講 座 受 講 等

                 

収録講座関係の表題及び講師

 
 1. 国際関係

 平成18年度地球市民講座 「大国化する中国」〜激動する巨大国家の実情
                             
 第1回 「中国の軍事・安全保障戦略」〜「軍事力の増強と軍事外交の積極的展開」
                           講師: 防衛省防衛研究所 主任研究官  松田 康博氏

 第2回 [中国の国家・外交戦略」〜「平和台頭」と大国外交」
                           講師: 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻・助教授 川島 真氏

 第3回 「激動の中国」〜高度成長のジレンマ〜
                           講師: 神田外国語大学 外国語学部中国語学科教授 興梠一郎氏 

 第4回 「中国社会の地殻変動」〜日中関係への問いかけ〜
                           講師: 東洋学園大学 人文学部教授   朱  建栄氏


 平成19年度地球市民講座 「隣人ロシア」新しいロシアと日本の関係

 第1回 「ロシアという国〜「大国ロシア」と日本の関係
                          講師: 河東 哲夫氏 元在ロシア大使館特命全権公使   早稲田大学客員教授

 第2回 ロシアから見た日ロ関係の過去と現状
                          講師: コンスタンチン・サルキソス(ロシア科学アカデミ−東洋学日本研究センタ-元所長 
                               山梨学院大学法学部教授


 第3回 現代ロシア文化の魅力
                        講師: 沼野恭子氏   東京外国語大学非常勤講師  NHKテレビ「ロシア語会話」講師

 第4回 ロシア、対立と交渉の焦点 〜 アジア・CIS諸国との関係を問う

                           講師: 下斗米伸夫氏   法政大学法学部教授 


 平成20年度地球市民講座「イスラム社会は今」

 第1回  イスラ−ム社会を知るために(イントロダクション)
                   講師 : 山岸智子(明治大学政治経済学部準教授 ← 東京大学教養学部アジア文科卒業・・助手)


 第2回  アメリカ大統領選挙と「イスラ−ム世界」
                   講師 : 高橋和夫(放送大学教養学部教授) ← 大阪外国語大学ペルシャ語科卒業 クウェート大学客員                        研究員)


 第3回   イスラームの教えと現代イスラーム世界の女性像
                       講師 : 塩尻和子(筑波大学特任教授  現副学長) ← 大阪外国語大学アラビア語科 東京大学大学院研究科 ハーヴァード                                       大学
   
 第4回  イスラ−ム世界と経済  〜 グロ−バル化だけでない変化を追って
                  講師: 武藤幸治氏 ← 立命館アジア太平洋大学アジア太平洋マネジメント学部教授


 2. 国連協会講演会

    2007 3 14  「安部政権の東アジア外交」 −外務報道官の視点から見えるもの− 
                           講師 : 坂場 三男  (外務省外務報道官)
 


    2007  5 17   「インド:台頭するグロ−バル・パワ−」 
                           講師 : 
佐渡島 志郎氏 外務省アジア大洋州局審議官 
    
                                           (修猷館高 東大卒  福岡出身)

    21.3.12    「中東イスラームの謎を解く

                           講師: 片倉 邦雄 ← 東京大学法学部卒 アラブ首長国連邦、イラク、エジプト駐在大使歴任

     21. 2. 27     「ルーマニア」から見るEUの現状と今後について
                           講師 : 東 良信 駐ルーマニア日本国大使 ← (長崎県出身 東大法学部卒業 S49:総務                                  府入省)


     2008.1.23   「国連大使の任務を終えて」     
                         講師 : 国際協力機構(JICA)副理事長局  前国連大使      大島賢三氏

社会関係

2007 4 24  「九州大学アジア理解講座 アフガニスタンの平和と教育」 
                    講師 :九州大学大学院 准教授 小松太郎氏 (元 JICAアフガニスタン)
 
                                「アフガニスタンの女子教育(女性教師に関わる課題)及びマドラサについて



2007.12. 6  「少年犯罪の風景」 〜光市母子殺害事件の法廷で考えたこと〜   : 福岡市少年科学文化会館
                           講師 : 作家 佐木隆三氏

2007.12.26  九州大学 アジア理解講座     「新たな世代の育成に挑む中央アジアタジキスタン」
                             講演者 : 杢尾 雪絵氏(UNICEFタジキスタン事務所代表)
                                        ・・2006年11月30日NHK放送 「プロフェショナル 仕事の流儀 心にい                                         つも青空を −ユニセフ タジキスタン代表 杢尾 雪絵−」に出演


考古学講座

「魏志倭人伝の考古学−耶馬大国への道」
講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

第 1回   帯方郡
第 2回    韓の国々−魏志倭人伝の世界
第 3回   狗邪韓国−魏志倭人伝の世界
第 4回   対馬国  
第 5回    一支国 (  現壱岐市 )
第 6回    末廬国 現唐津市
第 7回    伊都国 ・ 斯馬国 
第 8回   奴 国 (現福岡市)
第 9回   不弥国(ふみこく)
第10回    投馬国
第11回    邪馬台国−九州説
第12回   邪馬台国・狗奴国−近畿説
007.12.12   歴史講座 「 邪馬台国を訪ねて」  

 : 講師: 橋口達也 氏(文学博士) 
第一回「弥生時代の戦い」 
  

2007.12.16(日) 国際シンポジウム
 「水中文化遺産と考古学」              −海底遺跡ミュ−ジアム構想の実現に向けて−
第1部  基調報告
      1 日本の水中考古学          石原渉氏
      2 オ−ストラリアにおける海事考古学 ロス・アンダ− ソン氏  
 

24. 2. 8     国連講演会                            於いて : よみうりプラザ

 
講師:      相  航一氏       外務省経済局国際経済課長

  
欧州債務問題と日本

1. 欧州連合と(EU)と日本
  (1) 欧州連合とは   27か国加入 人口 5億250万人 GDP 16兆242ドル
  (2) EUの拡大
  (3) 欧州の重要性  巨大市場(世界GDPの約25%)
  (4) 日 ・EUの経済関係

2. 単一通貨ユ−ロの導入
  (1) EUにおける通貨の意識
     ・ 1999年  欧州中央銀行による統一的金融政策   ユ-ロ圏17か国
  (2) EU新規加入加盟国のユ-ロ導入 
     ・ 経済収斂基準(物価上昇率 財政赤字 為替安定 金利)

3. 欧州債務危機の発生
  (1) 通貨統合の構造的課題
    ・ 労働コストの為替による調整が機能せず(競争力の後退)
    ・ 財政規律の不徹底、財政赤字の増大
  (2) リ-マンショックの影響
    ・リスクに敏感になった資金
    ・景気後退に対する財政出動による刺激策→財政赤字の悪化
  (3)周縁国のリスク顕在化
    ・国家財政・金融機関への不安が相乗的に増幅する悪住管循環→実体経済にも波及

4. 欧州債務危機への対応と課題
  (1) 短期 
    @ ギリシャ支援 
    A資金支援メカニズム(EFSFなど)
    B銀行セクタ-の安定化
  (2)中長期
    @財政規律の強化
    A政策調整と経済ガバナンスの強化

5. 欧州債務危機の影響
  (1) 世界経済(貿易33%  債権70%  債務45%)
     ・貿易収縮→経済成長の鈍化
     ・新興国からの資金引き揚げの懸念
  (2) EU統合の将来
     ・財政協定条約 統合速度の分化
  (3) グロ−バルな力関係
     ・ヨ-ロッパからみたアジア感

6. 成長実現のための経済連携〜日EU経済連携協定に向けて
  (1) 日EU経済連携の意義
  (2) 論点と今後の見通し


21.3.12    第321回国連講演会                            於いて : 築紫会館

  講師: 片倉 邦雄 ← 東京大学法学部卒 アラブ首長国連邦、イラク、エジプト駐在大使歴任

      「中東イスラームの謎を解く」

   ■ 講演のポイント

   1.  紛争・エネルギー・イスラームの三要素の絡合い

   2.  拡大するイスラーム人ロ ー 人口の時限爆弾

   3.  イスラームの 『日常』 と 『非日常』

      @ムハンマドの人間像

       人間臭さ 一 熟年の啓示 一 商人性 一 融通性 一 女性感

      A『ジハード』の表裏 ― 奮闘努力 ー 聖戦

   4. 日本とのつながり

      @1930年代に遡る.

      A広がるハラール・ショップ、増える祈祷所

   5.  どうイスラームの人々と付き合っていくか?

  

イスラ−ムの要点

 1.イスラームとは

 (1 SLM(語根)−ASLAMA(動詞 引き渡す)−ISLAM(動作名詞 帰依)

 (2) 人口規模とムスリム分布 − 14億人(世界総人口の約5分の1、非中東地域ムスリムが太宗を占める)

 (3) 六信 一 唯一神(アッラー)、天使、啓典、預言者、来世、定命

 (4) 五行 
       @信仰告白(シャハーダ)唯一絶対の神 アッラーのほかに神はなし
 モハンマドはアッラーの使徒である            
       A礼拝(サラー)原則,日に5回、メッカの方向(キブラ)に向かって

       B喜捨(ザカート)通常、収入の2.5%を貧者に施す義務                 

       C断食(サウム)ラマダーン月には太陽がでている間は一切の飲食を断つ。性交為も禁止  ‥

          *インドネシアでぱプアザと称す 断食月明けの祭り - イード・ル・フィトル(小祭礼) 

       D巡礼(ハッジ)巡礼月7−13日をクライマックスとしてメッカとその周辺を舞台に繰り広げられる一連の儀式。信        者がメッカまでの旅行を行いうる体力と資力がありさえすれぱ(借金不可)・・・ 巡礼月の祭り−イード・ル・アドハ        (大祭礼)。その他の月に行われるのはオムラ(小巡礼)と称する。

 (5)特徴  
 
  
       @セム的一神教一先祖伝来の多神教否定

       Aモハンマド(570632AD)は最後の預言者。モーゼも、キリズトも預言者の一人

       B血統よりも信仰一神に対する畏怖(タクワー) 一 公正と弱者・貧者救済

       C一元性(タウヒード) − あらゆる存在が神の創造物として等価。聖俗・心身の分離なし

       D知識を求めることは一生の義務

       E奇蹟・原罪 否定 一 一神の生ける徴(しるし『アーヤ』)   

       F異教徒に対する寛容性 −- 一啓示に恐れおののくモハンマドを力ずけたのはキリスト教徒ワラカ(妻ハデイージ       ャの従兄弟) 一一 他宗教との共存(オスマン帝国のミレット制)

       G都市的・商業的宗教(反ベドウィーン性一一砂漠的宗教でない)

 (6)クルアーン(QRN) 一  朗唱すべき啓典(114章) 一 押韻散文  一  文盲のモハンマドの言葉一唯一神アッラ    ーからの啓示−アラビア語(「ダード」を発声する者の言葉)翻訳不可=メッカ商人誂りの方言(「歩が悪い」、「稼  ぎ」、「これはたいした儲けもの」等)

  スンニ派 対 シーァ派                         

  (1) 一元化の理想と現実のギャップ             

  (2) スンニ派 @ 現実性 一 四後継者(カリーファ)認める  A イスラーム法(シャリーア)の法源 − クルアーン・言   行録(ハデイース)  ・  類推(キヤース) ・ 合意(イジュマァ)

  (3)シーア派(主流は十二イマーム派)
    
      @アリのみを預言者モハンマドの正当な後継者として認める 
     Aイマームの無謬性一法源としてイ
ジュマア否定
     B殉教意識 旺盛(極端な例:暗殺者集団からヒズボッラまで)
     C救世主待望論(隠れイマ
ーム)
    D最大の祭事−イスラーム暦正月9日(タスワ)、10日(アシュラ)殉教
祭の行進、受難劇、語

 3.社会・文化・経済

  (1)一所懸命より移動性高きをもって貴となす

  (2)偶像否定 一 壮麗なイスラーム建築 一 幾何学的デザイン

  (3)女性の地位(一夫四妻・運転免許問題。 相続・証言能力2分のI) 

  (4)豚肉の禁忌・割礼(ユダヤ教・イスラーム共通)

  (5)イスラーム金融 一 利子(リバー)の禁止 一 実物経済への投資は奨励される.

 4. イスラーム回帰現象             

 1)「ジハード』−『日常』の奮闘努力 vsr非日常』の聖教

 2)イスラーム復興の契機−パレスチナ問題(イスラエルの全エルサレム占領 1967)−イラン・イスラーム革命・ソ連アフガ   ン侵攻とムジャーヘデインの抵抗(1979−)

 3)極端なイスラミスト運動の源泉−エジプト人ハッサン・アル・バンナ(1906 49イスラーム同胞団)及びサイイド・クトウブ   (1906 66イスラーム集団)をイデオローグとする

4)オサマ・ビン・ラーデイン ー 党『アル・カーイダ』(アフガン・アラブズ)・ターリバーンの提

 (59.11同時多発テロ ー 敬後イラクの外来テロリスト 「アル・カーイダ軍団」 の脅威 − サウジなど湾岸諸国出身者多し(    アラブ ・ イラーキー) 一 海外ネットワークを動員、ソフト・スポットも狙う  

21.3.3(火)       平成20年度地球市民講座    「イスラム社会はいま」                  於いて : 築紫会館
 
 講師: 武藤幸治氏 ← 立命館アジア太平洋大学アジア太平洋マネジメント学部教授

  第4回  イスラ−ム世界と経済   〜  グロ−バル化だけでない変化を追って
 
 1. イスラムと経済

  (1) イスラム回帰はなぜ生まれたか 
    ・独立後の民主主義国家体制の独裁化
    ・経済挫折 (東西対立の犠牲)
    → 政治運動としてのイスラム運動
    ・資本主義体制への移行失敗(市場放任主義は石油依存を強め、貧富格差拡大をもたらした)
    → 社会経済改革としてのイスラム運動

  (2) 市場の失敗がもたらす負の経済
    ・イスラムのシステムで是正できる  → 社会基盤への投資(社会的責任投資) : 学校
    ・ 負の生産を生まない経済活動 : 欲望産業規制
    ・イスラム税制 : 救貧税
    ・イスラム金融 : マイクロクレジット

  (3) シャリアにみる人間行為の五範疇

      義務        推奨される行為    どちらでもよい      忌避すべき      禁止行為

      五つの義務    勤勉          殆どの日常行為      一夫多妻      多くの犯罪
   
      礼拝        寄付                          浪費           飲酒

      信仰の告白                                 富の独占/蓄財    豚肉
 
      断食                                                   利子

      巡礼                                                   賭博
 
      納税
  

  (4) イスラム経済とは
    
    ・正当な経済行為として認められるのは、イスラム社会建設・発展に貢献する目的を有する行為(前記の義務、推奨される行為    
 どちらでも良い)  
     *例えば、巡礼を果たすために働く、モスク建設のため蓄える
    
    ・そのためには個人として共同体として果たすべく役割がある
    ・市場(における交換意味)は共同体構成員と利益を共有する
    ・経済行為に関するル−ルは、コ−ランとスンナ、ハディ−スに記されている

  (5) イスラム共同体を支える財政システム

    ・税としてのガザ−
    ・寄進としてのサダカ           
    ・資産信託としてのワクフ
    上記は、何に使われるのか、誰が徴収するのか
        国家の財政システムと二重構造    
    市場における取引
      共通通貨を採用すべきとの意見もある
    
