中野城
(撮影日 23/3/31)
☆ 解説 ☆
築城の時期はわからないが、
戦国時代以前は貴志氏の城であった
この地は孝子峠と大川峠からの道が
交わる要衝であり、この地を押さえる役割も果たした
その後、雑賀衆の支城となり、
織田信長の紀州攻めで落城
落城直後に織田軍の本陣となり、
雑賀衆との決戦に望んだ
現在は石垣以外は残っていない
向かいに見えるのは市営住宅で、
その手前に土入川があって
その川沿いの道を下りて行きます
中野城の石垣跡
旧家の土塀の下にある石垣が
中野城の石垣と伝わっている
かつては碑と案内板もあったようだが
全て撤去されている
この土塀自体もかなり古く、一部の塀が崩れている
パームシティ(オークワ系列)と貴志南小学校の間にあったが、
当初は碑があると思い込み、歩いたが無い(笑)
で、ここともう一つ似たようなところがあったので
撮影してとりあえず、家に帰って先見たちの画像と検証したところ、
この画像で当たりを引いた感じです
戻る
.