10円の謎
どこの街に行っても自動販売機というものが存在する。酒、ジュース、煙草等を販売している。店いらずのその機器は幾多の人々を助けてきた。しかし、時には犯罪者の欲望の渦に吸い込まれるときもあった。人目というものさえ警戒していれば安易に行われていた。場所によっては防犯カメラで監視しているところもあるが今から語る自動販売機にはそんな犯罪から守るものなんてなかった。
某県にある小さな町、御宮町。その名の通り、街の中心部には御宮と呼ばれる筑山神宮があった。その神宮からそう遠くないところに近所で”変人”と言われる本町源太が住んでいた。背は長身というわけでもなく小柄でもない、どこに行くにしても青のチャンチャンコを着ていた。それは一年を通じてずーっとである。夏場、あまりの暑さのため心配した近所の人が、
「源さん、暑くないかい?」
と声をかけたが源太は一言、
「暑くないですよ。ほら?」
と言ってチャンチャンコの中のポケットの中にあった袋に包まれた氷を見せた。このときばかりは近所の人も呆れ返ったという。
源太はいつの頃か住んでいた変わり者で朝早くからラジカセを持ってラジオ体操をやっていたかと思うと、道のど真ん中で自作のボーリングをやったり、家の屋根に登っては一日中大家さんに怒鳴られながら空を眺めていたりしていた。何でもあり自由人のようだった。
そんな源太がいつもと変わりなく朝早くから住んでいるアパートの前でラジオ体操をやり終えたときのことだった。
「ふぅ…、何か喉が乾いちゃったなぁ…」
いつもなら家に帰ってお茶を一気飲みしているのだが今日だけは違った。いつも持ち歩いている財布(といっても灰色の汚れた袋)から120円を出してアパートの前にある自動販売機でサイダーを買った。するとチャリンという音がして1枚の10円玉がおつりのところから出てきたのである。
「あれ?、130円入れたのかなぁ…」
そう思っておつりのところから10円玉を取りだした。何の変哲もない普通の10円玉に見えた。
「おっかしいなぁ…。…うん?」
源太はじーっと10円玉を見ていてあることに気づいた。本来ならあるはずのない10円玉なのである。10円玉の表面に書かれていた鋳造年を見た。そこに書かれていたのは、
「えっ?、明治20年?、どういうこと?」
源太は首を傾げた。ありえないことが目の前で起きていた。目をぱちくりさせながら源太はサイダーを片手にこの摩訶不思議な10円玉のことで頭がいっぱいになってしまい、家路を急いだ。
家に帰った源太はTVを前にした机のところに腰を下ろして10円玉を眺めた。
「偽金かなぁ…、でも、10円玉の偽金を造ったところで何の得があるんだろう…」
最近、街の至る所で一万円札の偽札が横行していた。それをニュースで見ていた源太は唸った。
「他に何かあるかなぁ…」
そう呟いて虫めがねで丹念に調べたがわずかな傷があるだけで普通の10円玉と変わりなかった。
その10円玉を見つけてから朝のラジオ体操以外は部屋に閉じこもっていることが多くなった。近所の人気者(?)が突然、何もしなくなったことに対して周りの人々は歓喜よりも心配することが多くなった。”変わり者”を見るのが日課となってしまった人たちにとっては何かあったんじゃないだろうかという気持ちが先に行ったらしくってアパートの大家さんに見てくるよう頼んでいたという。
大家さんも怒鳴ることでストレスを発散してきただけに何か拍子抜けになったような気がして、源太の部屋を訪れる気になった。2階建てのアパートには全部で8人が住んでいる。みんな1人暮らしだ。大家さんは1階の端っこの部屋でその上が源太の部屋だった。
「源さん、いるのかい?」
ドアをノックしながら言った。
「源さん」
「はいはい、何でしょうか?」
ドアの向こうからいつもの顔が現れた。
「家賃ならもう払ったよ」
