立派な肩書きを持ってはいるが実質は”無役”の存在だった。剣の腕も他の7人よりも劣るどころか新参者の隊士にすら勝てないという情けない腕前で、博学のほうも全然駄目でいつも馬鹿にされる、言ってみれば新選組の”お荷物”的な立場である。

 この日も金森は中庭がよく窺える縁側に座って日向ぼっこをしていた。そこに一番隊組長の沖田総司が稽古を終えて手ぬぐいで汗を拭いている。
「今日もいい天気ですね」
美形の沖田が言う。
「そうだな。今日はもう済んだのかい?」
「稽古ですか?、ええ、終わりましたよ」
「毎日、精が出るなぁ」
「金森さんもやってみませんか?」
「ん…、私は剣術のほうはからっきし駄目なことは知っているだろう?」
苦笑しながら言う。
「やってみなければわかりませんよ」
「いや、遠慮しておくよ」
「あ、そういえば…」
「うん?」
「近藤さんが探していましたよ」
「師範が?」
金森は近藤のことを師範と呼ぶ。門下であったときの名残だ。
「はい」
「何の御用なのかな」
「さあ…、行ってみればわかりますよ」
「ははは…、それは確かにな。では、少し失礼するよ」
「はい」
沖田は一礼して金森の前から立ち去った。
「さて…、行くかな」
金森もまた脇に置いてあった刀を片手に立ちあがった。

「お呼びですか?」
障子を開け放っている居間に近藤は座って書物を読んでいた。
「ああ、来たか」
「失礼します」
金森は左斜め前に座る。これも門下であった頃の名残だ。
「最近どうだね?」
「最近ですか?」
「うむ」
「そうですね…、心地よいですね」
この言葉に近藤は書物から金森に視線を映した。
「心地よいとは否なことを言う」
「ははは…、新選組の士気が高いということですよ」
「ほう、なぜ、そう思う」
「皆の活気が違う」
「なるほど…」
「それに…」
「それに?」
「私に対する殺気こもった視線を見ていると否応なくやる気が出てきますよ」
「………」
近藤はゆっくりと書物を閉じた。
「そろそろ、殻から出てみてはどうだ?」
「殻ですか…、まだその時ではありませんね」
金森は近藤の意図を読み取った。
「ならば、なぜここにいる?」
「言ったじゃないですか、心地良いと」
「何もせずにぼぉ〜っとしている事がか?」
「ええ」
「ならば聞くが…」
金森はすかさず近藤の先を読み取って言う。
「脇に置いてある二差しは何のために使うのか?」
そして、にっと笑う。
「わかりません。自分の身を守るためか、それとも、相手を殺すためにあるものか…」
金森は自問する。ここに来るまで何度も自分に問い掛けた質問だが答えはいつも出なかった。
「お前が早く殻から飛び出してくることを祈っているよ」
「まだ死ぬのは早いですから」
金森はそう言うと近藤の前を辞した。

 殻…、他人が聞いていれば”心の闇”と受け取るのだろうが、この2人の会話の中で出る殻は別のところにあった。
「お前は新選組にとって要らぬ存在、さっさと除隊して死んでしまえ」
という意味合いが込められていた。新選組で除隊することは死を意味する。局中法度で定められているからだ。だからこそ、金森はさらっとこれを交わした。
「殻とはうまいことを言う」
鋭い視線を持つ副長土方歳三が現れたのは金森が辞してすぐのことだった。
「さっさと適当な罪をつけて殺ってしまえばいいのに」
「そんなことが公になれば士気に関わる」
「近藤さんは固いねぇ」
「そうでなくては新選組の局長なんてできんさ」
この2人、新選組の中では親友に等しい立場にある。
「だが…」
土方は苦言する。
「本当に殻から飛び出せば奴は鬼と化すだろうな」
「ああ…、そうだな…。奴は恐ろしい」
近藤も土方も金森の本性が現れるのを恐れていた。
「だが、今の奴を見ていれば腑抜け同然だ」
