大恩寺
(撮影日 24/2/18)
☆ 解 説 ☆
浄土宗の寺院
山号は深信山
創建時期は不明だが、
黄蘗宗の圓下通道成を開基とし、
元和年間(1615〜1624)に紀州藩主徳川頼宣の命により、
横須賀から聖誉玄恕上人が移住して中興の開基となる
寺内には本草学者小原桃洞の墓がある
寺院のある寺町はその名の通り、
多くの寺院が軒を連ねる
元は本町御門(現存せず、本町9丁目付近)近くにあったが、
水害により、城下が再編されてこの地に移された
本町御門近くに『元寺町』の地名が残り、
現在でも高野寺(真言宗和歌山別院)等がある
山門
寺町通りに面しており、交通量は多い
境内から山門を望む
向かいに見えるのは護念寺です
境内から社務所、本坊を望む
境内の右側に本堂がある
鐘楼の前に薬師堂があり、その奥は広大な墓地になっています
薬師堂の隣に奉頌碑の石碑がある
本堂と薬師堂の間にある鐘楼です
小原桃洞(1746〜1825)の墓
江戸時代後期の本草学者
1746年(延享3年)、紀州湊に生まれる
緯は良寛、通称は源三郎といい、
京都にて泰斗吉益東洞に医学を学び、
本草学は小野蘭山に学んだ
後に紀州藩10代藩主徳川治宝に登用され、
藩内に設けられた本草局の主任、小普請医師に列した
『熊野中辺路採薬巡覧記』『本草余纂』などの多くの著書を残している
門下には畔田翠山(1756〜1833)などがいる
墓の画像はお許しください( ̄▽ ̄;)
色々とありますので・・・(笑)
戻る
.