萩谷由喜子の著書・執筆活動

日本経済新聞 文化欄に『クラシック・ジャケットの女性 十選』を執筆

2017年2月9日から28日まで 10回連続

 『クラシック・ジャケットの女性たち』と題し、クラシックのCDジャケットを飾る名画の美女たち10人を採り上げ、絵画について、モデルについて、そしてなぜ、この名画の美女がこの楽曲のCDに登場しているのか、その裏にどのようなドラマが秘められているのかについて、解説させていただきました。

(第1回)
エリザベト=クロード・ジャケ=ド=ラ=ゲール(1665−1729年)
ジャン=フランソワ・ド・トロワ画  Jean-Francois de Troy 1679-1752年
 ロココ萌芽期の画家。祖父も父も画家という美術一家に生まれました。神話に材をとった絵、宗教画などを得意としする一方、肖像画の名手としても知られました。
 なにしろ、このように美しく、女性を描く手腕があるため、貴婦人からの依頼が多かったようです。



(第2回)
『 パオロとフランチェスカ 』のフランチェスカ・ダ・リミニ

アリ・シェーフェル画 (ドルトレヒト、1795年−アルジャントゥイユ、1858年)
『 パオロとフランチェスカ 』1855年
油彩、カンヴァス
縦1.71m、横2.39m
1900年、画家の娘マルジョラン=シェーフェル夫人より、ルーブル美術館に遺贈
ドゥノン翼 2階 モリアン ロマン主義 展示室77に展示。



(第3回)
『 オフィーリア 』(Ophelia) 1851-52年
ジョン・エヴァレット・ミレー(1829-1896年)画
76.2×111.8cm | 油彩・画布 | テート・ギャラリー(ロンドン)

 ミレーはまず、小川のほとりを歩いてイメージに合う場所を入念に選び、ついに気に入った場所をみつけるとそこにイーゼルを立て、あたりの情景をきわめて精緻に描写しました。その場所は、のちにほぼ特定されています。
 そして次に、彼と同じラファエル前派の画家たちのモデルとして人気のあったエリザベス・シダル、愛称リッツィに、お湯をはったバス・タブでこのポーズをとってもらい、絵筆を動かし続けました。彼が長時間にわたって作画に没頭したため、当初はアルコール・ランプでお湯の保温を続けるつもりだったのにそれを忘れてしまい、お湯は冷え切りました。そのせいで、リッツィはひどい風邪から肺炎を起こしかけ、長く床につくことになりました。
 怒ったリッツィの父親はミレーに賠償金を請求しました。ミレーも非を認め、多少の減額をお願いした上で、それを支払ったと伝えられています。
 日経コラムにも書きましたが、リッツィはその後、ミレーの画家仲間、ロセッティの妻となりますが、ロセッティの女性関係に悩まされ、心身を衰弱させて、強い薬を飲みすぎたためか、ある朝、二度と起きてくることはありませんでした。ロセッティは生涯、後悔したようです。
 モデル、リッツィのそんなはかない生涯が、オフィーリアの身の上に重なり、胸が痛みます。それにしても、死に瀕しながら、そんな自分の絶望的状況にも気づかず、小さく唇を動かして一心にシャンソンを口ずさむオフィーリアの表情は神々しいまでに虚心で、美しく、絶品の一語です。





(第4回)
『 アルマ・マーラー 』
『風の花嫁』1914年
オスカー・ココシュカ(1886-1980)画
スイス・バーゼル美術館蔵 3階正面の展示室
 当初は現在より明るい色彩で描かれていましたが、アルマとの関係が絶望的なものになるにつれて、ココシュカが暗い色調の絵具をどんどん塗り重ねていき、現在の色合いとなりました。 その厚塗りの絵具の剥落の恐れがあるため、移動には不向きで、同美術館の門外不出となっています。実物はこの美術館でしか鑑賞できませんので、バーゼルにいらした方は、ぜひ、ご覧になってください。




(第5回)
『 イザベル・デ・ポルセール 』(Isabel de Porcel) 1804-05年
フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(Francisco Jose de Goya y Lucientes、1746年3月30日 - 1828年4月16日)画
81×54cm | 油彩・画布 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー

