ハッスル軍
☆新生ハッスル軍☆
グレート・ボノ(曙)
2007年8月8日の『ハッスル25』でメイン終了後、インリン様とグレート・ムタの子供として誕生。モンスター・ボノと名づけられる。巨体と怪力を武器にハッスル軍を蹴散らしていく。しかし、年末の『大みそかハッスル祭り2007』で父親のグレート・ムタと競演した後に態度が急変。反抗期に入ったようで家出をしてモンスター軍を追放された。その後、メル友のよしえちゃんとボノちゃん部屋を結成し、第三勢力としてハッスルを引っ張る。母親のインリン様とは、2008年5月24日の『ハッスル・エイド2008』で決着・和解した。続いて始まった『ハッスル・ツアー2008』では天龍、長尾を破る快挙を見せるが坂田に敗れた。12月30日の『ハッスル・マニア2008』でグレート・ムタと再会するがムタは高田総統の分身・エスペランサー・ザ・グレートを道連れに魔界へ帰った。その直後、ハッスル軍入りを表明。2009年1月29日の『ハッスル・ツアー2009
in 後楽園』の開催前に主将就任会見を行ったが、2月22日の千葉大会でモンスター軍のエージェントであるフランソワーズの誘惑に惑わされて戦意を喪失し、失踪。それでも、パンティ恐怖症を克服して復活し、7月26日の『ハッスル・エイド2009』では試合中に覚醒してグレート・ボノとなったが魔界へ帰った父を探すべく自らも魔界へと旅立ってしまった・・・。
天龍源一郎
『ハッスル・マニア2005』で安田忠夫と共に電撃参戦し、スーパータッグ王座を獲得する。そこから度々参戦し、ハッスルでの存在を不動のものとしていく。一時、坂田軍団に属するがリーダー坂田亘の不甲斐なさに見切りをつけ、『ハッスル・ハウス
vol.19』で高田モンスター軍への移籍を表明。川田利明を抑えてNo.2として迎えられる。しかし、『ハッスル・エイド2007』でHGに敗れて追放され、新生ハッスル軍に加わった。その後、2008年7月6日の『ハッスル・ツアー
2008 in 福岡』でボノちゃんとの対戦で肋骨を負傷。連戦連敗で引退の危機に立たされるが越中と愛娘の言葉に奮起、復活した。猪木・馬場から唯一日本人してフォールを奪った『生ける伝説』。寿司屋『しま田』を経営している。スーパータッグ王座(1回)、『ハッスル大将』とあだ名される。
TAJIRI
2006年2月8日の『ハッスル・オーディション』で実力を認められてハッスル軍に加わる。プロレスとしての実力の他にWWE時代に培ったエンターテイナーぶりを発揮し、参謀的な役割を担っていく。しかし、小川直也が高田モンスター軍にハッスル軍を売り渡す暴挙に憤激し、シングルで挑むが高田総統の策略でイン乳を飲まされて洗脳される。だが、同じく洗脳された大谷にイン乳を飲まれてから中毒症状になってしまい、使い物にならなくなって返品されるが、ニシム・ラマの聖水に助けられて復活を果たす。ハッスル軍の更なる発展を願い、『ハッスルGP2008』で坂田亘と激戦を繰り広げた。その後、『ハッスルGP
2008』決勝で川田に敗れた坂田のなれの果てを見て失望。一から出直すことを宣言した。当初はナットーマンと仲たがいしていたが、2009年2月22日の『ハッスル・ツアー2009
in 千葉』できっこーまんという覆面レスラーとなってナットーマンと共にモンスター軍に勝利した。コミックの原作・漫画家としても有名。
HG
2005年7月7日の記者会見で『ハードさが足りない』という理由で中村カントクの推薦を受けてハッスル参戦を表明。最初の犠牲者は石狩太一。当初は芸人がプロレスをできるのかという批判を受けていたが徐々にエースとして頭角を現す。2007年、小川直也がハッスルを高田モンスター軍に売り渡す暴挙にも奮戦し、『ハッスル・ハウス
vol.27』で新生ハッスル軍を結成するまで引っ張った。『ハッスル・エイド2007』で天龍に勝つ快挙を成し遂げる。しかし、2008年5月24日の『ハッスル・エイド
