和歌山城 再訪(3)

和歌山城に関わる画像です
時折、更新します


(撮影日 24/3/13)









高石垣

この付近から追廻門、不明門まで至る石垣は高石垣と呼ばれ、
初代藩主徳川頼宣によって城の拡張工事の際に築かれた
江戸時代は国道24号の中央付近まで石垣があったが
1908年(明治41年)に路面電車を通すために撤去されたという




市堀川(内堀)

東は和歌川(旧雑賀川)から分かれて、
京橋(京橋門跡)に面して、
築港に至って最後は紀ノ川河口で海に続きます

南海和歌山市駅方向を撮る




左にある桜は市役所寄合分室にある桜です
川は左に折れて京橋方向に続きます




御橋廊下(庭園側入り口)

復元当初は有料であったが現在は無料で行き来できる
但し、土足厳禁のため、靴は脱いで中に入らなければならない




廊下内部は坂になっており、床は凸凹になっています




内部から庭園側入り口を望む




窓は格子があり、障子で開閉が出来る




後ろを振り返って庭園側を望む




二の丸側入り口から廊下を望む






多門櫓跡

御橋廊下(二の丸側)の石垣上にあった長屋造りの櫓で、
平時の時は物置や蔵として使われたという






穴蔵状遺構

石垣に組み込まれた形で穴蔵状の遺構が見つかった
入り口はすでに封鎖されているが、
特定のものを収納する施設であったと考えられている
御橋廊下(二の丸側)の側にある




高灯籠

文政8年(1825年)に沖を行く船の安全を祈願するため、
10代藩主徳川治宝が紀淡海峡を遠望できる
水軒御用地内に高灯籠を建立したという
現在は和歌山城内に移築保存されている


(撮影日 23/3/6)



楠門

本丸にある天守閣に続く櫓門


 

乾櫓

楠門の左奥にある櫓




二の門櫓

乾櫓や楠門と渡り廊下でつながっているという




天守閣から二つの櫓を望む






小天守

天守閣内に入るにはここから入ります
土足で行けますが、撮影禁止にされています


(撮影日 23/2/15)



真田堀

本町門に面した堀で、
現在は大門川の支流として紀ノ川に続いている
紀和橋の欄干に記されている


 

紀和橋から撮る
左側は参勤交代の折に必ず通ったという嘉家作丁に続き、
右側は北新橋に流れている


 

真田堀に沿うようにして、
築地通りと真田堀通り(正式認定ではなく地元自治会が命名)が通っている
途中の古い小橋から撮る




北新橋から嘉家作丁方向を望む


(撮影日 23/1/23)

紀州藩関連を見物して、
そのついでに前回見れなかったところを
中心に見たので
内容的には補足みたいな感じになりました



吹上御門跡(旧中消防署)から西の丸に続く通路です








砂の丸北側にある櫓があったあったと思われる場所
外側の道路を走っている時に碑らしきものが
目に入ったので確かめに来たところ
皇太子殿下(今上天皇)結婚記念碑でした




記念碑の少し手前から西堀を望む








鶴の門跡

砂の丸から鶴の渓に続くところにあったとされる




鶴の渓

この先は紅葉庭園、二の丸に続きます




二の丸

大奥があったとされる
左側に御渡橋があります




鶴の渓から御渡橋を望む



その御渡橋の手前に柳島という小島がありました




東側の堀
岡口門と古塀があります







東側の堀は裁判所前の堀端通りから見れます

あと残すは…
和歌山城天守閣と御渡橋内部だけですね
二つとも有料だったり(笑)

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