    銀行・金融システムのイスラム的解決
 禁止行為
・金利(リバ−)
・投機
・賭博 
 禁止される投機的対象 
分野(アルコ−ル、武器、一般金融
カジノ、豚肉、ポルノなど)
 実物資産取引の原則 
(アセット、バッケ)
 金融資産の取引は避けるべき 

  (6) 私どもがイスラム社会(その構成員ムスリム)と取引する上で当面する最も大きな違いは
     @リバ−の禁止
     Aハラ−ルビジネスに限定 例えばアルコ−ル販売業には、イスラム金融機関融資できない  

   (7) ハラ−ルかどうかを解釈するのは人間
     例: リバ−(金利)に関する3つの解釈)
     @高利を禁止 
     A延滞利子を禁止
     B固定利子全てを禁止
    利子は債務者のみに負担を強いるので不公平であり、かつ不労所得を認め、貧富の格差を拡大すという解釈からBが支配的 


 2. 金融危機の影響

 (1) 理論的には高いリバレ−ジを求めて金融工学を屈指した金融商品の市場とは異なり実態経済に則した投融資のシステムであ    るから危機に強いというが、
   @マレ−シアの調査からは通常(コンベンショナル)銀行もイスラム銀行も類似したビジネス展開(預金をベ−スに消費者金融と     政府・公的機関の債権で運用)している。→昨年末までは金融危機の影響見られず
   Aドバイのケ−ス
     2つのバブルが弾ける
     ・ 世界的な流動性不足でスク−クというイスラム債の発行が難しい。この債権発行で資金調達を目指したプロジェクトが頓挫      流通市場での価格下落から、投資家の破産
     ・ 石油価格の下落で投資意欲減退
     ・ 出稼ぎの失業、豪華プロジェクトの中断
     ・ アブダビが救出か

 (2) イスラム金融の責任 
  
               巨大プロジェクト

      事業計画(政府系)    ←     プロジェクト工事開始
        ↓
     販売代金                     配当    
      金融機関 →  スク−ク発行 →  投資家   ↑
        ↓                    ↓
      工事代金                  ↓    購入者                       
                              ↓     (利殖)
      コントラクタ−             証券売却     
 


21. 2.27(金)      東 良信 駐ルーマニア日本国大使 講演会                  於いて : 西鉄グランドホテル

              「ルーマニア」から見るEUの現状と今後について

   講師 : 東 良信 駐ルーマニア日本国大使 ← (長崎県出身 東大法学部卒業 S49:総理府入省)

 1. EUとは   

     平和を守り経済と社会の進歩を促進するために結束した27の加盟国から成り、共通の期間を有する欧州の3つの共同体を合    体しものである。

  @ 機構・・・・・・・・・  欧州委員会
                欧州理事会
                欧州司法裁判所
                欧州中央銀行
  A 歴史
 
   ・  1946年9月   ウィンストン・チャーチル、ヨーロッパ合衆国構想
   ・  1950年代    欧州石炭・鉄鋼共同体
                 欧州経済共同体(EEC)
                 欧州原子力共同体(EAEC)  
   ・  1965年      欧州3共同体の一本化への一歩
      〜 1967年7月 → 欧州共同体(EC)と総称
   ・  1986年1月〜1993年
                 欧州連合条約(マーストリヒト条約)発動により欧州連合(EU)創設
   .  1999年1月〜2002年2月
                 ユ−ロの誕生と唯一の法定通貨
     
  2. EU域内(単一)市場について
      4つの自由・・・・・・人、物、サービス、資本の自由な移動
      27カ国、4憶9000万人
 
  3. 単一通貨ユーロ圏について
      2002年3月1日 EUの加盟国中12カ国が自国の通貨を永久に放棄し、新しい単一通貨(ユーロ)を採用

 
  4. EUの拡大について
      ロシアは不参加

  5. 欧州にとっての長期的課題の検討について(EUサミット)
      2007年12月14日
      ・ 長期的な具体的課題(例:持続的成長、世界の安定、移民、エネルギー、気候変動、国際犯罪とテロ)
      ・ EUが欧州市民にとって近い存在となり、市民の期待とニーズに応えるための方策
 

  参考:      ルーマニアについて
  
  1. 正式国名:  ルーマニア(ROMANIA)
      
      面積    : 237,500平方キロ(本州くらい)  
      人口    : 21,623,849人(2005年)   
      民族    : ルーマニア人  89.4%
               ハンガリー人   7.1%
               ロマ人       2.1%
               ドイツ人      0.2% 等     
      宗教    : ルーマニア正教
      言語    : ルーマニア語(一部 ハンガリー語、ドイツ語)
      政体    : 共和国

  2. ・1881年 ルーマニア王国の成立
     ・第二次世界大戦後、共産党政権
     ・1989年 チャウシェスクの失脚

 
21. 2.24(火)  平成20年度地球市民講座    「イスラム社会はいま」                  於いて : 築紫会館
 
  講師 : 塩尻和子(筑波大学特任教授  現副学長) ← 大阪外国語大学アラビア語科 東京大学大学院研究科 ハーヴァード                                       大学

    
第 3 回 イスラームの教えと現代イスラーム世界の女性像
  
    1.クルアーンの理念とイスラーム法

    
イスラームは男尊女卑の思想であると思われているが、聖典クルアーンでは、男女はともに自由で平等であり、ともに正義の    ために戦うパートナー同士だと教えている。旧約聖書が語るような原初の女性(エヴア)に対する非難は見当たらない。しかし、    預言者ムハンマドの死後200年から250年を経て編集されたハデイース(第2の聖典といわれる)では、原初の女性(ハウワー)に   人間界の罪の全責任を負わせるという記述が見られるようになり、女性は理性と倫理的責任が欠如した愚かで無知な存在とし    て描かれる。
    イスラーム初期の歴史的事実を検討すれば、ムハンマドは身近な女性を人間的に信頼し、彼女たちの意見を尊敬して聞いてお   り、差別的な言動を取らなかった。しかし、イスラームが体制化していく過程で、当時の地中海周辺の家父長的な伝統を採用して  、女性には妻となり母となるという生物学的な役割が固定されるようになった。9世紀に成立したイスラ   ーム法では女性は、結   婚前は父親か男性親族の保護下にあり、婚姻を機に夫に引き渡され、夫に服従することによって扶養権を得て暮らす存在となる   。結婚の目的は合法的で正しい「夫の子」を得て、イスラーム社会を存続させることである。
 
  2.イスラーム法とは? 

    イスラーム法(シヤリーア)は、人間の行為全般にわたる神の指針であり戒律であり。その立法の源となるのは以下の4点であ
   る。
     1
. クルアーン(永遠の神の言葉)
    2. スンナ(預言者ムハンマドの生前の言行録ハディースから得られる知識)
    3. インジュマー(信徒の見解の一致、現実には法学者の見解の一致)
    4. キヤース(法学者による類推)
    これらを法源として制定される厳格な道徳規範である。神が決めた法であり、その原理は改変することは不可能である。しか    し、成文法ではなく、法学者が原理に則って個々の事例を判定する不文法であり、基本的概念は「人間とはなにか」に基づいて    いる。
    人間の行為を「義務行為」「推奨行為」「自粛行為」「禁止行為」に分類しており、人間にかかわるあらゆる行為が対象となる。
   実定法(市民法)との相違はここに見られる。 
    法の執行においては、九世紀の中頃までに成立した四法学派(ハナフィー派、マーリク派、シャーフィイ−派、ハンバル派)の学   説を固定して遵守する体制を、現在まで採ってきた柔軟な対応が見られる。
    クスラーム法は、宗教儀礼のみならず、日常生活、社会生活、経済活動、政治や国際関係に至るまで、人間活動の全般に深く   関わる戒律である。政教一致的な社会理想とされるために、現在でもサウジアラビアやスーダンなど、宗教的保守派の国はこの    法を国家の法として採用している。近代的な市民法を敷いている国.地域でも社会的日常的にはイスラーム法が大きな力をもっ   ている。特に結婚、離婚、子弟の養育、遺産相続などの家族法の分野では、ほとんどすべてのイスラーム教徒がシヤリーアに従   って生活している。


  3.イスラーム法と女性               

    イスラーム家族法は女性の一生に深くかかわっている。結婚前の女性に対しては、性道徳は異常なほど厳しい。たとえば「名    誉のための殺人」のように、イスラーム法の規定とそれぞれの地域の習俗や因習と結びついて、本来はクルアーンの教えでなか   ったものが「神の命令」として導入され、女性を抑圧する要因となっている。現在でも若い女性の結婚をめぐる悲劇が絶えないこと   も事実である。
    性道徳は男女双方に課されるものであるが、とりわけ女性に厳しい規範である。しかし、同時に、イスラーム法では、女性の生命   を守るために、たとえば「姦通罪」ができるだけ成立しないような措置がとられていることにも注目したい。 
    クルアーンの教えでは、男女の役割分担が固定的に考えられている。女性の役割はまず「妻」であり、「母」である。よくイスラー   ム社会では、建前では父系社会であるが、家庭では母子の絆が強いといわれる。実際に女性は子供を生むことによって一人前   になると考えられており、母と子の「子宮の紐帯」という根強い観念もみられる。
               
  4.女性の役割
 
    保守的にみえるイスラーム社会でも、実際には、統計に現れる女性就業率よりももっと多くの女性たちが社会で働いている。貧   富の差が大きい国や地域が多いために、富裕層の高学歴の女性は貧困層の女性の家事や育児の支援を受けて(お手伝いさん   などを雇い)、キヤリアウーマンとして働き続けることができる。貧富の差という社会の二重構造によって女性の社会進出が支えら   れている。また男女を隔離することによって、女性の世界で働く女性の専門職も必要とされる。
    イスラーム的な衣服などに見られるように、イスラームの伝統はおもに女性によって支えられていることは見逃せない。とくに、   今日、男性が社会で欧米と変わらない種類の仕事に就くー方で、宗教的な伝統は家庭で守られる時代であり、伝統の担い手と    しての女性の役割と責任は重くなっている。
    イスラーム世界も過激な宗教復興運動のただなかで急激なグローバル化という変化を経験している。今後、クルアーンで教え    られている「男女の役割分担」は、どのように考えられるのであろうか。生物学的な人間のあり方を、当然のこととして考えるなら   、イスラームの説く女性観はより自然な考え方かもしれない。イスラーム世界の女性の役割が今後、どのように変化するのかしな   いのか、注目していきたい。
 


 21. 2.10(火)  平成20年度地球市民講座    「イスラム社会はいま」                  於いて : 築紫会館
 
  講師 : 高橋和夫(放送大学教養学部教授) ← 大阪外国語大学ペルシャ語科卒業 クウェート大学客員研究員)

    第 2 回  アメリカ大統領選挙と「イスラ−ム世界」

 1.大統領選挙
   ネットを制し、テレビを制す
  
 2.オバマの「イスラム」性の問題
   モスクを避ける、イスラム教徒の映像を避ける
   宗教問題の顔をした人種問題か

 3.アメリカのイスラム
   「2006年11月中間選挙」
      キース・エリソン(Keith Ellison)下院議員当選
        イスラムの存在感の増大
     [アメリカのイスラム教徒]
      @ ブラック・ムスリム 〉 怒りのイスラム
      A マドンナのイスラム(その他の改宗者/白人、アメリカ先住民) 〈 癒しのイスラム
      B イスラム諸国からの移民

     [ブラック・ムスリム]
       イライジャ・ムハマッド(1930年代から指導者)
        マルコムX(スパイク・リーによる映画化)、 モハマッド・アリ
         「ネーション・オブ・イスラーム」大半は主流のイスラムへ「改」宗  
          ルイス・ファラカン
      
     [白人の改宗]
        ディアボーン、デトロイト、
         アラブ移民とイスラム教徒
          ジャック・ナッセー(フォード前社長)
           ラルフ・ネーダー(消費運動活動家)
            スペンサー・アブラハム(元エネルギ−長官)
             ポール・アンカ(中東からの移民)
              カルロス・ゴーン(レバノン系)
               アンドレ・アガシー(アラブ系ではないイラン系アルメニア系)

     [移民のイスラム]
       移民の波 アラブ系以外のイスラム教徒移民が多数
         イスラム教徒 〉〈 ユダヤ教徒
         200万〜800万 〉〈550万 組織力、 資金力、 影響力

     [2000年の大統領検挙]
      2000年の大統領選挙のフロリダ州の状況

     [対立と協調]
      宗教的なマイノリティーとしての協調性
      リーパーマン(2000年の副大統領候補、2004年の大統領選挙)
       「パレスチナ国家の樹立によるパレスチナ問題の解決」
         「公開されない証拠」
      アメリカ軍の中のイスラム教徒
  
     [希望と恐怖]
      イスラムのアメリカにおける独自の発展? 女性イマーム

  4.イラク政策
   マケイン、ヒラリー 〉 オバマ
   イラク、アフガニスタン
   バイデン副大統領
   アメリカ軍駐留協定とのオバマの公約

  5.イスラエル/パレスチナ政策
    ユダヤ人票の動き
    イスラエル/パレスティナ
    今日のイスラエル総選挙の結果

  6.アフガニスタン・パキスタン 

  7.イラン政策
     マケイン・ヒラリー 〉 オバマ
     ロシアとの取引
     6月のイラン大統領選挙

  8.人事か万事
     クリントン政権第三期、オバナトン政権、
     挙党一致政権
     挙国一致政権、「みんなで渡れば怖くない」政権
     中東に本気なのか経済重視のアリバイか?
     イスラム世界へのメッセージ
 21. 2. 3(火)  平成20年度地球市民講座    「イスラム社会はいま」                  於いて : 築紫会館
 
 講師 : 山岸智子(明治大学政治経済学部準教授 ← 東京大学教養学部アジア文科卒業・・助手) 

    第 1 回  イスラ−ム社会を知るために(イントロダクション)


  1. そもそも「イスラ−ム」とは

    ■ 回教 ← 中国でイスラ−ムを信仰する「回」族
    ■ マホメット教  ×「マホメット」をあがめているわけでない。・・人間ではあるが神ではない。
                ×正則アラビア語では「ムハンマド」
    ■ イスラ−ム教 △内面の宗教だけではない
    ■ アラビア語で同じ s-l-m から派生した語 :「サラーム」=平安、「タスリーム」=平定
    ■(神に)絶対的に帰依すること・・・・・「生き方」の問題
    ■ ムスリム:帰依した人(男性単数)

  2. ムスリムの分布 
    
    ■ ムスリム人口が最大なのはインドネシア      : 約2億人
    ■ 次はパキスタン                      : 約1億人
    ■ そしてインド : 全人口10憶2072万人の13% : 約13億人
    ■ ナイジェリア : 全人口1憶4千万人の約半分  : 約7千万人
    
  3.イスラームの基本

  4. コーランを説く人類史 
    
    ■ 創造の日 ・・・・ イスラームの誕生
    ■ アダム   ・・・・ 失楽園、子孫は神の命令を忘却
    ■ アブラハムへの啓示・・・子孫(古代イスラエルびと)は、-- 神教と偶像崇拝否定以外は忘却
    ■ モーセへの啓示 ・・・ 律法(戒律)は理解、自分たちだけのためのものと誤解
    ■ イエスへの啓示 ・・・・イエス崇拝・個人信仰の強調しすぎ。現世の問題は世俗権力に任せた。
    ■ ムハンマドへの啓示・・ユダヤ教、キリスト教の誤りを正す人類史上最後の劇的なドラマ
    ■ 終末〜最後の審判
   