「家賃のことじゃないよ。最近、姿を見せないから病気にでもなっちまったんじゃないかって思ってね」
「ラジオ体操ならやってますよ」
「でも、それだけでしょ?」
「あら?、大家さん、心配してくれるの?」
「当然じゃない、私のアパートで死なれちゃかなわないからね」
「ははは…」
「で、本当に大丈夫なのかい?」
「ええ、大丈夫ですよ。何かあったんですか?」
「いえいえ、何もないわよ。ところで源さん」
「はい?」
「仕事はなにやっているんだい?」
「仕事ですか?」
「そうそう、いつも道のど真ん中でラジオ体操やったり、屋根の上で空を眺めていたりしているのに家賃をきっちり払ってくれているからさ。何の仕事をやっているんだろうって思ってね」
「何だと思います?」
「ん…、さあね、私にはわからんよ」
「じゃ、機会があったらその時に教えますよ」
源太は大家さんにニコリと笑って部屋の奥へ戻って行った。
源太は途切れてしまった集中力を取り戻そうとTVを置いている部屋にある本棚に手を伸ばした。本棚には文庫本が何冊かあるだけでほとんど空っぽの状態に等しかった。その文庫本も同じ人物の本ばかりである。名前は髷橡多聞(まげとち・たもん)と書かれていた。その人の本を読み始めた源太は夕方まで本に没頭した。知らない間にどっぷりと日が暮れていることに気づいた源太はゆっくりと起きあがって読みかけのページに間に栞を挟んで夕飯の準備をしたのである…。
ある男の部屋の電話が鳴った。
「はい、もしもし」
受話器を取ったが何も返事をしない。
「もしもし、どちらさんで?」
それでも返事をしない。
「いたずらなら切るぞ!」
男は怒鳴った。すると、受話器の向こうから声が聞こえてきた。
「ククク…、そんな大きな声を出しなさんな」
「話せるんなら最初から話せ」
「ふん、それはこちらの勝手」
「で、あんた誰だ?」
「おっと失礼、名前を名のるのを忘れていましたね。私は幻惑の使者です」
その名前を聞いた瞬間、男の表情は一変した。
「幻惑の使者だとぅ!?」
「ええ、そうです。県警捜査一課の岸本警部さん」
「てめぇ…」
岸本は怒りを覚えた。
幻惑の使者とは今、県内を騒がせていた強盗集団で毎回5〜6人で行う。綿密に計画を立てて完璧に獲物をもらっていくのだ。逃げ道も必ず確保しており、警察がどんなに包囲していても隙を狙って突破されていた。もう銀行・特定郵便局など4件も襲われ、警察の威信に関わる事態となり、しかも、現場には「幻惑の使者」と書かれた犯行声明も残されていた。
「よっぽど苦しんでおられる様子で」
変声器を使った男の声は笑いを含んでいた。
「くっ…」
「今日、電話を差し上げたのはあなたにあることを教えてあげようと思いましてね」
「あることとは何だ?」
「そう慌てなさんな、今から教えますよ。明日から1週間以内にある銀行を襲います。見事捕まえてごらんなさい」
「何だとぅ!?」
「では、失礼」
男は電話を切った。岸本も受話器を下ろすと同時にテープレコーダーを止めた。岸本の部屋の電話はどんな時であっても自動でテープレコーダーが動く仕組みになっている。ただ、逆探知なんてことはできない。
「俺に挑戦状でも叩きつけてきたのか?」
そう思いながら県警に連絡を入れ、直ぐさま家を飛び出したのである。
夕飯を食べた源太はTVの前に座り込んだ。例の10円玉を観察するためである。そして、明治20年というところに注目してみた。明治20年を西暦に換算すると1888年である。
「1888か…、この数字を思い浮かべるなら…」
源太は何かを思いついたようにカレンダーと地域の地図を持ってきた。
「んーーと…、今日は12日だから、18日は土曜日だな。そうすれば残りの88は地名?」
地名だとすると88番地とかいうことになる。市内の地図から88番地を探せと言ったってどれだけあるかわからない。源太はこの88の意味を考えた。しかし、いくつも頭に浮かんでは消えていった。
