ABCツアーイン南アメリカ
中小零細国を除いてほぼ世界の国を行き倒した単独旅行者は、嫁はんと行くことになった。俺自体は南アメリカは行っており、そんなには興奮しない。ただ夫婦二人でもっとも遠い国に行くチャンスはもうない筈だ。金は回収できるが健康と時間はそうは行かない。何度説明しても地名を理解しない、地図の読めない連れとの旅行はきっと思い出深いものになるだろう。古希になんなんとする夫婦で出発だ。ネットが発達しており情報は一段と得やすくなった。エクアドルで新婚夫婦が殺害されており、パニクる彼女を伴う迫力ある旅行となった。行き先はアルゼンチン、ブラジル、チリである。南米は広い、幸い南半球にあり、寒さから逃げられるのが嬉しい。鉄道のない地域を効率よく回るには、飛行機とバスを利用することになる。飛行機はネットで切符を購入するのは当たり前だ。バスの切符もネットで購入できる。結構なことだ。旅行費用を説明しよう。カタール航空のサンパウロ往復が150,000円、サンパウロ-イグアスのタム航空が10,000円、ブエノスアイレス-カラファテのラン航空が20,000円、サンチャゴ-カラマのスカイ航空が20,000円で、航空券合計は200,000円である。それぞれの航空会社のhpから購入した。アルゼンチンのバスチケットはPlataforma10 及びOmniLineasのhpから購入した。運賃はプエルトイグアス-ブエノスアイレスが8,000円、エルチャルテン-エルカラファテが3,000円、エルカラファテ-プエルトナターレスが2,000円、プエルトナターレスープンタアレーナスが1,000円、プンタアレーナスーカストロが8,400円、カストロ-サンチャゴが8,000円、カラマ-サンペドロアタカマが600円、サンペドロアタカマ-サルタが6,000円 、サルターブエノスアイレス11,000円で、合計48,000円である。ホテルはサンパウロ2,500円、フォスドイグアス4,000円、プエルトイグアス2,000円、エルチャルテン4,000円、エルカラファテ2泊7,000円、プンタアレーナス4,000円、カストロ3,000円、カラマ4,000円、サンペドロ2泊4,000円、サルタ2泊7,000円、ブエノスアイレス2泊2,000円で、合計43,500円である。食事その他は合計60,000円。旅費、宿泊、食事などを含んだ総合計は一人当たり351,500円である。ツアーであれば800,000円はする。家にいても100,000円はする。22日間で実質は250,000円の出費となる。決して高くはない。
アルゼンチン ブラジル チリ
首都 ブエノスアイレス ブラジリア サンチャゴ
面積(対日本) 7.5倍 22.5倍 2.1倍
通貨 0.06(正規)、0.12(闇)ペソ/円 1/50レアル/円 5ペソ/円
訪問地 イグアス、ブエノスアイレス、エルチャルテン、エルカラファテ、サルタ イグアス、サンパウロ プエルトナターレス、プンタアレーナス、カストロ、プエルトモン、サンチャゴ、カラマ、サンペドロアタカマ
交通手段 バス、飛行機、メトロ バス、飛行機、メトロ バス、飛行機


南米地図


2014年1月16日 関空ードーハ
関空出発なのでゆっくり出来る。23時ごろに離陸だから、22時に着くとチェックインに誰もいない。カタールの係員が待っており搭乗券を受け取る。サンパウロ行きですよねと念を押される。オンラインチェックインしてあるので、直前でもいいと思っていたが勘違い。予定より早く出発した。幸い機内はガラガラ、4人席を独り占めだ。嫁はんは2人席に収まっている。機内食が直ぐ出る。何回も乗っているので慣れっこだ。2人連れの旅行の始まり。
本日の出費 タクシー1,620円、鉄道切符2,400円 合計4,020円

2014年1月17日 ドーハーサンパウロ
機内食が出てドーハには定刻に到着。13時間かかった。疲れはない。嫁はんには手荷物だけにしろと厳命してあるのに、訳の分からん手提げを持っている。キャリーバッグは一番小さい奴。3時間後にブエノスアイレス行きに乗る。サンパウロにストップオーバーする。カタール航空で最長の路線でサンパウロまで13,000キロ、ブエノスまで18,000キロある。機内はあいにく満席。エコノミーの16時間のフライトはつらい。30分毎に脚を伸ばせと機内誌にある。前のおっさんが席を倒すので狭い。こちらも後ろに倒す。サービスは悪くない。腹が減ったら勝手にラーメン、サンドイッチなんか食ってもよい。時々トイレがてら屈伸運動する。嫁はん邪魔くさがりだからやらない。トイレは頻繁に行く。何でトイレにそんなに行くのか訳がわからん。彼女を通路側に座らせた。トイレに行くために飛行機に乗っているのとちゃうぞ。膀胱炎を起こされたら叶わんので、すき放題にさせよう。トイレが汚い、水浸しだと文句ばかり言っている。こんな不便な機内で快適さを追求するなんでナンセンス。アラビア半島からエチオピアを通り、スーダンからケニアを抜け、ナイジェリアからギニア湾に入った。大西洋の上が実に長い。南米大陸がなかなかこない。へとへとになった頃、サントスに入ったようだ。サンパウロまでもう少し。中東から出稼ぎの家族連れのブラジル人が下りる準備をしだす。グアルーリョス空港は定刻の17:30到着。実に長い。普通はアメリカ経由だが、へそ曲がりの俺はわざと遠回りをしたことになる。ビザを見せて入国は簡単で迅速だ。現地通貨レアルを手に入れなければならない。ATMに行き引っ張り出そうとするができない。VISAが使えないことが分かった。Banco do Brasilが出来るらしい。日本でも引き出したことがないのに苦労する。暗証番号を入れて何とか引っ張り出す。250レアル出た。1レアル46円の勘定だ。日本の銀行では51円だ。時間を考えると日本で両替してもよいと思う。1時間を浪費した。タツアペ行きのバスが一番安い。サンパウロは治安が悪いと聞いていたので緊張する。グアルーリョス空港は25kmほどセントロから離れている。9レアルを払ってターンスチールを押して車内へ。すりがいないかとひやひやする。ところがどっこい。ブラジル人は親切だ。頼みもしないのに2人分席を譲ってくれた。この習慣はサンパウロにいるうちずっと続く。メトロタツアペは結構大きな駅だ。南米最大の都市サンパウロはさすがに人が多い。ホテルのあるヘプブリカ駅を目指す。ちんぷんかんぷんで、ポルトガル語だから訳がわからん。固有名詞を記憶するだけで何とかヘプブリカ駅に着いた。Booking comの地図を持っているので見ながら探す。ここでずるをしたのが間違い.嫁はんが通行人に聞きまくりだした。あっちこっちだといわれる。やっとホテルに着いたのが20時だ。30分は損している。粛々と地図の通りに行くべきだった。以後この教訓が生きる。Calster Hotelは下町にあるビジネスホテル。嫁はんは機嫌が悪い。シャワー浴びて、寝るだけだから何の文句あるねん。牛乳風呂、ダイヤモンドのバスタブ、絹のベッドがいるのかい。さっさと寝る準備して飯も食わずにベッドイン。長旅の疲れを取るのが目的。嫁はんタオルがくさい、バスルームが狭いとうるさくてかなわん。自分でフロントに行けばいいのに俺に何でもさせようとする。フロントの男は一言も話さない。聾唖者かなと勘違いした。。そうではない。ポルトガル語しか分からないから、パソコンに言いたいことを打ってくれという。上手いことを考えたものだ。英語でこちらが打つと、彼がすかさずポルトガル語に直す。なるほど。語学の出来ん奴はこれで充分勤まる。ダウンタウンにあるため結構外がうるさい。車、人の音が漏れてくる。しかし疲れが勝り熟睡した。嫁はんは睡眠薬でグーグーいびきかいてやがる。うるさくてカタール航空で貰った耳栓をした。
パウリスタ大通り
本日の出費15レアル

2014年1月18日 サンパウローフォスドイグアス
朝食は立派だ。パン、飲み物、ハム、チーズ、果物、野菜どれもうまい。これで宿泊代100レアルとは驚きだ。昨晩は食っていないので昼飯の分も食っておこう。ジュースなんて涙が出るほど新鮮だ。日本だったらこれだけでも5,000円はする。大満足してホテルに荷物を置き市内見物に行く。メトロヘプブリカ駅からパウリスタ大通りへ向かう。トリアノンマスプ駅で降りる。大阪の御堂筋を想像すればよい。銀行、航空会社、商社、コンピュータ会社なんかが目白押し。土曜日なので閑散としている。リベルタージュ駅まで歩いていく。いわゆる日本人街だ。漢字の看板が出てきて何となく東洋風である。チャイナタウンにいるようだ。やがて真っ赤な鳥居が出てきた。いよいよ日本人街だ。本屋には日本の雑誌、週刊誌、漫画なんかがある。食材は納豆、米、豆腐なんか売っている。信号が面白い。鳥居のマークが青だ。日本でも信号に金閣寺のマークを入れたら面白い。広場でテントを広げて屋台の準備をしている。セーという駅に向かう。セー大聖堂が見える。カテドラルメトロポリターナだ。40年の歳月をかけて建設したらしい。世界で7番目に大きいカテドラルだ。ノートルダム寺院に似ている。サンパウロは大阪みたいな町であまり見所はない。最後にラテンアメリカ記念碑に向かう。オスカーニーマイヤーという建築家が立てたそうだ。大きな手を広げたオブジェがある。入場料は要らない。図書館、公文書館の雰囲気だ。中国人のツアー客がガイドに連れられて見学している。こんなところしか見所がないのがサンパウロ。イグアスに向かわなければならないのでホテルに戻る。メトロが発達しているので歩きやすい。チェックアウトする。100レアルはカードで支払う。この時暗証番号を入れるよう求められた。勿論知られないようになっている。これが翌日の嫁はんとの激論となる。荷物を持ってメトロに乗りサンジュダス駅に向かう。コンゴニャス空港に一番便利な駅だ。パウリスタ大通りに来る市内バスがあるらしいが、渋滞にあったら目も当てられん。とにかくメトロを使うことだ。タクシー乗り場は直ぐ近くにある。運ちゃんが待ち構えており、直ぐ乗車。キャリーバッグなんかトランクに入れてくれてサービスがよい。サンパウロはコワいところと聞かされていたが、人は優しい治安もよさそう。空港は市内に在るが20分ほど走ってやっと見えてきた。メーターで21レアル。運ちゃんすごく親切で、タム航空の出発ビルに横付けしてくれた。タム航空はいい飛行機だという。コンコースに入るとすごい人。国内線専用空港であるが、何しろ日本の22倍もあるブラジル故、航空機は欠かせない。格安のゴル航空もごった返している。チケットを持っているから直ぐチェックインできた。13時40分発まで1時間半ほどある。朝から精力的に動いたのでラウンジでゆっくりする。20分ほど遅れて離陸した。イグアスの滝を見なければならず、いらいらする。空港到着は遅れないで15時過ぎだ。空港は滝と市内の真ん中にありアクセスはよい。上手い具合にバスが来た。7レアルで入場門へ。荷物を預けて切符を買う。2人で108レアル。結構な値段だ。18時に閉門するので2時間見学に当てる。。ブラジル側のイグアス滝は見所が少なく、余裕だ。超豪華ホテルカタラタス辺りで皆降りる。後はガイドブックに書いてある通り。滝全体を見ることはできるが遠くにあリ、迫力に欠ける。悪魔ののど笛といって水が滝つぼに落ちるところがハイライト。鉄の通路は水しぶきでずぶぬれ。合羽を用意して完全武装で出陣。嫁はんなぜか舞い上がってしまって、端っこまで一目散。こちら濡れるのが嫌だから躊躇すると、すかさず早く来いと矢の催促。昨日の文句女が急変している。確かに水が轟音とともに落下するのは迫力あるが、舞い上がるほどではない。こちとら粛々と見物だ。虹がかかった、嫁はん又興奮しだした。訳がわからん。喜んでいるようなのでこれでよし。エレベーターに乗って最後の仕上げ。随分待って遠目にのど笛を見物。ブラジルに来たのはこの滝を見るためだ。とにかく見た。本日の仕事は終わり。荷物を引き取りに戻る。タグを見ると17時までと書いてある。あわてたが18時閉門だから気にしない。我々が最後らしく荷物を渡すと直ぐ店を閉めた。帰りのバスはフォスドイグアスまで8レアルである。1時間くらいでターミナルに着いた。ホテルはアクセスがよいところにとってあり、5分ほどでチェックインできた。Pousada Sonho Meu Fozというホテル。ベルを鳴らすと鍵が開く。いかにもブラジル人というおばさんから鍵を受け取る。このホテルは全額前払いである。Booking com紹介では珍しい。しかし泊まってみてなるほどと思った。今日も精力的に動いた。とにかく忙しい。晩飯にありついていないので外に出る。勿論外は真っ暗。嫁はんの悪い癖が出た。ホテルの前に怪しい小屋がある。ツーリストを狙っている。見知らぬ土地を2人で歩くなんて無謀と抜かす。こちらは腹が減って死にそうだ。フロントにも問題ないと確かめてあるので、飯屋を探して歩き出す。チェーン店だろうか、煌々と明かりのついたファミレスみたいなのがあった。家族連れでいっぱいだ。嫁はん安心したみたい。料理は勝手に取るらしいが、いまいち食欲がわかない。ファミレスはえさを出すだけだ。シュラスコと言って肉をくしに刺した料理を持ってくる。勿論別勘定。ハム、チキン、ビーフ、内臓なんでもある。肉は硬い。味付けは塩のみ。日本の感覚から行けば、野蛮な料理。食べ放題の料理がいまいち、シュラスコは肉が硬い、あまりよい印象をもたず勘定はカード払いで60レアル。結構な値段だ。明日もかなり忙しい。
ブラジルイグアスの滝
リベルタージュ日本人街