  5.預言者・啓典・信徒

    ■ イスラームはそれ以前の預言者たちを認める→「啓典の民」
    ■ ムハンマド預言者の「封印」

       ユダヤ教徒 ≠ ユダヤ人

 予言者 啓典 信徒
モーセなど 十戒〜律法 ユダヤ教徒
イエス 福音書 キリスト教徒
ムハンマド クルアーン
(コーラン)
ムスリム
    
  6.イスラームの六信

   ■ 預言者〜アダムからムハンマドまで
   ■ 啓典〜律法・福音書・アル=クルアーン

   ■ 天使〜啓示を預言者に運ぶ。堕天使は人を惑わす
   ■ 来世〜終末、復活、最後の審判、天国と地獄
   ■ 定命〜神は全知全能but矛盾あり
   ■ 神〜時間・空間に限定されない。人間の理解を超える。この世を創造し破壊する唯一神    


  
7.イスラームの六信とは世界観

        世界はいかに存在するか〜神が創造する
      (人も動物も自然もすべて)
   ■ そこで人はいかに生きるべきか〜神が啓示をくだして教える
   ■ その啓示を下ろす役〜天使
    ■ その啓示を受けて広める〜予言者
   ■ 啓示に従って生きれば最後の審判で天国行きと裁かれる
   ■ ただし、この世での運命は神の予定〜定命
   
   
  8.イスラームの五行 (行うべき義務)
  
   ■ 信仰の告白  〜 神は唯一 & ムハンマドは神の使徒
   ■ 定めの礼拝 〜  1日5回神を称賛。金曜は特に集団で
   ■ 喜捨 〜 農作物の1割など。運搬費に消えるため、実行は稀
   ■ 斎戒 〜 ラマダーン月の日中は断食。夜は親類や友人と大宴会
   ■ 大巡礼 〜 巡礼月に決まった儀礼を。メッカの収容可能数100(ムスリムは現在10億超)。平均寿命100歳でも10人にひ             とり

  9.スラームは「戒律」の厳しい宗教?

   ■ 「五行」でも、さまざまな免除規定 〜 実はフレキシブル
   ■ コーランに書かれていないことは「イスラーム法(シャリーア)」で規定      
     〜専門家(法学者、裁判官など)            
   ★宗教会議はない、最終権威もいない

   ■すべてを規定するといっても‥・義務、のぞましいこと、どちらでもいい、のぞましくない、禁止、の5種に分ける  

 10.イスラームのいう「社会」            

   ■ イスラームの家(ダール・アル=イスラーム):イスラームの秩序が保障されている空間そのなかには「啓典の民」も住む
   ■ 共同体(ウンマ):ムスリムが構成する
      現代では領域関係無し

 11.現代世界では「イスラーム社会」は成立するか。

   ■ 「国民国家」を成立させにくい:多言語・他宗教が前提だった
     →民族紛争
   ■ 「近代法」の導入:「イスラーム法」との、齟齬、政教分離の問題
     →「イスラーム主義」のうねり
   ■ 「西洋」との難しい関係 〜 植民地主義の遺産
   

 12.「イスラム報道」の問題
   
   ■ ムスリムの問題は全て「イスラム」?
      全てのムスリムが同じイスラーム観をもって行動しているわけではない
   ■ 二項対立しがち
      「文明←→野蛮」 「民主主義←→テロ」
      理想化された「西洋」←→「他者」としての「イスラム世界」
   ■ 情報の「鋳型」 〜 「理解」に資さない
      NB.情報量の問題ではない
      「わかりにくい」の繰り返し ・・知るべきことが知らされていない

             セム系三宗教の対照表

ユダヤ教 キリスト教 イスラーム教
創唱者 (モーセ) イエス ムハンマド
信仰対象 神(ヤハウェ) 神、イエス・キリスト
(精霊)

(アッラーとはtheGodのことで神の名ではない
創唱者の性質 預言者(人間) 神の子、救い主
(崇拝の対照)
最後の預言者(人間)
聖典 旧約聖書おもに律法
(モーセの五書)
聖書
(新旧約聖書)
クルアーン(+ ムハンマドの言行録ハディース)
旧約聖書のモーセの五書、ダビデの詩篇。
イエスの福音書(新約聖書の最初の四書)
信徒 イスラエルの民
(選民、ユダヤ人)
人類(普遍的) 人類(普遍的)
行為規範源 タルムード (精神的規範) シャリーア(イスラーム法)
教団組織・
聖職者階級
宗教指導者としてラビ 教会、教団聖職者として教皇
司祭、神父(プロテスタントでは牧師
教団組織も聖職者階級も原則としていない。
(イマームは礼拝の指導者、ウラマーはイスラーム法学者、時には宗教的指導者の役割も持つ)
理想的な社会との関係 政教一致の契機をもつ
(約束の土地 )
政教分離(霊肉の分離) 政教一致(信仰生活と社会生活の一致)
聖日(安息日) シャバト
(金曜日の日没から土曜日の
日没まで一切の労働をしない)
日曜日 金曜日(正式には木曜日の日没から金曜日の日没まで、合同礼拝日)
閏年を設けた大陰暦を使用、農
耕に適している。
キリスト誕生を元年とする太陽暦、
グレコオ歴ともいう。西暦。
ヒジュラ暦と呼ばれる。(純粋な大陰暦、太陽暦より1年で約11日少ない。四季に一致しない。)
主な食物規定 コーシェル(カシュルート)という厳
格な規定がある。豚肉も食べない
原則として食物規定はない。 豚肉、酒類、規定に則って処理されていない食肉などの禁止規定がある。
09.1.18(日)           「ア−カイブス 古代史の謎」                       : 伊都国歴史博物館

 講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

 第 10 回  楽浪・帯方郡の遺跡と高句麗の壁画古墳

  
1. 平成17年 1月 23日 東大阪市立埋蔵文化財センタ−第4回「東大阪学」講座から ビデオ放映

  2. 「楽浪海中に倭人あり」(『漢書』地理志)
    
       -楽浪郡の遺跡-
    
  3. 高句麗の発展と楽浪・帯方郡の滅亡
 
  4. 高句麗の古墳
 
  5. 高句麗の壁画古墳

 
08.12.21(日)           「ア−カイブス 古代史の謎」                       : 伊都国歴史博物館

 講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

 第 9 回  追跡・巨大古墳の謎


 
1. 唐津市・九里双水古墳の発掘調査
     平成6年(1994) 6月 久米宏 ニュ−スステ-ション放送から


 2. ビデオ上映
  (1) 追跡・巨大古墳の謎-唐津・九里双水古墳
     NHK 九州スペシャル 平成7年(1995)9月17日放送から

  (2) 不思議なオブジェ!  前方後円墳
     NHK 今夜はあなたとミステリ− 平成7年(1995) 6月23日放送から

 3. 講話 -  前方後円墳の出現
 
  (1) 弥生時代の墳丘墓と初期の前方後円墳 
  
  (2) 前方後円墳の源流
 
  (3) 前方後円墳出現の背景

 
 4. 糸島地方の弥生時代墳丘墓と初期前方後円墳



08.11.16(日)           「ア−カイブス 古代史の謎」                       : 伊都国歴史博物館

 講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

 第 8 回  ガラスの来た道

 1. BSS山陰放送  平成6年(1994)10月放送から  


 
2. ガラスの起源と伝播 
 
   (1)  メソポトミア・エジブト・・・ イラク(4300〜4500前製)・・・棒状のガラスもの発見
                           (3500〜600)    ・・・器が生まれる 
                           (2500〜700)    ・・・透明な器が生まれる
    (2)  ロ−マン・グラス  ・・・・   (1000〜500) 吹きガラス(シリア)      

   
 (3)  ササン・グラス(ペルシャ)

     (4)  イスラム・グラス

  3. 中国・朝鮮・日本のグラス
   
    (1) 唐 ・長安(西安) ・ 何家村 ・西法門寺
    (2) 新羅 ・金城(慶州) 金鈴塚 ・ 天馬塚・ 松林寺五重塔
    (3) 奈良 ・新沢千塚126号墳 ・ 東大寺正倉院(中倉)


  4. 宗像・沖ノ島と固原・李賢墓出土のササン・グラス
    (1) 宗像・沖ノ島 8号岩陰遺跡 ( 韓国 新羅からもたらされた公算が強い)
    (2) 寧夏回族自治区固原県・李賢墓
    
08.10.19(日)           「ア−カイブス 古代史の謎」                       : 伊都国歴史博物館

 講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

 第 7 回  玄界灘・海と人の物語
        

 1. (1) 玄界灘に浮かぶ対馬・壱岐島・沖ノ島と 韓国西海岸の竹幕洞遺跡
    (2) 原の辻遺跡調査事務所が平成12年度に映像発信事業として製作

 2. (1) 玄海灘・海と人の物語
        NHK九州スペシャル 平成15年(2003)3月27日 放送から
    (2) 今、時空を越えて甦る弥生の王都〜壱岐・原の辻遺跡〜
        長崎県教育委員会 平成13年(2001) 3月製作から

 3・ 講話 
     宗像・沖ノ島における古代の祭祀と豪族
    @ 沖ノ島における祭祀の諸段階
      ・ 岩上遺跡
      ・ 岩陰遺跡
      ・ 半岩陰半露天遺跡
      ・ 露天遺跡
    A 沖ノ島における祭祀の背景
      ・ 胸形(宗像)君と沖ノ島
      ・ 国家的祭祀
    B 韓国の「沖ノ島」 - 竹幕洞祭祀遺跡
     
    C  胸形君一族と津屋崎古墳群


08.9.21(日)           「ア−カイブス 古代史の謎」                       : 伊都国歴史博物館

 講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

 第 6 回  邪馬台国への道 - 見えてきた倭人伝の世界
                    - 古代の”謎”−邪馬台国への道



 1.(1) 平成7年(1995)  1月29日 福岡市西市民センタ― 古代史シンポジュウム
   (2) 平成13年(2001) 10月2日 IMSホ−ル 九州国立博物舘着工記念シンポジュウム
 
 
 2.(1) 邪馬台国への道-見えてきた倭人の伝の世界-
      KBC九州朝日放送 平成7年(1995)2月12日 放送から
   (2) 古代の謎邪馬台国への道
      TNCテレビ西日本  平成13年(2001) 10月20日 放送から


08.8.17(日)           「ア−カイブス 古代史の謎」                       : 伊都国歴史博物館

 講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

 第 5 回  ふくおか学入門 − 海人族と奴国王.・金印の謎 -


  
1. FBS福岡放送  平成4年(1992) 9月12日 放送から

  2. 金印発見の経緯
 
     天明4年(1784年) 『志賀島村百姓甚兵衛金印掘出候付口上書

      那珂郡志賀島村百姓甚兵衛申上ル口上之覚
       
      私抱田地叶の崎と申所田境之中溝水行悪敷御坐候ニ付、先月廿三日右之溝形ヲ仕直シ可申迚岸を切落シ居候処、     小キ石段々出候内弐人持程之石有之、かな手子ニ而堀除ケ申候之処、石之間ニ光候物有之ニ付、取上水ニ而ス々      キ上見候処、金之印判之様成物ニ而御坐候、私共見申タル儀モ無御坐品ニ御坐候間、私兄喜兵衛以前奉公仕居申     候福岡町家之方ヘ持参リ、喜兵衛 見セ申候へハ、大切成品之由被申候ニ付、其儘直シ置候処、昨十五日庄屋殿 、
     右之品早速御役所江差出候様被申付候間、則差出申上候、何レ宜様被仰付可被為下候、奉願上候、以上
                                       志賀島村百姓
                                                    甚兵衛 印

         天年四年三月十六日
         津田源次郎  様
          御 役 所
            
       
甚兵衛申候通少モ相違無御坐候、右体之品掘出候ハ 不差置、速ニ可申出儀ニ御座坐候処うかと奉存、市中        風説モ御坐候迄指出不申上候段、不念千万可申上様も無御坐、奉恐入候、何分共宜様被仰付可被為下願、奉願       上候、以上
                                                          武蔵 印
                                         同年同月 日   組頭吉三
                                                      同勘蔵
               
                                              津田源次郎様
                                                  御 役 所

 3. 金印の出土地点  

      『筑前国続風土記附録』 
       中山平次郎 1914「漢委国王印の出所は奴国王の墳墓に在らざるべし」『考古学雑誌
       森貞次郎・乙益重隆・渡辺正気、『福岡県志賀島の弥生遺跡』、『考古学雑誌』
       九州大学文学部考古学研究室、1975『志賀島―「漢委国王」印印と志賀島の考古学的研究』福岡市。金印調査        団

 4. 金印出土地の構造と性格
        亀井南冥 - 金印遺棄説
        伴 信友・ 中山平次郎ほか - 隠匿説
        三宅米吉・那珂道世・菅政友・笠井薪成ほか - 墳墓説
        大森志郎 - 金印隔離説

 5. 「漢委奴国王」金印をめぐって
        亀井南冥  1784『金印弁』
        三宅米吉  1892漢委奴国王印考」 『史学雑誌』

 6. 奴国と金印
      岡崎敬 1968「漢委奴国王」金印の測定『史学雑誌』


08.7.20(日)           「ア−カイブス 古代史の謎」                       : 伊都国歴史博物館


 講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

 第 4 回  楽浪遺物のある風景
  
  
1. BSS 山陰放送(島根) 平成14年(2002)11月13日放送から

   2. 楽浪郡とは

   3. 楽浪遺物を求めて...古代出雲を中心に

   4. 楽浪郡の遺跡発掘−ピヨンヤンの遺跡と出土品
       勝利洞(旧・土城洞)木かく墓

   5. 中国鏡に映る風景
 
   6.東北アジアに連動する歴史
2008.6.15(日)           「ア−カイブス 古代史の謎」                       : 伊都国歴史博物館

 講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

 第 3 回  弥生時代の西と東 − 伊都国の遺跡と大塚・歳勝土遺跡−

 1.  横浜市歴史博物館 大塚・歳勝土遺跡国史指定20周年・公園開園10周年記念講演(H18年6月25日)テレビ放送ビデオ鑑賞
  
      大塚遺跡は、横浜市歴史博物館のとなりに遺跡公園として保存されている、弥生時代の住居の跡が多数発見された環濠集落遺跡。環濠の内側には110棟以上の竪穴住居が発見され、実際には20〜30棟程度が生活の場として同時期に立てられ使われていたものと考えられる。一時期の人口は100人前後であったと計算されている。
      歳勝土遺跡(さいかちど)は、大塚遺跡に隣接し、丘陵地に立地している。方形周溝墓が25基発見されており、大塚遺跡の住民の墓地と考えられる。

 2.  『漢書』地理志に見える「百余国」の国々・

  (1) 国都(王都.首都)の遺跡−拠点集落(大規模環濠集落)

