停電、断水、下痢ツアーインパキスタン、インド
体の動くうちにあっちこっち行っておこうと、せっせと海外旅行をした結果、何とか5大陸を訪問することができた。したがって中小零細国を除く主要国をほぼ行ったことになる。パキスタンは飛行機の乗り継ぎでカラチに12時間、インドは中南部を飛行機を乗り回して10日間滞在したことがある。今回はパキスタンを目的とし、インドは通過国とした。パキスタンへはイスラマバードから入国するのが手っ取り早いが、チケットは高い。インドのデリーへは沢山の便があり、チケット価格も適正になってくる。エアーチャイナが北京経由で飛ばしている。他にエアインディア、チャイナエアライン、タイ、シンガポール、マレーシア航空がある。北京での乗り継ぎ時間が少なく、チケット価格が税金、燃油チャージ込みで7万円であった。関空ー北京ーデリーの往復チケットで4フライトである。デリーからパキスタンへは陸路を使うことにした。インド、パキスタンともビザが必要でそれぞれ料金は2000円、100円程度である。ビザ取得は自分で済ました。エージェントに頼めば5000円ずつ確実に増える。ばからしい。いずれもマルチプルエントリーとした。料金がシングルと変わらず、両国を出たり入ったりすることも考えられるからだ。この辺の段取りをきちっとしないと、のちにえらい目にあう。両国は仲が悪く、現地でビザを取るのは結構暇がかかり、面倒だからだ。パキスタンのビザは問題ないが、インドがテロ対策と称して、いったん出国すると2ヵ月後でないと再入国はまかりならんという法律を作ってしまった。取得したビザにその旨がくっきりとかかれている。パキスタンに2ヶ月なんて居れるわけがない。くそ暑い、禁酒国で何をするねん。インド、パキスタン間のエアまたはバスチケットを入手して再申請すれば2ヶ月以内の再入国可能のビザが取れるらしい。エアチケットはばか高い、バスチケットは時間をかければ入手できそうだがはなはだ面倒だ。何とかインドに再入国できないかとネットで必死に調べることになる。アメリカ、イギリスは猛烈なクレームをつけているらしい。インド政府もそれなりの緩和策もあるようなニュアンスの返事をしている。色々調べた結果、確実にインドから日本へ帰る証拠、つまり予約済みの航空券、またはe-チケットがあれば何とかなりそうだということがわかってきた。後は現地でのお役人とのやり取りに任せるしかない。




インド パキスタン
首都 ニューデリー イスラマバード
面積(対日本) 7倍 2倍
通貨 ルピー2円 ルピー1円
訪問地 ニュ−デリー、アムリトサル、ダラムサーラ ラホール、イスラマバード、ラワルピンディ、スワート
交通手段 列車、バス バス

2010年5月26日 関空ー北京―デリー
13時50分発の北京行きは16時5分に到着する。3時間ほどのフライトである。結構な乗客数である。殆どが中国人である。機内サービスは特色はない。ありきたりのそっけないサービス。ランチ、飲み物。アルコールは注文しないとくれない。定刻に北京空港に到着。オリンピックのためにすっかりきれいになった空港である。何しろ馬鹿でかい。上海空港と並んで中国の底知れないパワーが充満している。乗り継ぎでは大阪からの搭乗券も見せなければならない。セキュリティチェックは厳重だ。やがて広いラウンジに行き、20時40分までの5時間ばかりを過ごすのである。椅子がずらりと並び、モニターに次々と発着状況が示されている。無料の新聞、雑誌が読める。勿論中国語だが、英語版もある。テレビを見てラウンジを散歩して時間をつぶす。ずらりと並ぶゲート、広すぎて端っこまで見えない。搭乗案内に従いゲートへ。中国人のほかにインド人がやっと見受けられる。エキゾチックな気分になり、インドへの期待感が高まる。機内ではありきたりのサービス、到着は翌日の朝1時過ぎ、真夜中だ。とんでもない時間につく。インドに着く便はいずれもへんな時間が多い。北京からは真南へ飛ぶと思ったら、南シナ海から東南アジアの上空を通るのだ。ヒマラヤ上空を避け、真夜中のフライトとなるのは、両国の関係が良好ではないことを示している。
北京空港