「まてよ…、市内だけじゃないとしたら…」
県内ということになる。だからといって答えは余計に複雑になる。考えると頭から煙りが吹いて暴れたくなる性格の源太は少し休憩するためTVをつけた。TVはちょうど特別番組をやっていた。この前起きた強盗事件のことである。すでに4件やられていることは新聞紙上をにぎわせていた。
「まさか…」
源太は88の数字が合う金融関連の会社を探してみた。すると、いくつか見つかった。源太の家の近くにある郵便局は88番地だったがまだ襲われていなかった。けれども、ここを襲うとは限らない。
「番地に注目しすぎているのかな?、時間だとしたら8時8分ってことになるね。朝の8時8分は難しいだろうな。大半の金融は朝9時に仕事が始まる。そうすれば8時半には全員がそろっていることになるから8時には出社しているっていう計算になるなぁ。さすがの犯人もきついだろうから、これは夜の8時8分だな」
夜の8時8分といえば20時8分ということになる。20時であれば大半が帰って残っているとすれば残業している数人ぐらいだろう。源太は今まで狙われた場所を調べた。御宮北郵便局、片橋信用金庫、奈良部銀行、前谷郵便局の4ヶ所、場所はバラバラだった。最初の御宮北郵便局から片橋信用金庫まで軽く20キロは離れていた。2番目のところから3番目のところへは20キロほどだった。
「ん?、そうしたらこっちもか?」
調べてみると3番目から4番目の距離も20キロだった。
「そうすると次も20キロってことになるな。どっちの方向に20キロなんだ?」
県内を見れる地図を見てみた。
「まずは北郵便局はここ、それから片橋信用は隣の片橋市にあって、奈良部銀行は御宮町の東にあるっと。それから、前谷郵便局は西か…。ん?、こ、これは…」
源太はそれを見てあることに気づいた。
そのとき、TVに映っていた犯行声明が目に入った。
「幻惑の使者?、それが犯人?」
源太は思わず笑った。
「変なの…」
で普通なら終わるのだが源太は違った。和英辞典を取りだして調べた。
「幻惑は dazzle 、使者は messenger か…」
源太はここにもヒントが隠されていると思い、そのまま沈黙した。夏からそのまま飾りっぱなしになっていた風鈴がチリンという音を立てた。源太はその音に導かれるようにして窓のほうを向いた。窓の向こうには自動販売機が見えた。例の10円玉を拾った自動販売機だ。
「ふぅ…、気分転換でもしてこよっと」
源太は例の財布を持って外に出た。目と鼻の先にある自動販売機、源太の眠っていた脳を活発させた原因がそこにあった。源太はその自動販売機の前で1人の男を見かけた。男は自動販売機に周りをウロウロしていた。男が源太に気づいた様子はない。源太は困っているのだろうと思い、声をかけた。
「どうかしたんですか?」
その声に男はハッと顔をあげた。驚いている様子だった。しかし、何もなかったような表情で、
「い、いえ、何もありません」
男はそう言うとそそくさに行ってしまったのである。源太はその後ろを見守っていた。そこに1人の男が去った男の後ろをつけるようにして歩いていく。源太は探偵か刑事だと直感した。なぜなら、相手に気づかれないように一定の間隔をあけて歩いているからだ。
「この10円玉と関係あるのかな?」
あるはずだと源太はそう睨んでいた。しかし、この2人の後をつけるなんてことはしなかった。目星は18日と踏んでいたからである。源太はその足で散歩に出た。御宮町を散歩することは源太にとって何気ないことだった。ぶらぶらと歩いて行くと御宮神宮まで出た。観光客の多い神宮の前を通ると源太の姿を見て笑っている人たちが数多くいた。そんなことを気にすることなく、源太は観音様が置かれている御堂がある池まで来た。その前に喫茶店があることに気づいた。