本日の出費336レアル

2014年1月19日 イタイプダムーフォスドイグアスープエルトイグアス
ブラジルのホテルの朝食は素晴らしい。ドリンク、パン、ハム、シリアル、果物、野菜、何でも食い放題だ。前夜の晩飯にはガッカリしたので挽回だ。プールのある庭を見ながら食欲は旺盛だ。犬が時々顔を見せる、南米では犬は人間とは上手くやっているようで、全然ほえないし、いじめも無いようだ。客層も中流と言ったところで安心して食事が進む。金の力は恐ろしい。このホテルは前払い、現金支払と頑固なポリシーであるが、立地のよさといい、サービスの良さといい値打ちがある。Pousada Sonho Meu Hotelから近郊バスターミナルは歩いて5分。バスターミナルに入るのに入場料がいる。これがバスチケットとなっている。滝でもダムでも料金は同じある。裏口から知らずに入ろうとすると注意された。イタイプダム行き料金は10レアル。あまりいいバスとはいえないが、乗客から又席を譲られた。こちらは何も求めていない。30分ほどでダム事務所に着く。多くのツーリストが来ており、ビデオ、展示なんかがある。ガイドブックにはただとあるが、オットどっこい有料だ。シニア割引で2人で24レアル。ビデオを見る。実によく出来ていて気分が盛り上がる。ブラジルに発電所があるが、パラグアイと共同経営らしい。パラグアイは電力が有り余っているのでブラジルに売っている。バスに乗ってダムに向かう。お金が潤沢なのだろう。敷地内はきれいに整備されており、植樹も新しい。今尚建設が続いており、トラックがひっきりなしに通る。ダム湖、ダムに行く。どちらも大きすぎて黒部なんか赤ん坊だ。皆写真ぱちぱち。コンクリートの巨大な塊と、膨大な貯水湖があるだけ。ダムの上をバスが行く。4kmぐらいあり、ド迫力だ。きれいに舗装された路を通って事務所に帰る。お土産なんか売っており、まるで観光地だ。帰りはおんぼろバスで近郊ターミナルへ。アルゼンチンのプエルトイグアスに行かねばならず、忙しい。ホテルに戻り荷物を持ってアルゼンチン行きのバスを探す。ターミナルの外に乗り場があってややこしい。幸い白い車体のアルゼンチンのバスが来た。8レアル払って乗車。フォスドイグアスは滝だけの町で他に見るところはない。バスは町の中をくねくねと曲がって、国境を目指す。運ちゃんブラジルのスタンプがいるのかと聞く。日帰りならスタンプがいらないが、アルゼンチンに抜けるので出国スタンプがいる。これがめんどくさい。何にも無いところでおろされて、スタンプを貰うのだ。荷物を持たねばならない。30分ほどかかる。次のバスを待つのだ。誰もいないところでひたすら待つ。同じバス会社ならお金は要らないが、そうでない場合バス代を払う。不幸にも違うバス会社が来た。暑いところで待つのが嫌だ。8レアル払って乗車。荷物を持ってだ。ああしんど。橋を渡る。国境だ。カーキ色から青色に橋が変わる。アルゼンチンに入ったのだ。アルゼンチンのスタンプを貰わねばならない。バスは待ってくれない。荷物を持って下車だ。大変だ。スタンプは簡単にくれるが、荷物を持っているからしんどい。荷物を持って次のバスを待つ。幸い同じ会社のバスが来た。やっとこさプエルトイグアスに着いた。2時間ほどかかっている。アルゼンチンからイグアス滝を見るという大仕事がある。昼飯なんか食ってられん。Rio Uruguayという会社が独占的に滝路線を持っている。荷物を預けなければならん。ターミナルにそれはあった。アルゼンチンペソがいる。両替は荷物預かりのおばはんがやっている。ブラジルレアルが残っている。1レアル5ペソ、妥当な値段だ。1ドル9ペソと言う。ブエノスに行けば10ペソは軽く越える。ペソが無ければ何も出来ない。100ドルほど両替する。偽札かもしれないので、ためしに使ってみる。特に問題はなさそうだ。店を構えているのだからいんちきは不可能だろう。アルゼンチンはキャッシュ社会。カードを使うと公定レート換算になり物価は2倍に跳ね上がる。店側もカード手数料10%差し引かれる。アルゼンチンに入るときにブラジル人が言ったことを思い出す。沢山ペソのキャッシュを持っていきなさい。ペソを手にしパス会社で切符を買う。時刻表があり10分以内に来ることになっている。15分待つ。バスは来ない。いらいらしていつ来るんだとチケット売り場に聞く。もう直ぐだと言う。30分待った。むかむかして切符を払い戻してもらった。アルゼンチンのバスは遅れる、時間を守らんと言うことにまだ気がついていなかった。時刻は14時をすぎている。滝を見物した後、ブエノス行き19時のバスに乗らねばならないので急ぐ。タクシーだ。150ペソと表示されている。素晴らしいスピードでぶっ飛ばし20分で着いた。2人340ペソの大金を払って入場。汽車に乗り滝入り口に向かう。もの凄い暑さ。カラカラになりそうだ。道しるべがしっかりしており、いきなり滝が現れる。通路の下を水が落下してもの凄い迫力だ。ブラジル側では全体を見れたが、悪魔ののど笛以外は遠いって感じだった。ところがアルゼンチン側では直近で見れる。落下する水の音がすごい。全体は見れないが、これぞ世界一の滝だって感じがする。ツーリストがひっきりなしに来る。イグアスの滝は両国にとって貴重な財産。地球の裏から来る値打ちがある。虹が出て更に景色がよくなった。しかしこのくそ暑さはどうしょうもない。日傘を差して見物だ。嫁はん絶好調で感激しっぱなしだ。人が喜ぶのを見るのはいいもんだ。げっぷが出るほど滝を見ていよいよご帰還。炎天下で汽車を待つ。40分ほどこない。あきらめてみんな歩き出す。ハナグマなんかいて楽しい。結構凶暴らしく、つめが鋭い。決してえさをやらないでと警告している。親子でのんびり歩いている。イグアスの滝を満喫してプエルトイグアスに帰ることにする。Rio Uruguayのバスが発車するところ。70ペソ。乗客は結構いる。ホテルで客を降ろしていくので40分ぐらいかかった。Crucero del Norteのチケットを買ってあり、19時発である。このバス会社とは因縁がある。否トラブルである。日本でネットで2人分買ったところ、1人分しか切符が出てこなかったのである。872AR$、公定レートで15,000円丸損である。飛行機のチケットなんか何回も買っており、何のトラブルもない俺としては青天の霹靂だ。現地で買えば半額近くで買えるが、希望の日程で買えないことを考えて事前に手配したのだ。料金只取りをCrucero del Norteに認めさせなければならぬ。ここから日本とアルゼンチンのメールの応酬となった。先方は返金するのが嫌だから、何の記録も残ってないと言って応じない。こちらの銀行口座の取引番号と出金額を相手に示すことになる。口座は日本語だから英語に翻訳せねばならぬ。しかも日付は元号だから西暦に直さねばならぬ。結構面倒だ。どうしても取り返さねばならぬと言う執念が先方を納得させることが出来た。アルゼンチンは日本の裏側にあり、最も遠い。しかも12時間の時差がある。何かと面倒くさい。先方やっと折れて無事返金してきた。当該金で再度日本でネットで買ったのである。2人分のチケットを持ってオフィスに行く。思いがけないことが起こった。嫁はんの席がないという。とんでもない。チケットを見せる。先方はチケットにVOUCHER NUMBERがないから他の人に売ったという。1度ならず2度のトラブルだ。こちらに落ち度はない。でたらめチケットを売ったのは先方である。システムエラーなのか故意にしたのか分からん。更に先方は言う。これはチケットでない、VOUCHER である。ちゃんと1時間前までにチケットに交換せねばならぬと書いてある。読んだのかと言いやがる。とんだ言いがかりだ。金を返せというとネット購入だからできないと言う。他の乗客が集まってきて面白がっている。本社と連絡を取っているようであるが、埒が明かない。明日の便なら乗ってもらえると言う案を出してきた。到着時刻を聞くと接続の飛行機に間に合わない。これ以上の論争は無駄であり、いずれ仇をとることにして、オフィスを出た。他社のバスを探すのだ。いっぺんに疲れが出た。Expreso Singerというバスがぎりぎりで飛行機に間に合いそうだ。2人分1,520AR$ Semi Camaだ。ネットで買うのと比べて半額だ。闇両替とランクが低いバスのためだ。本日のバスはない。ホテルを取らねばならぬ。案内所で300AR$のホテルを紹介してもらう。タクシー30AR$なり。只もう寝るだけ。情けないやら疲れるやら。散々である。必ず仇をとってやると改めて誓った。ホテルはぼろいがネットは使える。ブエノスの予約ホテルにキャンセルを入れておく。幸い民宿なのでチャージは取られない。ブエノスに必ず行くので再度お世話になるかもしれないので、丁寧にお断りの連絡をする。日本語のフォントがないので、英語を使わざるを得ない。このお断りのメールが後で効果を発揮することになる。Crucero del Norteの大ばか者。
イタイプダム
アルゼンチン側イグアスの滝

本日の出費50レアル 2,500AR$

2014年1月20日 プエルトイグアスーブエノスアイレス
安いホテルだから、客も貧乏人ばかりだ。固いパン、インスタントジュース、コーヒだけ。以後アルゼンチンの食事に悩まされることになる。果物、野菜がないかとボーイに聞くと怒りまくっていた。安い客が何を抜かすかと言う雰囲気。ホテルは昔は立派なようでプールなんかがあり、庭も広い。メンテナンスが全くなされておらず幽霊屋敷だ。安いがゆえに客はある。タクシー代がもったいないので歩いてバスターミナルに行く。外は抜けるような青空。遅れた日程を取り返さねばならぬ。バスは14時発である。昼飯まで1時間ほどある。土産物屋なんかうろつく。昨日の荷物預かりのおばはんのところで両替する。結局700ドル使ったことになる。1,400ペソ儲けそこなった。Crucero del Norteの奴覚えておけ。12時になりランチを食べる。700グラムのステーキを食べる。1人350グラムだ。七輪の上に乗せてきた。冷えないようにとの配慮だ。サラダはついてないので別途注文する。パン、バターは腐るほどある。ソースが気に入った。日本のようなジューシーなことは無くパサパサの肉で、ソースが無くてはのどを通らない。オリーブ油とピクルスがベース、それとタルタルソースもどきのソースだ。これが結構いける。脂肪が無いためうまみがない。やたらと大きい塊を鋭いぎざぎざのナイフでぶった切る。肉は硬い。歯が悪い人はお手上げだ。あごが疲れてくる。サラダがお粗末で値段は安くない。700グラムは恐怖だ。1人分でよかった。勘定は250ペソ。日本の肉から見れば安いが、みるのもいやだ。コーヒ、水が飲みたくなる。バスターミナルで胃袋を休める。14時に遅れたら取り返しがつかない。なかなかバスが来ない。オフィスに行くと大丈夫来る、待ってろの一点張り。こちらは気になるから何回もに行く。しまいには喧嘩になりそうだった。きっちりとバスが来て直ぐに発車した。やれやれ。後は時間通りに着いてくれることを祈るだけ。この時点でもアルゼンチンのバスはスケジュールを守らないことに気づいていなかった。結構な速度でぶっ飛ばす。ポリスによるチェックがあり、入国スタンプの確認だ。アテンダントのおっさんは働き者だ。サービスがよい。パン、ジュースなんか配ってくれる。おいしいことはないが、晩飯を食わなくてすむ。ビデオなんかやっており、言葉が分からなくても単純な筋だ。
イグアスの滝アルゼンチン