2010年5月27日 デリーアムリトサル
真夜中の1時に到着。手荷物だけなのでビザを見せてスタンプを貰うだけ。トーマスクックなんかが両替をやっている。物価が安いし、パキスタンへ行くから5000円だけ両替する。少しでも汚れたり、破損しているとインドでは札を受け取ってくれないのでチェックする。2時になっている。外は漆黒の熱帯夜、タクシーのかもになるだけだから、無料の空港椅子で時間をつぶす。続々と飛行機が到着し、空港内は混雑している。インディラガンジー国際空港は汚くて小さい。新しいターミナルビルは建設中だ。朝の6時までの時間が実に長い。空港からは鉄道駅ヘ行き、列車に乗ることになっている。列車ケットはオンラインで購入し、パソコンからプリントアウトした。インドは鉄道王国、全土くまなくネットワークが張り巡らされている。ラジダニエキスプレスは長距離用のインド最高豪華列車。シャタブニは短中距離豪華列車である。アムリトサルシャタブディはニューデリー発7時20分でアムリトサルへは13時20分に着く。440kmで運賃は最高クラスで1,090ルピーである。やっと空が明るくなり始めたので、ISBTバスに乗る。運賃は50ルピー、これが一番安くて、快適な手段。冷房車で客は結構いる。大きな荷物を持ち込んでいるやつもいる。車掌が荷物代を払えといっているようだ。高速道路はなく瞬く間に車の洪水と人の波に出会う。インドに来たという実感がわいてくる。この先何が起こるんだろうと多少スリルを楽しむようでもあり、何も無いことを祈るようになる。バスは通勤客も利用しているようで、結構途中人の出入りがある。1時間ほどでバスターミナルに着いた。幸いメトロのカシミールゲイト駅はすぐに見つかった。10ルピーの切符を窓口で求め、黄色の2号線に乗り3つ目のニューデリー駅に着く。メトロは結構な乗客が降り、サラリーマン風が多い。すりがどこにいるかわからんから用心に越したことはない。ニューデリー駅の裏側へ着いたようで、みすぼらしい駅舎だ。これが首都の玄関かと思うと訳がわからなくなってしまう。人と車がごっちゃになっている。タクシーの客引きが多い。インドはもう夏だ。空気がにごっている。陸橋がプラットフォームをまたいでいる。来る人、行く人で混雑している中を、ひたすら目指す列車に向かう。ヒンディー語と英語併記になっており大汗をかいて乗り込む。ステップのところに私の名前が書いてある。これで間違いなし。やれやれ。車内はえらそうな栄養満点のおっさん、おばはんがふんぞり返っている。冷房ががんがん効いて外とは別世界をなしている。定刻に列車が出る。速度は歩くぐらいのろい。すぐに次の駅を通過する。満員の乗客を乗せたローカル列車とすれ違う。鉄格子のはまった窓、事故が起こったら絶対に生きては出られない。聞けばただ乗り防止のための措置らしい。人間の命は金よりも軽いということだ。20分ほどでやっと100km位出だした。ぼろぼろの崩れそうな家がやっとなくなり、北インドの平野が広がっている。ヒンズー寺院が時々現れる。車内は静か、車掌がチケットのチェックに来る。やがて食事の準備が始まる。2人掛りのサービスである。ヨーグルト、ナン、オムレツ、チャイが立派な陶器の食器に乗せられてくる。チャイはポットで出るから、お変わりし放題。ビスケット、ケーキなんかも出る。そっけないエアチャイナと雲泥の差だ。飛行機のファーストクラス並みのサービスだ。最後には2リットルのミネラルウオータのペットボトルが出た。隣の裕福そうなお嬢さんは殆ど残している。彼女の家族2人も眠るばかりで手をつけない。もったいない。彼女にアムリトサルのホテルを聞いてみる。予算は600ルピーという条件をつける。家族が案内してあげるという。これで1つの仕事が終わった。列車が快適に走り続ける。停車駅は少ない。だんだんと客が少なくなっている。工場とも、家とも見分けのつかない建物が次々現れる。いずれも壊れかけか、古臭い。素っ裸の子供が瓦礫の中を歩いている。豪華な車内とあきれるほどの格差。線路にごみが散乱し、踏切が見えてきて、建物が増えてきたと思うと定刻どおりアムリトサルに到着する。彼女の家族とともに外に出る。車を運転してボルガホテルというところに連れて行ってくれる。駅から2分ほど。ロケーション申し分ない。礼を言ってチェックインしてキーを受け取り部屋に入る。ビジネスホテルでベッドが2つ、シャワー、トイレ、エアコンがある。エアコンは午後3時から入るとのこと。早速市内見物に出る。ロビーに運ちゃんが居るので、交渉する。ゴールデンテンプル、シャーリアーンワーラ、バスターミナルで150ルピー。ホテルから鉄道の上を高架道路が走っている。5分くらいでおろされる。テンプルまではいけないので、時間と場所を待ち合わせて歩いていく。混雑した道路を歩くとそれはあった。靴を脱いで入らねばならぬ。池のほとりに黄金に輝く寺院が鎮座している。あまり感激しない。随一の観光スポットらしくホテル、銀行、お土産屋が並んでいる。10分ほど歩いて庭園へ。イギリス兵によるインド人大虐殺の場だ。慰霊碑が建っている。インド人がおまいりに来ている。イギリス人は世界ですき放題をしている。運ちゃんとの待ち合わせ場所に戻る。バスターミナルへ。車、人であふれかえっている。乗り場ゲートは優に30を超す。パキスタンへ行くバスの乗り場を探す。アタリ、ワガー行きだ。見つかった。時刻表なんかある。他にデリー、ダラムサーラなんかへも出ている。ボルガホテルに戻る。エアコンが入って涼しい。飛行機で疲れたので飯を食って寝たい。レストランを聞くと、ホテルにもあるとの返事。邪魔くさいからそうする。タンドリーチキン、カレー、チャパティ、たまねぎサラダ、あまりうまくない。ミネラルウオータを注文する。食事の値段は300ルピーだ。ぼったくりだ。疲れているのですぐに横になる。ポットから熱いお茶を入れてすっきりとする。夜中に時々停電するようで部屋が暑くなる。シャワーを浴びたいが、断水している。やれやれ。いつの間にやら眠ってしまったようだ。
本日の出費210ルピー。
ニューデリー駅

