善福院
(探索日 24/12/24)

☆ 解 説 ☆

1214年(建歴3年)、栄西が紀州を訪ね、
この地に寺院を建立して宝遊山広福禅寺と名付けた

戦国時代に加茂城主加茂左近大夫春宗の菩提寺となって釈迦堂を本堂として、
梅田寺、了東院、吉祥院、観音院、善福院などの多数の塔頭寺院が立ち並ぶ禅宗寺院の景観を呈していた

同寺は元は禅宗で、天正年間に真言宗に替わり、高野山の庇護を受けて
1594年に伽藍堂舎の修復や子院の整備が行われた
寛文年間に天海の法孫である憲海の支配となるに及んで天台宗となる

明治の廃仏毀釈で現在の寺名となり、
釈迦堂のみが現存している




国道に善福院の案内標識があるので迷うことなく、駐車場に到着




駐車場から下津町方向を撮る

周りはみかん山しかない(和歌山らしいです 笑)




ここから歩いて行きます




しばらく行くとみかん山と墓地が見えてきて、この案内板が視界に入ってきます




裏からも入れますが、くるっと回って正面から撮る








釈迦堂(国宝)

1327年(嘉暦2年)の建立と考えられており、
桁行三間、梁間三間、もこし付きで寄棟造り、本瓦葺、禅宗様式の仏殿で、
1911年(明治44年)に解体修理を受けて建立当時の姿に復元された




釈迦堂の前に山井崑崙(江戸中期の儒学者)の表墓があります






釈迦堂を少し下ったところに御堂がある




これは・・・鐘楼?でいいのでしょうか?(笑)

御堂の正面左側にあります

かつての栄華はなく、ひっそりと佇む寺院でした


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