本日の出費280 ペソ

2014年1月21日 ブエノスアイレスーエルカラファテーエルチャルテン
ひたすらバスが定刻どおり到着することを願っている。セミカマの座席は狭い、一応リクライニングはする。飛行機よりはましだ。ブエノスに近づいていることは分かるが、どこを走っているか分からん。雨が降っている。到着時刻は8時となっており後1時間で到着である。飛行機は12時半発、ポルトフェーリオという市内の飛行場から出発で余裕だ。8時になった。一向に到着する気配がない。サンイシドロという標識が見える。ブエノス近郊の町である。9時になってもバスは走り続けている。1時間遅れ。10時になった。なおも走り続けている。冷や汗が出る。鉄道が見え飛行場が見える。いよいよ到着だ。ところが渋滞で進みが遅い。10時半になっても到着できない。スラム街が見えてきてやっと到着。2時間半の遅れ。とにかく飛行場に行かねばならぬ。タクシーに乗り込む。11時になっている。市内は雨が降り、車はのろのろ走っている。飛行場は意外と距離がある。11時15分にやっと着いた。63ペソ。ターミナルへダッシュ。荷物があるから汗が出る。LAN CHILEのカウンターは遠い。やっと着いた。11時20分。ところが長蛇の列。あせる。出発まで1時間しかない。割り込まざるを得ない。ところがクレームがついた。我々は1時間半も待っているんだぞ。マナーを守れ。恥ずかしい。地上係員にチケットを見せてこっそりとカウンターへ導いてもらう。叱られるかとひやひや。アルゼンチンの皆さんごめんなさい。何とかボーディングパスを貰う。搭乗ゲートへ急ぐ。40分前である。ところが案内表示板にカラファテ往きLAN CHILEが表示されない。いらいらして待つ。他の乗客も辛抱している。12時半をすぎた。やっとゲート案内が出た。結局40分遅れで離陸した。。機内アナウンスが言う。地上設備のトラブルで遅れました。LAN CHILEの責任ではない、アルゼンチンに問題があるとのニュアンスだ。バスも飛行機も遅れるアルゼンチンもう訳がわからん。離陸してほっとした。パタゴニアに行くことができるという安堵感でどっと疲れが出た。機内は満席。しかもシートの間が狭い。トイレなんか行くのが難儀する。機内食を期待していたが、当てが外れた。クラッカーとジュースだけ。夏のシーズンゆえ、何もしなくても客が来るので強気だ。3時間半のフライトは楽しくなかった。只景色は素晴らしい。緑の平野から湖が点在する、遠くに山が見えるなんともいえない絶景が眼下に広がっている。感動する。やっと念願のパタゴニアに来た。今までのトラブルは忘れよう。車輪が出て地上に降りたときは思わず拍手したくなった。LAS LENGAS社のシャットルがエルチャルテンに行くことになっている。チケットを買うと560ペソだと言う。メールではRaul Saltoriさんは500ペソだと言っていたぞというと、あっさり500ペソに書き換えてくれた。どうなっているのこのええ加減さ。客が集まらないらしくしばらく動く様子がない。人相の悪い坊主頭がふんぞり返ってたった一つのいすに座っている。こんなのと一緒だったらいややなと思っていると、坊主頭いきなり立ち上がって、チケット売りの兄ちゃんから札を引ったくり、ものすごい勢いで勘定し始めた。納得したらしく出発やとあごをしゃくる。実はこの坊主頭がRaul Saltoriらしい。8人ほどの乗客を詰め込んで出発だ。坊主頭がドライバー。国道40号線を北に向かってぶっ飛ばす。120kmは出ている。道路はすこぶるよい。全く人家がない。動物がちらほら。意図的に人が住むのを排除しているかもしれない。隣のニッカポッカのおじさん、坊主頭と友達らしくやたらと話が弾んでいる。おじさん英語が出来るので少し話してみる。湖が実にきれいだ、緑色であるが、何故だと聞くと、彼氏氷河が土を削るのでミネラル分が溶け出して緑色になるのだと言う。素晴らしい説明だ。スキーはアルゼンチンではできるのかと言うと、パタゴニアのほか、パリローチェ、メンドーサにいいスロープがあるという。アルゼンチンにいいテニスプレーヤがいると言うと、それはデルポドだという。素晴らしい受け答えだ。フィッツロイを見るためにトレッキングするのだと言うと、往復8時間ほどかかる、ポインセノットまでは比較的なだらかだが、ロストレス湖までの道は険しい。なるほどガイドブックそっくりの説明だ。次々に客を降ろして我々が最後になった。Patagonia Travellers' Hostel が今夜の宿。坊主頭がいい宿だと言う。代理店を通さず村の観光案内所のhpから申し込んだ宿だ。450ペソであるがドルでしか送金できない。勿論公定レートになり70ドルになる。闇が使えれば50ドルで済むのに。カード払いが出来ないのでPayPalを使うのが速い。代理店を通すといい宿は見つからない。口コミで勝手に客が来る。予想にたがわず素晴らしい宿だ。バス、トイレつきの部屋は最高クラス。ドミトリとは完全に隔離されている。パタゴニアの夏は日が沈まない。22時をすぎても明るい。朝から大移動ゆえさっさとベッドイン。
エルチャルテンへの道

本日の出費650ペソ

2014年1月22日 エルチャルテンーポインセノットーエルチャルテンーエルカラファテ
パタゴニアのハイライト、フィッツロイを眺めてのトレッキング開始。朝食はブラジルのように豪華でない。野菜、果物がない。アボカドを少しサービスしてくれた。昨晩の飯、本日の昼飯の分も食っておこう。ティーバッグも余計に頂く。ハム、チーズ、パン、コーヒ、オムレツがある。時間がない。とにかくトレッキングだ。一番心配なのは天気だ。幸いよく晴れている。バスでのトラブルはあったが、イグアスと同じくらい暑さだ。嫁はん杖をホテルから借りた。登山口に案内があり分かりやすい。Rio de las Vueltas 迄1km、Poincenot 迄8km、Lagna de los Tres迄10kmだ。行けるところまで行こう。ハイカーが結構いる。眼下にエルチャルテンの町、サンマルチン道路が貫いている。遠くに雪、氷河を頂いたパタゴニアの山々晴れた空。言うことなし。Rio de las Vueltasにほどなく到着。Miradorと書いてある。展望台だ。ブエルタス川展望台と訳しておこう。素晴らしい景色だ。川がくねくね、太陽がキラキラ。トレッキングは天候に左右される。汗ばむほどだ。ハイカーとすれ違う。Holaというんだそうな、こんにちわの意味。大文字山の雰囲気。Holaを連発しながら進む。道は険しくない。よく整備されており枝なんか払ってある。尾瀬のような湿原に出た。橋を渡る。一人づつ渡るようにと書いてある。キャンプ場に到着。Poincenotだ。途中フィッツロイははっきり見えなかった。時々顔を出す程度。12時になっている。3時間かかった。帰りは18時30分のバスに乗らねばならない。Lagna de los Tres往復で2時間取られる。17時にエルチャルテンに着くことになる。腹が減るだろうしパッキングもしなければならぬ。ここら辺で引返すのがよい。トイレを探す。お粗末な小屋があり穴が掘ってあるだけ。お釣りがきたらパンツが汚れる。樹の陰で大をした。嫁はんそうは行かないらしく、ぶつぶつ言いながら用を足していた。帰りはHolaの連続。カプリ湖に着いた。ここからのフィッツロイの展望が最高らしいがあいにく雲に隠れている。この山は気まぐれでなかなか姿を見せないらしい。カプリ湖は満々と水をたたえ真に美しい。エルチャルテン到着は15時。シャワーを浴びて荷物を取りロビーでくつろぐ。ひっきりなしに客があり本日は満室と張り紙が出ている。イタリアンレストランがあるが17時営業開始ゆえ、飯が食えない。仕方なしにスーパーでサンドイッチを買う。Crucero del Norteでバスのトラブルは懲りているので、Cal Turのオフィスに行きチケットを見せて確認を怠らない。ターミナルに行く前に18時にオフィスからバスが出るのでそれに乗るようにとのこと。このチケットはOmniLineasというアルゼンチンの代理店から買っておいた。200ペソだから公定レートで3,000円程度。現地で買えば2,000円。乗れないリスクを考えるとお金を惜しむことは出来ない。カード払いでチケットはオンライン発行、プリントアウトすればよい。実は明後日のプエルトナターレスのCootra社の切符を予約してあり、明日の14時までにオフィスに行かねばキャンセルになる。22時まで営業している。21時30分にエルカラファテに着く予定である。ぎりぎりだが間に合う。Cal Turのバスはスケジュールどおり出発。ターミナルに到着。結構な客がいる。満席だ。事前手配しなかったらと思うとぞっとする。金は使うときに使うもの。時間は取り戻せない。日帰りの客も多いようで、皆疲れて眠っている。フィッツロイが見え隠れする。定刻どおりエルカラファテに到着。Cootra社の閉店まで30分。パスポート情報は事前に伝えてあるので発券はスムース。400ペソ。明日のペリトモレノ氷河の切符も買おう。400ペソ。Cal Turの他に数社がバスを出しているが、プエルトナターレスまでのチケットを買ったので朝早い出発がよい。ホテルで頼むとぼったくりだ。ビッグアイス、ミニトレッキングで300ドルは取る。見るものは同じ。氷河の上に上がってウイスキーを飲むだけ。2種類のチケットを入手した。後はホテルに行くだけ。 South B&B El Calafateである。中心街とは反対に立地している緑の屋根の丘の上に立っている。アルヘンティーノ湖が見えるのが売り物らしい。22時をすぎているが外は明るい。ヒーターがあるが電気代を節約しているようであまり暖かくならない。エルチャルテンからカラファテまで沢山仕事をした。連泊なのでゆっくり出来る。とにかく明日は8時半のバスに乗らねばならずバタンキューだ。
展望台からベルタス川を見る
トレッキングからみるパタゴニアの山

本日の出費840ペソ

2014年1月23日 エルカラファテーペリトモレノ氷河ーエルカラファテ
アルゼンチンで食事を期待するのはやめよう。コーヒ、バター、パンで朝食を済ませる。パタゴニアハイライトのもう一つ氷河見物だ。ターミナルへは歩いていける。朝早くからツーリストでごった返している。前日切符手配が正解だ。Cal Turバスが8時半出発。パタゴニアに来るツーリストはこの氷河が目的。1時間半ほど走り2人入場料260ペソ。兄ちゃんがきっちり徴収する。イグアス、ペリトモレノ氷河の入場料結構高いがやむを得ぬ。闇両替で11ペソだったらもっと安くなるのに。只カードで払うよりまし。湖に到着。船から見ようということ。ほぼ全員乗船する。22ドルか220ペソ。闇両替のレートだ。これでは闇が公認されているのと同じ。湖の透明度は低い。只氷河が土を削っているのでミネラルが含まれている。ツーリストは甲板に上がって盛んに写真を撮っている。写真屋がきっちりと商売している。ペリトモレノ氷河が近くに見える。只それだけ。幸い天気がよく寒くはない。1時間ほどクルーズする。飽きてくる。下船してバスに乗り展望台に向かう。イグアスと同じで歩道がきっちり整備されており、眼下に氷河を見る。偉大なる氷の塊は迫力ある。幸いものすごい音とともに氷が海中に落ちるさまを見ることができて、はるばる来てよかったとしみじみ思う。真っ白な氷、青い空のコントラストは見事だ。世界中からツーリストが訪れる。アルゼンチン最大の見所だ。カナダの氷河は鼠色の薄汚い氷だったが、こちらは違う。嫁はん大喜びで感激している。ベンチなんか置いてあり皆ピクニック気分。どっかーんと言う轟音がとどろきわたる。水柱が立つ。氷が流れていく。こんなのにぶち当たったら船なんか木っ端微塵。レストハウスはツーリストで満員。ただしスナック類ばかりで食欲はわかない。チップス、アイスクリームなんか食っている。豚人間を製造しているだけ。帰りのバスが待ち遠しい。13時発だが皆退屈しきっている。バスは5分ほど遅れてやってくる。運ちゃん休憩していたんだろう。14時半にカラファテに着いた。バス代、入場料、船代を合算すると。一人440ペソ、カードだったら8,000円、闇で5,000円ほどだ。パタゴニアは用事は終わった。ランチを食おう。ホテルと反対方向がにぎやかなところ、ツーリストがいっぱいいる。ペソがなくなりかけており両替したい。チャルテントラベルが10ペソで両替してくれる。他の店をあたったがレートが低い。ここでチェンジすればよかったのに、カンビオというところが開店するのを待ったのが間違いだった。ここでは6ペソ。あわててチャルテントラベルに行くとなんと9ペソになっている。9.3ペソの 店があったのを思い出す。300ドル両替。210ペソ儲け損ねた。ステーキ屋がたくさんある。大きな店に入る。Bife de Lomoという最高肉を頼む。フィレ肉だ。パン、ソース、ビールとともに楽しむ。アルゼンチン旅行中一番おいしかった。ただし量が少ない。やはり良質の肉は値段が高いのだ。ラムも食ってみる。臭みが無くこれも当たり。勘定は450ペソ。満足してホテルに帰る。明日はチリのパタゴニア、プエルトナターレスからプンタアレーナスに向かわねばならぬ。今日も朝からよく遊んだ。パタゴニアのトレッキング、氷河見物はよい天気に恵まれた。カラファテ空港からエルチャルテンに行くときのLas Lengasのドライバーが言っていた。10日間ほどもの凄い嵐でインターネットが使えなかったんだと。パタゴニアの自然はひとたび荒れると手がつけられない。一発勝負で我々は来たが本当にラッキーだった。
船から見たペリトモレノ氷河
展望台から見たペリトモレノ氷河

