巌出御殿
(探索日 25/1/12)

☆ 解 説 ☆

古くから小山があり、妙見堂が建てられていたが
1649年(慶安2年)、紀州藩主徳川頼宣が和歌浦に移した後、別邸を創建
巌出御殿と名付けられて歴代藩主が参勤交代などで宿泊したという
吉宗も幼少の頃にここで過ごしたと伝わる

1764年(宝暦14年)に取り壊された後、大阪を経て、
現在は神奈川県横浜市にある三渓園臨春閣として国の重要文化財に指定されている
小山は御殿山と称されていたが紀ノ川の水害を解消させるために
昭和初期に山ごと切り崩されて紀ノ川の一部となった








観光地施設というより、大衆浴場(福祉施設併設)として再建された

岩出小学校の東隣にある






当初は現在の場所より南側にあったとされる


この地ではかつての面影はありませんが、

御殿は今もその姿を東国の地にて

静かに見守られていることを願うのみである


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