「それが脅威だということさ」
「ふむ…」
しかし、その本性が脅威であるか否かということは誰も知らなかった。ここに2人以外は誰もそれを目にしたものがおらず、信じがたいというのが全員の答えだ。
 なぜなら、昔から金森は殻から外へ出たことがないからだ。近藤の門下になったときも新選組の一員になったときも全ては時の流れでそうなっただけで自分の意思というものが見られなかった。それでも、近藤は古参隊士ということもあって金森に副長助勤という地位を与えていた。
「ま、しばらく様子を見るさ」
土方が立ちあがる。
「歳、勝手な真似だけはするなよ」
「わかっている」
背中越しに答えると土方はその場を辞した。廊下を歩く音が遠のいていくと、
「金森平八郎…」
近藤が呟いた。
「あのときのあの目…」
殺気を帯びた鋭い視線。近藤は思い出す。
「あれは確かに修羅場を潜ってきた人斬りの目だった」
それを見たのは新選組総長を勤めていた山南敬助が脱走の罪で切腹を命じられたときだった…。

「山南さんの次はこの俺か…」
金森は久しぶりに屯所を離れて島原にいた。お耀は金森のお気に入りだ。
「どうしたのです?」
お耀の膝を枕にして寝ている金森に言う。
「いや、最近、近藤さんは俺を追い出したがっていてな」
「だったら出ればよろしいのに…」
「まだ死にたくないんでな」
「大変ですねぇ…、あそこは」
「まったくだ。お前といるときが一番のんびりできる」
「何をおっしゃいますか…。向こうでものんびりなさっている癖に」
全てお見通しだと言わんばかりにお耀が言う。
「ははは…、お耀に隠し立ては無理だな」
「そうでしょうとも」
「だが、隊士の目を見ているといつも怖いと感じる」
「働かない者は不徳者と見られますからねぇ」
「不徳者…、それ以上かもしれんぞ」
「うふふ…、自慢にはなりませんよ」
「たしかにな」
金森は苦笑する。
「もし…」
「もし?」
「もし、新選組と真っ向から戦うことがあれば俺の命なんてあっという間に消し飛ぶだろうな」
「………」
「それに山南さんもだ。急に変わられた。謎の失踪、除隊、切腹…」
「………」
「理由もわからずにだ。どうして…」
金森と山南は親友だった。新選組に来て以来、隊士の枠を超えた同士と言っても過言ではなかった。常に行動を共にし、新選組において良き相談相手となっていた。お耀を紹介されたのも山南の薦めだった。それほど、意気揚揚と2人がしている様子を見て他の隊士からは嫉妬を買っていたかもしれない。それでも、何か目的を見つけた2人にとっては嫉妬など目に映らないものだった。それが断ち切られる事態になったのが山南の脱走だった。
 脱走が判明した日、近藤は金森を呼んだ。
「え?、それは真ですか?」
聞かされた金森が驚いたほどだった。
「うむ、もう3日も連絡がない」
「何者かに襲われたという可能性は?」
「それもあるが今は見つけることが先決だ」
「見つけたらどうなさるおつもりですか?」
「理由を聞く」
「納得できぬ場合は?」
「言わずともわかっているだろう」
「切腹…」
金森はそのときほど絶句したことはなかった。理由は何だったのか、切羽詰まっているのであれば何かしら相談があってもおかしくない。それなのに突然の失踪劇に金森は政治的意図を感じ取っていた。それ故、山南が切腹を命じられ首を放たれたと知り、近藤に向かうときの視線は殺気を帯びていた。たまたま留守になっていたがあのときほど殺したいと思ったことはなかった。けれども、その殺気は近藤と土方に影から見られていたのだが金森は気づいているはずもない。
「あのとき、立ち会うことさえできていれば…」
古参隊士の中で金森だけが立ち会うことが許されなかった。それも、山南との仲を知ってのことだろうが。