 熱くひそやかなスペインの情熱を象徴するアイテムを随所に忍ばせたゴヤの絵は、この国の伊達男(マホ)の一人であるグラナドスを夢中にさせました。例えば、この『イザベル・デ・ポルセール』の燃えるまなざし、白い顔にかかる褐色の巻き毛、美しい胸を透かし見せる黒の上質なレース生地、などが彼をたまらなく魅了した、と作曲家自身が書簡に書き残しています。この肖像画のモデルのイザベル夫人は当時25歳くらい、夫のポルセール氏は50歳位といわれていますので、地位も名誉も財産もある50男の年若い美人妻だったようです。
 このイザベラ夫人のような、スペイン的な粋な女のことは、同国の伊達男マホに対して、マハといいます。ゴヤの有名な絵画に『着衣のマハ』『裸のマハ』がありますが、あのマハというのは個人名ではなく、小粋なマドリード娘、といったほどの意味なのですね。そのマホとマハの織りなす愛と情熱の世界を、グラナドスは6曲構成のピアノ組曲『ゴイェスカス』に表現しました。
 組曲第1曲の『レキエブロス』は「愛の言葉」の意です。つまり、マホがマハを口説いているわけです。
 第2曲は『格子窓の語らい』。マホの口説きが成功して、二人は格子窓越しに愛を語らっています。格子窓越しなのが、かえってもどかしさを掻き立て、二人の情熱を燃え上がらせます。
 第3曲は『ともし火のファンダンゴ』。ファンダンゴとは、野趣にみちたスペインの民俗舞曲。
 第4曲はこの組曲中でもっとも有名な『嘆き、またはマハと夜鳴きウグイス』。神秘的でえもいわれぬ美しさを秘めた1曲です。夜鳴きウグイス、ナイチンゲールは、男女の性愛を象徴するアイテム。音楽作品の中でこの鳥が鳴いたら、それは男女の愛の成就を暗示していると考えてよさそうです。
 第5曲は『愛と死』。マハをめぐってライバルと決闘し、戦いに敗れて瀕死のマホ、彼に取りすがるマハ。
 そして第6曲は『幽霊のセレナード』。マホは今や、幽霊になったのでしょうか。それでも伊達男らしく、ギターを爪弾いてマハにセレナードを捧げています。最後は、ギターの解放弦、下から「ミラレソシミ」で幕。
 この組曲をもとに、台本作家F.ペリケの構成したオペラは次のようなストーリーです。
陸軍大尉フェルナンドにはロサリオという恋人がいますが、あるとき、闘牛士パキーロの愛人ペパとの仲をパキーロから疑われ、ついに決闘となってしまいます。フェルナンドは敗れて重傷を負い、恋人ロサリオに抱かれながら息を引き取ります。
 オペラはスペインの伝統的な歌芝居、サルスエラの形で、1916年初頭に完成しました。グラナドスは初演劇場を探します。パリのオペラ座で初演の話もあったのですが、あいにく、第一次世界大戦が勃発してヨーロッパの劇場はすべて閉鎖されてしまいます。そんなとき、ニューヨークのメトロポリタン劇場からオファーがありました。船旅が大の苦手のグラナドスでしたが、『ゴイェスカス』初演のためならなんのその、愛妻アンパロと歌手陣を伴い、海路ニューヨークに渡って無事初演を済ませました。
 そのあと、ウィルソン大統領から招かれてホワイトハウスでピアノ・リサイタルを開くという名誉に浴します。でも、そのために帰国予定が遅れ、当初乗船予定のスペイン直行便を乗り逃し、やむなく、当時フランス船であったサセックス号で帰国することになりました。これは直行便ではなくロンドン経由便で、ロンドンに寄港のあと、英仏海峡を渡ります。その航行中、サセックス号はドイツ軍の潜水艇Uボートの攻撃を受けたのです。状況については諸説ありますが、グラナドス自身は海に投げ出されずに済んだか、あるいは救命艇に引き揚げられたともいわれます。ところが彼は、波間に漂う愛妻アンパロの姿を目にするや、あれほど苦手な海の中に飛び込んでいき、アンパロともども海の藻屑と消えた、と伝えられています。





