了賢寺
(探索日 24/12/24)
☆ 解 説 ☆
浄土真宗本願寺派の寺院、山号は飯盛山
1476年(文明8年)、了賢と改めた喜六太夫(?〜1492年)により創建された
了賢は清水浦(現在の海南市冷水浦)の出身で
熊野古道の藤白峠で熊野参詣に向かう途中の本願寺第8代蓮如と出会い、
直々に「他力往生の教え」を教導されて、後に直弟子となって了賢と改名
自宅に一庵を設けて蓮如直筆の「六字名号」(現存)を安置して道場を開いた
それが了賢寺の前身になり、紀州における浄土真宗の起源になったという
当初は現在地より山間の飯盛山にあり、御坊山と称される
1507年(永正4年)、紀州浄土真宗の発展と共に交通の便を考慮して、
道場の機能を黒江(浄國寺)に移し、圓乗寺と改名し、
1716年(享保2年)に了賢寺と改め、
さらに、1736年(享保17年)に了賢寺を本願寺の兼帯所となる
1778年(安永7年)、道場を「冷水御坊」と称し、
御坊山から現在の中の浦の地に移して本堂を建立したという
この寺に所蔵されている文化財のうち、
蓮如上人御真筆 『正信偈文 双幅』(掛け軸)
蓮如上人御真筆 『信心獲得章 御文章(御文)』(1486年)
は、海南市指定文化財に指定されている
山門
・・・というよりは門扉・・・
山門から本堂を撮る
本堂
南北十間、東西十一間の広さがあり、
2006年(平成18年)、開創530周年を記念して本堂内陣を修復したと伝わる
本堂と山門の間にある
本堂から山門を撮る
小規模の寺院ですが、500年以上に渡って
紀伊における仏教の礎を築いてきた
由緒ある寺院だと思います
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