「済んだこととは申せ、何もできぬ自分が口惜しい」
「平八郎様…」
「くぅ…」
金森は泣いた。滅多に見せぬ陽気な男が涙を見せたのだ。お耀は静かに金森を抱きしめた…。

 この日、また脱走劇があった。加納惣三郎という若い隊士が島原から戻って屯所の塀を越えようとして捕らえられたのだ。実はこの男、新選組随一の色男で加納に恋をする隊士もいるほどの美形なのだ。しかし、士気の低下を重くみた近藤は監察役山崎蒸に命じて島原に連れて行った途端、今までの状態から脱したかのように入り浸りになってしまい、挙句の果てが島原に行くための金を工面するために辻斬りなど夜盗の真似事までしていたらしい。
「愚か者めが!」
近藤の前に引き出された加納に土方が叱咤する。
「脱走を行った者がどういう処罰が下されるか知っているだろう!」
「………はっ」
「よし!、局中法度に乗っ取り…」
「待て」
近藤が土方の言葉を制する。
「加納君、君はまだ若い。まだ死にたくはないだろう」
「は、はい」
「だが罪は罪。これを放置しておくことは全体の士気に関わる」
「………」
「そこで君の腕を試してみたい」
「試すとは?」
「1人斬ってもらいたい人物がいる。もし、斬ることができれば今回はお咎めなしとしよう」
「ま、真ですか!?」
加納は歓喜する。
「ただし、もし逃げるようなことがあれば敵前逃亡とみなし、沖田君が君を殺すであろう」
「承知仕りました」
「よし、行くがいい。相手の名は沖田に伝えてある故、後に聞くが良い」
「はっ」
加納は監視役の沖田と共に出て行った。
「近藤さんも人が悪い」
「なに、気にするな」
「局長が言うことじゃないと思うぜ」
「今に始まったことじゃない。だろ?」
「まあね。で、誰を殺らすんだ?」
「新選組副長助勤金森平八郎」
近藤は静かに言った。
「なっ!?」
さすがに土方は驚いた。
「そういうことだ」
「正気かい?」
「無論。新選組に無能者はいらない」
「しかし、返り討ちってことも」
「それがどうした?。殺る方も罪人なのだ。こちらは痛くも痒くもない」
「近藤さん、今のあんたを見てると鬼に見えてくるよ」
「新選組にいる者は皆そうさ」
「………」
土方は思った。この策は近藤の負けだと、金森もまた新選組に属する鬼だということを改めて認識したのである…。

 お耀のもとを辞した金森は屯所に帰るべく堤燈片手に歩いていた。すれ違う者は誰一人いない。静かなものだが月は出ていない。雲に覆われた空がこれから起きることを予感させるには十分だった。小さな橋を渡れば屯所までまもなくというところで1人の覆面男が現れた。
「何者か?」
相手に問い掛けるが名乗ろうとしない。
「我を新選組の者と知っての狼藉か?」
「………」
「今一度聞く。何者か?」
堤燈を前に出すが相手まで明かりは届かない。
「金森平八郎だな」
それだけ言うと刀に手をかけた。
「刺客か…」
(俺を殺して喜ぶ人間などあの中にはどれだけいることか…)
そして言う。
「来るがいい。お前の腕を見せてもらおう」
金森もまた腰に帯びた刀に手をかける。一定の間合いが開く。一陣の風がその間を吹く。
(気配は消しているがもう1人いるな…)
覆面をしている男の後ろにそれは浮きあがっていた。だが、今の相手は目の前にいる男なのだ。相手は刀を抜いた。金森は抜刀になる。堤燈は手の内だ。
「てえええええええいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」
上段構えから走り込んで来る。金森は相手が冷静な状態ではないと見た。堤燈を相手の顔に向けて投げる。覆面男はあわててこれを払うがそこに敵の姿はなかった。後ろを取られていたのだ。
「これはどういうことかな?、沖田君」
