松生院
(探索日 24/4/12)

☆ 解 説 ☆

真言宗の寺院
山号は向陽山芦辺寺で西国和歌山三十三箇所第十三番札所

842年(承和9年)、円珍が讃岐国屋島に創建し、
865年(貞観7年)に清和天皇勅願寺となった
しかし、源平合戦(屋島の戦い)で本堂以外焼失した
紀伊国には1302年(乾元元年)に移転したが、
現在の和歌浦付近だったという
その後も紀州征伐等で黒岩村を経て現在地に移転した

紀州藩初代藩主徳川頼宣の帰依が厚く、多くの寄進を受けた
1904年(明治37年)、本堂が国宝の指定を受けている





山門

再建山門で頼宣時代より小さくなっているという




境内から山門を望む




山門左側に歌を刻んだ石碑がある




石碑の裏に鳥居があり、右奥に手水舎がある


 

山門右側、社務所前にも池に面した石碑がある




境内にある一本松




本堂(国宝指定)

慶長年間、紀州藩を治めた浅野幸長によって移築された
本尊である円珍作の不動明王は戦災で焼失している




本堂の隣にある社務所

慶長年間は広大な寺域を誇っていたそうですが、

現在は和歌山城近くに静かに佇んでいます


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