光恩寺
(探索日 24/12/31)
☆ 解 説 ☆
浄土宗の寺院、山号は懐岳山
1590年(天正18年)、松平一門の信誉(徳川家康の従兄弟と伝わる)が創建
近くの吐前城(現存せず)主津田監物算正が帰依し、
監物の法号である光恩居士から光恩を取って寺名とした
1619年(元和5年)、信誉が紀州藩主徳川頼宣の学問の師となったことで藩の庇護を受けた
山門
門前にある駐車場から撮りました
農耕地に囲まれた場所に広大な敷地を持つ寺院が見えてきます
門扉に葵の御紋が描かれています
門前に地蔵があります
山門を入ると右側に鐘楼があります
山門の真正面に本堂があります
庫裡(和歌山城本丸御殿御台所、移築保存)
明治初期に火災で寺が焼失した際、
当時廃城令により取り壊しが進んでいた
和歌山城の建物の一部(本丸御台所)を移築し、庫裡として用いた
この建物は入母屋造りで全体の大きさに比べて入口が小さく、
内開きの扉や太い柱などは剛健な城郭建築の特徴をよくあわらしている
棟先の軒瓦には葵紋があり、和歌山市指定文化財に指定されている
庫裡の右隣は本坊として使用されている
本堂から庫裡を撮る
寺の左側は墓地で、開基の由来ともなった
津田算正や算長の墓もあります
津田家から徳川家に橋渡しされた寺院は
高積山の麓に鎮座しながら、ひっそりと佇んでいます
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