2010年5月28日 アムリトサルーアタリーワガーラホールーラワルピンディ
ホテルをチェックアウトする。935ルピーを支払う。リキシャでバスターミナルへ、20ルピー。日本人にとってはただみたいな値段だが、彼らには結構な収入だ。さすがに昨日の線路の上の高架道路を通らずに、踏切を渡る。遮断機がすぐ閉まるので、一度降りて潜り抜けてまた乗車。すれ違うリキシャに太ったおばはんが2人乗っている。運ちゃんふうふういっている。それに比べりゃこちらは1人で、やせてるから運ちゃんにとても優しい。バスターミナルは下調べができてるからすぐにアタリ行きのバスに乗り込む。30kmを1時間で行く。運賃は17ルピー。パキスタンとは長い国境線があるのに、旅行者が通れるのはこの地点だけ。10時をすぎている。まず入り口でパスポートを見せる。ただ見せるだけ。歩行者はマイナーで殆どがトラックドライバーである。したがって手続きはすべて道路の左側の建物で行う。インドは車は左側通行である。イミグレに行きビザチェックを受ける。ここがハイライトである。 「2ヶ月以内に戻ってこれますか」
「ノープロブレム」
「じゃその旨のエンドースメントを下さい」
「エアチケットを見せなさい」
「はいどうぞ」
「ふんふん スタンプポン」
後でチェックすると、2ヶ月以内の再入国は認めないとスタンプにかいてある。えらいことや。次は税関検査、いちゃもんはない。最後のインド側のチェックで出国スタンプを検査する。次はパキスタンに入国、ひげのおっちゃんがパソコンにデータを打ち込んでいる。いよいよイスラム圏に入るという緊張感がみなぎる。すぐに入国スタンプを押してくれる。インドより簡単。税関検査は形だけ。両国ともお金の検査はない。パキスタンに何となく入国する。インドルピーをパキスタンルピーに交換する。ゲートを出たところの店屋のおっさんが日本語を話す。パキスタンルピーは2倍の価格。ここからラホールまでバスがあるはずだが、全く気配なし。店屋のおっさんタクシーの相乗り150ルピーで持ちかけてくる。了承する。相客はネパールからの医者と看護婦、運ちゃんと4人で出発。途中パスポートチェックで停車する。パキスタンはアルカイダが潜伏しているらしい。嫌な感じ。緑が少ないような気がする。ラホール市街に入ったようで車と人が増えてきた。粘土質を含んだ透明度の低い川の中で大人も子供も泳いでいる。女は誰もいない。イスラム国家だからなのか。住血吸虫にやられたらどうするねん。ネパールは行ったことがあるので、話が弾む。医者が俺のアパートに来いというのでその通りにする。大きな病院に入っていく。看護婦を先に下ろす。医者の部屋に行く。3人の相部屋だ。ラーメンをこしらえてくれた。12時をすぎている。シャワーも浴びる。これからどうすると聞かれたので、2万円ほど両替してからバスターミナルへ行く旨を伝える。タクシーで一緒に両替屋に行く。2万ルピーを獲得する。誠に簡単な両替率だ。パキスタンのバスはサンミーデーウとナトコがメイン。サンミーが断然快適である。歩いていく。少し迷ったがサンミーバスターミナルにたどり着いた。ラワルピンジまで850ルピー、4時間で行く。午後の2時過ぎのバスに乗る。車掌は女だ。色の白い別嬪さんだ。スカーフで髪の毛を隠している。長袖のシャツを着ている。イスラム国家だからだ。スプライトとビスケットの車内サービスがある。乗客は普通のパキスタン人、中流階級の人だ。高速道路が素晴らしい。どんどん飛ばしている。ラホールはパキスタン第2の都市で交通の要所のラワルピンジ間を結んでいるのだから道路が良いのだ。途中1回のトイレ休憩がある。スナックやら焼肉やら売っている。アルコールはない。夕方の6時過ぎにバスターミナルに着いた。ファザラバードという。タクシーが客待ちしており、200ルピーでサダルストリートのアバンティホテルに行ってもらう。勿論バスでも行けるらしいが時間がかかるし、ホテルにはなかなかたどり着けないだろう。ホテルはにぎやかな場所にあり1,365ルピー支払いチェックインする。エアコン、トイレ、シャワーはある。早速晩飯に出かける。ガイドブックのラハットカフェに行く。炭火で焼肉なんか焼いている。警察官、子供なんかもいる。こういう店は安くて美味のはず。ピラフをまず食べる。サフランの香りとチキンのスープがしみこんで美味。シャシリク、カバブを食う。たまねぎサラダとヨーグルトがつく。ミネラルウオーターばっかり飲むのが邪魔くさい。地元の人は氷入りのステンレスポットからコップに注いで呑んでいる。子供も一緒だ。俺もそうする。女同士の客はない。だんなと一緒の場合だけ女の人がいる。イスラム国家だからか。客はひっきりなしに来る。100人くらいの席があるのに常に50人くらいは食っている。味は良い。パキスタンで一番おいしかった店である。チャパティは料理についているらしく、なくなったらすぐにもってくる。ヨーロッパのパンだ。勘定は230ルピー、安くて、上手くて、サービスが良くて涙が出る。アルコールがないのが残念だ。ホテルに帰る。シャワーを浴びているときに、停電した。もの凄い不便。部屋が暑くなってきた。着衣してフロントに文句言うと、外を見ろという。なるほど真っ暗闇だ。ろうそくがちらほら。要するに電力供給が絶対的に不足しているのだ。水も出なくなってきた。むかむかしているうちにウーンといううなりとともにエアコンが作動し、照明が点燈した。アムリトサルからラワルピンジまで長い1日だった。 明日の段取りを考えて眠りにつく。
本日の出費 992インドルピー 2,890パキスタンルピー
パキスタン国境を見る

2010年5月28日 

2010年5月29日 ラワルピンディーイスラマバード
昨日のラハットカフェに行く。客は多い。夜のメニュウと違うようでカレーしかない。チャパティと肉いりスープを食う。110ルピー。これがなかなかいける。今日はパキスタンのハイライト、北部のギルギット、フンザを目指したい。ホテルをチェックアウトしてスズキ乗り場に行く。バンの後部にロングシートを設置した乗り合いバスのことだ。22ルピーの運賃。北部方面へのバスターミナルはピールワダイ、ファザラバードはすっきりとしたターミナルだったが、こちらは味噌もくそも一緒くたの喧騒の場所だ。色も大きさも古さもばらばらのバスが舗装されていない土の広場に駐車している。どうやって目的のバスを見つけ出すんだろう。最大限音量のスピーカから、音楽やら呼び込みの騒音が襲ってくる。やっとのことでナコト社のチケット売り場を探し出す。カウンター嬢にチケットを求めると、怪訝な顔をしている。そのうちにノーノーと言い出した。注意書きを読めということらしい。ウルドウー語だからわからん。埒が明かないのでデスクに行くと英語のわかるおっさんが座っている。パキスタン北部で地すべりがあって道路をふさいでいる。おまけに川の水が溢れ出して、あちこちに池ができてバスは通れない。いつ開通するかわからない。飛行機ならギルギットまでいける。それからフンザまではヘリコプターをチャーターするしかない。この説明でフンザはあきらめた。今年はパキスタンは自然災害の当たり年で、7月にインダス川で洪水があり、ペシャワール、ミンゴーラ、ラホールなんかが大被害をうけているとのことである。思えば5月のフンザの地すべりが予兆だったかもしれない。さあスケジュールの練り直しだ。昼飯を食うことにする。うるさい呼び込みの店ばかりで落ち着かない。我慢して入る。カレーみたいなわけのわからん料理が200ルピーもする。ラハットカフェを見習え。一見客ばかりを相手にするから取らにゃ損との根性丸出しだ。イスラマバードに行ってみよう。首都で大使館、政府施設なんかのある都市計画によって建設された未来都市だ。マイクロバスが20ルピーで結んでいる。ごみごみしたピールワダイをしばらく走ると大きな道路に出る。バスは快調に飛ばしゼロポイントで停車する。シダラという場所にホテルがあるようだ。歩くと結構な距離だ。区画が大きすぎる。シマラホテルがガイドブックに出ていたのでチェックインする。1800ルピーでエアコン、シャワー、トイレがある。程よく温度調節されて快適だ。メロディスーパーマーケットがあり焼肉、サモサ、タンドリーチキンなんか売っている。散歩する。ホテルの前はグラウンドでクリケット、サッカーをしている。よく整備されたきれいな町も、人間にとっては不便そうで、違法建築のバラックやら汚い車の整備工場が雑然と並んでいる。アルコールが飲めないからのどの渇きを癒したい。軽トラに果物を積んで路上で売っている。桃、バナナ、マンゴーそれぞれ1kgを買い物袋につめてくれる。全部で130ルピー。これならもう夕食の心配は要らない。ホテルに帰り、マンゴーにぱくつく。熱帯の国だけあって糖度が高い。4つ食うとにおいが部屋中に広まる。ドリアンみたいだ。さてパキスタンの旅行をどうしたものかと考える。フロントで聞くとする。スワート、サイドウシャリフ、ミンゴラ、ベシャームなんかどうだという。景色よし、交通便利らしい。ホテルから15分くらいのところにサンミーのバス事務所がある。行ってみる。ファザラバードまでシャットルバスがある。喧騒のピールワダイでなくてほっとする。明日はスワートに行くと決める。グラウンドではクリケットをやっている。テレビをつけてみる。クリケットゲームをやっている。チャンネルを回すとバラエティ音楽番組をしている。インドの音楽とよく似ている。チャンネルを回す。ニュースをやっている。スカーフを頭にかぶった白い顔のアナウンサーが出てきた。フンザの様子が出ている。湖ができている。地すべりが道路をふさいでいる。町の人がインタビューに答えている。交通が遮断すると中国からも国内からも物資が入ってこなくなる。早く復旧してほしいといったコメントのようだ。ホテルの外のスピーカからお祈りの声が発せられる。することがないので寝ることにする。
本日の出費2360ルピー。
満艦飾のスズキ