本日の出費800ペソ 22ドル


2014年1月24日 エルカラファテープエルトナターレスープンタアレーナス
Cootra社のバスは8時半出発。朝飯を済まし荷物をパックする。チェックアウトのときにドルを請求しやがる。値段表で一泊510ペソではないかと文句言うとあっさり引っ込めやがった。1,020ペソ。これでよし。ターミナルまで歩いていけるのが嬉しい。豪華なホテルもいいけどアクセスのほうが重要。定刻どおりバスは出発。結構な客がある。満席に近い。5時間ほどかかる。14時ごろに着くだろう。パタゴニアの大地は広い、地平線が限りなく広がっている。全く人家がない。日本、ヨーロッパでは見れない風景だ。パイネ国立公園はパタゴニアの名所であるが、全てを回るのは不可能だ。アルゼンチンを抜けてチリに入る。荷物を持って出なければならず面倒くさい。入国手続きは簡単である。チリは生ものについてうるさく、果物、食べ物はご法度である。1時間ほど手続きで取られる。いよいよアルゼンチンとお別れ。キャッシュ王国、でたらめバススケジュール、闇両替真っ盛りの国から出れると思うと、ほっとする。カード、ATM現金引き出しが妥当な金額で出来るのがうれしい。チリに入っても景色は変わらない。雪を頂いたパイネの山々が見えてきた。荒涼たる世界。バスは遅れて14時半にプエルトナターレスに着いた。立派なターミナルだ。15時のバスには乗れず17時まで待つ。ところがチリペソがない。まず切符の手配。カードで10,000チリペソ。この路線はFernandez,Bus Sur,Pachecoなどのバスがあり、簡単に切符が買えると思っていた。念のためにあらかじめ手に入れておいたのが正解。もしこの日のうちにプンタアレーナスに着かなければ予定が狂ってしまう。プエルトナターレス出発時には満席であった。チリペソを手に入れたい。腹が減っているからだ。ターミナルにATMはない。セントロまで行かねばならない。仕方がないからバス会社に荷物を預けて歩き出す。海が近い。小さな町でレストラン、スーパーなどを見ているうちに銀行は直ぐ見つかった。50,000チリペソ引き出す。お金を手に入れたら気が楽。食料を手に入れてターミナルへ。いつの間にかハイカーでいっぱい。鍋、釜、テント、リュックを持ったハイカーがわんさか。パイネの登山客だ。フィッツロイと違ってパイネは高額な入山料をとられる。満員の客を乗せたバスは一路プンタアレーナスへ。今度はチリのバスだ。アルゼンチンとは違うぞ。きっとスケジュールを守るはず。3時間の行程だ。外は結構冷えるらしく、皆厚着している。南緯55度の世界。風が強そうだ。エルカラファテのおっさんが言っていた。太平洋の風がパイネにぶつかってチリに雨を降らす、乾いた空気がアルゼンチンに来るので雨量は少ないと。なるほどチリに入って緑が増えたようだ。ほぼ定刻どおりチリバスはプンタアレーナスに着いた。バスターミナルはない。各社のオフィスに着くのだ。Bus Sur社は街のど真ん中に着いている。ターミナルがないというのは不便だ。旅行者にとっては迷惑である。ホテルに向かう。このホテルがとんだはずれだ。Hostal el Mirador 2はHostel World 紹介のホテル。直前になって予約したのでアクセスのよいところは一杯。仕方なしに予約した。空いているわけが分かった。客は我々1人。部屋に案内する前に金を請求する。チリペソだと割高だからと言ってドルを求める。パスポートのコピーをとる。客を泥棒と思っている。結局70ドルを払わせやがった。前金で8ドル払ってあり78ドルだ。サービスがあれば納得だが、部屋に案内されてびっくり。連れ込み宿だ。ダブルベッドが部屋を占領しており、荷物、衣服を置く場所がない。タオルは茶色の汚い奴。トイレ、シャワー、暖房は一応ある。窓が無く留置所だ。狭い部屋でむかむかしながら、明日のバスの乗り場、レストランを探しに出かける。明日はCruz del Surと言うチリバスで36時間の長丁場だ。乗り遅れたら大変だ。Sanhuezaという大きな通りにオフィスがあり、そこから出発することになっている。幸い日が沈むのが遅い。21時になっているのに明るい。聞き倒してやっと分かった。Turibus と言う会社が運行している。Cruz del Surと言う看板はない。TuribusはCruz del Surのメンバーなのだ。行き先、オフィスの営業時間、目的地が書いてあったのでそれと分かった。途中に聞きまくったらいろんなことを言う理由が分かった。発車当日なら確実にバスを逃してしまう。次はレストラン探し。ホテルから近いほうがよい。22時をすぎているが店は開いている。南極に近いので風が強い。看板がゆれ、道路のごみを吹き飛ばす。結構大きな町で市バスなんかある。魚のフライ、スープ、ビールなんかで17,000チリペソ。結構な値段だ。パタゴニアは辺境の土地、輸送コストがかさむのだろう。ホテルに戻る。朝飯は何時だと聞くと、ないという。完全に契約違反だ。Hostel Worldは絶対に使わん。こんなホテルは潰れたらよい。金、金、金、それしかない。売春宿ダブルベッドで睡眠。。
プンタアレーナスへの道

本日の出費10000チリペソ

20143年1月25日 プンタアレーナスーチリ国境ーアルゼンチン国境ーアルゼンチン国内
Turibusのオフィスはバスのあるときだけ開く。発車は9時半であるが、念のため1時間ほど早く行く。この路線は数日に一回あるだけでこれを逃したら、2日待ちなんてザラ。満席なら1週間足止めを食らう。日本であらかじめ切符を手配しておいた。Cruz del Norteみたいなぼんくらではない。カード払いでちゃんと切符をゲット。非能率を嫌う俺は事前の手間は惜しまない。行き当たりばったりでは時間が無駄、ホテル代ばっかりかかってしまう。チリには闇がないからカードが使える。今回のパタゴニアはこのバスの時刻を中心に計画したと言っても言い過ぎではない。フィッツロイ、ペリトモレノ氷河、プエルトナターレスの切符手配、全てこの路線を念頭に企画した。1時間くらい早く行くのに何の躊躇もあるものか。オフィスは8時半しか開かない。Fernandezオフィスが隣にある。結構バスが発着している。嫁はんを待たせておいて俺はTuribusが開くと同時に入った。おっさんがパソコンを立ち上げて業務開始。チケットを見せると、9時過ぎにバスが来るから、隣のFernandezで待っているようにとのこと。乗客名簿に俺ら2人の名前があることを確かめる。チリのバスは時刻を守るようでおっさんの言うとおり20分前に到着。このバスはクラスを選択する余地はない。PullmanといってSemi Camaタイプである。リクライニングするので苦痛ではない。飛行機に比べたら余程快適だ。若い兄ちゃんアテンダントが何くれとなく世話を焼いてくれる。プンタアレーナスは辺境の地だが、チリにとっては重要な場所と見た。マゼラン海峡に沿ってバスは走る。砂浜はない。石ころ海岸である。倉庫が多い。物流センターになっているのだろう。漁船が見える。大きな貨物船もいる。鉄道が無ければ船は大きな役目を果たす。幸い天気がよく太陽にキラキラ海が輝いている。プンタアレーナス飛行場を通る。プエルトモンまで2時間ばかりでいけるが、途中の美しい景色は見れない。海とおさらばするとチリの出国手続きになる。チリのチロエ島に行くのに、何故チリから出なくてはならないかと言う疑問がわく。チリの海岸線は入り組んでおり、道路を通すことが出来ない。アルゼンチンを通らざるを得ない。いったん荷物を預ければチリに再び入るまで取り出せない。チリのバスはアルゼンチンでは客を乗せない。したがって結構バスはスピードを出す。アルゼンチン入国手続きは兄ちゃんがやってくれる。スタンプを貰うだけ。昼飯時になり、レストランに入る。超田舎でバスの乗客だけがいる。スープが出来るらしくオーダーする。熱々のスープが素晴らしい。チキンの骨付き腿肉、とうもろこし、ジャガイモ、にんじんのシンプルな料理とパン。冷えた体にちょうどよい。6,000チリペソ。バスは再びアルゼンチンの大地を突っ走る。何にも無いところに時々風車が見える。風力発電だ。パタゴニアは風があるからちょうどよい。羊、馬、牛、なんかが放牧されている。必ず木のフェンスがある。このフェンスは放牧場がある限り続く。地平線の見えるところをバスはひた走る。やがて夕食になり、レストランに到着。メニュウがないので何を注文してよいか分からん。躊躇しているうちにバスは発車。結局何も食わずじまい。パンなんか兄ちゃんが配ってくれる。バスは夜通し走り続ける。
バスから見た景色

本日の出費10,000チリペソ

2014年1月26日 バリローチェーオソルノープエルトモンーアンクーカストロ
バスはアルゼンチンの景勝地を走っている。ナウエルヌアピ国立公園である。バリローチェはアルゼンチン屈指のリゾート地、南米のスイスと言われる。天気がよくハイカー、ホテル、レストランなんかを車窓から見る。アルゼンチンの休暇を過ごす人が大勢。バスの窓から見物できる、飛行機では絶対不可能だ。湖、山、雪なんかが絵のようだ。路はカーブを繰り返す。荒々しいパタゴニアとは随分違う。こんな素晴らしい景色は一生見れない。キャンプ場があり、バーべキューをやっている。ハイカーが歩いている。ドライブを楽しんでいる人がいる。我々のバスは一気にそれらを通り越す。兄ちゃんがアルゼンチン出国を済ませ、チリ入国手続き一切をやってくれる。まもなくオソルノ山と言うパタゴニア富士が見えてきた。日本の富士山そっくりだ。バリローチェからプエルトモンまで湖を経由するクルーズ船が出ており、これが結構100ドル以上する。我々のバスは80ドルでこの景色を堪能できるのだ。オソルノ山は雪を頂いており感動する。3,000メートルもないが周辺の山より際立って高い。プエルトモンの町に入る。この町は見所はないが、チリ南部の大都市だ。Cruz del Surと言うバスは大きな会社らしく専用のバスターミナルを持っている。チリではPullmanやTur Busが最大手であるが南部ではCruz del Surが長い路線を持っている。少しばかりプエルトモンで停車したが直ぐ発車する。チロエ島といってチリの人のリゾート地に向かうのである。飛行機だと乗換えを何回もしなければならない。しかも金がかかる。このバスはいろんな 所を通ってチロエ島まで勝手に連れて行ってくれる。島に渡るからバスから降りねばならぬ。船が来るまで待たねばならぬ。面倒くさいなあと思っていたらそうではない。Cruz del Surと書いた船が待っている。バスは直接乗船する。この会社はバスも船もあるのだ。降りる必要も待つ必要もない。運賃は含まれている。なんと素晴らしい会社なのだろう。大陸を離れ1時間くらい船が走る。乗客は甲板に出て景色を楽しんでいる。チロエ島にも飛行場はある。アンクーと言う町に着く。17時ごろになっている。ホテル、レストランなんかある小さな町だ。少し停車してバスは発車。すでに30時間以上走っている。カストロまではさらに4時間くらいかかる。道はよい。車内サービスはもうない。パン、飲み物なんか出していたら赤字になってしまうだろう。ビデオなんかも切ってしまった。ひたすら終点を目指す。プエルトモンで殆ど客は降りてしまい。6人ほどしかいない。予定では19時30分着であるが、36時間も走れば少々の遅れは出る。カストロはチロエ島最大の町。21時30分にターミナルに着いた。38時間の超ロングバスの旅は終わった。幸いホテルは歩いて10分以内のところに予約してある。設備も大切だが、アクセスのほうがもっと大切。スーパーは22時に閉まるのを把握していたので、ビール、ハム、果物、トマト、パン、牛乳、水手当たりしだい買う。6,000チリペソ。レストランで食うことを思えばあきれるほど安い。疲れきってチェックイン。プンタアレーナスのくそホテルと違い、いい感じ。客は結構あり夜遅く来る人もいる。ネット、口コミなのだろう。シャワーを浴び、少し洗濯して大宴会。よい景色を見たがさすがに疲れた。シングルベッドでそれぞれバタンキュー。
バスから見たオソルノ山
バスから見た景色