  (2) 王墓の遺跡−墳丘墓・方形周溝墓

  (3) 環濠集落と方形周溝墓群 − 大塚・歳勝土遺跡

 3. 『魏志』倭人伝 に見える「三十国」の国々

  (1) 国邑=国都の遺跡−伊都国の三雲 ・井原遺跡 
  
  (2) 王墓の遺跡 − 伊都国の三雲南小路 ・井原鑓溝遺跡 ・平原遺跡

  (3) 邪馬台国と伊都国

  (4) 邪馬台国と狗奴国




2008.5.18(日)
          「ア−カイブス 古代史の謎」                       : 伊都国歴史博物館

    講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)


    第 2 回  日本文化の原点をさぐる−東夷伝のみち・韓国古代史紀行

 1. STSサガテレビ 平成4年( 1992) 秋 放送のから

 2. 稲作文化のル−ツ

 (1) 稲の道
   ・ 稲の起源と日本への伝播に関する従来の定説
      揚子江系列・・・・   朝鮮経由説  江南説 南方説 
   ・ 稲の起源と日本への伝播に関する従新しい学説
      ジャポニカの起源説・・・長江起源説→菜畑遺跡

 (2) 環濠集落の系譜
   ・ 興隆窪文化(AD6000)内モンゴル  
   ・ 遼西区→下遼河区→嫩江中下流区→第二松花江流域→渾江流域区→朝鮮半島南部地区→日本九州地区

 (3) 支石墓の伝播
   ・ 遼東→ 朝鮮半島 →北部九州

 (4) 青銅器とガラス管玉

 3. 帯方郡から狗邪韓国へ
 
 (1) 風納土城−帯方群

 (2)金海貝塚と良洞里墳丘墓群−狗邪韓国(弁辰狗邪国)
   
2008.4.20(日)  名誉館長講座「ア−カイブス 古代史の謎」                       : 伊都国歴史博物館

講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

 第 1 回  弥生時代がさかのぼる−ハイテク年代測定の波紋

 
1. はじめに 
    2003年7月7日のNHK「クロ−ズアップ現代」に講師が出演された内容は、同年5月19日に、国立歴史民族博物館の研究グ  ル−プが、「弥生時代の開始年代は従来の説より500年ほど古くなる」という概要が発表されたことに伴い、報道各社が、その波紋について報道し出演されたもの。
    今回は、500年遡ることで過去の研究との整合性はどうなのかを掘り下げる。(当時の各社の報道のビデオテ−プを数本見た。)
   
 2. 弥生土器の型式編年による検証
   @ 稲作文化の伝わり方による方法 
      弥生の始まりは、土器の型式学によって決めてきた。土器の型式編年による相対年代を何十年もかけて構築されてきたが、その成果が新たな一つの研究で一挙に崩れ去ることにならないか。
      
   A 年代測定法:   AMS法(1978年開発)・・・加速器質量分析  残留遺物の炭素から分析できる。
   B 年代の決め方
     ア 相対年代 ・・相互関係によって決めていく。
       ・ 型式学が基準となる  土器の変化を見る
       ・ 層位学          埋没資料の地層の上下関係を見る
     イ 絶対年代・・ 自然科学的考法
       ・ 貨泉の年代 貨幣  銘文 記録
       
 3. 鉄器による検証
    

 4. 朝鮮半島における鉄器の出現時期
    朝鮮半島北部には、初期の鉄器資料がある。現在の北朝鮮ピョンヤン付近で鉄斧の鋳型の出土している。その形式は、中国の戦国形式と共通している。


 5. 朝鮮半島の青銅器文化
  
 6. 終わりに
    従来の年代は相違しない。若干遡るかも知れない。
2008 . 3.15 (土) 「魏志倭人伝の考古学−耶馬大国への道」               : 伊都国歴史博物館

  講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)
  

    
           第 12 回   邪馬台国・狗奴国−近畿説

1.はじめに

  倭人伝に見える狗奴国
    その南に狗奴国在り。男子を王となす。その官に狗古智卑狗あり。女王に属さず。

2.邪馬台国の登場−3世紀前半の東アジア

 (1) 中国大陸一魏・呉・蜀の三国時代(『三国志』の世界)

 (2) 朝鮮半島一楽浪・帯方郡、夫余、高句麗、東沃沮、悒婁、韓(馬韓・辰韓・弁辰)
 
 (3) 日本列島一倭人(使訳通ずる所三十国一邪馬台国ほか)

3.『魏志』倭人伝の内容と性格

 (1) 距離・方位などの地理情報と、風俗・習慣などの生活
   情報倭人伝の中で国名は出てくるが住民の風俗習慣の記載が少ない。また、牛馬無しとの記載があるが牛馬の  存在は確認されている。

 (2) 魏と倭、ことに邪馬台国との外交関係一朝貢・冊封体制
      外交が重要視されたものである。
 
  (3) 『三国志』編纂の意図と『魏志』倭人伝の性格
     ・ 魏志倭人伝には、二つの問題がある。
    @ 魏王朝を中心とした編纂目的がある。
    A 四夷(北狄、西戎、東夷、南蛮)の中華思想
      遠交近攻(戦乱の中で倭国等遠方の国とは交渉を保つが隣国とは戦う。)
 
  
4.魏の詔書の性格と「銅鏡百枚」

 (1) 魏の詔書の信憑性
      大庭脩氏書「親魏倭王」によると詔書は正確に記載されている。

 2)「銅鏡百枚」は三角縁神獣
      景初3年(237年)銘の鏡: 島根県出雲神原神社古墳より100枚発掘 
      正始元年(240年)銘の鏡3枚発掘(山口、丹波、高崎)

 (3) 小林行雄博士の同笵鏡論−近畿地方を中心に全国に配布された。

5. 倭国の乱の検証(2世紀後半か?) 

 (1) 環濠集落と高地性集落の分布
      郡は全国600カ所程度ある。郡在る所に国がある。

 (2) 鉄製武器の発達と銅・骨・木製鏃による補完

 (3) 木製武具(甲・盾)の発達

6. 邪馬台国の舞台

 (1) 小型銅鐸と銅鐸形土製品の分布

 (2) 小型倣製鏡・貨泉の分布

 (3) 前方後円()形墳丘墓の分布

7. 邪馬台国の規模と墳墓

 (1) まき向遺跡(群馬県高崎市)

 (2) 大和古墳群(奈良県大和)

8.「まき向型」古墳と庄内式土器の分布

9. 倭の二つの国

 (1) 弥奴国(ミナコク)の国都一吉野ケ里遺跡
     弥奴国は嶺国ではないか。日本書紀に雄略天皇(466年)が、嶺の県主・・水間君(三潴?)の飼い犬が・・・とある。
     現在の神埼郡は、平安時代まで三根郡と神埼郡(三根郷)であり、併合されたことや吉野ヶ里の規模から王墓で国が存在していた可能性。

 (2) 狗奴国(くなこく)から毛野国(けのこく)ヘ
   狗奴国〜有力は、愛知県尾張説である。
   毛野国〜仁徳天皇時代群馬県栃木県の一部 上毛野郡
                                  下毛野郡
    



2008 .3 .13 (木)
 国際情勢講演会   「これからのロシア」            於いて    よみうりプラザ

 講師 : 外務省欧州局ロシア課長   武藤 顕氏

 1. ロシア情勢

  (1) ロシア大統領選挙結果

    @ 投票率69.81% は、前回の大統領選挙及び昨年末に実施された国家院選挙を上回り、政権側は目標達成
      注 − 過去の大統領選挙での投票率 : 2004年64.3%  2000年68.7%  2007年国家院選挙 63.7%

    A 得票率 : メドヴェ−ジェフ第一副首相が70.28% 
              以下 シュガ−ノフ共産党党首17.72% ジリノフスキ−自民党党首9.35% ボグダノフ民主党党首1.30% 
    
    B 共産党は得票率を拡大。野党勢力の受皿となった。

    C 要人の発言
      ・ メドヴェ−ジェフ第一副首相 : プ−チン路線を維持する、プ−チン大統領と政府改造に取り組む、大統領、首相の権限を変更しない、初の外遊先としてCIS諸国の一つを選ぶ、外交政策大統領が決定する旨発言。
      ・ プ−チン大統領 : メドヴェ−ジェフを祝福し、成功を祈念。この勝利は過去8年の路線が継続される保証となるであろう。
      ・ シュガ−ノフ共産党党首 : 200を越える選挙違反は在るが、選挙結果に満足している。

  (2) ロシアの内政と経済

    @ 内政
      ・ 大統領選挙でメドヴェ−ジェフ第一副首相が70.28%得票し圧勝。 大統領就任式は5月7日。
      ・ メドヴェ−ジェフ大統領 = プ−チン首相の2頭体制 ・・・ 緊密に連携の見込み
      ・ プ−チン体制の継承 − 内政、外政は大きく変化せず
        2020年までのロシア発展戦略 
         内政の課題 − 国民生活全体の質の向上、法の支配、司法改革、行政改革、汚職対策
         経済の課題 − 4つの「I」(制度、インフラ、イノヴェ−ション、投資)私有財産の尊重、減税、国営企業からの官僚排除)
      ・ 優先的国家プロジェクトの実現と人口減少問題への取り組みが当面の内政上最大の課題(保健、教育、住宅建設及び農業の4分野における大規模な社会改革)

    A 経済
      ・ 好調な経済
        GDP成長率 : 2007年 8.1%                         
        インフレ  :  2007年11.9%(2006年の9.1%から再度上昇)
        外貨準備の急増 : 2008年3月  4,906憶ドル(中、日に次ぐ世界第3位)
        対露民間純資本流入 : 823憶米ドル(2007年 前年より倍増)
        イネルギ−への依存 →  資源ナショナリズム 輸出の66%(2007年)
      ・ 課題 
        経済構造改革 科学技術振興(→経済特区創設、ナノテク等国営公社創設)
        シベリア・極東開発への本格的着手

  (3) ロシアにおける所得額別分布比率の推移(全体として着実に所得が高まっている)
                                    
      ・ 所得額  12000〜 8000〜12000  6000〜8000  4500〜6000  3500〜4500 2500〜3500 1500〜2500  〜1500
        2002年   3%       6%      8%      12%      13%     18%      23%    75%
  
        2004年   11%      14%     13%      15%      13%     14%      13%    6%

        2006年   26%      20%      15%      14%       9%      9%       6%    2%

      ・ 平均所得   2002年 3,947ル−ブル  2004年 6,410ル−ブル  2006年 9,947ル−ブル


 2. アジア太平洋地域における日露関係

  (1) ロシアの対アジア太平洋外交
      NATO・EU拡大に対し守勢 好調な経済による自信回復→ 欧米への対抗心→ アジア太平洋地域への本格的テコ入れ         米国の一極支配、東欧へのMD配備、コソボ独立問題で対立 * 米国:民主主義、イラン、葺き輸出等で対露批判
                                             * 欧州:民主主義、エネルギ−政策に対露懸念
 
      プ−チン大統領のバランス感覚(一カ国への依存を回避)→ 中国への警戒心
      国境画定交渉妥結(2004年)以降、急激に関係改善(対米牽制、エネルギ−及び武器輸出に関する利害の一致)
      対中警戒感(人口、ロシア極東660万人、中国東北地域1憶730万人)

      中長期的にエネルギ−資源の供給源は西シベリアから東シベリアへ→ガスプロムによる東方戦略の着手

   ◎ アジア太平洋地域への本格的テコ入れ
      → 2012年のAPEC首脳会談のウラジオストック開催(プ−チン大統領ノイニシアティブ)
      → 「極東・ザバイカル発展連邦目的プログラム」を採択
      → 地域国際機関・会議(ADB、EAS)の参加に意欲

   ◎ ロシアの対日外交上の考慮  →  アジア太平洋地域の主要国たる日本に期待
     @ 欧米に対する守勢
     A アジア太平洋地域における中国の影響力増大と軍事力の将来に対する警戒感
     B 日中関係改善の動き
     C アジア太平洋地域への関与強化に強い関心(ADB、EASへの参加等)
     D 極東・東シベリア開発(「極東・ザバイカル発展連邦目的プログラム」)
       − 基本的に自力で行う意向 
       − ただし、ロシアにない先端技術分野の導入については外国、就中、日本との協力に大きな期待

  (2) ロシアの中央アジア諸国からの天然ガス輸入価格の推移(単位:米ドル)
 
     ・  トルクメニスタン  06年 11月まで→ 55ドル  07年 100ドル →  08年 130ドル  08年9月 150ドル

     ・  カザフスタン    06年 11月まで→ 55ドル  07年 140ドル 08年以降の価格は交渉中190ドルになるとの報道

     ・  ウズベキスタン  06年 11月まで→ 55ドル  07年 100ドル  08年以降の価格 交渉中

  (3) 太平洋パイプライン・プロジェクト = バイカル湖の北回りとし ナホトカ港まで中国国内を通さない。

  (4) 「極東ザバイカル発展連邦目的プログラム」
    @ 極東・東シベリアの重要性と課題
      ア. 中国、日本、米国に隣接し、ロシア及びアジア太平洋地域において有利な経済的地理的条件を有する、西欧からアジア太平洋に至る最短経路に位置する戦略的に重要な地域。資本を呼び込み、大規模な物流を誘引する潜在的可能性。開発は国家の長期的地政学的優先事項。
      イ. しかし、近い将来にこの地域において機械生産や情報通信等の分野でアジア太平洋諸国に対する競争力を持ち得ないことは明らか。そこで地下資源の探鉱・開発及び地域が有する物流の可能性の活用を基盤とした経済発展を実現する必要がある。国家の役割はインフラ不足の克服。 
      ハ. プログラムの目的は、ロシアの地理的戦略的利益及び安全保障を考慮し、極東、東シベリアの優先的経済分野の発展のため、不可欠なインフラと良好な投資環境を形成すること。主要分野はエネルギ−、運輸、好況インフラ、治水・利水、環境保全、社会保障。

    A 事業費・予算額
       ア. プログラムの2013年までの期間の総事業費は5660憶870万ル−ブル(2.6兆円)で、うち連邦予算からの支出が4262憶7120万ル−ブル(約2兆円、全体の75%)


 3.日露関係一般

  (1) 日露関係:基本方針
     ア. 平和条約締結問題
        日露関係の最大の懸案は平和条約締結問題。我が国固有の領土である北方四島の帰属問題を解決して平和条約を締結するという一貫した基本方針の下、精力的に交渉を継続する。
     イ. 日露行動計画(2003年1月、小泉総理とプ−チン大統領により採択)
        ・ 平和条約交渉に資するものとして「日露行動計画」を着実に実施し、幅広い分野で協力を進める。
         日露行動計画   − 政治対話の深化
                     − 清和条約交渉
                     − 国際舞台における協力
                     − 貿易経済分野における協力
                     − 防衛・治安分野における関係の発展
                     − 文化・国民間交流の進展
        ・ 2007年6月の日露首脳会議(G8ハイリゲインダム・サミット)で「日露行動計画」新たな方向性と弾みを与える観点から、安倍総理より、「極東・東シベリア地域における日露間協力強化に関するイニシアティブを提案し、プ−チン大統領もこれを支持した。