闇に問いかける。
「気配は隠しているようだが私に用があるのだろう?。この者が何者かは知らぬが無駄無駄討たれるわけにもいかぬのでな」
「私を虚仮にするな!」
後ろで叫び声が聞こえる。
「五月蝿い」
静かに口を開く金森から凄まじい殺気が男を包み込む。戦いを知らぬ者であれば気絶しているところだがさすがに相手も新選組だけあって動きが止まる程度だ。
「用事がなければ帰らせてもらうよ」
脇を通りすぎようとしたとき、
「そうはいきません。金森さん」
沖田が姿を現した。
「やっぱり君か…」
「こんな形になってしまって残念です」
「ふん、残念そうな顔はしていないように見えるが?」
「月のせいでしょう」
「月?、暗雲に包まれた月など見える道理もない。師範の命か?」
「はい」
「そうか、ならば仕方あるまい」
金森が刀に手をかけた瞬間、後ろにいた覆面男は脳天から真下に向けて斬り捨てられたのである。
「なっ…」
沖田の目には刀を抜く瞬間が見えなかったのだ。
「油断は禁物、その教えは新選組以前の問題だな」
「は、早い…」
絶句する沖田を前に平八郎は静かな口調で言う。
「さて、沖田君、次は君の番かな」
「くっ…」
「だが、君はまず体を治したほうがよろしいな。労咳かな?」
沖田の顔に焦りが見えた。
「いつもぼぉ〜っとしていたわけではない。隊士1人1人の表情、動きなどを観察していれば君の体が悪いことなどすぐにわかるというものさ。あれは感染病だ。他人の前で咳き込まなくても染る可能性がある。早々に医者に行くことをお薦めするよ」
「いえ、自分の体は自分が一番良く知っていますから」
「ならば、それが新選組に対して迷惑をかけていると思わないのかね」
「………」
「悪いことは言わん。今からでも遅くはない、しっかり療養してきたまえ。それこそが新選組のためだ」
「くっ…」
図星だった。万が一、屯所内で感染などしてしまえばたちまち新選組は全滅してしまうだろう。この頃の医学では労咳は不治の病だ。沖田は結局、この病気に打ち勝つことのないまま、戦線を離脱することになる。
「師範に伝えておいてくれ。私は殻を破るとね」
「殻?」
「そう、殻だ」
金森はそう言うと沖田の脇を通り抜けた。
「ああ、あの者の死骸を頼みましたよ」
そして、闇に消えたのである…。

 金森脱走の報せはすぐに屯所に知らされた。そして、加納惣三郎の死も…。沖田からの報告では一刀のもとに斬り伏せられたという。
「やはり、殻から抜け出したか…」
近藤が言う。
「加納とて新選組の端くれ。それを一蹴するとは…」
「皆、甘く見ていたということだ」
土方が言う。
「今、追手を差し向けているが捕らえることはできぬだろう」
「奴が囲っていた女はどうした?」
「お耀なら姿を消したそうだ」
新選組の動きが後手後手に回っている。
「山崎君」
「はっ」
監察役山崎蒸が呼ばれる。
「君に頼みたいことがある」
「何でしょうか?」
「金森について何でもいい。すぐに調べてもらいたい」
「はっ」
山崎が行く。
「国境を封鎖したとしても京都は広いからな。薩長同様、そう簡単には見つかるまい」
「ああ、そうだな…」
近藤は口唇を噛んだ。
「奴は一体、何者なんだ…」

 翌々日、山崎によって金森の情報が伝えられた。
「出身は美作津山の出で父親は津山藩士、母は幼いときに死んでいます。7歳のときに真刀天明流の門を叩き、わずか11歳で免許皆伝。翌年、師範代にまで抜擢されたそうですが15歳のとき、父親が無実の罪で切腹したため、家は断絶しました。京都の親戚に引き取られた後も剣術の腕は落ちることなかったそうで、親戚が商屋をしていたこともあって遠路を行く場合は護衛も務めたほどだそうです。この商屋も5年前に盗賊に入られて皆殺しにあったとの事」