2010年5月30日 イスラマバードーラワルピンジースワートーフィザカット
ホテルを出てサンミーのバスセンターからファザラバードに向かう。時刻表どおり。20ルピー。スワートへのバス代は620ルピー。英語が通じるから助かる。ラホール始発のバスで車内は汚れている。コーラとビスケットのサービスがある。トイレ休憩は1回。山を越えるので少しアップダウンがある。景色の思い出がない。ただ茶色の土地が広がっているという感じだ。大きな町はない。昔ながらの街道沿いの店、民家が雑然と並んでいる。ショッピングセンターなんかどうしてないのだろう。資本不足、購買力不足がネックになっているのかも。時折すれちがう車はぼろいトラック、軽トラで、ぴかぴかの乗用車はない。サンミーのバスが一番立派だ。車内にいる限り冷房が効き、外との灼熱地獄から開放される。舗装されていない区間もある。バスの運ちゃんは技術が素晴らしい、かなりの速度を出して時間通りの運行を心がけている。パキスタンではエリートかもしれない。スワートヘは4時間後に着いた。何にもない敷地にオフィスだけがある。遮断機があり無用のものは通れない仕組みになっている。スワートは郡名で、ミンゴーラが中心地である。1本道に店、民家が並んでいる。道の舗装は悪く、穴があちこちある。チングチという3輪車が足である。フィザカットというところへ60ルピーで行く。スワート川に沿ってホテルなんかがある。途中にセキュリティチェックがあり、パスポートを見せなければならない。スワートは退避勧告、渡航延期地区となっていることは後で知った。目くらヘビにおじずというか、今から思うと少し調査が足りなかったようだ。スワート川が近くにあり、遊園地もありのどかなところだ。川では水浴びをしている。カレー、チャパティの屋台なんかもあり、そよ風が心地よい。パキスタンの良いところが自由に旅行できない現状は悲しい。ホテルは結構ある。数件回って部屋をチェックする。Hills Park Hotelで1500ルピーに決定した。マスターは大の日本ファンで変な日本語を話す。ベランダから川の流れが見え、山が遠くにある。ずいぶん田舎の感じだ。エアコンは要らない。外に散歩に出る。1本道があり、すべての施設はこの道沿いにある。食堂を探すが、飲み物や、雑貨屋があるだけでレストランというのが皆無である。ガソリンスタンドはある。整備工場もある。夕食はホテルで頼むことにした。焼き飯、鳥のから揚げ、カレーだ。650ルピー。セキュリティチェックがあり、なんだか落ち着いて散歩のできないこの街はイヤだ。明日には出ることを決めた。 後で聞いたがスワートはアフガンからのタリバンの通過地となっており、セキュリティが特にきびしい地域である。
本日の出費2850ルピー
スワート川

2010年5月31日 フィザカットーミンゴーラースワートーファザラバードーピールワダイータキシラ
ホテルの前からチングチを捕まえて、サンミーバスターミナルに行く。道中パスポートの提示は求められなかった。ペシャワール、ラワルピンディへバスが出ている。ぺシャワールはタリバンの通過地だ。どうもパキスタンにいること自体も不安になってきた。ピンディへのバスは快適に同じ経路を飛ばす。ファザラバードには定刻に到着。ここからタキシラに行くにはピールワダイに行かねばならない。呼び込みをするタクシーはぼる。彼らの壁を通り抜けて、おとなしく外で客待ちしている運ちゃんと交渉する。半額の150ルピーになる。2回もこのターミナルを利用すると、智恵がついてくる。ピールワダイに着いて運ちゃんが、どこへ行くのかと聞くのでタキシラというと該当バスまで連れて行ってくれる。バスの助手が荷物を受け取ってバスまで案内し、ここに座れという。えらい親切だなと思ったが、きっとキックバックを受け取るのだろう。タキシラまではぼろバスで1時間ほどで、GTロード沿いで下ろされた。道路の反対側にタキシラへのチングチがあるらしい。チングチは60ルピー、ぼられた。地元の人は10ルピーを払っている。列車の線路に沿って走る。ほこりが舞い、灼熱の中に店、民家が建っている。パキスタンのおなじみの風景だ。タキシラの列車駅が見えてきたと思うと、まもなく博物館の前で降ろされた。博物館の入場料は200ルピー。ガンダーラ美術品が展示されている。案内を頼んでもいないのに館員が説明してくれる。明日の朝に郊外ツアーに参加しないかと勧誘される。約束に縛られるのはいやなので、気に入ったら参加すると返事する。ホテルは博物館のまん前のPTDC(パキスタン政府観光局)モーテルだ。他に選択肢がないのだ。ユースホステルがあるが、気に入らない。モーテルはずいぶん古く、手入れも不十分である。ツアー客は泊まらずにとんぼ返りするのだろう。ホテルの外は久々の観光客が来たというので、チングチの運ちゃんの呼び込みがすごい。夕食を食べにガンダーラというレストランに行く。エアコンはないが扇風機が回っている。典型的パキスタン料理のカレー、チャパティ、焼き飯が出てくる。味は悪くない。アルコールはない。客はきちっとした身なりの人が多い。650ルピーを支払う。満腹だ。ホテルに帰ってシャワーを浴びると眠たくなる。突然停電した。勿論エアコンもストップ。ボーイがろうそくを持ってくる。慣れっこになっているようだ。薄暗い部屋ですることは何も無い。夜眠っているときにエアコンが入った。夢の中か現実かわからんが、腹の具合が悪くなったような気がする。ごろごろなっているのだ。トイレに行く。食べ物、気候、飲み物、疲労のいずれかが原因だろう。あわてて下痢止めなんか飲むより、自然治癒に任せるのが良い。
本日の出費1960ルピー
タキシラ博物館

