鳴滝不動尊
(探索日 25/1/17)

☆ 解 説 ☆

かつては鳴滝山円明寺として、役行者が開基と伝えられ、
開基以降鳴滝川の西の山手に七堂伽藍が建立されたが、
天正の兵火により山全体が焼失

後に現在の地に不動堂が再建された
本堂は再建されていないため、寺としての様相は成していない
鳴滝川上流には石垣が多数残っており、当時の面影を偲ばせる




鳴滝川を遡って特別養護老人ホームの奥にある




鳥居脇に駐車場があり、顕徳碑がある




敬神堂へ至る階段がありましたが、鳥居から入ります




鳥居を潜って右側に観世音菩薩像、馬頭観音像がある


 

左隣には石碑と昭和大師堂があります




鳥居の右側に手水舎がある


 

手水舎の右隣に弘法地蔵尊と般若心経碑があります




その隣にある母恋地蔵尊

「胸にはせまる  嘆きあり 母には母の涙あり
この世の縁は浅くとも 深く契らん次の世に 心の結晶  母恋地蔵尊」




和歌山出身の尾崎徳一の顕彰碑が1986年(昭和61年)4月に羽山武雄によって建立された




顕彰碑の隣にある石碑




境内から鳥居を撮る




階段の上にあるのは敬神堂




階段前から不動堂方向を撮る


 

階段横に石碑と福神堂があります




その奥に菱江地蔵尊が祀られています




菱江地蔵尊の先にある石橋から鳴滝川を撮る




石橋の先に三柱(毘沙門天、弁財天、大黒天)を祀る御堂がある


 

御堂の右隣に久邇宮殿下が植えた楓の木と記念碑がある




楓の木に隣接して聖天宮の御堂があります




聖天宮の右隣に榎本遊谷(1848 〜 1923)の石碑がある

名は信敬と言い、紀州藩絵師笹川遊原に師事して狩野派を学び、
同門の筑紫翠雲の死後、紀州の画界は寂れていた
遊谷が世に出た頃はその頃で画界が盛んになると多くの画家が集まり、
晩年は創作よりも繊細な図に艶麗の色彩を施した作品が多かったという




聖天宮の石垣下から鳥居方向を撮る




聖天宮から北東に進んでいくと行者滝がある




滝の傍らには社があり、奥に地蔵が祀られています


 

鳴滝川を挟んで反対側に稲荷社があります
行者滝から迂回するようにして行くことができます




稲荷社の左手前にある石碑




不動堂の真下にある福吉大明神






境内の一番奥に再建された不動堂がひっそりと佇んでいます




不動堂から境内を撮る

これで最後なのですが、参詣路は一部車道にもなっており、

かつては鳴滝川上流に採石場があったと聞きました(7yaのブログのななやさんの情報)

その名残りでしょうか、さび付いた徐行の標識も残っていました

また、札立山(標高349m)に至る登山道としても使われているようです




かつての栄華はなくとも、脈々と信仰は受け継いでいます


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