(第6回)
『 ファニー・メンデルスゾーン 』1805-1847年
ヴィルヘルム・ヘンゼル(1794-1861年) 画

 ファニー・メンデルスゾーンの評伝は、2002年に上梓した拙著『 五線譜の薔薇 』に収載いたしました。
 この「クラシック・ジャケットの女性」十選のうち、第4回のアルマ・マーラー、第8回掲載予定のクララ・シューマンの評伝も同著に採り上げております。
 『 五線譜の薔薇 』の初版は完売し、数年後に二版が出ておりますので、アマゾンなどネット書店で入手可能と思われます。今回の日経連載シリーズの原点というべき女性音楽家のオムニバスです。ご興味のあられる方は、ご高覧頂けましたら嬉しく存じます。
 ところで、わたくしは最初にこのファニーの肖像画を目にしたとき、何と美しい女性だろうかと胸がときめきました。そして、この髪形、衣装が、音楽の女神聖チェチーリアに扮したものであることを知り、ファニーも、これを描いた夫のヘンゼルも、芸術の神に深い敬意と憧憬を抱いていたことに感動しました。
 ファニーの容姿容貌は、おそらく、実物より美化されているようですが、わたくしはその美化に、夫ヘンゼルの妻へのわき目もふらない深い愛を感じるのです。名門銀行家メンデルスゾーン一族の婿となったこの画家には、そのことが重い蹉跌となっていたことは疑いもありません。彼の描いた絵には、一族の車輪にひもで繋がれる自分の姿が認められます。でも彼は、そのくびきの中で、妻を理解し続けた、やさしい夫だったと思います。
 ファニーは、父と弟からは、作曲家として世に出ることを認めてもらえなくても、これほど美人に妻を描いてくれ、作品出版にも協力してくれた夫に恵まれたわけですから、配偶者運はよかったといえるでしょう。もちろん、神からの才能の贈り物にも恵まれた女性でした。





(第7回)
『 ゴンドラの唄 』の夢二式美人

 竹久夢二(1884-1934年)は大正の浮世絵師、グラフィックデザイナーの祖、などとも呼ばれる、大正ロマンを代表する画家です。彼の描く、いわゆる夢二式美人は、唯一、正式な結婚をした相手であった妻、たまき を原型に、その後、愛人の彦乃、お葉たちの容貌の要素が採り入れられていったものと思われます。横書き、右から左のタイトルが時代を窺わせる『 ゴンドラの唄 』の出版譜の表紙画を夢二が描いた大正4年は、たまきとの最初の離別の年ですが、この絵のモデルは、身体の線の特質やお顔の特徴から、たまきだったものと想像されます。わざと少しだけくすませることでロマンティックな持ち味を醸した色使いにも、夢二の天才があらわれています。





(第8回)
『 クララ・シューマン 』

 藤紫のシックな色調のジャケットを飾るのは、クララ・シューマン21歳時の肖像画(下の写真左から4枚目)。彼女のドレスも同じ色合いに彩色され、大きな白い襟がアクセントとなっています。でも、これは、このCDジャケットのデザイナー様による加工で、原画は、日経記事にも書いたように鉛筆デッサンでした。ドイツで発行されている『Clara Schumann Chronik in Bildern』にこの原画が収載されていますので、ここに掲げさせていただきます(同左から1枚目)。もちろん、モノクロで、衣装の下書きらしきラインも少し見られますが、下半分はまったくのラフです。もう一枚の絵は、これもドイツで出版されているクララの伝記の表紙画で、彩色されています(同左から2枚目)。
 ところで、このCDはクララだけの作品集ではなく、他にマリア・テレジア・フォン・パラディス、マリア・アガータ・シマノフスカ、ファニー・メンデルスゾーン、テクラ・バダジェフスカ、オーギュスタ・オルメス、ヴィルマ・アンダーソン=ギルマン、リリー・ブーランジェの7名の女性作曲家のピアノ曲を集めたオムニバスです。
 実は、そのもととなったのは、わたくしが2006年に詳細な解説付きで編纂・出版した楽譜集『クララ・シューマン ロマンス〜女性作曲家によるピアノ作品集』(1,500円+税)でした(同左から3枚目)。楽譜集の収載曲目は写真の通りです(同左から5枚目)。
 友人で尊敬するピアニスト、江崎昌子さんが、CD化を思い立たれ、楽譜集の全曲にクララの『ロベルト・シューマンの主題による変奏曲』も加えて録音してくださったものが、この藤紫色の美しいアルバムなのです。僭越ながら、ライナーノートも書かせていただきました。
 8人の女性作曲家のうち、クララ、ファニーの評伝は拙著『五線譜の薔薇』に、パラディス、オルメス、リリー・ブーランジェの評伝はその続編『音楽史を彩る女性たち 五線譜のばら2』にございます。CD、楽譜集と併せてご愛顧いただけましたら嬉しく存じます。
写真(左から)
 1枚目:鉛筆デッサンの原画
 2枚目:ドイツで出版されているクララの伝記の表紙画
 3枚目:楽譜集『クララ・シューマン ロマンス 女性作曲家によるピアノ作品集』2006年 ショパン
 4枚目:萩谷由喜子編の楽譜集とそれを録音した江崎昌子さんのCD
 5枚目:楽譜集の目次