本日の出費6,000チリペソ

2014年1月27日 カストロー夜行バス
カラファテからは結構移動が続いている。入国手続きなんかで疲れもたまっている。朝飯はお決まりのメニュー。アルゼンチンと変わらない。果物、野菜なんかほしい。ブラジルはよかった。チロエ島は世界遺産の町。うろこ状の壁、屋根の建物が特徴だ。町は銀行、ホテル、商店などがあり一応何でも済ますことが出来る。町は簡単だ。バスターミナルが中心だ。鉄道が町の中心と同じ意味だ。サンフランシスコ教会が一番大きな建物。黄色いペンキを塗ってあり、町のどこからでも見える。道に迷ったらこの教会を目指せばよい。シーフードが有名。うに、貝なんかを食うために来た。ソパデマリスコスというスープがよい。鱈、あさり、野菜なんかどっさり入った、土鍋が出てくる。レモンを絞って食べる。パンもついてくる。てっちり、かにすきに比べれば少し臭みがある。ぽんずはない。スプーンで食べる。鱈はごっそり入っている。熱いのとアルゼンチンの肉に悩まされてきたので、大変食べやすい。勘定は8,000チリペソ。市場をぶらぶら。うにの殻から兄ちゃんが身を取り出している。立ち食いが出来るらしい。レモンを絞ってうににかけ、次に香草を振り掛ける。うにの臭みを消すのだろう。海水が調味料になっておりスプーンで食べる。磯臭い、日本では一応湯を通すが、こちらは生。量が多いのでもう一回食いたいとは思わない。3,000チリペソ。何事も経験しておく。チリ人にとってもチロエ島は観光地らしく、おじさん、おばさん、女学生なんか一杯来ている。お土産屋もたくさん。シーフードの次はチロエ島名物の水上家屋見物だ。カストロ港に家屋が密集している。教会から歩いていける。公園から見下ろす。丹後の伊根の船宿を想像すればよい。こちらの家屋は色が華やかである。アルマス広場の周囲に町の施設が集まっている。カストロの町で道を迷うことはない。一通りやることを済ませたらすることがない。バスターミナルで切符の確認をする。念には念を入れておく。後はホテルで休憩しか方法がない。27,000チリペソでチェックアウトは済ませてあり荷物は預かってもらっている。ロビーでパソコンをいじるだけ。サンチャゴ往きのバスは17時30分。1時間ほど前から待つ。と言ってもホテルから歩いて5分ほど。Cruz del Sur の今度のバスはCamaと言って上級クラス、席が160度倒れる。ネットで手配しておいた。闇がないので安心してカードが使える。逆に言えば両替のうまみがない。チリのバスはこの会社だけがネットで買える。他の会社はRUTと言ってチリ国からの認証番号が必要である。外国人は窓口しか購入できない。Cruz del SurだけがRUTが不必要である。肝心な路線がネットで買えたのでラッキーであった。サンチャゴ往きのバスは定刻どおり発車。さすがにゆったりしている。アテンダントがこまごまとサービスしてくれる。客もビジネスマン風が多い。上品な感じ。金は出すものだ。カストロからアンクーを経て専用フェリーで大陸に渡る。プエルトモンで客を拾い、後はノンストップ。アルゼンチンよりグレードが高い。ドライバーも誇りを持っているようで制服できちんとしている。走行距離、速度が常に表示される。時速100kmを越えるとアラームがなり、スピードを落とす。98kmくらいで走っている。アテンダントが毛布を貸してくれる。夕食が出た。オムレツのような卵とソーセージが入ったあったかい食事、飲み物もくれる。クラスを挙げるとぐっとサービスがよくなる。バスは消灯して睡眠モードになる。
サンフランシスコ教会
水上家屋

本日の出費40,000チリペソ

2014年1月28日 サンチャゴーカラマ
きっちり時間通りに9時半にロスエロエスターミナルに着いた。アルゼンチンと大違い。このターミナルはCRUZ del Sur社専用である。サンチャゴではあまり見るものがないし、次の接続があるのでモネダ宮殿だけにする。荷物を預けて歩き出す。少し迷ったが直ぐ着いた。大統領執務室があるので中に入れない。前は芝生になっており緑と白のコントラストが美しい。警官が警備している。隣接して文化会館があり、こちらは自由に見れる。特にお勧めはない。みやげ物も売っている。本日は14時30分発のカラマ往きのフライトに乗ることになっている。飛行場はバスで40分ぐらいのところにあり、これもロスエロエスバスターミナルから歩いていけるところに停留所がある。2,700ペソでいける、1人300円弱だから安い。サンチャゴの飛行場はコンパクトで国内線、国際線がある。Lan chile とSky airlineがカラマに就航しているが、後者のほうが安い。他にPalと言う格安航空があるがネットで買おうとしたが上手く行かない。Palを使うと我々の目的地カラマには、アントファガスタで降りて3時間ほどバスで行かねばならぬ。値段と利便性からSky airlineになった。コンファームをしろと切符に書いてある。Crecero del Norteでえらい目にあっているので、昨日ホテルでしておいた。スペイン語で電話しなければならず、えらい目にあった。英語で無理やりやった。用心して2時間前に空港に着いた。チェックインは非常にスムース。ブエノスアイレスのアエロパルケとえらい違い。アルゼンチンは何もかもだらけきっている。Sky airlinesのスタッフが搭乗券を渡すときに日本語で話しかけて来たのにはびっくりした。朝から飯を食ってないので空港のレストランで時間をつぶす。サンドイッチ、コーヒなど。市内と比べたら若干高い。日本と同じくらいの値段。カラマはチリ北部の産業の町。アタカマ砂漠にも近い。チュキカマタ銅山の基地である。サンチャゴを離陸するとまもなく緑が消えて、土色の世界が眼下に広がる。砂ではない、石、岩石の荒々しい世界だ。ランチが出た。暖かい食事だ。ビールも飲める。Copiacoというところに降りる。きっと大きな町なのだろう。客の出入りがある。再び離陸、ひどい乾燥した世界が広がっている。サハラ砂漠よりも乾燥しているらしい。チリは細長い国で幅が非常に狭い。しかしそんなことを感じさせない、何にもない大地が地平線まで広がっている。1時間ほどしてカラマについた。17時30分である。アクセスがはっきりしない。サンペドロに行くシャットルはあるが、カラマ市内へのアクセスが分からない。ガイドブックはタクシーとある。チリ人は勝手が分かっているらしく次々と車に乗っていく。白タクみたいなのが声をかけてきたが無視する。プエルトイグアス、プンタアレーナスでも声をかけてきたが君子危うきに近寄らずだ。ぼったくられ命を落としたら笑いものだ。タクシーが次々来るが、我々を無視して通り過ぎる。どうしたものかと迷っているとおばはんがタクシーを捕まえてくれて、この車に乗りなさいと言う。アクセスがないから選択の余地がない。嫁はんエクアドルのトラウマが頭から抜けないらしく、完全に舞い上がってしまっている。キャリーバッグもろとも乗り込む。人のよさそうな初老のドライバーで安堵するが、気は抜けない。カラマの地理はこちらは皆目分かっていない。いつもならgoogleで調べるのだがなぜかカラマだけ忘れた。Juku hostalと言うホテル名と、住所だけ。運ちゃんも詳しくないらしく、市内に入って迷っている。空港から6kmであり遠くはないはずだ。携帯を使ってホテルに聞いてくれとゼスチャーするが相変わらず道を探している。どうやらホテルは町のはずれにあるようだ。やっと道がわかったらしくJuku hostalにつけてくれた。嫁はん一言も喋らず。運賃6,000ペソ、妥当な値段だ。レセプションのおばはん一言も英語喋らん。とにかく金を払ってくれといっている。プンタアレーナスの連れ込み宿を思い出して嫌な感じ。只結構はやっているらしく、客は多い。ドルで請求しやがる。85ドルである。100ドル出すのは嫌だ。65ドルで後はペソ払い。おばはんしぶっていたが、金を受け取るといっぺんに機嫌が直った。他の都市に比べてこの町はホテルが少なく値段が高い。ビジネスマンがよく利用するのだろう。長期滞在者と思われる客がヘルメットと作業服で飯を食っている。19時をすぎておりレストランに行きたいが地理が分からん。嫁はん完全な思考停止に陥っている。フロントでスーパーを聞く。幸いタクシーの中から見えたので存在を確認している。出て行こうとすると、おばはんあわてて追いかけてきた。日が沈んだら外を歩くな。セントロは絶対危ない、引ったくりにあう。ガイドブックにも出てた。スーパーなら安全かと聞くと、そうだという。怖がる嫁はんを連れて買い物だ。彼女の怖がり方は異常だ。病的である。ビール、果物、野菜、水、ハムなどとりあえず生命を維持できる食料を購入する。5,000チリペソ。日が沈みかけているのでホテルに帰る。嫁はんを部屋に閉じ込めておいて、これから行く場所のチェック。ネットがあるので利用する。まずカラマ市内。次にサンペドロ、その次にアルゼンチンのサルタ。そうそうブエノスの上野山荘をドタキャンしているので、お詫びのメールはした。再度宿泊依頼をメールする。ドタキャンを放置して再度依頼はできない。手を打ってあるので頼みやすい。只日本語フォントが無く英語を使わざるを得ない。ローマ字では馬鹿丸出し。英語しか使えない事情を丁寧に説明し、依頼する。後は返事を待つだけ。ブエノスのホテルを予約してあったのでこちらをキャンセル。ノーショだとチャージを食らう。段取り、段取り。カラマ市内は簡単だ。バルマセダ通りとラミレス通りをおぼえて置けばよい。ホテルの前の通りはガイドブックに掲載されてない。セントロから離れているからだ。病院、消防署、警察学校など公共施設がある。雰囲気はよい。セントロへの行き方、セントロ内の地理をノートに控える。ガイドブックの地図は小さい。拡大鏡がいる。サンペドロ、サルタなんかもノートに控えていく。タクシーの運ちゃんに的確に指示するとともになめられないためだ。googleの地図を丁寧に見ていくと1時間はかかる。3都市いっぺんは疲れる。ブエノスはやめた。こちらの苦労も知らず嫁はんシャワーを浴びて腹減ったと言ってやがる。怒らせるとハチャメチャになるのでとにかく食って飲んでバタンキュウ。
モネダ宮殿

