松江春日神社
(探索日 25/1/23)
☆ 解 説 ☆
(再建前)須佐之男命、櫛稲田姫命、豊玉姫命
(再建後)
【主祭神】武甕槌命、経津主命、天児屋根命
【副祀神】須佐之男命、櫛稲田姫命、豊玉姫命、事代主命、蝦子命、塞神、藤原戒蔵霊
「松江恵比寿神社」の名で知られ、
和歌山市内においては最も古い恵比寿神社と言われている
当初は南海神社と呼ばれていたが、
1333年(元弘3年)の元弘の乱の兵火に遭って神社全体が焼失してしまい、
社伝や旧記等の文献等は残っていないが当時の松江の地形が出雲国の松江に似ていたことから、
大伴の臣等が出雲大神を勧請して現在より東南約100m程にあった湖の小島に鎮座し、代々産土神として崇敬してきたという
しかし、焼失後は戦乱の世にあって再建されることなく数年の歳月が流れたが、
大塔宮護良親王の配下であった藤原高隆(後に戒蔵)が南朝没落後に一族を率いてこの地に落ち延びて閑居していたところ、
当時は海に面して度々水害の被害を受けており、住民の嘆きを受けた高隆は神社の再建を計画し、
藤原家の先祖を祀る奈良の春日大社より勧請を受けて1350年(正平5年)に先の三神を合祀して春日神社と改称
高隆の死後、住民は彼の業績を讃えて霊魂を合祀したという
その後、1603年(慶長8年)に現在の地に遷座した
明治に入り、災害や老朽化で幾度か拝殿を再建し、現在の拝殿は2005年(平成17年)1月27日に建立された
中松江駅から南に下った住宅地の中に神社がある
鳥居から拝殿を望む
鳥居の左側に社務所がある
社務所の左側に海軍大将有馬良橘の建立した忠魂碑があります
拝殿手前にある手水舎
手水舎の奥に参集殿がある
一番奥の中央に拝殿
拝殿に掲げられた由緒書
拝殿左側にあるのが蛭子社
拝殿右側には妙見宮がある
最後に鳥居から境内を撮りました
人気もなく、ひっそりとしていますが、
えべっさんの時は大勢の人々で賑わい、
松江地域の商売人を見守ってくれています
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