(第9回)
『 ジャンヌ・サマリー 』
ジャンヌ・サマリーの肖像
ピエール・オーギュスト=ルノワール 画 1877年

 ジャンヌが自分で購入したこの肖像画は、裕福な投資家の息子ポール・ラガトの妻となり、三人の娘をもうけて幸せに暮らしていた彼女が1890年に33歳の若さで病没したのち、デュラン=リエル画廊に売却されました。
 そして、同画廊からこれを買い取ったのが、ヨーロッパの美術品収集に余念のなかったロシアの大富豪、イヴァン・モロゾフ(1871-1921)でした。 モロゾフも数奇な運命をたどり、彼のコレクションは1920〜40年代にかけて、ペテルブルクのエルミタージュ美術館とモスクワのプーシキン美術館に二分されます。
 印象派時代のルノワールの肖像画として最高傑作と言われるこの『ジャンヌ・サマリーの肖像』は、現在、プーシキン美術館蔵となっています。
 2013年に日本各地でプーシキン美術館展が開催されたとき、その最大の呼び物絵画として美しきジャンヌは初来日しましたので、彼女と出会われた方も多いのではないでしょうか。

(右は、ジャンヌの写真)


(第10回)
『 ヨハネス・フェルメール 』(Johannes Vermeer 1632-1675)
『 ギターを弾く女 』
推定制作年代:1673〜1674年年頃
技法:カンヴァス、油彩
サイズ:53×46.3cm
所蔵:ロンドン、ケンウッド・ハウス

 フェルメールは、実にしばしば楽器を作品中に忍ばせた画家でした。寡作家で、わずか30数点しか作品が伝わっていないというのに、そのほぼ3分の1にあたる11点に楽器が描かれているのには驚かされます。でも、画面に楽器が登場することによって、そこに描かれている人物、おうおうにして女性ですが、その女性の秘めたる恋愛生活が暗示されるのですから、楽器入りフェルメール作品はまことに含蓄の深い作品群です。中には、健全な恋愛である場合もあるかもしれませんが、大半は世を忍ぶ恋なのでしょう。それを楽器が物語るわけで、秘すれば花の恋愛小説の語り手としてのフェルメールの手腕に感服します。
 わたくしが数えた限り、楽器が描かれているのは『中断された音楽の稽古』『音楽の稽古』『リュートを調弦する女』『合奏』『フルートを持つ女』『絵画芸術』『恋文』『ギターを弾く女』『ヴァージナルの前に立つ女』『ヴァージナルの前に坐る女』『ヴァージナルの前に坐る若い女』の11点でした。CDジャケットになっている『ギターを弾く女』は晩年の作で、構図、色使い、精緻さにやや難があり、フェルメールの絵画作品としての評価はさほど高くはないようですが、楽器に大きな比重が置かれていることが魅力です。
 モデル着用の斑入り白毛皮の縁取りのついた黄色の衣裳は、『リュートを調弦する女』『真珠の首飾りの女』『手紙を書く女』『婦人と召使』『恋文』『ギターを弾く女』の、少なくとも6点に描かれています。
 現在のように、フェイク・ファーなどなかったはずの当時のこと、この衣裳はかなり高価な品だったのではないでしょうか。だからこそ、さまざまな絵に使い回し、でも結局、愛娘の所有に帰したのではないか、と想像しています。
 このCDは、一目で気に入って注文したのですが、船便による海外輸入盤のためなかなか手元に届かずにひやひやしました。 もしも、間に合わない時のために、他候補も用意していたところ、ある日、何事もなかったかのようにひょうひょうと届き、無事に連載の最終回をフェルメールで飾ることができました。
 日本経済新聞コラム、十選、並びにこのホームページの追記、ご愛読、ありがとうございました。




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