本日の出費30,000チリペソ 65ドル

2014年1月29日 カラマーサンペドロ
カラマ市内に出かける。この町はチュキカマタ銅山しか見所はない。観光案内所に聞くと1週間先まで予約で満杯とのこと。スタンバイで試してみることにした。ホテルを出る。犬がついてくる。アルゼンチンでもチリでも犬がやたらと多い。野良か飼い犬かは分からん。道を歩いてたり歩道で寝てたりする。人に噛み付くことはないし、吠えたりしない。暑いので寝ている奴が多い。眠っているのではなく只横になっているだけ。そこらへんに横になるから、皆土色の毛になっている。黒犬はあくまでも黒犬だ。嫁はん何を思ったかカラマの町を知り尽くしているかのように、先陣を切って歩く。黒犬が後をつける。彼女がすたすた、黒犬追跡 。これが20分続く。セントロに行くにはバルマセダ通りに出たら、左折せねばならぬ。バルマセダ通りに出た。嫁はん左折しない。思い込みは恐ろしい。只歩けば勝手に目的地に着くと思っている。道路はタクシーではない。あわてて呼び戻す。すかさず反撃を食らう。「あなたがまっすぐ行けと言ったでしょう」返事の仕様がない。黒犬も付き合ってられんらしく消えてしまった。左折してセントロを目指す。なかなか町らしくなってきた。Pullman やTur Busのオフィスがあり、サンペドロ往きの時刻を聞いておく。無駄な時間を費やさないのが俺流。バスターミナルから各社便があるらしいが、オフィスを経由するとのこと。観光案内所はセントロのど真ん中。チュキカマタは13時30分に催行するとのこと。多分行って参加できないでしょうとの返事。現在10時なので見所を探す。セントロは昼は安全である。嫁はんうるさく観光案内所でも念を押してくれと俺をせっつく。自分で聞けばよいのに。案内所の答えはガイドブックと同じ。南米の町で思い出したことがもう一つ。薬局がやたらと多い。医者が高いのだろうか。少々の病は売薬で済ますのか。お陰でたびたび道を薬屋で聞いた。英語が出来るし、免許もいるからインテリの部類に属するからだ。結構通行人が多い。しかもあちらこちらで人が集まっている。どうもチリ人でないようだ。後で聞いたがコロンビアから職を求めてくる人が多いらしい。夜になると彼らが活躍するのかもしれない。観光案内所に教えられたとおり、1,200ペソのタクシーでチュキカマタツアーを行う事務所へ行く。運ちゃん大変親切でオフィスを教えてくれる。言葉が不正確でよく分からん。どうやら喉頭がんを患っているらしい。こちらは不正確でも何でもスペイン語が分からんからおんなじこと。運ちゃんの一生懸命に生きる姿に感動した。後でわかったがカラマのタクシーは市内であれば、乗り合いで運行経路も決まっている。運賃は1人600ペソである。たまたま相客がおらず独占できた。嫁はんこのことが分かってなくて後で、大騒ぎになる。オフィスは直ぐ分かった。順番を聞いてみると30人のキャンセル待ちがあるらしい。とてもじゃないけど、あきらめた。外に出るともの凄い暑さ。市バスが来た。運ちゃんに聞くとラトーレ通りに行くとのこと。800ペソ。セントロに入り一本隣の通りで下ろされた。チュキカマタにいけないからこの町には、用事がない。バス会社によりサンペドロまで切符を購入。5,600ペソ。ここでも犬がいる。スタッフの人が可愛がっており部屋に招きいれている。勝手知ったカラマの町、歩いて病院、警察学校、消防署をすぎてホテルへ。荷物を取り出してバスオフィスに向かう。嫁はん何を思ったか、すたすたと歩き出した。荷物を持っている。とんでもない奴だ。タクシーに乗るのが筋だ。タクシーを捕まえて、荷物もろとも乗り込む。バルマセダ通りを左折せず、まっすぐに行く。嫁はん何故か左折を覚えているらしく、騒ぎ出した。無視する。女の客を拾った。嫁はん又騒ぎ出した。行き先が違う、相客は運ちゃんとグルのギャングだと信じ込んでるようだ。これが男の相客だったらパニクるところ。相客が途中で降りる。嫁はん少しは分かったようだ。やがて一本隣の通りで下ろされる。オフィスは直ぐ分かった。15時発のバスは時間通り。サンチャゴから来るバスもある。20時間はたっぷりかかる。カラマを抜けると砂漠で緑が一つもない。世界一の乾燥地のアタカマ砂漠に入っていく。アルゼンチンへ抜ける重要な道だ。サンペドロにはホテルは予約してない。代理店を通すと楽であるが、ローカルな気分は味わえない。ここは田舎で民宿なんかあるはず。客引きを期待しよう。あるいは飛び込みで探すことにする。長期旅行者は皆そうしている。1時間半後にサンペドロターミナルに着く。砂だらけの空き地。やはり犬が暇そうに寝ている。糞が一杯。乾燥しているのでカチカチ。においはしない。客引きが予想通り来ている。一泊30,000ペソと言う。別の客引きと交渉する。20,000ペソで成立。2泊することになる。民宿までは送ってくれる。民宿には名前がない。サンペドロは水が不足していると聞いていたが、部屋にはバスタブ、トイレがあり快適に過ごせそうだ。サンペドロでは砂漠ツアーに行かねばならない。田舎町で道路は入り組んでいる。ややこしそうだが、迷ったらアルマス広場を目指せばよい。この名前の広場とサンマルチンの銅像はチリ、アルゼンチンのいたるところにある。旅行代理店は小さな町だけど結構ある。サンペドロは観光地なのだ。レストラン、観光案内所、教会、ホテル、バス会社オフィスがアルマス広場周辺に集中している。スペイン語ガイドのツアーは結構あるが、英語ツアーが少ない。1日ツアーが1人30,000ペソ。安くはないが参加する。料金は60,000ペソ。キャッシュ。民宿までピックアップしに来る。民宿を出る前に道路の名前と番地を控えておいたのが幸いした。無事に帰るために用心してメモしておいたのだが、別の意味で役に立った。店の兄ちゃんはがってんしてくれた。小さな町だからどんな家でも知っているのだろう。とにかく民宿に帰って風呂に入りたい。レストランに行く時間が惜しい。民宿の近くにスーパーがあり、食材を買って部屋で食ったほうが体が楽だ。帰りの道はややこしい。どれ一つとして道はまっすぐでない。只旅行者は結構いる。20時ごろにやっと民宿に着いた。嫁はん日が暮れると途端に機嫌が悪くなる。空気が乾燥しており、洗濯物を干すにはもってこい。連泊だから頑張って干す。明日は7時半出発。
サンペドロへの道

本日の出費75,000ペソ

2014年1月30日 サンペドロ砂漠ツアー
きっちりツアー車が民宿に迎えに来た。朝食はツアーで出すらしい。今日は嫁はんをガイドが面倒見てくれるから楽だ。客は20名ほど。英語説明は我々2人のみ。ガイドの隣の席である。まずスペイン語、次に簡単に英語。これで充分。マイクなしで大きな声でガイドする。なかなか元気のよいねえちゃん。まずアタカマ塩湖に向かう。砂漠のど真ん中を突っ走る。なかなか迫力ある。遠くに山が見える。アンデス山脈で、越えればアルゼンチンだ。10時頃に朝食。と言っても立って食う。マイクロバスに食材を積み込んである。チャクサ湖というフラミンゴが住む塩湖だ。国立公園入場料1人2,500ペソを払う。トイレはここで済ます。塩の塊がありフラミンゴを見る。太陽ぎらぎらで暑いと思ったら大間違い。3,000メートル近く標高があり、ちょうどよい温度。只高山病になる恐れがあるので、水分を充分に取ること、急に走ったりしないようにとガイドがうるさく言っている。塩の向こうにフラミンゴがいる。ムクドリみたいな小鳥が近くにいて人を恐れない。人の歩ける道は明示されており、動物生息地には近づけない。30分ほどして出発。周囲の山には火山があるようで、煙を出している。ミスキャンティ湖に向かう。いよいよ砂漠ツアーのクライマックス。4,000メートルを越えている。高山病を警戒する。さらに入場料1人2,500ペソ。トイレもある。大きな湖と小さな湖がある。ピクーニャが住んでいる。周囲はコニーデ状の火山、真っ青な空、果てしない砂漠、まるで絵のようだ。火山の麓では温泉が出る。大きい湖は不凍湖、小さい方は凍る。塩分が多いかどうかによる。ピクーニャは保護されているらしく管理人がいる。青い湖の周囲を彼らが歩いている。なんともいえない景色。チリでも有数の景観地。他のマイクロバスもやってくる。人間が歩ける道は決まっている。30分ほどすると飽きてくる。ハイライトを堪能して帰路に着く。トコナウという小さな村による。特に印象はない。民宿には15時ごろに到着。サンペドロの見所はツアーの独り舞台。公共のバスでは多分行けない。バスで行けるようになると、代理店が猛反対するだろう。ツアーは7,000円ぐらいで安くはない。ケチって参加しなかったらはるばる来た価値がない。一日嫁はんの面倒を見てくれたのを感謝しよう。さて晩飯を食わねばならん。シャワーを浴びてアルマス公園を目指す。サンペドロ教会も近く。マーケットにくだらないお土産を売っている。アルバイトのねえちゃんが呼び込みをやっている。観光地はどこもおんなじことをする。レストランも集中している。面倒くさいからスパゲッティ、チキンとポテトフライを注文。ありきたりの味。10,000ペソ。飲み物がすごく高いのでパス。スーパーによってビール、果物、野菜、ミルク、ジュースなど買い込む。2,400ペソ。明日はチリともおさらばしてアルゼンチンに戻る。バスは9時30分発。Crucero del Norteで懲りているので、バス会社オフィスで出発場所、チケットの確認をうるさいほどする。
アタカマ塩湖
ミスキャンティ湖

本日の出費23,000ペソ

2014年1月31日 サンペドローチリ出国ーアルゼンチン入国ーサルタ
日本へ帰るチケットは2月5日であり、ブエノスには前日では危ない。アルゼンチンのバスは遅れると考えねばならない。この路線は今日をはずすと2月2日になる。サルタからブエノスには20時間かかる。数日前にはブエノスに着いておきたい。切符はネットで買った。カードだから割高。しかし乗れないリスクを避けるためには事前手配がベスト。Crucero del Norteと違い、飛行機の切符と同じ感覚でゲット。サルタには20時に到着であるが、多分遅れるであろう。民宿で40,000チリペソを支い、8時半にターミナルに行ってバスを待つ。Pullman、Geminisなどもあるがネットで買えない。Andesmarのバスはチリのイキケ、カラマを経由してくる。ターミナルには結構客がいる。バスもひっきりなしに来る。今か今かと待つ。10分前になりオフィスに行き確かめる。間違いなく来るとの返事。このオフィスもバスのあるときしか営業してない。発車したらオフィスを閉めるのだろう。バスは20分遅れてきた。アルゼンチンではまだましなほうだ。セミカマなのでデラックスシートではない。日本のバスより余程ゆったりしている。サンペドロを出ると砂漠をまっしぐら。飲み物、パンのサービスがある。夜行でないので景色を楽しめる。チリは細長い国なので直ぐ国境になるかと思ったが、意外と広い。2時間ほど走って国境に着いた。国境は何回越えただろう。幸い手続きは今までは簡単だった。アフリカのようにビザが要らないので大助かり。このイミグレは少し違う。トラックが長蛇の列を成している。バスも然り。ペルーのバスもいる。先に発車したPullman,Geminisが前にいる。と言うことは待たされると言うこと。バスから降りることは出来ない。イミグレの手続きが遅いからだ。やがてバスの運ちゃんの指示によりパスポートを持ってイミグレに行く。この場所は4,000メートルの高地にある。あわてることは禁物だ。チリの出国は少し時間がかかったが何とか1時間で終わった。アルゼンチンの入国が全然進まない。乗客がとぐろを巻いて辛抱強く待っている。子供なんて機嫌を損ねてぎゃあぎゃあわめいている。俺だって怒り心頭だ。運ちゃんも何とか早く済まそうとせきたてるが、何せアルゼンチンのお役人さんやる気がないのか、人を待たせるのが仕事と考えているのか思うように行かない。窓口は沢山あるのに1つしか開いていない。ふざけている。皆辛抱強く待っている。赤ん坊を抱いた母親なんかおっぱい丸出しで並んでいる。赤ん坊は空腹で耐えられないからだ。やっと順番が来た。たった一人で入国手続きをしている。もうあきれた。スタンプを貰うのに4時間かかった。何たる非能率。誰も文句言わない。16時になっている。バスはアンデス山脈の真っ只中を進む。これほどのスリルのある道路は人生で経験したことはない。急カーブ、急勾配、道路の両脇の断崖、今にも落ちそうな巨岩、サボテンの中を進む。スピードは出ない。ガードレールはない。対向車の大型トラックがひっきりなしに来る。恐怖を感ずる。がけの上の岩が落ちそうだ。落石防止ネットはない。人家は全くない。この光景が2時間続く。やっと人家が見えてきた。どのようにして生きているのだろう。食料、医者はあるのか。車はある。はるばる1日がかりで町に出て、買い物をするのだろう。電気は来ている。ガスはないはずだ。プロパンだろう。人間どこでも住める。少しずつ家が増えてくる。町という形ではない。子供がサッカーをやっている。南米はサッカー王国。野球と違ってボールがあればよい。学校はあるのか。少しではあるが農地が見える。パタゴニアのような大農地ではない。小規模であり自給のために栽培しているのだろう。フフイという町がアルゼンチン北部にある。アンデス山脈を越えるのに、カラマを出てからフフイまで12時間ほどバスでかかる。南米はスケールがでかすぎる。島国日本ではとても想像できない。フフイの明かりが見えてきた。すでにバスは2時間遅れている。アルゼンチン北部は一番開発が遅れていると言われる。只道路は立派だ。鉄道がないからこの国の大動脈なのだ。フフイのバスターミナルで半分降りた。結構な町で焼肉屋、ホテルなんかがあり人の往来も多い。バスは最終地サルタに向かう。20時をすぎており、漆黒の中を突っ走る。運ちゃんも疲れるだろう。アルゼンチンのイミグレのくそったれ。22時にサルタに着いた。大きなターミナルだ。ブエノスへのチケットを買わねばならない。Balut,Flechaの最高クラスSuiteに決めている。明後日のチケット。Balutは満席、Flechaを買う。一人1,135アルゼンチンペソ。これで南米のバス全てのクラスを乗ることになる。支払は現金。カードで買う奴は馬鹿だ。倍の請求が来る。ホテルへの道はきっちり調べてある。タクシーで行くのがよい。嫁はん余計なこと言い出した。案内所でタクシーはギャングでないかどうかと確かめてほしいとのこと。自分で聞きやがれ。荷物とともに乗り込む。下らんことで時間を食った。23時になっている。22アルゼンチンペソできっちりホテルに着いた。Hotel del Virrey。 Bookingcomを使った。嫁はん偉く気に入ったようだ。ここは連泊。24時近くになっている。疲れた。
国境越えの道