 この「イニシアティブ」は、ロシア政府がこの地域の発展とアジア太平洋地域への統合に今後真剣に取り組む姿勢を示しているのに対し、日本政府としても、ロシア側の問題意識に応え、協力が考えられる分野として8つを挙げ経済分野を含め、両国の民間同士の相互利益となる形での協力を政府として後押ししていく用意があるという意志を表明するもの。(エネルギ−、運輸、情報通信、環境、安全保障、保健・医療、貿易投資の拡大・環境の改善、地域間交流の促進) 

  (2) 日ソ・日露貿易の推移
     
  (3) 2007年に訪日したロシアからの主な要人
      2月  フラトコフ首相 (同行者 フリステンコエネルギ−長官、レヴィチン運輸大臣、レイマン情報技術通信大臣、 キリエンコ連邦原子力局長官、ベリヤニノフ連邦関税庁長官)
      4月  キリエンコ連邦原子力局長官
      6月  ナルィシュキン副首相兼政府官房長官
      7月  チェルケソフ麻薬流通監督庁長官
     10月  ラヴロフ外務大臣
     11月  ナルィシュキン副首相兼政府官房長官
 
  (4) GDPあたりの一次エネルギ−消費量の各国比較
      日本1.0   ドイツ1.7  米国2.0  カナダ3.1  韓国3.2  中国8.6  ソ連17.4  世界平均3.0

  (5) 極東・東シベリア地域における日露間協力強化に関するイニシアティブ要旨
      エネルギ−、運輸、情報通信、環境、安全保障、保健・医療、貿易投資の拡大・環境の改善、地域間交流の促進

  (6) 極東・東シベリアのアジア太平洋地域への統合の意義
      情報通信−−ロシア経由の光通信は米国経由よりも約2倍早く、かつよりたい料のデ−タ通信が可能。
            −−ロシア側は日本以遠のアジア太平洋市場との連携に関心。
      エネルギ−− ロシア政府は、アジア太平洋諸国向け石油輸量全体の3%から30%に、天然ガス輸出を15%に増加させる。
      運輸(物流)−シベリア鉄道経由の日本−サンクトペテルブルグ間貨物輸送は船舶に比して約10〜15日早い。
             − ロシア側は、鉄道の近代化に・高速化に関心。
      密漁取締協力−水産物のロシアから日本への輸出はロシア側統計では約9600万米ドル 
                 日本側統計では約11億ドル2000万米ドル・この差が密漁の規模を示している。

  (7) 北方領土問題に関するプ−チン大統領、ラヴロフ外相の発言
      略

  (8) 福田総理とメドヴェ−ジェフ次期大統領との電話会談
      20年3月11日午後5時30分から10分間電話会談を行った。
     @ 福田総理からメドヴェ−ジェフ第一副首相の大統領選挙当選に祝意を伝えた上、日露行動計画に沿って幅広い分野で拡大してきている。日露関係の強化はアジア太平洋地域の戦略環境の改善にも資するものであり、極東・東シベリアにおける日露協力も進みつつある。メドヴェ−ジェフ次期大統領との間でもこれまでに積み上げてきた成果を基礎として、日露関係を高い次元に引き揚げるべく協力してきたい旨述べた。平和条約締結交渉についても領土問題の最終的解決に向けて具体的な進展が得られるようにしたい旨述べた。
     A メドヴェ−ジェフ次期大統領は、概要次のとおり述べた。 
       ・ すべての分野において日露関係を高い次元に引き揚げるとのご指摘に完全に同意する。
       ・ 両国関係は「日露行動計画」に従い、発展しており、ロシア似鳥、今後とも対日関係は優先的な外交分野である続ける。
       ・ 平和条約という難しい問題についても、双方で達成された諸合意、諸原則に基づき、貴総理と話し合いを続ける用意がある。
       ・洞爺湖で開催されるG8サミットが成功するよう、日本との協力を惜しまない。

     B また、福田総理大臣とメドヴェ−ジェフ次期大統領は、両首脳間で間断なく対話を行っていくことの重要性につき認識が一致した。
  (9) イルク−ツク声明
      略。

 (10) 東京宣言
      略。

 (11) 主要国概要値一覧
 

         日本    米国    中国    ロシア    EU    インド    韓国

国土面積      1     25     25     45     11      9     0.3
単位平方km    38   963   960    1708   399    329    10

人口(億人)     1     2.4    10.4     1.1     3.8     8.9     0.4
(2007)      1.28    3.04   13.31    1.42    4.90    11.36     0.48

 GDP        1    3.0    0.6     0.2    3.3     0.2     0.2
(2006
) 4.37兆ドル   13.19兆ドル 2.64兆ドル 0.98兆ドル 14.46兆ドル 0.87兆ドル  0.89兆ドル

GDP/C       1    1.3    0.06    0.2    0.9     0.02    0.5
(2006) 342万ドル 440万ドル  0.20万ドル  069万ドル  2.97万ドル 008万ドル  1.84万ドル

石油生産量     1     490    260     700     190      57      0.8
(2006バレル/日)1.4万  687.1   368.4万  976.9万  270.5万    80.7万     1.1万  

天然ガス生産量  1    160     18     185   57      10     0
(2006憶立米)  33    5,241   586    6,121   1,900    318     −

総兵力      1     6     9     4    8     5      3
(2008年万人) 24    150     211    103   180     129     69

国防費      1     13     1     0,8    −     0.7     0.6
(2007)   437原ドル 5,710原ドル 467傍ドル 330傍ドル      285原ドル   269原ドル

国家予算      1     1.8     0.4      0.2    −     0.1           0.2


2008.3.5(水) 平成19年度地球市民講座 「隣人、ロシア」新しいロシアと日本の関係            於いて    都久志会館 
  

  第 4 回   ロシア、対立と交渉の焦点 〜 アジア・CIS諸国との関係を問う

 
講師: 下斗米伸夫氏   法政大学法学部教授 

 1. はじめに
   ・ メドベ−ジェフ大統領当選
       80%以上の高い支持率

   ・ D.メドベ−ジェフとは
       レニ−グランド大学法学部卒業(プ−チンの後輩)
       法制度の継続と維持
      
   ・ プ−チンとメドベ−ジェフ
      プ−チンは、東ドイツが崩壊したころ、しらけたソ連からドイツに行き、共産国家である東ドイツと西ドイツの格差に驚いた。
     @ 副市長 プ−チン
     A 大統領プ−チン
     B なぜ後継者になったのか

 2. プ−チン体制の成果と課題

    ・ 幸運な改革派
    ・ 課題「強い国家」再建と経済近代化
    ・ 市場と国家
    ・ チェチェン戦争は終焉(テロは残るが)
    ・ 垂直的なライン
    ・ 経済成長
    ・ 所得倍増−実際は2.5倍
    ・ 外貨準備高は120億ドルから5000憶ドルへ(中日に次いで世界3位)
    ・ 大国ロシアとしての復活

 3. ソ連崩壊から17年(移行を越えて)
    ・ 超大国から大国へ(世界の比率0.95%から2.5%へ)
    ・ 地政学的変化(東に地表の1/8へ)
    ・ 社会主義から市場経済へ
    ・ グロ−バル経済への軟着陸
    ・ 石油=ガス依存のロシア政治・経済 
    ・ GDP−2000億ドルから1兆余億ドルへ
    ・ ロシアの好況−エネルギ−が主導力(石油・ガス価格の高騰  輸出の61%が石油ガス)

 4. プ−チンの政治

    ・ プ−チンとは誰か
    ・ 首相とチェチェン戦争
    ・ 際どかった大統領選挙
    ・ 限定的な大統領権力=エリツィンの遺産(首相、大統領府長官)
    ・ 二つの敵(オルガルフと地域主義)
    ・ 国家と市場
    ・ 法と秩序 − 垂直的統制(大統領代表)
    

 5. エリツィンからメドベ−ジェフ(エリ−トの移動)

    ・ ノメンクラリ−ラ(ソ連の幹部)  石油ガス
    ・ オリガルフ(新興財閥)      金融グル−プ
    ・ シリョビキ = ソ連科学エネルギ−屋
    ・ シロビキ = 将軍達
    ・ ツィビリキ− = 法律家(Civil Law)

 6. プ−チン−権力と所有(土地の所有を巡る考え方) 

    ・ プ−チン政策のアンチ=ホドルコスキ−事件
    ・ オルカルフとシロビキ = 石油税を巡って(資源は誰のものか)
    ・ ユ−コス事件の背景= 2008年問題
    ・ ロシア経済と国家
    ・ 所有権の特質 = 土地所有の不在
    ・ −歴史 地理(広すぎて希少価値がない)
    ・ 一心理「神のもの」母なる大地
    ・ 権力と所有 = ロシア所有者の不安定さ

 7. プ−チンのミックス

    ・ 経済政策 = 「北のサウジ」からの脱却
    ・ 07年大統領教書 産業政策(自動車 航空機 原発 ナノテク 開発銀行  ナショナルプロジェクト等)   
      道路、鉄道、地域開発(ソチ ウラジョル)
    ・ ネオリベラルでなく(ニュ−ディ−ル)
    ・ 国営企業体創設(2007年)
    ・ メドベ−ジェフは民営化、自由化、中小企業

 8. ロシア外交との関連
   
    ・ グロ−バル化の不可避
    ・ アメリカとの両義性−一極化拒否
    ・ ヨ−ロッパ、東欧との関係こじれ
    ・ CISの重要性(ウクライナ問題)
    ・ 国連重視 上海協力 6者協議 OECD
    ・ 中国、インド、ブラジル、G8からG14へ
    ・ 対日関係 07年からレベルアップ

 参考資料

資料1 『朝日新聞』2月18日、耕論

 昨年、ロシア政治の焦点は、プーチン後継問題と、経済での国家の役割をめぐるクレムリンの内紛劇だった。90年代のエリツイン時代、経済民営化の過程で膨大な資本を手にし、政治と癒着したオリガルヒ(寡頭資本家)が横行した。プーチン大統領はこの勢力を解体。だが、その結果、クレムリン、特に旧KGB関連の協力機関(シラビキ)関係者が石油などの利権再にあずかることとなった。このシラビキとプーチン直径の経済政策を巡る方針の違いが、リベラル派でならすドミトリー・メドベージェフ氏の登場につながった。
 燃料エネルギー価格の高騰もあり、勢いを得たシラビキの保守層は、経済の国家管理を強化することを主張した。それは、造船からナノテクまで巨大国営企業を「主権経済」の名で正当化するものだった。
 メドベージェフ氏らりベラル派は、この潮流に挑戦した。私的企業の方が国営企業より効率的だ、と反対したのだ。 順調に見えるロシア経済だが、長期的には何の保証もない。中国やインドの経済成長は脅威だ。「北のサウジアラビア」的経済からハイテク国家に成長するには、外貨収入の3分の2を占める戦略部門のエネルギー関係以外は、民営化でダイナミックな仕事をするべきだと考えているのだ。
 プーチン氏は昨年の年次教書で、膨れ上がった安定化基金を使って道路や住宅、鉄道などのインフラ整備をすることを明らかにした。いねばロシア版「列島改造」に着手するというのだ。クレムリンは「奪う権力」から「与える権力」へ変わろう。そこにプーチン氏が専念するためにも、旧知の仲であるメドベージェフ氏が必要だったのだろう。 議会選挙では、統一ロシア党と自己の威信で圧勝。シラビキとの対峙が可能な態勢を作り上げ、メドベージェフ氏を継承者にすることができたのだ。
 メドベージェフ氏とプーチン氏のチームだが、2人の相互関係や将来はまだ未知数でもある。しかし、一時期のブレジネフ書記長−コスイギン首相のように、この国に2人の「リーダー」がいることは必ずしも珍しくはない。「列島改造」を前にプーチン氏は信頼できる人物を内閣に集めている。大統領府はメドベージェフ氏に任せ、戦後日本の55年体制のような、強力な与党「統一ロシア党」を形成して政治改革、経済改革をしようというのがプーチン氏の狙いだろう。
 プーチン=メドベージェフ体制の当面の課題は、南のソチ・オリンピック(14年)と、東のウラジオストクでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)サミット(12年)だ。
  政治も経済も米国や欧州連合(EU)としっくりこないロシアは、極東地域や中央アジアを向いている。
 石油や天然ガスも、ロシアから日本に流れてくるようになる。現在は年間200億という経済関係は、急激に大きくなるだろう。また、例えば朝鮮半島問題一つを取っても、中ロ関係のほかに日口関係というバイパスが重要であるように、両国関係の幅広い充実が注目されるだろう。
 ロシアがもし「脱欧入亜」するなら日本にとっても悪い話ではない。今年の洞爺湖からウラジオストクAPECサミットまでの問、日本との関係は根本的に変わると考えられる。


資料2  3月5日 共同系各紙

『メドベージェフ・プーチン体制のロシア』

 42歳のラッキー・ボーイ、ドミトリー・メドベージェフがこの2日の選挙で約7割の大量得票でロシア新大統領に決まった。現職プーチンの後継指名から2月ちょっとだ。
  ロシアの変化は流砂のようにすさまじい。古い知識でもって現在を判断すると誤りかねない。
 プーチン時代の8年でロシアは混乱の極みから一転して安定を取り戻した。国民所得は2・5倍、経済規模は5倍となり、世界第3位の外貨を所有する大国として自信を回復した。
  これから首相職につく予定のプーチンと新大統領メドベージェフとはともにレニングラード大で法律を学んだ。ロシアの改革派潮流に「合法主義」というのがある。結果よければすべてよしといった考えが多いロシアで、法や手続きを重視する人たちだ。
  3選支持の世論があった中で大統領プーチンが憲法の規定に従って現職を退くのはこの発想だ。
  しかし同じ法律でも、プーチンの考える法とりベラル派のメドベージェフが学んだ法とはやや異なるようだ。
  前者は「法と秩序」といったイメージで政治を考え、周りの友人たちも、警官や将軍がおおい。ロシア語で力(シーラ)から派生して「シラビキ」と呼ばれる。
  これに対しメドベージェフはペレストロイカが育てた世代だ。ロシアの春といわれた1989年の最初の自由化選挙で恩師ソプチャークを担いで選挙運動をやった。
 その恩師に学んだのは民法、ここでは契約関係が重要だ。英語でシビル・ローという民法の教科書も書いたのが若きメドベージェフだ。このため周辺の法律家たちは「シビリキ(ツィビリキ)」と呼ばれはじめている。
 プーチン自身は17年間相棒であった新大統領とウマが合うと語っているが、同じ土地で育ち、同じ法学教育を身につけながらも、世代もふくめやや違うタイプだ。
  これからのメドベージェフ・プーチン政権はこの二つの「法」の理解が鍵となるかもしれない。とりあえずふたりが重視するのは腐敗との闘争、綱紀粛正、そして人事の刷新だろう。民営化のかげで起きた腐敗、経済大国にのし上がった過程で見逃された権力の乱用が対象だ。
  首相プーチンが直接指揮する経済では、住宅や道路、教育、建設、農業など、ブレジネフ以来放置されたままの領域にメスが入る。
  人口減少が昨年、4半世紀ぶりに反転したのはいい現象だ。ロシアの女性が未来を信じ、子供を産み出した。家族重視、中産階級の養成を目指すという。
 だがその先には二人の違いもあるかもしれない。グローバル化する経済でメドベージェフは民営化、中小企業を重視しているが、ハイテク型国営経済重視のプーチンとはニュアンスが違うかもしれない。メドベージェフのもとで経済の自由化はすすむだろう。
 新大統領はまだ外交についてあまり語ってないが、ハト派寄りの発言をしている。 CIS視、フランスなど欧米との和解、そして何より洞爺湖サミットのデビューが注目だ。
 日本にとっていい話は、シベリヤ、極東などアジア重視が強まることだ。コソボなど旧東欧やウクライナなどとの関係がぎくしやくしているからだ。ともあれ、日本は新しく豊かになり出した大国の出現に備えるべきだ。


