宇須井原神社
(撮影日 23/4/30)
☆ 解説 ☆
祭神 天照皇大神、豊受大神、伊弉諾神、伊弉冉神、事解男神
宇須彦神(神武天皇御東征の折、水先案内を務めた)
宇須神社は、宇須権現坪にあったとされ、
1013年(長和2年)、三条天皇の勅願によって熊野三所権現を勧請
天正年間に焼失するが、1596年(慶長2年)に再建された
以降、宇須権現と称されたが明治維新後に宇須神社に改称し、
1873年(明治6年)4月に村社に列せられた
井原神社は、宇須西の坪にあったとされ、
1648年(慶安元年)、若狭国井原郷の住民が創建したとされるが、
一説には古来より疱瘡の神として信仰が厚く、
徳川吉宗の生母の父である井原正寅が神社を建立し、
吉宗や徳川家の安泰を願い、吉宗が疱瘡を患った際は平癒祈願が行われたという
1873年(明治6年)に村社に列せられる
『紀伊国名所図会』では雑賀荘宇須村は
雑賀川畔の地で海に面していたという
中心は山になっており、周囲を取り巻く雑賀川は
後に入江の海水が南に退いて一条の雑賀川となる
現在でも宇須は高台にあり、
1908年(明治41年)8月10日に2つの神社は合併して宇須井原神社に改称した
情報が乏しいですが
雑賀衆頭領雑賀孫市が
織田信長の紀州攻めに対抗するため、
弥勒寺山城を中心に周囲大小の城砦を築いた
この付近には宇須山砦があり、
弥勒寺山城の北側にあったとされる
遺構はない
宇須井原神社 鳥居
南海和歌山軌道の旧車庫前駅近くにある
高松交番を斜めに入って宇須郵便局の裏手にある
境内に神社の由緒を記した案内板がある
神社の鳥居から真っ直ぐ行くと拝殿がある
拝殿から鳥居を望む
境内奥に稲荷社がある
稲荷社から境内を望む
境内奥は立入禁止になっているが
竹林等もあり結構広く感じました
戻る
.