本日の出費40,000チリペソ 2,300アルゼンチンペソ


2014年2月1日 サルタ
ホテルはチェーン店で南米にたくさんある。朝食はついている。フレッシュジュースが嬉しい。アルゼンチンでは珍しい。サラダ、果物はない。外に出る。サルタの町は簡単だ。サルタ広場に行くとカテドラル、歴史博物館がある。郊外にはウマワカ渓谷がある。渓谷は要らない。カテドラルに行く。チリでもアルゼンチンでも教会は立派だ。黄金に輝いている。ふんだんに金を使っている。昔コルテスやピサロが原住民からひったくった金が残っているのかもしれない。サンペドロ、サルタ、カストロの教会はどれも金が一杯。黄金教会だ。キリスト教に一切興味がない俺は、立派なステンドグラス、黄金のキリスト、マリア、ヨゼフの像に感心する。現金にすればいくらになるんだろうと。天井、壁の絵画も見事だ。上を向いて絵を描いたらペンキが顔にかかってしまう。絵師はどうしたのか。どうでもよいことを考える。広場の対面に歴史博物館がある。入場料1人15ペソ、ガイドブックより50%値上がりしている。アルゼンチンのインフレは異常だ。この物価上昇は国民を苦しめる。銀行預金なんて出来ない。ぱっぱと使ってしまうか、ドルに変えるしかない。ここに闇両替が存在することになる。歴代大統領の写真がある。髭を生やし、刀、立派な服のおっさん。いずれも任期は短い。政権が安定してなかったのだろう。独立にいたるまでの奮闘振りが丁寧に記されている。アルゼンチンの歴史に興味がないが、ここの2階からの眺めがよい。テラスで朝から新聞を読みながらビールを飲むおっさん、ウインドーショッピングを楽しむおばはん、広場のベンチに座って眠りこけてる奴。サルタは1,600メートルの標高にあるが、結構暑い。アルゼンチンペソがなくなってきた。ブエノスについでレートがよい。11.5ペソ。1月末にペソ急落があり一段とドルの値打ちが上がった。プエルトイグアスの9ペソは何だったのか。Crucero del Norteの大ばか者。絶対に仇をとってやるからな。300ドルで3,450ペソ。少し儲けたかも。プエルトイグアス、カラファテ、サルタの3箇所での平均両替額は10ペソ。公定レートは7ペソ。南米ナンバー2の経済力の物価の高いアルゼンチンではこの差は大きい。ついでにチリペソ9,000をアルゼンチンペソ180に替える。闇レートぴったり。腹が減ったので焼肉屋に入る。パン、バターが出てくる。串焼きを注文。この肉はうまかった。下味がついているのだろう。やわらかい。アルゼンチンでは珍しい。サラダ、ビールを飲んで165ペソ。アルゼンチンでは格安だ。スーパーによって牛乳、果物、ジュース、水、ビール、ハムなんか買う。65ペソ。おいしそうな肉がカットされて並んでいる。やわらかそうだ。1キロ単位で500円もしていない。これを調理すればどんなに幸せだろうか。残念ながらホテルではご法度。サルタは北部では大きな町で市バスなんかもある。タクシーも頻繁にある。薬屋がやはり多い。分からんことがあるとここに飛び込む。英語が使えるからだ。連泊だからホテルに戻り、少し洗濯する。このホテルでは外に干すのはご法度。おばさんがラックを持ってきてくれる。部屋に入れて干す。空気が乾燥しているから乾く。プールがありねえちゃんが本を読んでいる。こんなところで時間をつぶしてもったいないと思うのは俺だけかなと思ってしまう。サルタはペーニヤといってフォルクローレの町。夜になるとレストランで演奏がある。ホテルの近くにペーニヤの店がある。一応確かめておく。晩飯を食いにサルタ公園に行く。カテドラルがライトアップされて一段と豪華だ。公園でミュージシャンが演奏している。なかなかのもの。近所でステージがあり、民族衣装のおっさんがマリアッチをやっている。ソンブレロ、キンキラのズボン、甲高いトランペットの音色、ちょび髭、年寄りのダンサーが踊っている。見物は無料。わざわざ金を払ってペーニヤをみるためにレストランに行く必要がない。子供が面白がっておばさんダンサーの踊りの真似をしている。こちらのほうが笑ってしまう。昼食を食べたレストランに行く。ビーフを注文すればよいのに、ウサギ、ヤギの肉を注文した。なかなか料理が出てこない。アルゼンチンは日本と違ってオーダーしてから料理が出るのに30分は最低かかる。今回は特別長い。やっと出てきたが、とんでもない代物。ウサギは何とか食えそうだが、ヤギはギブアップ。肉の鮮度が悪すぎる。ビーフにしておくべきだった。メニュウの最後の料理は注文しないほうがよい。なんともいえない気持ちでレストランを出る。ホテルへの道は嫁はん何を思ったか、私が知っているとさっさと歩き出す。日が暮れており街は暗い。間違えないように確かめながら歩かなければ迷ってしまう。案の定違うほうに行ってしまった。早く手を打たないと取り返しのつかないことになる。嫁はんに間違っていると注意する。とんでもない答えが返ってきた。あなたが間違った道を教えたんでしょうと。馬鹿らしいのでどやしつけて正しい道に戻りホテルに帰る。大変疲れた。明日はチェックアウト。2日分の支払を申し出ると直ぐ請求書を出してきた。ドル払いなら160ドル、ペソなら1,460勿論ペソだ。
歴史博物館
歴史博物館から見たサルタの町

本日の出費2,000アルゼンチンペソ

2014年2月2日 サルター夜行バス
朝食を食べて町に出る。このホテルのセキュリティはしっかりしている。監視カメラで不審者をチェックしている。ホテルでメールを開く。ブエノスの上野山荘から返事が来ている。2月3,4日受け入れオーケーとのこと。これで安心して出発できる。バスは15時出発であり、余裕がある。見物するところがないから、ショッピングに出かける。サンフランシスコ教会がある。レストラン、ショップ、スーパーなどどこにでもある街のたたずまい。旅行代理店が盛んに呼び込みしているが、サンペドロで堪能しているので用事がない。ホテルに帰り荷物を受け取り、タクシーでバスターミナルへ。24ペソ。メーターはしっかりしている。バスターミナルはなかなか立派だ。バス乗り場は20番まである。ブエノスまで22時間。FlechaのSuiteにしたので嬉しくなる。1時間前に着きバスの来るのを待ち構える。大きなターミナルでひっきりなしにバスが入ってくる。アナウンスがないのでエンジンの音だけ。待ちくたびれた頃バスは発車時刻直前に来る。アテンダントは女性だ。着席する。飛行機のビジネスクラス。180度椅子が倒れる。ゆっくり眠れそう。ウエルカムドリンクでシャンパンが出た。プラスチックの容器。飛行機のようにホルダーがある。希望者にはウイスキーが出る。いい気持ち。ディナーが出る。温かいお弁当が嬉しい。コーヒ、ジュースもある。ねえちゃん1階と、2階の往復で忙しそう。体力を使うだろうな。ビデオを上映する。スペイン語で分からんがアクション物。バスは100kmは出ている。ブランケットが配られ睡眠。
サルタのカテドラル

本日の出費24アルゼンチンペソ

2014年2月3日 夜行バスーブエノスアイレス
猛烈な雨が降ったらしい。車内に水がたまっている。後でわかったがブエノスでは珍しい大雨だったらしい。バスはブエノスに向かって突っ走っている。冠水している道路がある。雨はやんでいるようだが、水溜りがあちこちに出来ている。工場、倉庫なんかが並んでいる。牧場、農地の景色ではない。大都会郊外の景色だ。車が多い。渋滞している箇所もある。1月21日に来たときもブエノスは雨だった。バスは1時間遅れている。アルゼンチンにしては珍しい。おなじみの鉄道が見えてきた。バスが追い抜いていく。アルゼンチンはバス王国。セントロに近づくとおなじみの貧民街が見えてくる。崩れかかった家、何もすることのない人、ごみが散らかり放題の道路、こんなのは国の恥だ。バス道路とはコンクリートの壁で仕切られているが、随所に穴が開いている。ブエノスの泣き所。レティロのバスターミナルは巨大だ。しかし清潔ではない。どこでケチャップ泥棒にあうかもしれないので油断ならない。嫁はんがトイレに行っている間、壁を背にして待つ。やはり獲物を狙っているような奴がいる。引ったくりもあるそうな。乗客が一杯なのであんまりなことは不可能だが、置き引きなんかざらだ。上野山荘に教えられたとおり荷物を持ってさっさと歩く。地下鉄1駅だから歩く。鉄道駅をすぎる。立派な建物だが、この国ではマイナーな交通機関だ。サンマルチン公園があり、ツーリストはブエノスに来たと言うことを実感する。馬に乗った立派な将軍の銅像がある。サンマルチン地下鉄に来る。上野山荘はスイパチャ通りにある。レティロより余程しゃれたところだ。スイパチャ通りは直ぐに見つかった。アルゼンチンの住所は明快だ。ブロックごとに100の位が変わり、通りの両側は奇数と偶数に分かれている。きっちりと順番に3桁の番号がある。上野山荘は直ぐ分かった。レティロから30分。スイパチャ通りはホテル、レストラン、ブティックなどがあるにぎやかなダウンタウン。両替で有名なフロリダ通りも直ぐ近く。バス、タクシーもありブエノスでの全ての用事を済ませることが出来そうだ。上野山荘は日本人宿で金のないツーリストが沈没している。部屋は個室を予約してあるが、バス、トイレは共同だ。嫁はんには一切このことは言ってない。呼び鈴を押すと上野千鶴子さんがロックをはずしてくれる。ぼろいエレベータで3階に上がる。共同ビルを借りているのだろう。さらにベルを押すと中からドアを開けてくれる。都会だから用心をしている。ドーミトリに男女が10人ほど。おばあさんもいる。千鶴子さんがゲストハウスを案内してくれる。一泊170ペソだから決してきれいではない。俺は寝ればいいと考えているが、嫁はんはそうではないらしい。明らかに不満そうだ。いろいろ機嫌を取るのも疲れてきた。プライベートバスルームがあろうが、無かろうがシャワーは同じ。トイレなんて扉を閉めれば同じ。金のバスタブ、牛乳風呂に入って何をする。キッチンがある。好きな料理、飲み物を作るほうが余程快適だ。スーパーは隣にある。16時をすぎている。フロリダ通りに出てみる。両替屋が一杯いる。盛んに声がかかる。サルタと同じレート。余分なペソは紙くず。手持ちのペソを使いきることにする。焼肉屋を千鶴子さんから聞く。入る。結論から言えばはずれ。430ペソも払った。ステーキ、サラダ、ビールだけ。千鶴子さんレストランはよく知らないようだ。庶民にとっては高嶺の花。ブエノスに来たからにはタンゴを見なければならない。千鶴子さんに聞いて文化会館を案内される。20時からである。1人170ペソ。お客は外人さんばかり。10人ほどのダンサーが演技する。プロの踊りは無駄がない。ショーだから派手にする。動きが早すぎる。女のダンサーは年増だ。男はなかなかの顔だ。女を振り回したり、胴上げしたりえらい力仕事だ。豚みたいな女だったら腰を壊す。幸いスリムな女ばかりだ。ラクンパルシータでショーが始まり、ラクンパルシータで終わる。カミニート、淡き光、アディオスパンパニーヤなどの古典はない。ファンダリエンソ、フランシスコカナロ、藤澤嵐子を思い出した。男の歌い手が出る。脂の乗り切った40代。それにあわせてプロが踊る。伴奏はチェロ、ピアノ、バンドネオン。3人の奏者が渋い。感激した。粛々、淡々と自分の仕事をこなしている。60歳は越えている。派手なダンサーにライトが当たり、渋い奏者が陰になる。心憎い演出だ。服装がよい。黒の上下スーツ、蝶ネクタイ、白いカッターシャツ。ダンサーの原色と奏者の白黒の強烈なコントラスト。ダンサーは年とともに朽ちていくが、奏者は渋さを維持する。タンゴショーで人のはかなさ、才能を見た。ショーは1時間で終わった。ダンサーは汗びっしょり、奏者は静かに退場する。心に残るタンゴショーであった。サルタからの長バスなど充実した1日であった。ホステルに帰る。日本のテレビをオンタイムでやっている。偉い世の中になった。嫁はんエアコンがないといって文句言っている。無視。ブエノスはこの10日間ほど雨ばっかりだと千鶴子さんが言っていた。エアコンがあると風邪を引く。夜中にトイレ行くのに部屋から出なければならんとぶつぶつ言っている。無視。シングルベッドで別々に寝る。
サンマルティン将軍像