2010年6月1日 タキシラ
いよいよ下痢が激しくなってきた。移動するには勇気がいる。バスの中で催したらお手上げだ。モーテルをチックアウトする。1550ルピー。隣のユースに行く。650ルピー前払い。エアコンなし、粗末な硬いベッドが1つ。トイレ、水シャワーがある。下痢が止まらない。ユースを出ると呼び込みがあり、結構疲れる。ジュース売り屋台の兄ちゃんがいつも見ている。監視されながらガンダーラレストランに行く。食欲はあるので530ルピーで食事を済ます。トイレを借りなくてすんだ。店の前にビルマウンドという都市遺跡があるので行く。石が積んであるだけの退屈な遺跡。ダルマラージカという遺跡が郊外にあるのでチングチー20ルピーにのる。おろされたところは何も無い地道、ストゥーパなんか何にもない。地元の人に聞くが、英語を解さないので難儀する。そのうち男の人数人が集まってきた。ここで殴られたら一巻の終わり。歩いてユースに戻る。ユースの前は大きな庭、管理人の家が敷地内にあり奥さんが洗濯、掃除をしている。すっぽりとスカーフをかぶり、長い服を着ているのでさぞ暑いだろう。女の人を見るのは珍しい。ユースを出るとジュース売りの兄ちゃんの目が光っている。いやな感じ。リヤカーの果物売りからスモモを買う。120ルピーで持ちきれない。水道で洗ってかぶりつく。甘くて元気が出る気がする。下痢がとまらない。こうなったら水分を補給してねるしかない。ミネラルウオーターを購入する。ルーフファンが物憂げに部屋の空気をかき回している。水のような便が出て、しりの穴が痛くなってきた。あまりにトイレに行くものだから、ちょうど大腸がん検査のための下剤を飲んだような状態だ。おまけに咳きが出てきた。咳きも頻繁にすると腹筋が痛くなってくる。腹の外と内がえらいことになってきた。下痢止めを求めに薬屋へと思うが、下手にとめると体内に原因物質が滞留することになるのでしばらく放置することとした。咳きと下痢の繰り返しで眠れたかどうかわからん。モスクのスピーカからお祈りの声が室内に入ってくる。コーランの一節だ。
アッラーアクバル
アッラーは偉大なり
ビスミーラーヒラフマーニラヒーム
慈悲深き慈愛厚きアッラーの名において
アシュハドアンナムハンマドラスールラーヒ
ムハンマドはアッラーの使者なり
ラーイッラーハイッララー
アッラーの他に神なし
睡眠導入の役目を果たしているのかも。回教徒が酒を飲まずにお祈りをしていると思うと、遠い外国にいるという実感がする。停電もたびたびある。断水もある。プラスチックの桶に水をためておく。トイレを使ったときに必要だ。硬いベッドで何回も寝返りを打つ。
本日の出費2945ルピー
ビルマウンド

2010年6月2日 タキシラーピンジーラホール
下痢腹を抱えてユースをチェックアウトする。スズキが10ルピーでGTロードへ行く。小学生が乗っておりなんだかほっとする。降りるとバスの運ちゃんが25ルピーでピールワダイへ行くと言う。往きの4分の一だ。これが正規の運賃だろう。1時間ほどで着いた。パキスタンを早く出たいという気持ちを抑えることができなくなってきた。幸い下痢は収まっている。インドへ帰らなくちゃ。ピールワダイからファザラバードへ200ルピーのタクシー代。ラホールへの切符を求める。860ルピー。高速道路をぶっ飛ばすからすごく快適。1回だけトイレ休憩がある。往きのときと同じドライブインだ。串焼き、飲み物、パン、何でもある。下痢が心配だからトイレに行く。不思議とバスの中では催さなかったのが助かる。水便は収まっていない。車内に戻って今度はゆっくりとできる。ラホールには定刻に着く。ここのバスターミナルはパキスタン最大だろう。ひっきりなしの客をさばくためのチケットカウンター、食堂、トイレなんかがそろっている。おまけセキュリティチェックまであり、近くに銀行がある。水分補給には熱い甘いチャイがよかろうとおもい3回お変わりした。60ルピー。ついでにチキンのから揚げを食う。120ルピー。 おっさん何杯飲むんだという顔をしている。おいしそうなスイカが並んでいる。食べたいが水で洗っており、下痢を促進するからあきらめる。トイレに行く。ラホールは旧市街と新市街に別れており、目指すクリフトンホテルは旧市街にある。タクシー運ちゃんは嫌がっていこうとしない。自分のお気に入りのホテルへ連れて行こうとしているのかとかんぐる。どうもそうではないらしい。ボンブ、ボンブと盛んに言っている。爆弾のことだ。英語のわかる若者を連れてきた。テロ騒ぎがあり、多数の死者が出て立ち入り禁止という。命には代えられない。運ちゃんに任せる。150ルピーの2分ほどでホテルに着いた。グルバルグという新市街にあるPalace Lodgeという。閑静な住宅街にあるが交通の便は良い。白い外壁の清潔感あふれるホテルだ。髭の背広を着込んだ長身の立派なマネージャが2000ルピーだという。即決だ。エアコン、バス、トイレと一応設備は整っている。トイレで下痢便を出す。旅行しているのか、トイレが目的か分からんようになって来た。咳は収まった。テレビをつける。部屋はエアコンが効いて快適だ。色白の別嬪のアナウンサーが喋っている。ウルドゥー語だ。大きな体育館のようなところで死体のようなものを並べている。モスクを襲ったテロの被害者だ。運ちゃんの言うとおりにして良かった。安堵する。バスに湯を張りゆっくりと身を沈める。至福のとき。と思うと停電だ。しばらくすると通電が再開する。ホテルの従業員は客がないのか暇そうにしている。外に飯を食うのも面倒なのでオーダーする。持ってきたのは最悪の食べ物。硬いチャパティ、しなびたたまねぎスライス、油でギトギトの焼き飯、チキンの内臓、骨だらけのカレー。下痢の体が受け付けない。750ルピーをどぶに捨てたようなものだ。殆ど手をつけずに返した。従業員にはいいプレゼントだろう。テレビでフンザの地すべりを報道している。土砂が道をふさいでおり、早急に回復するとはとても考えられない。閉じ込められた人々は難儀しているだろう。睡眠中にも停電があったようだ。突然暑くなって目を覚ます。
本日の出費3425ルピー
チングチー