「ここで一服して行こうっと」
源太は店の前まで来たときに店員に入るのを拒まれた。
「申し訳ありませんがお入れすることはできません」
「どうしてですか?」
「その格好を見て他のお客様が迷惑になるかと思い…」
ものすごく失礼な言葉を口にした。茫然とした源太は喫茶店の名前を見上げた。名前を見た瞬間、茫然から歓喜に移り変わった。
「なるほどね」
そう呟くと先程のことはすっかり忘れてしまって喫茶店から離れた。
「なくしたというのは本当か?」
倉庫の中で1人の男が数人の男たちに囲まれていた。
「は、はい」
「なくしましたで済むと思っているのか?。あれを警察に解析されれば俺たちの目的も闇に消える」
リーダー格の男がトカレフを取りだした。
「ま、待ってくれ。チャンスをくれ、頼む!」
「駄目だ」
ドオオオォォォォォォォォォン…
倉庫内に銃声が響き渡った。
「目的なんてあるのかよ?」
1人の男が言った。
「あるさ、お前にも関わりがあるぞ」
「ふん、知っているさ。ここにいる者はみんなそうだ」
「たしかにな」
リーダー格の男が死体を見ながらわずかに笑った。
「おい、こいつの死体片づけておけ」
そう言うと仲間と共に消え去ったのである。
翌日、御宮町にある観光名所・大池で1人の男の死体が浮いた。捜査を担当したのは県警の岸本警部だった。
「こいつは…」
死体を見て捜査員の1人が絶句した。岸本はその捜査員に、
「知っている顔か?」
「ええ、前谷郵便局の事件で防犯カメラに映っていたんです。仲間との接触があるかと思い、マークしていたんですが…」
「見失ったと?」
「はい、交代の隙を突かれて…」
捜査員は陳謝した。
「ふむ…、仲間に助けを求めたが逆に殺されてしまったか…」
岸本は考え込んだ。鑑識によれば至近距離で撃たれてほぼ即死、体の中から発見された銃弾はトカレフのものと判明した。
「安本、身元はわかったのか?」
「いえ、持っていた免許証は偽造されたものでした。それ以外に身元を確認できたものはありません」
「前科者との照会は?」
「これも該当しませんでした」
「ふむ…、住んでいたところはわかっているんだろ?」
「ええ、登膳(とぜん)川二丁目です」
岸本らはすぐに死体の住んでいた家に向かったのである…。
登膳川は御宮町を東西に分けるように流れる河川で澄んだきれいな水は今も絶えることはなかった。岸本ら捜査員は死体が住んでいたと思われるマンションに入った。最近できたマンションで御宮町には似合わない風格をしていた。死体が住んでいたと思われる部屋は最上階にあった。捜査令状を持って岸本らは部屋の中に踏み込んだ。踏み込んだのは良かったものの、茫然となってしまったのである。
「どういうことなんだ…、これは…」
岸本が見たのはもぬけの殻となった部屋だった。何もかもが煙のように消え去っていたのである。
「管理人さん」
「は、はい」
同じく茫然としていた管理人に声をかける。
「昨日までたしかに志村さんはいたのですね?」
「え、ええ。昨日の朝、家賃をもらいに行ったときには確かにいましたから」
「ふむぅ、鑑識さん」
岸本は鑑識課係長の大野に声をかけた。
「はい」
「何でもいい、証拠となるものを見つけだして欲しい」
「わかりました」
大野は部下たちに鑑識作業に入るよう促した。岸本ら捜査員は聞き込みをするため、マンションの各部屋をしらみつぶしに回って行ったのである。
事件があった翌朝、捜査本部が置かれている御宮警察署にあるタレコミが入った。声は男性のようだった。電話を受け取ったのは総務課の警察官だったがすぐに捜査一課につないだ。
「もしもし、情報をくれるというのはあなたですか?」
「そうだ、あんたは?」
相手は結構早口だった。
「県警捜査一課の岸本警部です」
「金融機関の強盗事件を調べているだろ?」
「ええ、そうですが…」
「次に襲われるところを教えてやる」