2008』で川田に敗れた後、モンスター軍によって拉致され、ドクター中松に改造されてしまうが完全ではなく、からくも脱出し、スーパーHGとして怒りが頂点に達すると変身する。しかし、12月30日の『ハッスル・マニア2008』で怒りが憎悪に変わってモンスターHGとなって生まれ変わった。執拗にRGを狙い続けるがマグナムTOKYOには一度も勝てず、2009年6月25日の後楽園大会でRGからの手紙を聞いて豹変。メイン終了後、元のHGに復活した。
越中詩郎
2008年7月11日の『ハッスルGP 2008』のメイン終了後に高田総統より新たなGP代表が決まったと告げられた直後に登場し、高田総統に対して宣戦布告とも取れる発言を行う。次の一回戦ではザ・モンスター℃に圧勝し、二回戦で坂田亘に敗れたものの、50歳と思われない実力を発揮する。その後、肋骨を痛めた天龍源一郎とタッグを組んでモンスター軍の標的にされるが10月16日の『ハッスル・ツアー
2008 in 後楽園』でボブ・サップ&モンスター・ソルジャー組を退けて見事に復活した。2008年11月22日の『ハッスル・ツアー 2008
in 茨城』のメイン終了後に復活した天龍と共にリングに上がり、ハッスル軍入りを表明した。
RG
HGの相方。HGがハッスル参戦すると、これに続かんと2006年2月8日の『ハッスル・オーディション』を受けて最終選考まで残る。鈴木浩子に拾われてハッスル参戦。やられキャラとして鈴木一家・坂田軍団・ハッスル軍と渡り歩く。鈴木浩子の推薦を受けてGM(ハッスル運営全権委任者)にもなった。2008年7月11日の『ハッスル・ツアー
in 後楽園』のメインで赤鬼蜘蛛に勝利し、現在、天龍源一郎とWARGを結成する傍ら、やられキャラとして密かにボノちゃん部屋のあーちゃんに対抗意識を抱いている。後にHGがモンスター軍に加わった後もハッスル軍のやられキャラとして君臨し、2009年4月23日の後楽園大会ではあーちゃんとの最弱王決定戦に勝利し、あーちゃんとの決着を付けた。
マグナムTOKYO(黒木克昌)
かつて香港中のマフィアを恐怖に陥れたことから、ついた異名は“九龍の鬼(クーロンキー)”。しかし、その正体はあくまでもナゾである。あるときは殺し屋、あるときはビジネスマン、そしてまたあるときはメキシコ帰りのプロレスラー、“100の顔を持つ男”として、世界中を渡り歩きながら探偵を生業とする。レイザーラモン行きつけの喫茶店『ともだち』のマスター、ほんこんのおやっさんの紹介で、RG&KGと知り合う。2008年11月20日の『ハッスル・ツアー2008
in 後楽園』にて、ピンチに陥ったKGを見事救出。そして、『ハッスル・ツアー2008 in 茨城』でHG&RGとタッグを組んで初勝利を飾った。しかし、HGがモンスターHGになってしまったことに憤慨し、モンスター軍に対して徹底抗戦を主張する。後にハッスル軍に正式加入し、名前もマグナムTOKYOに戻し、モンスターHGとのシングル3連戦を全勝した。さらに、モンスター軍の高田総統から後継者の指名を受けて困惑したが、『ハッスル・エイド2009』で高田総統の最後を受けて奮起。次の後楽園大会でハッスル軍解散を宣言した。天龍源一郎の鞄持ちからプロレス界に入った人物。
KG(近藤朱里)
2008年10月16日の『ハッスル・ツアー2008 in 後楽園』でHG&RG組が敗れて、モンスター軍に私刑状態に陥った際にリングに乱入し、得意の空手でモンスター軍を一蹴し、HGに弟子入りを志願。10月21日の記者会見で正式にハッスル参戦を表明し、RGから『カラテガール=KG』と命名された。次の『ハッスル・ツアー
in 栃木』でHG&RGと共にタッグ戦に挑んで初勝利を飾る。その後も、HGの離反や\(^o^)/チエからのいじめにも耐え続け、2009年2月22日の『ハッスル・ツアー2009
in 千葉』で\(^o^)/チエとの一騎打ちに挑むが敗れたが3月25日の後楽園大会で見事勝利して和解。チエの引退宣言を受けて驚いた様子。しかし、チエの後継者としてチエのユニフォームを着て登場し、4月29日のチエ引退試合ではサプライズタッグ戦に臨み、見事勝利した。
中村カントク
