竈山神社
(探索終了)
探索日 | 備考 |
20年1月17日 | 初詣を兼ねて探索しましたが・・・画像が・・・(汗) |
23年4月7日 | 前回、画像不鮮明だったため、再訪しました。画像差し替え+α |
☆ 解説 ☆
和歌山市和田にある神社
格式は官幣大社
主祭神は彦五瀬命(神武天皇の長兄)
彦五瀬命は弟たちとともに東征に向かったが
難波の白肩津での長髄彦との戦闘で負傷した
太陽に向って戦うのは良くないとして
東から回り込むために一行は南下したが
その傷が元で紀国の男之水門に着いたところで彦五瀬命は亡くなった
紀伊国竈山に墓が作られたと『古事記』にある
『紀伊続土紀』によれば当所がその竈山の地であり
墓が作られてすぐに側に神社が作られたとある延喜式神名帳では
「紀伊国名草郡 竈山神社」と記載され、小社に列している
「釜山神社神主職宛行状」(日前宮文書)によれば
永徳元年(1381年)、紀国造家によって鵜飼新五郎が神主に任ぜられた
以降、鵜飼家が神職を世襲していたと見られる
天正13年(1585年)、羽柴秀吉の紀州攻めにより
社宝・古文書を焼失し、社領も奪われて荒廃する
慶長5年(1600年)、紀伊国に入国した浅野幸長が小祠を再建し
寛文9年(1669年)、徳川頼宣が社殿が再建したが
寺社奉行の支配下に置かれ、氏子も社領もなく衰微していく
明治に入り、宮内省管轄の彦五瀬命墓と竈山神社は正式に区分され
近代社格制度のもとで明治14年(1881年)に村社に列格し
神武天皇の兄を祀るという由緒をもって社殿が整備され
明治18年(1885年)には官幣中社
大正4年(1915年)にはついに官幣大社に進むという異例の昇格をした
村社から官幣大社まで昇格したのは当神社が唯一の例である
現在は神社本庁の別表神社となっている。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
神社 鳥居
手前は一般駐車場になります
駐車場にある神社内における禁止事項
一、車馬ヲ乗入ルコト
一、魚鳥ヲ捕ルコト
一、竹木ヲ伐ルコト
昭和13年4月に制定されたらしいです
劒橋
鳥居を抜けて通路を右に入るとある
橋の銘板
一応、下には川が流れており、
竈山川というそうです
架橋は昭和十年四月
随分古い橋ですが
神社の格式を考えると新しいものですね
竈山川
竈山神社の内部や外側を囲むようにして流れている
社殿
さすがに内部は神域ということもあるので
撮影するのは控えました
社殿左手前にある水汲み場
社殿左裏手にある車祓場
鳥居を参道から撮影
通路を挟んで橋の向かい側にある石塚
字が読めませんでした( ̄▽ ̄;)
社殿の左側にある建物
これ何でしょうか?
最初、土俵かと思いましたが・・・
最後に神社内にあるグラウンド
お爺さんがリハビリに励んでいました
最後に桜で締めますねヾ(≧▽≦)〃
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