「どこです?」
「最初、襲われた場所だ」
「えっ?、最初?、御宮北郵便局ですか?」
「そうだ。18日の夜だ」
そう言うと電話は切れてしまったのである。
「あ、もしもし、もしもし」
呼びかけるかすでに切れてしまった後だった。部下の森田が口を開く。
「タレコミですか?」
「ああ」
「それで何と?」
「18日の夜に最初、襲われた御宮北郵便局が狙われるらしい」
「えっ?、どうして最初に?」
「さあな、私にもわからんよ。嘘か真かそれはわからんが張り込む価値はありそうだ。森田と金山は郵便局を張り込め。後の者は志村の近辺を調べるんだ」
そう部下たちに指示を出した。
岸本はゆっくりと腰を下ろすと所轄の捜査課長・塚山とヒソヒソ話をした。その姿を見ていた御宮署の永居巡査長は資料を見るフリをして話しに聞き入っていた。
「しかし…」
「……かまわん……この………は……めつ………がある」
「わかりました」
よく聞こえなかったが何かあると睨んだ。永居は昨日、ある男と会っていた。その男は永居の親友で元刑事だった。永居とコンビを組んでいたこともあったがある事件を境にして刑事を辞めていたのである。
会った場所は神宮の近くにあるアパートの一室だった。
「本当に久しぶりだな」
「まあね、お前は相変わらずあそこにいるのか?」
「ああ、未だに県警からお呼びがないよ」
「お前なんかをスカウトしたら警察なんて潰れてしまうんじゃないかい」
男は笑っていた。
「おいおい、そいつはひどいことを言うなぁ」
「ひどい?、どこが?。それよりも今日はどうしたんだ?」
「お前の力を借りたい」
「おいおい、民間人を巻き込む気か?」
「いいじゃないか、お前と俺の仲じゃないか」
「お前が刑事を辞めるんなら考えてやってもいいぞ」
「そいつだけは勘弁してくれ」
永居には妻子がいた。結婚して2年になる。
「あははは、冗談だ冗談」
「頼むよ、本当に…」
「で、用件とは?」
「あ、ああ、今、騒がせている事件を知っているか?」
「連続強盗事件だろ?」
「そうだ、俺も捜査本部の人間としてこの事件に関わっている」
「ほう、で、何が聞きたい?」
「その様子だと犯人の目星はついたのか?」
「ついていないさ、ただ、次に事件が起こる場所ぐらいはわかる」
「な、本当か!?」
「ああ」
「どこだ?」
「タダでは教えられないな」
「何が欲しい」
「ん…、お前の給料は18万ぐらいか…」
「お、おい、まさか…」
「おう、そのまさかだ」
「ちょ、ちょっとそれだけは勘弁してくれ」
「何だ…、駄目なのか?」
「当たり前だ」
男が言い出しそうになったのは何だったのかは定かではない。
「じゃ、ラーメン1杯でいいか?、宝麺亭の超デラックスラーメン 闇鍋風味ってやつ」
「あ、あの…、1万もするラーメンのことか?」
「安いもんだろ?、手柄を立てられると思えば」
「わ、わかったよ。で、どこなんだ」
男はニコニコと笑いながら地図を引っ張り出して来た。それを広げるといくつもの線が引かれていた。
「お、おい、これは…」
「見ての通りさ、犯人は結構なお遊び好きと見える」
「どうしてここだと思うんだ?」
「勘だ」
「勘?」
「そうだ」
永居は何か言おうとして思いとどまった。
「お前の勘は当たるからなぁ」
「うんうん♪」
男は嬉しそうに笑っていた。永居はこの情報をもとにすぐに身近な者たちと捜査を始めた。すぐに岸本に知らせなかったのは理由があった。源太の家から出るときふとある物に気づいたからだ。源太のアパートの廊下の柱に張られているシールに気づいたからだ。源太と永居は顔を見合わせた。これを貼ったのが隣の住人だと知ると急いでドアをノックしたのである…。
18日の夜、午後20時が過ぎた。岸本ら捜査員の大半は御宮郵便局の周りを完全に固めた。岸本らはある決定的な証拠をもとにここに出張っているのだ。それは襲われた金融機関の場所だった。