2010年6月3日 ラホール
本日の予定は3箇所の見物だ。サリマール庭園、フォート、博物館だ。ホテルを出るときもう1泊するといっておく。マネージャー嬉しそうだ。外にチングチの運ちゃんがいる。このホテルを頼りにしているのだ。PTDCという観光案内所に行ってもらう。ガイドブックに示された住所から移転しており難儀した。運ちゃんにも迷惑かけたから100ルピー上乗せして、250ルピー支払う。シティツアーをアレンジしているが、結構高い。チングチを乗り継いで一人で行くことにした。案内所の彼氏がパキスタンはどうだと聞くので、英語が通じるので便利だと答えておいた。どこを訪問したのかと聞くのでスワートも行ったというと、信じられないというジェスチャーをした。明日は国境のワガーに行かねばならないが、バスが旧市街から出ており、治安に問題ある。どうしたものかと聞くと、グルベルグからダイレクトに行くのが最短だといってくれる。良い情報を得た。ついでにトイレを貸してもらう。下痢便は少し硬くなっている。相変わらず泡と轟音とともに内容物を便器にぶっ放す。便秘するよりましだ。外に出ると住宅街にあるらしく、表札には名前のほかにドクター、ジャーナリスト、ロイヤーなんかの表示がある。チングチを拾うために大通りに出る。サリマル庭園まで100ルピー。国道沿いにある。200ルピーが入場料。イスラム庭園だ。貯水池があり正方形の庭園が取り囲んでいる。パテオという台座の下を通って庭園中央へ行く。灼熱地獄を行くので休みたい。上手い具合に飲み物を売っている。あいにく冷えてない。気分悪くベンチに座る。子供がジュースを売っている。別の店の子だ。手を上げると飛んできて良く冷えたパッケージのジュースを手に入れることができた。悪い店がのさばって、良い店が冷や飯を食わされる。現実はきびしい。世界遺産の庭園という触れ込みで、確かに幾何学的な設計は見事である。木陰のベンチでガイドブックを読む。3人連れの若い男が、話しかけてくる。英語が出来るか云々、うるさいから、ノーという。何か言いたそうだったが、あきらめていってしまった。次に1人の若い男が時間を聞いてきた。なんだか絡んでくる態度だ。相手にしない。興奮させないように相手するのに疲れる。体に障ろうとするので激しく拒絶反応を示すと喧嘩を売るような態度を示す。厄介なやつだ。ガードマンがいるのでそちらのほうへ移動する。やっとのことで振り払うことができた。国道へ出てチングチでフォートへ行く。150ルピー。ごみごみしたところを通る。旧市街のど真ん中だ。鉄道駅がある。小さい道、大きな道、方向は全然わからない。ぼろ車の騒音、排ガス、灼熱地獄、埃、味噌もくそも一緒くた。フォートの入場料は200ルピー。立派な石造りのゲートだ。パキスタンの旗がへんぽんと翻っている。案内させろとうるさく付きまとわれる。振り払う。城跡を壁が取り囲んでいる。場内には子供、女性がおりなぜかほっとする。トイレに行く。気体、固体、液体が体内から轟音とともに排出される。すっきりとしてきた。回復の兆しがある。石造りの建造物、庭園が特徴だ。ここでも若い男の視線を感じる。できるだけ距離を置く。パキスタンに来てからこの傾向は続く。珍しいからなのか、金品を狙うのかサッパリわからん。外国人は極端に少ない。特に欧米人を一度も見ていない。やはりこの国は安心できないところがある。フォートを出るとバードシャーヒモスクがある。160メートル平方の広場にカーペットがしいてあり、靴を脱いでモスクに向かう。豪壮な建物だ。パキスタン最大のモスクだ。たまねぎのドームとミナレットのコントラストが印象的だ。おじいさんが近づいてきて、モスクのエコーが素晴らしいから試してみるが良いという。その通りにする。しわがれ声が響いてくる。終わったら爺、手を出してチップを請求しやがる。はめられた。100ルピーふんだくりやがった。アラーの神さんの罰が下りますように。最後は博物館70ルピーで行く。入場料は100ルピー、まずトイレへ。最大のお目当ては断食するシッダールタの像だ。硝子ケースの中に淡い光に照らされてそれはあった。太秦広隆寺の月光菩薩みたいだ。2階に行くとパキスタンのえらいさんの写真がある。いっぱいある。髭を生やして君臨している。こちらのほうが面白い。背が高く、色白で、男前だ。リーダーはかくあるべし。博物館の外に果物を売っている。ホテルのカレーはいやだ。バナナ、桃なんかを買う。140ルピー。ホテルまでチングチの運ちゃんに名刺をみせたら1発で着いた。銀行の場所を聞いて両替のために行く。完璧な英語を話し、書く、銀行マンはエリートだ。あいにく銀行ではできないようで、両替商へ行くように言われた。両替商も完璧な英語を話す。これでパキスタンでの仕事はすべて終わった。明日の国境越えのために体力を温存する。
本日の出費4230ルピー
バードシャーヒモスク