資料3

公明新聞 2月22日、プーチン・ロシアの今後を観る

 この3月2日にロシア大統領選挙が行われるが、昨年12月の議会選挙後、圧勝した統一ロシア党の指名により、ドミトリー・メドベージェフで事実上決まった。その新大統領候補は、プーチンを首相に推すと宣言した。プーチン・メドベージェフの二人体制となろう。
 現代ロシアの政治史は独裁から民主制まで変動してきた。まるで哲学者アリストテレスが書いた政治体制論をなぞったようなものだ。哲人王ならぬ鉄人スターリンによる個人崇拝、その後の集団指導から、ソ連崩壊をへてエリツィン流の「民主制」まで経験した。
 アリストテレスは少数の富者による統治を寡頭制(オリガルフ)とよんだが、この言葉を現代に蘇らせたのはロシア人だった。新興財閥ともいわれた人々はエリツィン政権が欧米の援助機関と協力して強行した民営化の産物だった。ただ当然で手に入れた資産を守るため政治に関与、石油・ガス部門に触手をのばそうとした。
 これに対しプーチン大統領は、外貨収入の3分の2も占めるこのエネルギー部門は戦略部門であるとして、2003年のユコス事件でこの政策を見直した。ロシア語で燃料・原料屋をシリョビキというが、この部門を彼らから事実上取り上げ、かわって旧KGBなどの強力機関(シロビキ)関係者がその再配分にあずかった。
 ロシア政府は昨年、エネルギー価格高騰の結果急増した安定化基金を利用して、これを実体経済、つまりナノテクやインフラ整備など新経済への転換を図ろうとした。しかしこの結果、シロビキ系保守派からの国家主導型経済・国営企業への圧力も膨張した。
 だが中日に次いで世界第3位の外貨保有をほこる今の好景気だが、たまさのものにすぎない。欧米どころか、経済ではインドや中国との競争も激化する中、クレムリンのりベラル派はこのような潮流の台頭が改革を遅らせると危惧した。
 昨年秋の議会選挙からメドベージェフ指名への動きは、高いプーチン人気と地方でも威信を持ち出した統一ロシア党を組み合わせ、保守化に対抗した結果だった。幸いにもプーチン支持が高かった結果、メドベージェフ・プーチンの二頭立て体制が出現した。
 サンクト・ペテルブルグ市政以来プーチンとは17年間活動をともにしたメドベージェフだが、KGB歴はない法律家出で、思想的にはりベラルだ。民主主義について、「主権民主主義」とかいった制限を付しがちだったのに、彼は「完全な民主主義」という言い方をした。また保守派が国営企業を重視しているなかで、私的企業の方がより効率的だ、と断言している。もっともエネルギーとか軍需産業は国家が統制すべきだと考えている。
  今のロシアは経済の時代、政府の役割は大きい。メドベージェフが大統領になればプーチンを首相として遇するというが、両者の関係はまだ確定的ではない。でも現にズプコフ内閣は副市長だったプーチン人脈が中心なので、プーチンは即座に首相として対応できる。
 政権の関心は、経済的には資源に富む東シベリヤ、極東シフトだ。このため日ロ関係が急浮上する可能性がある。ウラジオストク2012年APECサミットのウラジオストック市開発を重視しているからだ。新大統領にとっては洞爺湖サミットがデビューとなろう。
  日本としても平和条約問題をふくめ、これまでとは異なった対ロシア政策の策定を急ぐべきだろう。


2008.3.2(日)福岡歴史ロマン発信事業

                   
邪馬台国徹底検証 第一弾 シンポジュウム      於いて    都久志会館ホ-ル

                             

 1. 基調報告  「魏志倭人伝と邪馬台国」                明治大学文学部長      吉村 武彦氏
  
    @ 魏志烏丸卑東夷伝と邪馬台国の位置
       倭人伝の構成、倭人伝記事の信憑性、魏から見た邪馬台国の位置、邪馬台国の評価

    A 邪馬台国と卑弥呼
       卑弥呼は倭国の女王、2代だけ続いた女王、卑弥呼王権の特徴、邪馬台国時代の社会

    B 邪馬台国論争と課題
       論争史と最近の学説、魏志倭人伝と考古学的事実、三角縁神獣鏡と画文帯神獣鏡

   
 
 2. 講演     「弥生王国の成立と巫女王卑弥呼共立の過程」  佐賀女史短期大学学長    高島 忠平氏   
   
    @ 国の成立と祖霊信仰の成立
    A 巫女王の出現と成長  卑弥呼の登場
  
 3. 講演     「邪馬台国大和説の夢を語る」             奈良大学名誉教授      水野 正好氏 

    @ 3世紀を語る記録は中国の「三国志」魏書東夷伝倭人条
    A 邪馬台国所在地論争の争点  ・・・ 道程、方角の記事にある
    B 隋書の「邪靡堆に都す、即ち魏志の所謂(いうところの)邪馬台なるものなり」の一文がある
    C 倭国女王の王宮所在地は邪馬台国=大和国、具体的には大和国大和(山辺)郡大和郷にあてられる。
 
 4. 討論     「九州説VS近畿説」
                           コ−ディネタ−        九州大学名誉教授      西谷  正氏 
                           パネリスト                             吉村 武彦氏
                                                              高島 忠平氏   
                                                              水野 正好氏

資料  邪馬台国論争について   西谷 正氏

 いわゆる邪馬台国論争は、江戸時代中期の18世紀前半に新井白石が魏志倭人伝を実録と認識し、真正面から取り上げたことに始まるといわれる。そして、白石は、邪馬台国をはじめとする倭の国々の所在地を比定した。さらに、卑弥呼・卑狗・卑奴母難・鯨面文身などにつレても言及した。白石とともに、本居官長も18世紀後半に邪馬台国研究に着手しているが、倭人伝に対して疑義が多いという前提に立って議論を展開した。同じころ、志賀島で「漢委奴国王」金印が発見されたことも加わって、邪馬台国論争の視野が拡大された。
 明治期の近代史学の形成期に入ると、古代の紀年論争の対象として話題にのぼるようになった。19世紀後半に、卑弥呼は神功皇后よりも百年余り前の時代のこととする那珂通世の見解か特筆される。その後、20世紀に入って、邪馬台国肥後説の白鳥庫吉と同大和説の内藤虎次郎の問で、里程・日数や卑弥呼像などをめぐって議論が白熱化し、藤井甚太郎・橋本増吉・上田孝雄らが論戦に加わっていった。
 そのような邪馬台国論争の展開を背景として、大正期に入ると、邪馬台国研究における考古学的考察の重要性を説いたのが高穏健自万あった。その後、富岡謙蔵や梅原末治が銅鏡や銅剣・銅矛・銅鐸などの分布状況から大和説を支持する一方、高橋健自によって邪馬台国東遷説が主張さるようになった。昭和期に入って、論争の中心となったのは「生□」の問題であり、その嚆失(こうや)は中山平次郎であった。
 昭和期も戦後になると、邪馬台国や卑弥呼のことが歴史教科書ではじめて取り上げられ、邪馬台国の問題に対する国民の関心が高まった。そのような社会状況を背景に持ちながら、学界では倭国の大乱や邪馬台国の性格・位置論が熱気を帯びていった。
 戦後の考古学者の活動で注目されるのは、まず小林行雄と原田大六万あろう。小林は「邪馬台国の所在論について」で、3世紀前半の邪馬台国が弥生時代か古墳時代かのいずれのことかを論証できないとしながらも、伝世鏡や銅鐸の分布状況から大和説をとった。それに対して、原田は『日本古墳文化一奴国王の環境−』において、邪馬台国の文化は北九州の弥生時代の鏡・剣・玉を主体とした原始古墳の反映とし、その文化移動によって大和に邪馬台国が出現したとする。つまり、邪馬台国大和説に立ちながら、東遷によるものと考えた。小林は続けて伝世鏡論と同笵鏡論を展開して、邪馬台国畿内説をさらに発展させた。一方、原田も『実在した神話』を著して、平原弥生古墳の意義を強調するとともに、小林の伝世鏡論に反論した。
 また、上田正昭と丼上元貞らによる邪馬台国の性格や王権の構造をめぐる議論や、石母田正の主張にはじまる車アジア史の視点などが注目される。
 このような専門学者による考古学・古代史学界における地道な研究の進展とは別に、いわゆるアマチュアによる邪馬台国論争への参入が知られる。そして、昭和423年に相ついで発刊された宮綺康平『まぼろしの邪馬台国』や松本清張『古代史疑』は邪馬台国ブームを引き起こした。このブームは、その後も継続し、現在に至っている。
 そうした中、平成元(1989)年に九州で画期的な出来事が起こる。吉野ケ里遺跡の発見報道である。これを契機に邪馬台国九州説が再燃した。ー方、近畿においても、大和盆地東南部において纒向(てんこう)遺跡や大和古墳群の調査が進み、大和説が補強されている。
 さて、これまで見てきたように、邪馬台国論争は280年以上の歴史をもっている。それにも拘らず問題ぱ解決されず、こんごも論争が続くことが予想される。そこで思うことは、まず邪馬台国問題の基本文献である魏志倭人伝に対する史料批判を徹底的にすることである。その際、魏志倭人伝を収録する東夷伝はもとより、『三国志』編さんの意図を前提として認識してお<必要かおる。いい換えれば、東アジア史の視点を堅持すべきである。そして、ひとり邪馬台国にとどまらず、狗奴国ほか倭の諸国の所在地を中心として、倭人の生活・政治・社会などの諸問題をトータルに見ていく努力が求められる。
 そのためにも、魏志倭人伝における史実部分を検証しつつ、倭すなわち日本列島の諸地域に対する考古学的調査をよりいっそう推進しなくてはならない。




 2008.2.27(水) 平成19年度地球市民講座 「隣人、ロシア」新しいロシアと日本の関係      於いて    都久志会館


 第 3 回    現代ロシア文化の魅力

   講師: 沼野恭子氏   東京外国語大学非常勤講師  NHKテレビ「ロシア語会話」講師

  1. 生活の変化

    ・  消費水準の上昇
       91年連邦崩壊後、体制の変化に伴う問題を抱えていたが、落ち着きを取り戻し、物資の豊富さにあわせ、生活水準も向上してきた。(ソ連時代の硬直した経済から自由経済へ)
       現在、大都市においては車やダ−チャ(別荘)を保有し菜園を作っている。また、ス−パ−のチェ-ン化で24時間営業も行っている。(巨大ショッピングセンタ-の進出)
       セキュリティ−もしっかりされている。

    ・  貧富の差
       高級食料品店「エリセ−エフの店」(旧第一食料品店)の復活・・・経済的余裕のある富裕層の出現(成金の人達)
     

  2. 日本文化への関心

      セルゲイ・エリセ−エフ(1889〜1975)は、1909年ペテルブルグから日本に脱出し、6年間新潟辺りで日本語を習得しハ−バ−ド大学へ行き日本学を選考、(元米日本大使)ライシャワ−の弟子となり、ロシアにおける日本学の父と言われ基礎を作った。
      川端康成等は、異郷な民族的(エキゾチィック)な文学として人気がある。日本文学はロシア人にとって心のより所として普遍性があるのではないか。(ロシア聖教とのフィット性)

    ・  村上春樹の人気(特に若い人)
        ロシア人は、世界一読書好きな民族と言われる。「羊をめぐる冒険」が一番知られている。

    ・  日本のマンガ・アニメ
         
        米コミックと日本マンガとの比較 ・・・  マンガは無色 擬音の記載等
        高橋留美子「らんま1/2」
        北野武も人気

    ・  日本料理ブ-ム
        外食産業の発展 
           :寿司バ−  「ヤキトリヤ」等
        
  3.  一世紀前の日本ブ-ム
        日露戦争ころか日本の万葉集等も翻訳されていた。
    ・  浮世絵  葛飾北斎「宝獣三十六景神奈川沖浪漫」の写し?
    ・  短歌(タンカ) 仏経由か短歌もロシア語で作成されたもの(1913年)がある。

  4.  ロシア文化の諸動向
       政治を除けば表現の自由は保障されているらしい。
    ・  推理小説の流行   ボリス・アク−ニン(悪人)の歴史推理小説シリ−ズ
                    ロシア革命100周年 心閉ざした未来小説
    ・  ジャンルの横断    「2017」
                     「犬を食った話」
    ・  価値観の転換     「CASUAL]
    ・  映画の復興      父帰る・・古き良きロシアへ帰りたい・・強い父親を求めて!
                     島・・・・ 宗教への回帰
                          ・・教会の復元改修が進んでいる。
 
 
 2008 . 2.16 (土) 「魏志倭人伝の考古学−耶馬大国への道」               : 伊都国歴史博物館

  講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)
  

    
           第 11 回   邪馬台国−九州説

I はじめに

G南、邪馬壹国に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月なり。官に伊支馬あり。次を弥馬升(みましょう)といい、次を弥馬獲支(みまかし)とい、次を奴佳(なかと)という。七万戸ばかりあり。
 
女王国より以北は、その戸数道里を略載し得べくも、その余の旁国(ぼうこく)は、遠絶にして、詳らかにすることを得べからず。

I其の国、もと亦男子を以て王となす。住まること七八十年、倭国乱れ、相攻伐すること年を歴たり。乃ち一女子を共立して王となし、名づけて卑弥呼と日う。
 鬼道に事え、能く衆を惑わす。年已(としすでに)に長大なるも、夫婿(ふせい)無し。男弟ありて、佐けて国を治む。王となりてより以来、見る有る者少なし。婢(はしため)千人を以て自ら侍(はべ)らしめ、唯男子一人ありて、飲食を給し、辞を伝えて出入す。居る処の宮室は、楼観城柵厳(ろうかんじょうさくおごそ)かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す。

 2 邪馬台国九州説の諸説

  (1)筑後・山門郡説

   (2)筑後・甘木朝倉説

  (3)筑後・久留米ハ女説

  (4)肥前・吉野ケ里説

 3 筑後・山門説について

  (1) 調査・研究の歴史
        新井白石による研究・・最も有力な地とされてきたが、その後の遺跡等から説が薄れていった。

   (2) 旧石器・縄文時代の山門郡

  (3) 弥生時代前・中期の山門郡

   (4) 弥生時代後期・古墳時代前半期の山門郡

 4 おわりに
   
    現福岡市 奴国(二万戸)、 岡山倉敷市? 投馬国(五万戸)、邪馬台国(七万戸)と記されているが、各説とも七万戸という暮らしの痕跡を裏付けるもの等の発掘はない。   

2008 . 2.15 (金)   京都五山 禅の文化展及び太宰府天満宮                            九州国立博物館

  2月14日、朝、NHKで太宰府の取材が放映されていた。その中で幕末に西郷隆盛、大久保利通等薩摩藩の常用宿が紹介されていたので、国立九州博物館で開催の京都五山展と合わせて訪ねてみたいと思い友人家族と出掛けた。
  薩摩藩の常用宿は、現在、お土産品店となっているが、来意を伝えると快く店主が父親等から伝え聞いた話等説明をしてくださった。薩摩藩常用宿の真向かいは、天領地の日田屋さんで薩摩宿は常時監視されていたという。国鉄の駅が出来てから太宰府の宿は、廃業に追い込まれ、お宝も放出されたという。また、宿裏の庭園まで案内され、そこに「月照」(西郷と錦江湾に身投げし死亡された)歌碑があった。梅ヶ餅とお茶のサ−ビスまで受け恐縮しつつ後にした。、
 京都五山は十分拝観できたが、太宰府は数回ゆっくり来ないと思いつつ夕刻帰宅した。
 