「岸本さん、これを見てください」
部下の1人が地図を広げながら言った。
「どうした?」
岸本も地図を覗き見る。
「今まで襲われた場所を見てください」
「ん?」
部下は1つ1つ襲われた場所に印をつけながらそれを線で結んだ。
「こ、これは……、星か?」
「ええ、そうです」
「つまり、次の強盗犯はタレコミがあった通り、最初の現場に戻るっていう計算になる」
「その通りです」
「たしかに一度襲った場所がもう一度襲われるということは考えにくい。襲われたほうもかなりの油断があるだろう。それに一昨日、現金の補給も済んでいる。警戒の穴を狙うという話しも筋を通っている。しかし、それだけで我々は動けないぞ」
「もう1つあります」
「何だ?」
「警部には申し訳ないと思ったのですが犯人の目星もついています」
「何だと!?、誰だ?」
「この5人です。うち、こいつの顔を見てください」
岸本は部下が指し示した写真を見た。その写真を見て岸本は絶句した。
「こ、こいつは…、大池で殺された…」
「そうです、名前は山下克弥。星陣会(せいじんかい)の信者です」
「星陣会?、何だそれは」
「一見、暴力団のような名前ですがこの会はれっきとした宗教法人です」
「宗教法人だって?」
「ええ、そうです。本部があるのは片橋市の中心部、片橋銀行の前なんです」
「動機は何だ?」
「近所の人の話では資金ぶりはかなり悪く、最近では信者も激減していたとのことです」
「じゃあ、資金目当てか?」
「おそらく」
「よし、所轄には星陣会の事務所の捜索、我々は御宮郵便局の張り込み強化とメンバーの割り出しに全力を注ぐ」
「了解!」
部下たちは足早に捜査本部から散って行ったのである。
「これで我々の目的も達成されますな」
隣にいる塚山が言った。岸本はわずかに頷いたのである…。
18日20時8分、御宮町の中心部にある郵便局の裏手に黒のワゴンが停車した。黒い人影が窓越しにうごめいている。
「時計を合わせろ」
リーダー格の男が指示する。
「15分で完了するぞ」
部下がそれぞれ頷く。
「よし、行くぞ」
3つの人影が動いた。1人は見張りに残していた。瞬く間に裏口に向かう。1人がイヤホン越しに声をかける。
「警察の者です。今、タレコミがありましてこちらの現金が盗まれたとの事。ここを開けてもらえますか?」
「少しお待ちください」
「急ぎますので早く」
警備員が内側からロックを解除して応対する。
「何があったんですか?、金庫は無事ですよ。何かの間違いでは…」
「いえ、犯人は地下から侵入しているんです」
「えええええっっっ!!!、それは本当ですか!?、強盗犯さん」
そう言い放つと警備員はニヤッとした。驚いたのは3人のほうだった。周りを囲まれていた。
「警察だ、動くな」
リーダー格の男はトカレフを持っていたが警察の数に圧倒され、あっさりと降参した。車に残っていた男も張り込んでいた御宮署の捜査員に逮捕されたのである。
「やったな、永居」
「ええ、見事、県警を出し抜いてやりましたよ」
永居は誇らしげに言った。
捜査本部を設置して以来、県警の言いなりになってきていた御宮署捜査課の面々は不満と怒りに満ちあふれた状態になっていた。どんな良い情報をとってきても採用することはなく、いつも自分たちの情報だけしか信じなかった。その上、課長の塚山も岸本らのほうについてしまっていたため、行動が制限されてしまった。岸本らが信じてしまったタレコミは実は永居の親友が流したものだった。永居に手柄を与えるためである。この事実を知った岸本は烈火の如く怒るかと思いきや、嫌になるほど静かなものだった。まるで意気消沈してしまったと言うべき事態だった。
永居はその理由を知っていた。いや、親友からのアドバイスをもらうまで永居でさえ知らなかったのである。永居はゆっくりと足を岸本のほうに運んだ。
「警部」