「5年前といえばちょうど試衛館に来たときだな」
「はい、そうなります」
「しかし…、わずか11歳で免許皆伝とは…」
近藤は絶句する。
「人は見かけに寄らずということだな。で、父親は何の罪で腹を切らされたんだ?」
「横領だそうです。藩の金を使いこんだとか」
「ほう、無実の罪ということは後になってわかったということだな」
「ええ、首謀者は次席家老だったようで…。それに巻き込まれた形になったわけですね」
「なるほどな。商屋は何と言う?」
「呉服問屋伊丹屋です」
「ほう、伊丹屋と言えば10年前までは老舗で名を売っていた商屋だ。あそこの親戚だったのか…」
二番隊組長永倉新八が口を挟む。
「さて…、これからどうしますか?」
沖田が言う。
「無論、金森の探索だ。薩長に接することはないだろうが万が一ということもある。気をつけよ」
「はっ」
一同が一礼した。
 この日を境に新選組は総力をあげて京都市中を探索したところ金森の行方はすぐに知れた。というよりも金森のほうから現れた形となった。京都中心部より西に山間に入ったところに間道がある。地元の者以外は知らない道で滅多に人が通ることはない。そこに現れたのだ。ここに出張っていたのは3人の隊士、まだ新参者らしく金森の似顔絵を書いた和紙を手にしている。古参、中堅クラスになれば顔は容易に知れているからだ。
「お耀、ここにいろ」
「大丈夫なのですか?」
「心配するな。すぐに終わる」
殻を破った金森に余裕が感じられた。金森は網笠を被ったまま、新選組に近づく。
「待て!」
そして、当然のように呼びとめられる。
「我らは新選組の者である。顔を改める故、網笠を取って頂きたい」
「その必要はない」
その言葉と同時に正面にいた隊士が一刀のもとに命を落とした。
「なっ!?、貴様っ!?」
右側にいた隊士が叫ぶ。血飛沫を浴びた左側の隊士は腰を抜かしている。
「その程度の力量で新選組に入るとは否なことだな」
「く、くそっ!?」
咄嗟に退こうとするが脇から現れた男に刀を向けられる。
「敵前逃亡は死罪ぞ」
「さ、斎藤さん!?」
その声質は悲鳴と化していた。三番隊組長斎藤一が刀に手をかけて隊士を一喝する。
「死にたくなくば攻めよ」
「可哀相なことを言ってやるな。斎藤」
金森が言う。
「ま、どちらにしろ同じ事か」
斎藤は何気ない言葉で自らの部下の首を刎ねた。
「お前には情というものがないのか?」
「こんな性分でね」
「君も変わらないな」
「あなたは変わられたようで」
「殻から抜け出たからな」
「じゃあ、殺りますか」
「そうだな」
共に副長助勤という地位にあった者同士。斎藤の腕は沖田と並んで新選組最強の名を欲しいままにする”人斬り”なのだ。金森は網笠を取った。
「行くぞ」
「おう」
斎藤は刀を抜き放ち八艘構えとなり、金森は抜刀の態勢となった。斎藤は無呼吸で右袈裟で斬りつけていくが金森はこれを弾き、同じ右袈裟で攻撃を加える。それを見て取った斎藤はこれを避ける。金森は勢いを殺して突きに転じて胸を狙うが動きを見ていた斎藤は死角となる左側に反転して肩と肩がぶつかる。そして、共に強い力で押し返して間合いを作る。斎藤は切っ先をやや下段に向け、金森は右下段構えとなる。そして、突きを繰り出す斎藤に対し、金森は切上で刀を弾いて横一文字に斬りつけた。斎藤はこれを避けるもわずかに衣を斬り裂いた。それでも勢いは衰えない。斎藤は再び死角から突きを繰り出して金森の肩を狙う。一方の金森は一気に間合いを詰めて斎藤に体当たりをして地面に叩きつけた。そして、追い討ちをかけるが斎藤が咄嗟に掴んだ砂を金森の顔に浴びせて怯ませて態勢を立て直す。
「俺に土を付けたのはあんたが始めてだ」
「光栄だな」
「これだから人斬りはやめられないんだ」