2010年6月4日 ラホールーワガー国境ーアタリーアムリトサル
ホテルを出ると昨日の運ちゃんが、今日はどこに行くと聞く。ワガーまでの値段は400ルピー。往きの3人相乗りタクシーで150ルピーだから妥当な値段だ。若い運ちゃんを呼びつけて彼が運転する。チングチは座席が狭く、キャリーバッグでは乗車できない。手荷物は小さくという教訓が生きている。市内を抜けると警官、兵隊が道の両側にいる。拳銃、マシンガンを装備している。土嚢を積んで銃口がこちらを向いている場合もある。政府要人、施設を守っているのだろう。テロリストを警戒しているのかもしれない。あまり人は歩いていない。治安は保たれているが、職務質問されたらなんと答えたらいいのだろうと考えてしまう。チングチは何も無いように快走する。見覚えのあるワガー国境が近づいてきた。完全装備の兵隊がパスポートの提示を求める。パキスタンを楽しんだか、また来てくれという程度。国境について同じ店屋の親父がパキスタンルピーをインドルピーに交換してくれる。イミグレーションはがらんとしている。8時半である。1時間後に業務を開始するという。トイレに行ったり顔を洗ったりする。出国審査は簡単。インド側へ歩いていく。左側にすべての施設がある。入国審査だ。厄介なビザ規定が頭痛の種だ。インド出国のときにノープロブレムといわれているが、エンドースメントを示す証拠書類は何もない。むしろスタンプには2ヶ月以内の再入国は禁止とはっきりと印字されている。入国カウンターは混んでいる。パキスタン人が多数いる。この審査が終わることが先決。グルベルグからデリーへバスが出ておりこの乗客だ。パトカーが先導し物々しい旅になる。順番が来た。入国カードに必要事項を記入して審査を待つ。審査官はやはり突っ込んできた。言い訳を色々考えていたが、彼の機嫌を損なわないことが第一。要はインド出国の用意がある、出国の予約がなされていることが判明すれば、再入国を拒否する理由は少ないと考えていた。するとエアーチケットはあるかと聞いてきた。ああこれで仕事の大半はすんだと思った。コピーをするから少し待てとのこと、と同時に再入国特別許可申請書を渡された。コピーを済ませた彼氏は親切にもデスクから私のほうに来てくれ、書き方一切を教授してくれる。しばらく待つ。パスポートは彼のデスクにある。スタンプは押さない。上司に最後の判断を仰いでいる。首を縦に振っている。ガチャンとスタンプが押される。次は税関検査。インドの税関は金品をゆするとか、いちゃもんをつけるとかガイドブックに書かれているが、そんなことはない。すぐ終わった。インドへ出る最後のゲートでパスポートを見せる。晴れて再入国の完了だ。往きのバスはアタリ国境まで来たが、今度はアタリの町までタクシーで行かねばならない。50ルピー。焦熱地獄の上、砂嵐がすごい。目薬がいる。アタリバス停からアムリトサルまで17ルピー。国境越えは疲れる。アムリトサルのボルガホテルに泊まることにする。ホテルのスタッフは覚えてくれて最敬礼だ。午後2時過ぎだ。3時にエアコンは入る。ミルクティを飲みに外に出る。相も変わらず車の洪水。甘い熱いチャイは疲れを癒してくれる。両替屋に行く。インドルピーへの交換だ。駅前に数件ある。日本円のレートはないが、店の親父が電話で問い合わせて、デリー空港とほぼ同じレートであった。ホテルへの道にバーアンドレストランを見つけた。酒が飲めそうだ。シャワーを浴びて夕食に行く。ナン、ビール、カレーなんでもある。英語のメニューがあり、エアコンが良く効いている。最高のレストランで食事もおいしい。下痢はほぼ治った。充分満足して476ルピーの支払。ほぼ1000円だ。
本日の出費768ルピー
アムリトサルバスターミナル

2010年6月5日 アムリトサルーダラムサーラ
パキスタンで下痢をし、カレーで腹を壊し、インドで暑さにやられ体は弱っている。避暑地で金のかからない、食事のおいしい場所を探す。ダラムサーラに行くことにする。ホテルをチェックアウトしリキシャでバスセンターへ20ルピー。アムリトサルのバスセンターはバスがひっきりなしに発着し、乗客が多い。幸いにも直通バスに乗ることができ、まずバタンコートへ向かう。市内を出ると未舗装道路を走る。若干上り勾配だ。ぎらぎらする太陽で車内は暑い。パキスタンと違って女性客も見られる。ポリス、兵士のチェックもない。気分はだんだん良くなりつつある。田舎町を通り3時間後についた。トイレに行き、小便だけですんだ。 バタンコートをすぎると山道に入る。するとバスが急停車した。パンクだ。茶店に行き修理が完了するまで待つ。水分補給したいが、下痢が心配だ。熱いチャイなら良かろう。若い女性乗客がきゃあきゃあとチャイ屋の兄さんとふざけている。やがて修理が終わり出発だ。1時間ほどして到着した。運賃は162ルピー。ダラムサーラはチベット仏教の土地であり、東洋人の顔立ちの人もいる。袈裟を着た坊さんがDVDをもってマクロードガンジへのマイクロバスへ乗り込んでくる。標高1700mにありほっとする。宿代はケチりたい。ロリングゲストハウスに行く。1泊250ルピー。日本人も泊まっている。ベッドが2つに水浴び用の大きなバケツ、トイレ、ルーフFANがある。蚊はこないだろう。風が心地よい。水の出る時刻は朝夕の2時間ずつのみ。スノーライオンというレストランに行く。チベットうどんを出す。チベット餃子もある。カレーから開放される。英語新聞が置いてある。停電時刻が記事に出ている。チベットチャイも飲む。これだけ食って190ルピー。長逗留と元気回復にうってつけだ。狭い道に内外からの観光客がいっぱい、旅行代理店、両替商、酒、タバコ店もある。
本日の出費1132ルピー
マクロードガンジの街並み

2010年6月6日 ダラムサーラ
デリーへのバス切符を買う。750ルピー。スノーライオンで朝食、餃子、バター茶で80ルピー。チベット寺院に行く。靴を脱いで中へ、金ぴかの仏像が安置されている。インド人が見物に来ている。その後トイレへ。博物館に行く。チベット人が中国に虐待されていることの展示がいっぱい。ダライラマもここに逃げて来ている。外に出る。土産物屋がいっぱい。狭い道路を車が通るので邪魔だ。のどが渇いてビールが呑みたくなってきた。マクローというレストランがビールを出す。キングコプラ、キングフィッシャーという銘柄だ。ヘビのエキスでも入っているのかなと思ったが、 普通の良く冷えたビール。五臓六腑に染み渡る。中産階級のインド人がひっきりなしにきている。フレンチフライの付け合わせと合計で150ルピー。ゲストハウスに帰って昼ね。夕方にルンタという日本食レストランへ。うどん定食、お茶で109ルピー。ほうれん草など沢山合って大満足。町をぶらつく、寝る前にスノーライオンに行きチベットうどん、チャイで45ルピー。
本日の出費1134ルピー
チベット寺院

