薗部城
(撮影日 23/4/7)

☆ 解説 ☆

平安末期、薗部兵衛重茂が築城
薗部氏は紀州土着の豪族として
重光の代に平氏に味方して没落
鎌倉時代に入り、国康の子が広覚上人となり、
国康が薗部城跡に一楽寺を建立して現在に至る
(城籍亭の石浩さんの情報)

その後、江戸時代初期に至り、
薗部氏は関ヶ原の戦いの後に
和歌山藩主となった浅野氏に仕えていたが、
大坂夏の陣の際、
豊臣方の大野治長の扇動工作に呼応し、
紀州において山口喜内、和佐半左衛門らと共に
名草郡での首謀者として名を連ね、
浅野氏に対して紀州一揆を起こしたが鎮圧されている

上淡路街道(県道7号)にある園部の点滅信号から
北へ(目印は岩尾歯科の看板)真っ直ぐ行き、
車一台ぐらいの道を登った先にあります






一楽寺全景

西山浄土宗の寺院で住宅地の中にある
丘城らしく少し登ったところにあります




山門の奥にあるのは本殿です




山門の隣にあるのは鐘楼です

比較的大きな寺院なのですぐにわかります

城の規模はわかりませんが、

平安から続く伝統は後世に受け継がられています


戻る


.