「お前は後悔しないのか?」
「後悔?、する必要はないさ。これが俺の生き方なのだから」
斎藤は中段構えになる。金森は左脇構えになった。斎藤はすり足で一気に間合いを詰めて脳天を狙う。金森は一歩後ろに下がって狙いを外して切っ先を斜め下に下げてこれを防ぐと同時に片手を小刀の柄に当て、長刀を持っていた左手を反転させた瞬間、小刀が斎藤の脇腹を刺した。しかし、傷口は浅く、また間合いが開く。
「ほう、十突(ととつ)を交わすとは」
金森が感心しながら言う。どうやら、真刀天明流の技らしい。
「俺に傷を負わせたのもあんたが始めてだ」
斎藤は笑っていた。まるで戦うことが楽しいかのように。
「私も嬉しいよ。こんな良き戦いができるなんてな」
金森も笑う。新選組を離れたとしても剣士であることには変わりはない。このまま行けばどちらかが死ぬだろうがそれも一興だと思い始めていたときだった。突然、悲鳴が森の中から沸き起こった。
「きゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――!!!!!」
金森が後ろを振り返るとお耀が先程腰を抜かしていた隊士に刀を突きつけられていた。
「金森さん、刀を捨ててもらおうか」
「貴様…」
「早くしろ!。捨てねえと女の命がなくなるぞ!」
「……わかった。好きにしろ」
金森は刀を捨てた。お耀は泣いていた。
「斎藤、好きにするがいい。女を人質に取ってまで勝ちたいとは思わなかったがな」
無言でいる斎藤に言い放った。
「へへへ、それでいい。さあ、斎藤さん、今の機会に金森を討ってくれ!」
女は俺がもらう、そんな卑しい目が隊士の顔にある。
「こんなところで死ぬとは…」
地面に座り込んで目を瞑った。
(お耀、すまぬ…)
心で呟いたとき、
「ぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…」
「きゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――!!!!!」
2種類の違う声が響く。目を開くとお耀を人質に取っていた隊士は斎藤によって斬り捨てられていた。一方のお耀は血飛沫を浴びたものの、傷らしきものは負っていないようだった。
「な、なぜ…」
隊士が掠れる声で言う。
「不徳者は新選組にいらぬ。死をもって償うがいい」
「そ、そんな…」
隊士は血まみれになって命を落とした。
「斎藤…」
「すまなかったな。配下の不忠義は俺の責だ。許せ」
「はぁ…、醒めちまったな」
「ああ」
斎藤は刀を納めた。
「続きは次に会ったときに行おう」
「いいのか?」
「ああ、構わないさ。これは見なかったことにする」
「死ぬなよ」
「お前もな」
戦った者同士のみがわかる胸の内が2人の中で混ざり合う。斎藤は寂しそうな背中を見せながら京都へ続く道を歩いて行った。そこに血飛沫を浴びたお耀が駆け寄る。
「平八郎様ぁぁぁぁぁ…」
お耀は泣きながら金森の胸の中で泣きじゃくった。そして、抱きしめる。
「お耀、怖い思いをさせてしまったな」
「いいんです、いいんです」
「これから先、お前を必ず守ってやる」
そう言うと2人は京都から立ち去ったのである…。

 金森の行方が知れぬまま、時代を駆け抜けた新選組は慶応3年、鳥羽伏見の戦いに突入し、将軍徳川慶喜の敵前逃亡という情けない結末に新選組の士気は大きく低下し江戸に敗走することになる。一時は甲府鎮撫隊と称して甲府城を守るがこれにも破れ敗走する。
「歳、あとは頼むぞ」
馬上にて覚悟を決めた近藤は他の隊士を逃すために下総流山にて降伏した。新選組は土方歳三を筆頭に会津へと退却し、近藤はかつての威風を保つこともなく翌年斬首され、板橋刑場で晒されたのである。民衆は徳川という世から新しい世への移り変わりを示唆した。これを見つめる民衆の中に網笠を被った男がいた。双眼からは涙が流れているがそれを拭おうとはしなかった。