ZERO1-MAXを運営しているFOS社長。選手としてリングに上がることは滅多にないが、2005年2月11日の『ハッスル7』では携帯カメラを片手に女子レスラーを追い掛け回すというエロ魂を発揮。島田二等兵とも対戦したことがある。HGをハッスルに推薦した張本人。大抵はセコンドとして大会に挑んでいる。
崔領二
2004年6月28日の『ハッスル・ハウス vol.1』でハッスル初参戦。ハッスル軍の一員として戦っていたが突如、坂田軍団に移籍し、坂田亘を『兄貴』と呼ぶ。天龍源一郎の離反後も坂田軍団を引っ張っていったが高田総統の謀略で有力選手の引き抜きにあったハッスル軍に加わる形で坂田亘と共に新生ハッスル軍を結成した。現在は若頭として若手レスラーたちを引っ張っている。
池谷銀牙
ザ・グレート・サスケ(みちのくプロレス所属)
その他
☆退団☆
長尾浩志
2006年2月8日の『ハッスル・オーディション』で最終選考に残り、高田モンスター軍に加わる。新日本プロレス出身ということもあり、プロレスの実力はあったがハッスルではなかなか勝てずにモンスター軍を追放される。『ハッスル・エイド2008』で銀牙軍団として再デビューを果たし、池谷銀牙の推薦を受けてハッスル軍に移籍した。敵でありながら、師匠であるアン・ジョー司令長官に勝った際は『ありがとうございました!』と頭を下げた。7月より始まった『ハッスル・ツアー2008』でゼウスに対して敵意を剥き出しにしていたが未だ勝てず、11月になって退団を表明した。
KUSHIDA
2006年2月8日の『ハッスル・オーディション』には落選したが練習生としてハッスル軍に加わり、TAJIRIの指導を受けて、『ハッスル・ハウス
vol.20』でデビューを果たす。同期で公私共に仲の良い\(^o^)/チエと共に第1ハッスルを任されることが多く、ダック戦ではコンビネーションをうまくこなしながら、その成長を期待されているが我を忘れて暴走する時もあり、TAJIRIに制止されることもしばしば。2008年の年末にレイ大原に敗れてからはNWAインターナショナルJrヘビー級のベルトを賭けて戦うことになったがモンスター軍の妨害により、ノーコンテストとなる。そして、次の千葉大会では師匠のTAJIRIと共にレイ大原&藤田ミノル組に勝利して再戦を強く要望したが実力の差は大きく、2009年3月25日の後楽園大会でレイ大原とのハッスル追放を賭けた試合で敗れて追放、退団となった。後にメキシコでの参戦を望んで旅立った。
\(^o^)/チエ(石井千恵)
2006年2月8日の『ハッスル・オーディション』で落選するが練習生としてハッスル軍に加わる。女子レスリング金メダリストの吉田沙保里や伊調千春の大学の後輩にあたり、伊調馨とは同級生という。高田モンスター軍の叶わぬ願いとして\(^o^)/チエを使って吉田沙保里をハッスルに引き込みたいのだという。同期のKUSHIDAとは仲が良く、共にタッグ戦を務めることも多くなってきている。根性は天龍源一郎も認めるところ。しかし、2009年1月29日の『ハッスル・ツアー2009
in 後楽園』で後輩のKGに蹴りの誤爆を喰らってから、KGに対する接し方がいじめ状態になり、2月22日の千葉大会で一騎打ちをして圧勝した。しかし、KUSHIDAの追放が決まった3月25日の後楽園大会でKGと和解。その場で結婚&引退を表明。4月29日の名古屋大会で引退試合でTAJIRIに敗れたがサプライズハッスルのタッグ戦で勝利して有終の美を飾った。
☆故人☆
橋本真也
かつて激戦を繰り広げた盟友・小川直也と共にハッスルを旗揚げ。高田総統率いる高田モンスター軍に対抗する形でハッスル軍を作り、中心的選手となる。2004年6月28日の『ハッスル・ハウス
vol.1』で古傷の右肩を負傷。次の『ハッスル4』を最後に長期離脱し、治療に専念することになった。手術を経てリハビリを順調にこなしていたが、2005年7月11日、脳幹出血により病死した。ハッスルにおいて、『ハッスル10』で追悼セレモニーが行われた。『ハッスル・キング』のあだ名を持つ。
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