「ん?、ああ、永居巡査長だったな」
「そうです」
「報告書ができあがったのかな?」
「いいえ、警部に言っておきたいことがあります」
「何かね?」
「警部は星陣会のメンバーですね?」
そう言われても岸本は驚きもしなかった。
「そうだ」
「認めるんですね?」
「ああ」
「塚山さんもそうですね?」
「その通りだ。何が言いたい、私を捕まえるかね?」
「捕まえるのは当然のことですがその前に言っておきたいんです」
「何をだね?」
「今回の出し抜きには協力者がいました」
「ほう、誰だ?」
「本町ですよ」
「…そうか、彼奴か…」
岸本と本町は同期だった。
「本町の同じアパートに住む女性は元星陣会の事務員だったんですよ。その女性は星陣会が違う方向に行っていることに嫌気が差して会を辞めた。そのとき、メンバーの名簿を返し忘れて今の今まで持っていたと言っていましたよ。その名簿にあなたの名前と塚山さんの名前があったんです」
「……」
「最初は☆マークの通り、犯人は最初に狙った御宮北郵便局を狙うものばかりと思っていましたがこの女性に会った瞬間、それが間違いだということに気づきました。星陣会の象徴であるマークを見るまでは。あれは☆マークの真ん中に ・ がありましたんでね。あれで次に狙われるところが予測ついたのです。警部と塚山さんは捜査を攪乱するためにわざと捜査員を御宮北郵便局に配した。その上で捜査情報を仲間に流していたんじゃないですか?。しかも、念には念を入れてわざわざ自宅に電話をかけるように伝えた。自分の家の電話に仕掛けてあったテープレコーダーに吹き込ませるためですよ。そして、それを我々に公表した。1週間以内に犯行があることをね。しかし、一方で仲間の1人がドジを踏んだ。こいつをなくしたんじゃないですか?、5番目の襲撃日時を知らせるこれを」
永居は本町が持っていた例の10円玉を懐から出した。
「……」
「これを偶然にも拾ったのが本町だったんですよ。彼はすでにこの10円玉から日時を解読した後でした。もちろん、場所もね」
「……」
岸本は沈黙していた。
「そして、この10円玉をなくした男はリーダーであった宗祖に殺されてしまった。大池の近くにある喫茶店『dazzle』でね。元々、あの喫茶店から始まった宗教らしいじゃないですか。あの「幻惑の使者」はそこから出たのですね。すでにうちの鑑識が調べていますよ。そして、その日のうちに殺された山下の部屋を片づけた。ベランダのない窓を外して、下に用意してあったトラックに落とした。もちろん、落ちたときの音を和らげるため、下にクッションのようなものを置いたんじゃないですか?。そうすれば後は下にいる者に指示を出していつでも処分することはできる。それに証拠の隠滅を企んでいたようですがそれもできなかったようですね。
もし、我々が県警を出し抜いていなければ警部の予定通り、事件は迷宮入りになるところでした。さあ、岸本警部、もう観念しますか?」
「さすがだ、本町に会ったら伝えておいて欲しい」
「何です?」
「生涯で一番悔やんだのはお前を敵に回したことだとな」
この言葉を伝えられた源太は苦笑した。苦笑したがもう事件のことはこれ以上、語ることはなかった。それに源太には今、永居にしてもらわなければならないことがあった。それは超デラックスラーメン 闇鍋風味を頬張ることだった。これがどんなゴウジャスな食べ物かは食べた者でしかわからなかったのである。
後に源太はこのラーメンについて、
「あんなおいしいものは見たことがないよ。永居に感謝だね」
と言ったものの、言われた永居は真っ青な表情をして、
「あんなものを食べられるなんて信じられない。さすが本町だ」
と言ったという…。
ますます謎が深まるばかりだ…。
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