「師範…」
見ていられなかった。かつては新選組局長として京都における幕府側の前線部隊を率いて武士らしく切腹できなかった無念の近藤が、晒し首となって面前にいることが耐えられることではなかった。しばらくの間、じっと近藤の無念を組みとっていた。
 その日の夜、警護する新政府軍の兵士を瞬殺する者がいた。それが何者であるかはわからなかった。まったく動きが読めず、攻撃を仕掛けようにも狙いが定まらない。躊躇している間に次々に死んでいった。最後に残ったのは死体の山と近藤の首を失った台だけだったのである…。

 元号が明治に変わり、新政府は薩長と土佐・肥前を加えた四藩を中心とした新たな政権が完成した。徳川慶喜はこれより長い年月をかけて江戸城下の某所に幽閉されることになり、幕府軍に味方した諸藩は取り潰されるか、大幅な減封・移封を受けていた。新選組もまた最後の戦いの場となった蝦夷函館にある五稜郭で奮戦したが土方歳三という柱を失い、幕府軍も降伏という形をとってしまったため、自然消滅というあっけない幕切れとなったのである。
 新選組の生き残りである永倉新八は故郷松前に戻り、藩医の養子となり、杉村姓を名乗る。その後、家督を継いで北海道と名を改めた新天地に腰を下ろした。そして、明治9年、元新選組医師松本良順の協力を仰いで近藤の首を探し求めていた頃、1人の夫婦が杉村家を訪れた。
「御免」
門前で声が聞こえ、永倉新八こと杉村義衛が姿を現した。
「誰かな?」
網笠を被っていた男に問い掛ける。腰には刀が差してあった。
「元新選組二番隊組長永倉新八殿でござろうか?」
「如何にも。今は杉村義衛と名乗っているが…」
「左様か…」
男は網笠を取った。
「私の顔を覚えておるか?、永倉さん」
「お、お前…」
永倉は驚いた。死んだと思っていた男が目の前にいるのだから。男は首から白い布で包んだ骨壷を吊っている。
「久しぶりだな」
「生きていたのか…」
「当然だ」
金森平八郎と妻お耀の姿がそこにあった。
「俺たちを恨んでいるだろう?」
「いや、もう済んだことだ。近藤さんの最後を見たときに復讐という種は脆くも涸れてしまったよ」
「そうか…、お前もあのお姿を見たのか…」
「ああ…」
かつての仲間であり、敵対した者同士だったが行きつくところは皆同じなのかもしれない。
「まあ、ここでは積もる話しもできまい。上にあがるといい」
「いや、ここでいい。実は頼みがあって来たのだ」
「頼み?」
「君にこれを託したい」
そう言って渡したのは骨壷だった。
「これは?」
「あの日…、あそこから奪還した師範の首だ」
金森は静かに言った。
「お前が探していると聞いてな。立派な墓を建ててやってくれ」
「平八郎…」
永倉は涙を流しそうになったが懸命に堪えた。
「これからどこに行くんだ?」
「さあ…、気の向くままに」
「お前らしいな」
「また機会があれば会うこともあろう」
「ああ、気をつけて行かれよ」
「では、これにて」
2人はふらっと立ち寄った旅人のように来た道を戻って行ったのである…。

 元新選組副長助勤金森平八郎の名は新選組隊士名簿にはない。不精者不徳者故、新選組の恥とされたのだろうか。だが、結果として彼のような人物がいたことは曲げられなかったとしても、闇の闇に消えた真実は誰に委ねられるものではない。けれども、最後に得るのはやはり真実の二文字になるだろう。
 この後、近藤勇の首は永倉新八の手によって手厚く葬られたという…。

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