2008.2.13(水)      平成19年度地球市民講座 「隣人、ロシア」新しいロシアと日本の関係      於いて    都久志会館

  第2回  
 ロシアから見た日露関係の過去と現状 〜両国のパ−トナ−シップの追求〜

  講師: コンスタンチン・サルキソス(ロシア科学アカデミ−東洋学日本研究センタ-元所長 山梨学院大学法学部教授)


      (1966年、旧ソ連サンクトペテルブルグ国立大学東洋学部日本学科を卒業。以降、ロシア科学アカデミ−東洋学日本研究所
 法政大学法学部客員教授。一橋大学法学部客員教授、慶應義塾大学法学部特別招聘教授を経て現職。)


  日露関係の歴史は割と浅い。同じ隣国である中国か朝鮮半島と比べ物にならない。国交樹立からわずか150年余り。接触してから300年なるかもしれない。その300年の歴史空間を分類化してみれば三つの大きな時代に分けたらいいのではないか。
 第一は、関係の追求と形成(18世紀から19世紀まで)
 第二は、対立と互角(19世紀90年代からソ連崩壊まで)
     ・ 日清戦争
     ・ 朝鮮半島と満州関係
     ・ 日ソ戦争におけるロシアの敗戦
     ・ 米英を牽制するために日ソ関係良好時期
     ・ ロシア革命により新しい対立の発生
 第三は、迷子の時代(1991年から現在まで)
     ・ 戦後の日ソ関係は、領土問題で迷子になってしまった。
     ・ 領土問題を除けば求心力は強い物がある。
     ・ 領土問題を入口とすれば前に進まない。のどに刺さった骨であり、簡単には行かない。この問題は一度修理する必要がある。
       全てを解体し部品の組み換えを行い新たに動かすことが必要である。
 この三つの時代の要点と分析のポイントを紹介する上で領土問題に焦点を合わせて展開するのは、時間的にも実質的にも妥当であると思う。

1. 日露関係と領土問題の六つの側面

 @ 歴史的背景 

   a 時代別ロシア領土の拡大(ピョ−トル帝国)

    ・ 1579年 ジベリア進出 
    ・ 1639年 オホ−ツク海進出
    ・ 1711年 千島列島進出 
     ・ 漂流民ゴンザの話〜1711年鹿児島漁師 伝部衛(ロシア名ゴンザ)がカムチャカ半島に漂流した。ピョ−トル大帝から日本語のロシア語翻訳を命じられる。
    ・ 露米会社レザノフ社長 露寇事件(1747年)〜千島、樺太で日本人を撃つ。
    ・ プチャ−チンと日本〜 大津において、ロシア皇太子−現職警察官による暗殺未遂事件発生(大津事件)。
    ・ しかし、鹿児島において島津忠義による歓待を受け、忠義は大帝から勲章を受章する。
    ・ 日魯通好条約(1855年)〜資料参照

   b 日ロ間の三つの対立

    ・ 地政学
      朝鮮半島をめぐる対立 〜 米英列強が進出していた
      満州をめぐる対立 〜  義和団事件後の満州
                      ロシアは冬期の海上航路が確保されていなかった。長崎を越冬基地としていた。
      日清戦争
      日ロ同盟(1916)
      
    ・ 思想的
      1917年ロシアの社会主義革命
      第二次世界大戦
      中立条約  スタ−リン対松岡会談及び会談記録
      ソ連の参戦(中立条約を破る)
      ヤルタ会談(資料参照)

    ・ 冷戦構造的な対立 
      米ソ超大国対立時代
      1956年日ソ共同宣言(鳩山:フルフチョフ資料参照)

    ・ ソ連崩壊と新生ロシア
      エリツィン遺産とプ−チン
      プ−チンと日本
      領土問題の解決妥協とは
      日ソ関係の構造
      二島変化提案の背後
 
 A 国際法

    ・ 領土問題の本質
      両国の弱み


 B 政治的側面

   ・ 国際政治環境と日ロ
   ・ 信頼関係の水準

   ・
 戦略的な関心
      米国と中国との関係の脈絡
     (相互依存、相互信頼、共通の戦略的関心等々)

 C 安全保障(国防)

   ・ 列島の価値
   ・ 軍事当局の関係

 D 経済

   ・ 列島の経済的な価値
   ・ 200海里
   ・ 日ロ経済関係
   ・ 日本企業はロシア市場へ

 E 心理 
 

   ・ 人間関係
   ・ 文化交流

2. 世界の激変とポストプ−チン

   ・ 日露関係を促す「求心力」
   ・ 日露関係を牽制する「遠心力」
   ・ 領土問題の解決への最新の動きをどう評価すればよいか。
      これからの世界の安全問題に関する米国とロシアの激しいやりとり
      米国のポ−ランドとチェコに配備のミサイル(返還諸島へのミサイル配備はないか)
      コソボの独立に米の加担
      プ−チンの権力在中の返還が望ましい。
      

 『資料』
  
 1. 日魯通好条約(1855年)

    第二条 : 今より後日本国と魯西亜国との境「エトロフ」島と「ウルップ」島との間に在るへし「カラフト」島に至りては日本国と魯西亜国との間に於いて界を分かたす是迄仕来の過たるへし。

 2. ヤルタ協定(1945年)

    三大国、すなわち、ソヴィエト連邦、アメリカ合衆国及びグレ−ト・ブリテンの指導者は、ソヴィエト連邦が、ドイツが降伏し、かつ、欧州における戦争が終了した後二箇月又は三箇月で、次のことを条件として、連合国に味方して日本国に対する戦争に参加すべきことを協定した。
 一. 外蒙古(蒙古人民共和国)の現状が維持されること。
 二. 一九〇四年の日本国の背信的攻撃により侵害されたロシアの旧権利が次のとおり回されること。
  (a) 樺太の南部及びこれに隣接するすべての諸島がソヴィエト連邦に返還させれること。 
  (b) 大連港が国際化され、同港におけるソヴィエト連邦の優先的利益が擁護され、かつ、ソヴィエト社会主義共和国連邦の海軍基地としての旅順港の租借権が回復されること。

 3. 吉田日本代表発言(1951年)

  「千島列島及び南樺太の地域は日本が侵略によって奪取したものだとのソ連全権の主張は、承服いたしかねます。日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後河島が日本領であることについては帝政ロシアもなんらの異議を挿さなかったのであります。」

 4.日ソ共同宣言(1956年)  鳩山:フルフチョフ

  第九条
  日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。
 ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して歯舞群島及び色丹島を目本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。

 5.日ソ共同声明(1973年)田中角栄:ブレジネフ
   日ソ共同声明(抜粋)

   一双方は、第二次大戦の時からの未解決の諸問題を解決して平和条約を締結することが両国間の真の善隣友好関係の確立に寄与することを認識し、平和条約の内容に関する諸問題について交渉した。双方は、1974年の適当な時期に両国間で平和条約の締結交渉を継続することに合意した。

 6.エイツィン ・ロシア大統領のロシア国民への手紙(1991年11月16日)

  親愛なる祖国民ヘ
 南クリル諸島の運命に対する憂慮を表明した貴方がたの手紙を受け取り、ロシア連邦の立場を説明することが私の義務であると考えます。
 私は、今の世代のロシア人には、以前の我が国の指導者が行った政治的な冒険に対する責任はないとの点につき、貴方がたに全く同意します。同時に、新しいロシアの指導部が負う無条件の義務は、今日なおロシアと国際社会との正常な相互関係の発展の障害となっている、過去の政治から踏襲されてきた問題の解決方法を探求することにあります。 国際社会の一員としての民主主義的なロシアの将来及びその国際的な権威は、結局のところ、困難な過去の遺産をいかに早く我々が克服し、国際社会の規範を受け入れることが出来るか、すなわち、合法性、正義、国際法の諸原則の無条件の遵守というものを自らの政策の規範となし得るか、ということに多くかかっているのです。
 近い将来において我々が解決しなければならない問題の一つに、日本との関係における最終的な戦後処理の達成があります。私は、ロシア人の利益の観点からみて、日本との間に平和条約がないために両国関係が事実上凍結しているという状態に今後とも甘んじていくということは、許し難いことであると確信しています。
 周知のとおり、この条約締結への主な障害として、ロシアと日本との間の境界確定問題が提起されています。この問題は、長い歴史を有していますが、最近、ロシア国民の幅広い注意と様々な感情がこの問題に集まって来ています。我々は、この問題に対する自らのアプローチにおいて、正義と人道主義に則りつつ、南クリルの住民をはじめとするロシア人の利益と尊厳を強く守っていくつもりです。私は、貴
方がたに対し、南クリルの住民の誰一人の将来も壊さないようにすることを確約します。歴史的に積み重ねられて来た現実を考慮し、その社会・経済及び財産上の利益が十分に確保されるでしょう。
 日本との間でいかなる合意が行われる場合も、その出発点となる原則は、我々の単一かつ不可分の偉大な祖国の幸福に対する配慮であります。私は、我が国の歴史上初めて民主的に選ばれた大統領として、貴方がたに対し、ロシアの世論が、自国の政府の意図や計画についての情報を適時に、かつ十分に与えられることを確約します。貴方がたの理解と支持を衷心より期待しています。         B・エリツィン

 7.日露関係に関する東京宣言(1993)  細川 :エリツィン 

 2 日本国総理大臣及びロシア連邦大統領は、両国関係における困難な過去の遺産は克服されなければならないとの認識を共有し、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の帰属に関する問題について真剣な交渉を行った。双方はこの問題を歴史的・法的事実に立脚し、両国の間で合意の上作成された諸文書及び法と正義の原則を基礎として解決することにより平和条約を早期に締結するよう交渉を継続し、もって両国間の関係を完全に正常化すべきことに合意する。この関連で、日本国政府及びロシア連邦政府は、ロシア連邦がソ連邦と国家としての継続性を有する同一の国家であり、日本国とソ連邦との間のすべての条約その他の国際約束は日本国とロシア連邦との間で引き続き適用されることを確認する。
 国政府及びロシア連邦政府は、また、これまで両国間の平和条約作業部会において建設的な対話が
行われ、その成果の一つとして千九百九十二年九月に「日露間領土問題の歴史に関する共同作成資料集」が日露共同で発表されたことを想起する。日本国政府及びロシア連邦政府は、両国間で合意の上策定された枠組みの下で行われてきている前記の諸島に現に居住している住民と日本国の住民との間の相互訪問を一層円滑化することをはじめ、相互理解の増進へ向けた一連の措置を採ることに同意する。
 千九百九十三年十月十三日に東京で
             日本国総理大臣    細川護煕

                     ロシア連邦大統領B.N.エリツィン

 8..日露関係に関する東京宣言 2000    森 : プ−チン 
  
   平和条約問題に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の声明

 4.双方は、1993年の日露関係に関する東京宣言及び1998年の日本国とロシア連邦との間の創造的パートナーシップの構築に関するモスクワ宣言を含む今日までに達成された全ての諸合意に依拠しつつ、「択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の帰属に関する問題を解決することにより」平和条約を策定するための交渉を継続することに合意した。
   2000年9月5日
   東京
   日本国総理大臣森喜朗    ロシア連邦大統領VV..プーチン

 9.日本国総理大臣及びロシア連邦大統領のイルクーツク声明(平成13年3月25日)

   森喜朝日本国総理大臣とVVLプーチン・ロシア連邦大統領は、2001年3月25日イルクーツクにて会談した。
  平和条約締結に関する更なる交渉を、1956年の日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言 、1973年の日ソ共同声明、1991年の日ソ共同声明、1993年の日露関係に関する東京宣言、1998年の日本国とロシア連邦の間の創造的パートナーシップ構築に関するモスクワ宣言、2000年の平和条約問題に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の声明及び本声明を含む、今日までに採択された諸文書に基づいて行うことに合意した。
 1956年の日本国ソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言が、両国間の外交関係の回復後の平和条約締結に関する交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認した。
 その上で、1993年の日露関係に関する東京宣言に基づき、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の帰属に関する問題を解決することにより、平和条約を締結し、もって両国間の関係を完全に正常化するため、今後の交渉を促進することで合意した。
 
相互に受け入れ可能な解決に連することを目的として、交渉を活発化させ、平和条約締結に向けた前進の具体的な方向性をあり得べき最も早い時点で決定することで合意した。平和条約の早期締結のための環境を整備することを目的とする、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島を巡る協力を継続することを確認した。
  2001年3月25
  イルクーツクにて
  日本国総理大臣  ロシア連邦大統領

10.日露行動計画の採択に関する 2003
     日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の共同声明
   
http://www.mofago.jp/mofaj/area/russia/kyodo_301.htm1

 日本国総理大臣及びロシア連邦大統領は、

 両国関係における困難な過去の遺産を最終的に克服して広範な日露パートナーシップのための新たな地平線を開くことを志向し、1956年の日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言、1993年の日露関係に関する東京宣言、1998年の日本国とロシア連邦の間の創造的パートナーシップ構築に関するモスクワ宣言、2000年の平和条約問題に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の声明及2001年の平和条約問題に関する交渉の今後の継続に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領のイルクーツク声明を含むこれまでに達成された諸合意に基づき、精力的な交渉を通じて、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の帰属に関する問題を解決することにより平和条約を可能な限り早期に締結し、もって両国間の関係を完全に正常化すべきであるとの決意を確認し、・・・日露協力の飛躍的かつ全面的な発展を確保するために具体的施策を採ることの重要性を強調して、附属する日露行動計画を採択するとともに、本行動計画を着実に実現していくために共同作業を行うとの両国の意思を表明した。

    2003年1月10
      モスクワにて

11.小泉総理の訪露(サンクトペテルブルク建都300周年記念行事)(2003年5月)
 (以下、http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_rekishi.htm1

 プーチン大統領より、ロシアとしては、極めて重要な問題である領土問題を解決したいとの強い気持ちを持っており、これを先延ばししたり、「沼に埋めよう」というような考えは持っていない旨発言した。

12. シーアイランド・サミットにおける日露首脳会談(2004年6月)

  プーチン大統領は、「日露二国間の議題には、主要な問題である平和条約問題が常に含まれており、自分はこの問題の討議を避けるつもりはない。」旨発言した。

13.領土問題に関するラヴロフ外務大臣、プーチン大統領の発言(200411月)

