玉津島神社
(撮影日 23/2/23)

☆ 解説 ☆

玉津島について
724年聖武天皇が初めて玉津島に行幸し、
和歌の浦の景観を絶賛して
景観保全の番人を置き、
地霊祭祀の制度を定めた
当時紀ノ川は河口を和歌浦に大きく開き、
六つの小島があった
妹背山、鏡山、奠供山、雲蓋山、妙見山、船頭山で、
これらを総称して玉津島と言った

情報が乏しいですが、
織田信長の紀州攻めの際、
雑賀衆棟梁の雑賀孫市は
一向宗の中心地であった弥勒寺山城を守るため、
周囲に大小の城砦を築いた
『紀伊国名所図会』では、
玉津島砦は雑賀城の南に位置したとされるが遺構はなし




玉津島神社

祭神は稚日女尊、息長足姫尊、衣通姫尊の三柱で
明光浦霊を配祀するといわれる





万葉集にも詠われた神社です


 

根上がり松

本殿左側にある天然記念物の松








万葉歌碑

大小の石に万葉集の歌が刻まれている
根上がり松の奥にあります


 

奠供山入り口

本殿右側から住居の裏を通った先にあります
『てんぐ山』と書かれた案内板あり



足場の悪い石段です

  

前も後ろも崩れかかった石段
さすがに怖かった( ̄▽ ̄;)

 

途中で分岐がありましたが
立入禁止ではなかったですが、
柵もないためこの先は危険かと思います



再度分岐
正面の石段を通っても、
こちらを通っても頂上に行けます



こちらは歩きやすいです



山頂

和歌浦を一望できます
左手にあった案内板は撤去されており、
松が植えられていました



山頂石垣

わずかですが見れました
ただ、いつの時代の石垣かと聞かれれば皆無です



望海楼遺址碑

当初は麓にあったらしいが、
天保年間に移築された



帰路
この時点ではまだ大丈夫です

 

でも一緒でしたね
悪路を通って山を下りました




鏡山入り口

一度神社を出て鳥居の向かいに階段があります

 

ここを登ると頂上です(↑)
奠供山に比べると低い山です



鏡山頂上

結構狭かったですね



鏡山から布引を望む
布引にも雑賀衆が築いた砦(布引浜砦)があったといわれています


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