報恩寺
(撮影日 23/12/10)

☆ 解 説 ☆

当初は要行寺といい、
1609年(慶長14年)に日忠上人が吹上の地に建立したことから始まる

1666年(寛文6年)に紀州藩初代藩主徳川頼宣夫人である
瑤林院が没した際に要行院に葬られたが、
二代藩主光貞が菩提寺として新たに諸堂を建立し、
1670年(寛文10年)に白雲山報恩寺と改称した
同時に本山格となり、250石の寺領も得たという





山門

和歌山西警察署に隣接しています




境内から山門を望む




境内に石碑がある




御戌門(…と読むのでしょうか?)

山門から真正面にある御門ですが普段は閉まっています




御門を左へ迂回すると脇門から中に入れます






梵鐘

この釣鐘は高さ159センチ、口径91センチあり、
中央に鋳造の契機を記した銘文が刻まれており、
1672年(寛文12年)に日順が
台嶺院(光貞の娘光姫、1671年没)の菩提を願って鋳造させたものである




御門の奥にある本堂
本坊の奥に瑤林院墓所への通路があります






ここより石畳と階段が続いています








通路の左右は霊園になっており、
この奥を左に曲がれば墓所があります


 

瑤林院墓所(徳川家御廟)










瑤林院を初め、紀州徳川家に関わる人物の墓となっています


奥行きの広い寺院でしたが、

裏にある学校から吹奏楽部の場違いの音楽が・・・

さすがに苦笑せざる得ませんでした( ̄▽ ̄;)

音楽を除けば土曜とはいえ静かな寺院でした


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