本日の出費1,200アルゼンチンペソ

2014年2月4日 ブエノスアイレス
いよい長かった南米旅行も明日で終わり。嫁はん睡眠薬飲んで寝たから、トイレ行くのも忘れて爆睡したと言ってやがる。エアコンも専用トイレなんか不要だ。分かったか。さてブエノスは見所はない。カミニートに行く。タクシーは嫌だ。バスがよい。ただ乗り方に工夫がいる。コインしか使えない。コインの入手が面倒。紙幣からの両替は断られる。スーベというICカードがいる。郵便局に売っているということで求めるが、ないとの返事。どこで買えるかと聞くと知らないとの事。アルゼンチンではこういうことがしょっちゅうある。薬局、鉄道駅、コンビニ、地下鉄駅などで売ってるだろうと皆好きなことを言う。イミグレのときに役人のサービスの悪さに辟易していたが、郵便局もしかり。10時から営業する。こんな国は珍しい。千鶴子さんに頼みスーベを借りる。チャージは随所で出来る。11時になっている。偉い非能率。バスは頻繁にある。カミニートはブエノスのはずれ。お陰でブエノスをじっくり観察できる。乗客は庶民ばかり。シェラトンのような素晴らしい施設があるが、中心を外れるとボロい建物が多い。40分ほどでカミニートに着く。バスの終点である。タンゴの曲が流れている。ガイドブックの通りの建物が見える。完全な観光地だ。外人が殆どだ。嫁はんこんな所がお気に入りらしく、お土産店にどんどん入って行く。アルゼンチンに行く前に日本で友達に喋り捲っているから、ここで買わなければとあせっている。仕方がない。協力する。俺なんか誰にも言ってない、口は災いの元。どこの店もろくなものは売ってない。中心に向かうとダンサーがパフォーマンスをしている。レストランへの呼び込みだ。10ドル出すと踊ってくれて写真のポーズをしてくれる。嫁はんにやれと言うと嫌だと抜かす。似顔絵を描く画家がいる。大きな駐車場にバスが一杯。カミニートは観光地。ブエノスの夏は暑い、海に近いからねっとりとした空気が充満している。人ごみのくそ暑い中で疲れた。嫁はん気に入ったお土産がないらしく、もう少し店を探す。大きなショッピングモールに入ってみる。人は多くないが買いやすい雰囲気。呼び込みがないからだ。アルゼンチンは革製品の国。嫁はん少年が店番しているところに入った。こういうときは女は強い。少年押し捲られっぱなしで10個のハンドバッグを大幅のディスカウントで売ったようだ。カミニートは海に面しているようで、汚い運河や倉庫がある。帰りのバス停は簡単に見つかった。40分ほどかけてホステルに戻る。朝から何も食ってないので、フロリダ通り近くのレストランに行く。La Estanciaという焼肉屋だ。このレストランは当たりだ。肉のソースが素晴らしい。クリーム、ビネガー、スパイス系のソースが3種。ピーマンの酢漬けがついている。肉は硬いが、もう慣れた。パン、バターは勿論たっぷり。ビール飲んで勘定は260ペソ。満足した。広い広い7月9日通りにオベリスクが見える。この通りを渡るとコロン劇場に着く。入場料が高いので外から見るだけ。ホステルに帰ると日本人ツーリストがパソコンを見たり、酒を飲んだり、情報交換をしたりしている。一泊80ペソだから財布には優しい。1週間ほど過ごすのだろう。明日は10時までに部屋を空けねばならぬ。荷物をまとめる。洗濯物を取り入れる。寝るには早すぎる。一度自分で肉を焼きたくなってきた。材料を買えば料理が出来る。肉を捜しに店を物色する。あまりおいしそうな肉はない。サルタのスーパーみたいな肉がほしい。数軒回ったが似たり寄ったり。あきらめて適当に買う。1枚カットしてもらう。軽くカットしたからおいしそうだ。ピーマンを買って。温野菜を作る。いよいよ肉を焼く。脂肪少ないからサラダ油をフライパンに入れる。焼き始める。いいにおいがしてきた。これならおいしく食べれそうだ。いよいよ焼き上がり、しょうゆで味を調え、包丁でカットして皿に盛る。一口食べる。硬い。日本の肉と違う。ここでは柔らかい肉を求めること自体が不可能だと言うことを発見した。噛むほどにあごが疲れてきた。歯の悪い人はどのようにして肉を食っているんだろう。ピーマンは程ほどにゆでてあり、肉汁をかけると美味だ。アルゼンチンに思い残すことはない。今夜はぐっすり眠らないと、40時間のフライトは体にこたえるからだ。
カミニート

本日の出費500アルゼンチンペソ

2014年2月5日 ブエノスアイレスーカタール
カタール航空は23時。ブエノスは飽きた。スイパチャは人通りが多いが、建物は古臭い。雨も降ってないのに水が落ちてくる。パイプからもれている。こんなことがたびたびある。南米のパリも手入れがおろそかになるとスラムになる。ブエノスの将来はどうなるのだろう。アルゼンチンでのオリジナルの製品とは何なのか。南米ナンバー1はいまやナンバー2になっている。大雑把な感じがする。チリに比べて国土が大きいから、何でも数字は勝っている。只物価はチリのほうが高い。チリのバスは定刻どおり走る。万事きっちりしている。国土は細長いので直ぐに国境に出てしまう。日本に似たところがある。アルゼンチンがアメリカだとすればチリは日本だ。ブエノスの無料ツアーがあるので参加することにする。地下鉄に乗る。切符は窓口で買う。7ペソの均一運賃。ガイドブックは3ペソとなっている。自動販売機はない。何故だろうと考える。アルゼンチンはインフレがひどい。運賃がしょっちゅう変わるので対面販売のほうが手っ取り早い。飲み物などの自動販売機はブエノスにはない。カレー、きつねうどんの自動販売機がある日本に比べ別世界だ。無料ツアーの集合場所は5月広場。最寄り駅はPlaza de Mayo 切符を改札機に入れて、ターンスティールを押してホームに行く。決して清潔ではない。トイレは絶対ない。列車が来る。どの列車にももの凄い落書き。ドイツの比ではない。車内にはエアコンはない。車体はぼろい。乗客は一般市民。集合場所に行くとそれらしいツーリストが集まっている。ヨーロッパからの客が多い。ガイドのねえちゃんが英語で説明する。ウオーキングツアーだから、交通機関は使わない。暑いのと説明が詰まらんので、ドロップアウトする。5月広場には市民が寝転んだりしている。大統領府のピンクの建物がある。センサーが張り巡らされて誰も近づくことは出来ない。チリの大統領府は白かった。カテドラルがある。中に入る。天井絵、壁画、ステンドグラス、祭壇、キリストの像など素晴らしい。南米のどこに行ってもカテドラルは豪華だ。ブエノスの夏は暑い。腹が減ってきた。肉は嫌だ。中華レストランがある。ワンタン、焼きそば、春巻きなんか食べる。200ペソ。結構な味だ。値段も妥当。ホステルに帰る。荷物は部屋から出してある。忘れ物を点検して空港バス乗り場に向かう。ガイドブックのとおり歩いて行く。サンマルチン公園を通るのでレティロにも近い。Mannuel Tienda Leon社のバスのチケットが100ペソ。ガイドブックは80ペソとなっている。あっという間に値が変わる。これまでの疲れがドット出たのか、空港に着いたのがわからず、嫁はんに起こされた。エセイサ空港はブエノスの郊外になる。コンコースに入ると100のカウンターがある。カタール航空のカウンターの番号はモニターに出ている。番号どおりに行く場必ず目指すカウンターに着く。ところが嫁はんの悪い癖が出た。全く関係のないカウンターにどんどん行く。全然ないと文句言っている。当たり前だ。番号は1から順番についている。何故むちゃくちゃ歩くのか。訳がわからん。沈着冷静に歩いてカタール航空のチェックインをすんなり済ます。ペソが残っている。嫁はんに任す。すっからかんになった。セキュリティチェックまではスムース。最後のイミグレが遅い。アルゼンチンのお役人のサービスの悪さがここにも健在だ。長蛇の列なのにブースは半分しか開いていない。お役人気楽に隣の仲間とだべっている。乗客からは文句が出ない。お役人さん国民サービスをしなさい。特権階級面してたら今に国が傾くぞ。カタール航空機内に入る。乗客は結構多い。ところがサンパウロでドット降りた。この区間はアルゼンチン航空、ゴル航空、タム航空など沢山あるのに何故カタール航空を利用するのか。確かに運賃は若干安い。しかし深夜のフライトである。サンパウロからどっと客が乗ってきてほぼ満席だ。これから40時間のフライトとなる。アルゼンチンは遠い。もう一度くるかと問われれば簡単に答えられない。遠く、ハプニングだらけ、硬い肉、野菜欠乏、品種改良の遅れた果物、なんかを経験すると日本の便利になれた俺には決して快適ではない。しかし広い国土、素晴らしい景色は捨てがたい。旅行には何でもある。それが嫌ならテレビのお守りをして一生朽ちていくのを待つことだ。
大統領府
国会議事堂

本日の出費750ペソ

あとがき
今回の旅行は南半球の南緯25度のサンパウロから南緯55度のプンタアレーナスにいたる、長距離、長期間の海外旅行であった。しかも嫁はんと一緒で無事に終えたことは非常によかった。嫁はんには一切言ってないが周到な準備をきっちりやったためであると考える。メールは100本以上打った。返事があるのは30%であった。航空機、バスなど事前手配できるポーションはネットでチケットを買った。乗れなかったらどうするかは一切考えていない。ABC3国を要領よく回るにはそれなりの段取りが必要だ。南米はでかい。出たとこ勝負で行き当たりばったりの旅行するツーリストも多いが、俺は無駄なことが一切嫌だ。手順を間違うと空港、バスターミナルで何日も足止めを食らう。サンパウローイグアス、イグアスーブエノス、ブエノスーカラファテ、パタゴニア内のバス移動、プンタアレーナスーカストロ、サンチャゴーカラマ、サンペドローサルタの区間は特に注意を払った。フィッツロイトレッキング、ペリトモレノ氷河は天気が悪ければ興ざめだ。天気を待つことは一切考えないで一発勝負で出かけた。ホテルの手配もアクセスを第一に、料金を第二に選んだ。代理店を通すと後払い、直接手配すると先払い、キャンセルは全てパーになる。旅行中で事前手配のホテルをチャージのかからないことを確認して、何回もキャンセルし、別のホテルを予約した。ホテルにはwifiがあり随分助かった。夜遅く着いて荷物を持ってホテルを探すのは惨めだ。まず嫁はんが騒ぎ出す。日本に帰って長期間旅行して、嫁はんと喧嘩にならなかったと聞かれる。訳の分からんところにいくんだから、トラブルはつきもの。嫁はんはパニックになることはあるが、文句言ったところで俺についてくるしか方法がないのを理解している。名通訳、名ガイドの通りに動くしか方法がない。結構しんどい旅行であったが嫁はんと一緒のメリットもあった。ホテル、レストランでは夫婦は大歓迎だ。金払いがいいし、犯罪の恐れもない。アルゼンチンのおばさんから言われた。還暦をすぎた日本人夫婦のオリジナル旅行は珍しい、私は主人が死んで一緒に行けなくて、あなたたちがうらやましいと。スペイン語交じりの英語で一生懸命話しかけてきた。俺は決して嫁はんとは仲がよいわけではない。旅行から帰って嫁はんのサービスがよくなったとは思わないが、何となく一体感が出たような感じがする。仲が悪い夫婦は俺たちみたいな旅行をすれば案外薬になるかも知れぬ。日本人には上野山荘では出会ったが、他の土地でパック旅行者以外見なかった。やはり南米は遠い。それに高いと言う錯覚があるのかもしれない。スペイン語が出来なくてもかまわない。英語は必要だ。金さえあれば日本語でオーケ。個人で切符を買ったり、町を歩いたりすると、何となく簡単なスペイン語が分かったような気がする。上野山荘の千鶴子さんが言っていた。Crucero del Norteのようなトラブルはこの国ではしょっちゅうある。日本のようには行きませんよと。アルゼンチンのバスチケットを日本でネットで買えるとは知らなかったと。俺の結論はカードとパスポートさえあれば全世界の乗り物切符は買えるということだ。

Crucero del Norteのその後
これなくして旅行記は終わらない。アルゼンチンのいたるところでCrucero del Norteのオフィスを見た。仇をその場で取りたいところだが、ぐっと我慢する。彼らには本社サイドに物申す権限がない。スペイン語でまくし立てられたら具合悪い。帰国後疲れた身体に鞭打ってメールを打った。喧嘩を売るのは簡単だ。相手が理解しなければ金は戻ってこない。大使館にちくっても無駄だ。お役人は仕事熱心でないことは分かっている。民民トラブルにかかわりたくない。相手のプライドを傷つけないで、こちらに何の落ち度もないことを説得する。次はゆるぎない証拠を示し、反論の余地を与えないことだ。前者は英語力が物を言う。後者はパソコンの添付ファイルがある。この手順で2人分金返せと結論付けた。文句あるなら何でも言って来い、どんな質問でも直ぐ答えてやると、はったりをかましてやった。メールを打って数日間返事がない。こちらが予想したとおりだ。今度は担当者数名にメールを打つ。普通担当者のアドレスは個人情報だが、手配の際にメールを交わしている。そこで俺はきっちりアドレス帳に保存しておいたのだ。すると直ぐに返事が来た。スペイン語と英語で。申し訳ない。返金するから待ってくれと。1週間後に返金手続きが済んだから、まもなくあなたの口座に入るだろうと。10日後2人分返金されてきた。これでやっと旅行記を終えることが出来る。アルゼンチンペソの通貨の下落が俺たちの旅行中にあったらしく、ペソから円への換算は目減りしていた。やれやれ。