天妃山
(探索終了)

探索日 場所 備考
22年7月8日 武道館 昔、少林寺をしていなければ知らない場所でした
23年2月19日 岡公園 公園自体は昔から知っていたが・・・
山頂までは知らなかった( ̄▽ ̄;)
23年3月6日 全景 右隣に畠山氏の岡山城跡があります

☆ 解説 ☆

江戸時代まで和歌山城内であったが、
明治に至り、
旧紀州藩14代藩主徳川茂承と
和歌山県出身の陸軍将校が
四役(佐賀の乱、台湾出兵、熊本神風連の乱、西南戦争)で
戦没した491名の郷里軍人を奉るため、
明治12年9月24日に山の頂上に
記念碑を建て山全体を公園に整備したことに始まる




全景

和歌山城天守閣より撮る


 

青いフェンスのところが藩の御作事所跡(↑)です




階段の横に石碑があります
大正4年に創られたようです




天妃山裏口




中腹




中腹に碑がありましたが読めません(笑)




天妃山正面




中腹から弁天大社に抜けます






長屋喜弥太智方石碑

初代和歌山市長
17歳で警衛士となり、
御親兵になった後に長州征伐に従軍
明治に至って和歌山藩戎兵大隊長となる
明治8年に慶應義塾を卒業するが
明治10年に西南戦争が起こると再び軍部に属し、少佐となる
明治16年に和歌山区長、
22年に和歌山市長となった
享年59歳、正六位
正面の階段を上るとあります




頂上に続く階段です




この先が頂上です




天妃山頂上

展望台になっています




 

四役戦亡記念碑

この山の原点とも言うべきものです




武道館

明治時代に建てられたらしい
ここでは居合道、空手、合気道等の練習が行われている

天妃山の裏にある




頂上から武道館を望む




 

紀州徳川神社

岡公園の北側にあります
平成元年に創建したと碑の後ろに書かれています
発起人は徳川昌子(鞄ソ川)ら4人



神社の一番奥に龍が奉られています
これが八大龍王でしょうか?



神社裏の池




徳川神社から天妃山頂上を望む


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