2010年6月7日ダラムサーラ
スノーライオンで朝食後、トリウンドというところへトレッキングする。ヒマラヤが見えるらしい。町をすぎて登山センターへ。途中に茶店が結構ある。小さな村を過ぎる。子供が学校から帰ってくる。ペンションもある。2時間くらい歩いたが全然ヒマラヤは見えない。これならスノーライオン、チベット寺院、ルンタから見た雪をいただいた山の景色のほうがよっぽどきれいだ。戻ることにする。タクシーなんか増えてきて町の喧騒に逆戻り。コリアンカフェという韓国レストランに行く。プルコギ定食が素晴らしい。190ルピー。ゲストハウスで昼寝。完全に下痢は治った。散歩して再びコリアンカフェへ。ビビンパ定食100ルピー。やはり美味。マクローでキングフィッシャーをぐびり。ゲストハウスで休憩。夜スノーライオンで餃子を食う。
本日の出費471ルピー

2010年6月8日 ダラムサーラーデリー
デリーへの出発は午後6時半、ゲストハウスへの支払は3泊で750ルピー、安くて快適で下痢もすっかり治った。シバ寺院と滝めぐりに出かける。ルンタに行きランチを腹いっぱいに食う。うどんと焼肉定食で170ルピー。シバ寺院はインド人の観光地になっているらしく、途中にはホテルがたくさんある。マクロードガンジー中心地のホテルより立派だ。寺院の前にプールがあり、否水溜りがあり、大人も子供も芋の子を洗うような狭いところで遊んでいる。水着を着けているから水泳のつもりだろう。水はにごっており底が見えない。結膜炎になりそうだ。トイレがあるので用を足す。寺院を抜けると一本道が滝へと続いている。しょぼい川に沿って上っていく。河川敷にテントや洗濯物や食事風景が見られる。キャンプをしているのだろう。酷熱地獄の中のキャンプだ。木陰がない細い石ころだらけの道を歩く。行き止まりになったと思うと、そこが滝だ。みやげ物屋がチャンとある。子供が嬉しそうに水遊びをしている。にごっていないので一安心。すぐに戻る。寺院をすぎて中心街に帰ってきた。インドはこれでおしまいと思うとビールが飲みたくなってきた。マクローに行く。ここはいつもお客がいる。味も雰囲気もいいのだろう。ゲストハウスに戻りロビーですわりひたすら時間をつぶす。ここでの用事はもうない。デリーへ無事着くことのみを願う。バスは定刻に発車。6割ぐらいの乗客だ。中産階級の人だ。
本日の出費1095ルピー
バグスナス滝への峡谷

2010年6月9日 デリー
4回ぐらいトイレ休憩と食事のための停車があった。バス会社と食堂が結託しているようだ。客はあんまり食う気配はない。呼び込みは頻繁だ。トイレには必ず行っておく。朝6時半にデリーに着いた。メトロ駅がそばにありニューデリー駅へ行く。10ルピー。相変わらずの多くの人で、乗客かホームレスか見分けがつかない。2階に外国人切符売り場があり、少しは環境が良い。ナンとチャイの朝食が15ルピー。インド最大のモスクジャマーマスジドに3輪車を走らせる。150ルピー。バス、メトロは乗る気がしない。寺院に入る道の両側に店がいっぱい。飲食物以外に訳のわからんガラクタを並べている。呼び込みを避けるのにエネルギーを消耗する。ゲートに着くとほっとする。モスクは広い敷地があり噴水があり、それなりに威厳を保っている。休憩していると子供がちょっかいを出してくる。空手のマネやら、何か頂戴といったしぐさをする。学校に行けばいいのに。そのうちにこちらの腕に触ってくる。皮膚病でもうつされたらかなわん。早々に退却だ。気が休まる暇がない。眼下にラールキラーがありいい眺めなのに。ラジブチョークというところにいく。勿論タクシー100ルピー。コンノートプレイスの中心にあり、放射状に道路が通っている。デリーのもっともモダンな地区だ。車がやたらと多い。メトロ駅のある地下街は物売りがしつこく付きまとう。バンドが1000円といって、何回も売りつけに来る。さしたる用事もないので空港へ行くことにする。メトロでカシミールゲイトへ、それからISBTのバスで空港に行く。ラールキラー、タージパレスホテルなんかが車窓から見れる。高速道路、鉄道の建設が始まっているらしく、工事箇所が多い。デリーの空港に近づくにつれてホテル、商店なんかがある。モダンでなく地元の人が利用する雰囲気だ。ガイドブックなんかには載っていない。空港にやっと着く。夕方なので飛行機に乗るまで8時間ほどある。インディラガンジー空港はぼろいが、すぐ近くに新空港が建設中だ。出来上がればアジアでも有数の空港になるだろう。夕食は空港の敷地内でとったが、量が少なく値段は高い。一見客から取らにゃ損という態度がありあり。560ルピー払って腹が立つばかり。街の10倍は取っている。チャイが50ルピー、しかも3分の1くらいの分量。ガードマンや警察官が食事するところがあるはずと考え、うろうろして探し出した。カンティーンという看板がある。カレーの匂いが出ている。従業員のための食堂だ。140ルピーで定食を頼んだら食いきれない量が出てきた。脂っこいが下痢も治ったことだし、腹がいっぱいになった。チェックインは夜中の1時からでそれまではターミナルビルに入れない。外は暑い。レストランの一角に待合所みたいなところがあり、大きなスーツケースを持った乗客がひたすら時間をつぶしている。チケットを見せて仲間入りする。やっとチェックインが始まる。大きな荷物を持った乗客でいっぱい。老女がとんでもない大きな荷物を持ち、係員に助けてもらっている。誰かに空港まで運ばせたんだろう。出国カードなんかも書いてもらっている。パスポートを見せてスタンプを貰って、機内の人となる。北京へは定刻に着き、少しの待ち合わせで関空行きに乗り換える。これも定刻到着だ。下痢続きのインド、パキスタン旅行はこれで終わり。お疲れ様でした。
ジャマーマスジド