1)ラヴロフ外務大臣は、14日、ロシアのテレビ番組において、1)ロシアはソ連の継承国であり、ソ連の義務の中には1956年日ソ共同宣言が存在している、2)同宣言は、南部の2島を日本に引き渡し、これにより終止符を打つことを規定している旨述べるとともに、3)対日関係の重要性、領土問題の解決による平和条約締結の必要性も強調した。

2)プーチン大統領は、15日の閣議で、ラヴロフ外務大臣の上記発言を支持。また、56年宣言に関連して、
  1)ロシアは全ての義務を履行してきたし、今後も履行していく、
  2)ただし、それは、我々
のパートナーが同じ合意を履行する用意がある程度と同程度においてであり、(日露両 国は)そのような程度について理解し合うには至っていない旨述べた。

14.APEC首脳会議における日露首脳会談(200411月)

 小泉総理より、平和条約を締結し、日露関係を飛躍的に発展させていくことが日露双方の戦略的利益に適う旨強調した。プーチン大統領も、領土問題を解決し平和条約を締結することが必要な旨確認した。

15.領土問題に関するプーチン大統領の発言(200412月)

 プーチン大統領は、クレムリンでの内外記者会見において、56年日ソ共同宣言がロシアにとって義務的なものである旨を改めて述べ、同宣言によれば二島返還で決着するのであり、日本側が四島返還を要求しているのは若干奇異に思える旨発言した。

16.町村外務大臣の訪露(日露外相会談)(2005年1月)

  領土問題については、両国の立場に隔たりがあるが、真剣な話し合いを続けていくことにより隔たりを埋める努力を続けていくこと、大統領の訪日に向けて引き続きこの問題について精力的に交渉を進めていくことで日露双方の意見が一致した。

17.小泉総理の訪露(第二次大戦終760周年記念式典)(2005年5月)

  プーチン大統領の訪日に向け、ラヴロフ外務大臣の訪日等を通じて平和条約問題及び実務分野の準備を精力的に進めることを確認した。

18.ラヴロフ外務大臣の訪日(2005年5月)

  領土問題については、1月の大臣訪露の際に両大臣の間で確認された双方の立場の隔たりに「架け橋」をかけるべく努力していくという精神に基づいて真剣な議論を行い、議論を継続していくことを確認した。

19.森前総理の訪露(2005年6月)

  プーチン大統領より、11月のAPECの前後に訪日したい、平和条約問題については、訪日時に小泉総理と真剣な交渉を行いたい旨述べた。

20.イラク支援国際会議における日露外相会談(2005年6月)

  プーチン大統領が11月のAPEC首脳会合の直前又は直後に訪日することで合意した他、平和条約問題に関し引き続きしっかりと議論していくことで一致した。

21.グレンイーグルズ・サミットにおける日露首脳会談(2005年7月)

  プーチン大統領が11月20日から22日に訪問することで合意し、また、幅広い分野の日露協力を一層進めると共に平和条約問題についてしっかり取り組んで行くことを確認した。

22. プーチン大統領の訪日(2005年11月)

  小泉総理より、日ソ共同宣言、東京宣言、日露行動計画等のこれまでの諸合意は極めて重要かつ有効であり、これらに基づいて平和条約締結交渉を継続する必要がある、両国には四島の帰属
に関する問題を解決して平和条約を可能な限り早期に締結するとの共通の認識があり、双方が受け入れられる解決を見出す努力を続けていきたい旨述べた。
  これに対し、プーチン大統領より、この問題を解決することは我々の責務である、平和条約が存在しないことが日露経済関係の発展を阻害している、他方、この問題は第二次世界大戦の結果であり、他の問題への連鎖という問題がある旨述べた。
 その上で、これまでの様々な合意及び文書に基づき、日露両国が共に受け入れられる解決を見出す努力を行うことで両首脳が一致した。

23.領土問題に関するプーチン大統領の発言(2006年1月)

 プーチン大統領は、31日、記者会見において記者の質問に答え、我々は共に、ヤルタ、ポツダム、サンフランシスコにおける国際約束を害することなく、日本にとっても、ロシアにとっても受入可能な問題の解決の道筋を探し始めた、双方の善良な意思があれば、そのような解決策を我々は見つけると確信している旨述べた。

24. 日露賢人会議第3回会合におけるプーチン大統領の挨拶(2006年3月)

  プーチン大統領は、民主主義の原則に基づいて二国間関係を構築しようとしている時に平和条約がないことは残念である、ロシアは日本との間にあるすべての問題を解決することを目指している、両国にとって受入可能なすべての問題の解決を見出せることを期待している旨述べた。

25. 領土問題に関するプーチン大統領の発言(2006年6月)

 プーチン大統領は、G8各国の通信社代表との会見において、日本は日ソ共同宣言の履行を一方的に拒否し、露側が同宣言に戻ることを提案したにもかかわらず、日本はそれを望んでいない旨述べるとともに、過去から残されているすべての問題が解決されることを望んでおり、これらの諸問題を解決する方途を模索していくとの趣旨を述べた。

26. 日露首脳電話会談 20071019
    http://www.mofago.jp/mofaj/kaidaJI/s_fukuda/p_rusJ7 10.html

  福田総理大臣は、1019日午後5時40分より約10分間プーチン・ロシア大統領との間で、日露電話首脳会談を行った。概要以下のとおり。

  冒頭、福田総理大臣から、日露関係は、「日露行動計画」に沿って、幅広い分野で拡大してきている、日露関係の強化はアジア太平洋地域の戦略環境の改善にも資するものであり、そのためにも領土問題の解決に向けて進展が得られるようプーチン大統領とも真剣に努力していきたい旨連べた。また、「極東・束シベリア・イニシアティブ」に関し、今後、日露の間で互恵的な協力を具体化させていきたい旨述べた。さらに、両国が協力して取り祖むべき国際問題は多く、貴大統領とは緊密に連絡をとっていきたい旨述べた。

 これに対し、プーチン大統領は、概要以下のとおり連べた。

 1)日本は、ロシア外交にとり重要な優先度の商い国であり続ける。自分は、「日露行動計画」に従い、すべての分野で日露関係を進めていくための共同作業を続ける意向である。 G8サミットの枠内での協力も進めたい。

 (2)貴総理とは、直接、平和条約交渉の問題も含め、すべての重要な問題について話し合っていきたい。平和条約の問題については、ロシアの国内政治日程に関わらず、話し合いを続けていく考えである。

 (3)近々、ウラジオストクにおいて地域間交流に関する貿易経済政府間委員会分科会も開催される。

27. ロシア機による領空侵犯について

    2008年2月9日
   2月9日7時30分頃、ロシア連邦に所属する航空機1機が、伊豆諸島南部の娼婦岩(そうふがん)領海上空において、わが国領空を侵犯した。これを受け、直ちに武藤ロシア課長より在京ロシア連邦大使館コスチン参事官に対し、本件領空侵犯が行われたことについて厳重に抗議するとともに、ロシア政府として事実関係の調査を求める旨の申し入れを行った。

 (参考)ロシア機による領空侵犯事案

 2月9日7時3036秒から7時3324秒までの間、ロシア連邦空軍機(Tu-951機が、伊豆諸島南部の娼婦岩領海上の北緯2947分、東経14007分から北緯2952分、東経14034分にかけての地点において、我が国領空に侵入した。航空自衛隊の戦闘機(F-15等計22機)が緊急発進を実施し対処した。

2008. 2. 6(水) 平成19年度地球市民講座 「隣人、ロシア」新しいロシアと日本の関係      於いて    都久志会館

第1回 ロシアという国  〜「大国ロシア」の復活?〜

  講師: 河東 哲夫氏(元在ロシア大使館特命全権公使   早稲田大学客員教授)


  1973年始めて見たモスクワ
  ・ 飛行機がモスクワ空港に近づいたが西側国のような光が見えない。暗いのである。空港から大使館のあるモスクワ市街地まで車で30分ほどの道のりであるが、この間も灯りが少なく暗かったことが今でも思い出される。
  ・ ロシア人は、素っ気ないが人間的であった。
  ・ 全てが西側と違うシステムである。例えば買い物に行く。まず品物を選択する→窓口で現金を支払う→領収書をもらう→領収書を提示して物品と引き替える
  ・ 建前と実際
    大学で教授から発言を求められると先ずマルクスレ−ニン主義の建前から入る。しかし現実的な生活を求める。
  ・ 集団主義と強烈な自己主義 他人の主張を先ず聞かない。

 様変わりの現代ロシア
  ・ シェレメチェヴォ国際空港から都心への道
    以前30分で行った市街地まで3時間かかる。途中ショッピングセンタ-が多く出来たため、車での買い物客が多い。
  ・ GDPは、2000年の5兆ル−ブルから07年の30兆ル−ブル(約110兆円)へ→石油が1バレル20ドルから100ドルになった。
  ・ 但し、スパゲチィ・ミ−トソ−スも暴騰した。4,000円 ホテル代 1泊7万円 (平均賃金15万円)
  
 昔も今も変わらないもの
  ・ 自然 →  広い草原 青い湖、 白い白樺
  ・ 人間くさい国

 広いユ−ラシアの中のロシアの歴史
 
 ・ 「オリエント」、 スキタイ人、ソグド人、ぺルシャ人、遊牧民族、漢民族相克の中の歴史、→ Global Histry

 ユ−ラシアの中のロシア
  ・ シルクロ−ドの末端 → ノヴゴロド、キエフの自由
    バルト海から黒海にかけてドニエル川を介して交易があった。またイスタンブ−ルを経由した交易。
    バイキングの侵入

 ユ−ラシア文明の中のロシア
  ・ 原始宗教  (雷、熊の神 −チュルク系との類似) 色丹 国後 アイヌも同じ
  
 広いユ−ラシアの中のロシア
  ・ モンゴルによる征服(13世紀後半〜16世紀後半)
  ・ ルネサンス、宗教革命による「精神解放」がなかった。
  ・ 西欧における「植民地主義、国民国家、産業革命」の3点セットがなった。

 専制・格差社会の中での西欧化−−ピョ−トル大帝−−
  ・ 近代的エリ−ト(官僚、軍人)の創出 → 西欧文明を吸収した「インテリ」の登場
  ・ 社会は農奴社会のまま →  格差(エリ−トと大衆の間亀裂)
  ・ 良心的インテリはテロリスト、社会活動家(トルストイ)、またはニヒル(「カラマ−ゾフの兄弟ノイワン」)に
  ・ インテリは常に反体制的であった(戦前の日本、中国。と共通)

 「集団所有」の生んだもの 
  ・ アパ−トを取られたドクトル・ジバコの一家
  ・ 「企業国有化」を大衆に押し付けられたレ−ニン → ソ連の本質は「大衆独裁」 
                                  → スタ−リンの大粛正−インテリ−  
  ・ 「自分たちの富をくすねた資本家たち」への憎しみ  ベレゾスキ− ・ グシンスキ− ・ホドルコスキ−
 
 「計画経済」で豊かになれるか? ・・・ 人間は計測できず
  ・ 「役人は成果より手続き重視」 → 1トンの釘    ・・・日本の官僚も同じ
  ・ 生産量、価格、原材料入手先、銀行融資など全ては政府か決定する
  ・ 各省調整は共産党 → 野菜の流通まで共産党
  ・ 鉱工業生産の60%以上が軍需関連「世界で一番大きな半導体」

 ク−デタ−、そして改革の失敗
  ・ 1970年 石油ブ-ム → 改革なくプラント輸入
  ・ 1985年 石油価格暴落 → 財政逼迫
  ・ ゴルバチョフの「ペレストロイカ」の失敗 → インフレ圧迫と流通崩壊
  ・ 1992年1月 「経済改革」 価格の自由化 → 6,000%のインフレ 民営化 → 清次の不安定化
        
 困窮と屈辱と動乱(92−94)
  ・ 「コネ」社会の崩壊
  ・ 「力」(ピストルと政治力)と「カネ」の横行 (「遙かなる大地」上下 熊野洋書) 
  ・ 庶民は零下15度の寒天下で立ち尽くし、亡父の靴下を売る
  ・ プ−チン大統領への期待(治安と安定と収入と国家の威信) → 支持率70%以上

 ロシアでの「選挙」(議会選)
  ・ 「シロビキ」(諜報機関出身)による民主主義もどき「政治工学」 → シニカルな手法で体制・利権構造維持
  ・ 経済が良いために、それに反対するどころか乗る国民 → プ−チン支持率常に70%以上
  ・ 07.12.2総選挙は与党「統一」の勝利(63%) → 共産党11.5%、 自由民主党10.33%、 新党「公正党」7.08%  

 大統領候補はメドベジェフ
  ・ 12.10プ−チン、メドベジェフ第一副首相を大統領候補に指名
  ・ その後、メドベジェフに「頼まれ」自らは首相になる用意を表明 → 冬休み
  ・ ダ−クホ−クに留まったのは、ズプコフ首相、セルゲイ、イワノフ第一副首相

 メドベジェフ大統領へ?  −波乱要因は−
  ・ 諜報機関内部の争い表面化 ・ 国家保安庁(FSB=KGB)長官 : バトル−シェフ
                       ・ 大統領府副長官 : セ−チン&ヴィクトル・イワノフ
                      VS
                       ・ 連邦麻薬取引監視長官 : チェルケ−ソフ
                       ・  大統領警護局長  : ゾ−ロトフ
  ・ インフレの顕在化と貿易黒字の行方 →  「安定化基金」をめぐる争い
   
 ロシア経済構造イ−メ−
  ・  石油・天然瓦斯 輸出収入(GDPの13%) →  銀行・流通等 サ−ビス産業
  ・  短期外国融資(消費の半分GDPの25%) →  消費者ロ−ン 建設・不動産
  ・  外国直接投資(GDPの5% )         →  地道な富

  ものづくりよりバブル
  ・ 賃金、毎年20〜30%上昇 + 消費者ロ−ン 
  ・ しかし国内でのものづくり不十分(原子力、宇宙、航空機、I T、ナノテクノロジ−に重点。しかし、製造業への投資は全投資の13%のみ)
    → バブル、インフレ(スパゲティ一皿で4,〇〇〇円)
    → 輸入急増(年間30〜40%増)、貿易黒字の収縮 → 上げ底  経済
    → 石油価格急低下、または海外からの資本流入減少があれば崩壊(石油価格1バレル20ドルから10ドル以下に急落した1985年の再来も)

  「経済統制のDNA」復活
  ・ 07.9〜07.10 食品価格急騰 (国民の40%は収入の50〜74%を食品で消費)
  ・ 政府と企業が08.1までの期限で「契約」〜「牛乳、パン、卵、砂糖、チ−ズ等の価格上昇、10%以内に抑える。」
  ・ 統制が外国企業に及ぶと困る。
  
 「メドベジェフ大統領」、洞爺湖サミット、「新しい冷戦」
  ・ 新大統領にとって洞爺湖サミットの重要性
  ・ プ−チン大統領の強面外交の背景 → 「経済力」&西側が嵩にかかったこと(NATO拡大.MD配備)
  ・ 政治の武器?石油・天然ガス → 大事な顧客には悪さしない。では「サハリン2事件」はどういう話だったのか?
  ・ 軍事力の限界 GDPは日本の5分の1、しかし、国防費は日本を越える。 2015年までに約20兆円の兵器調達を計画
  ・ 人口(減少傾向にある)、資金(資金不足)、技術の制約
 
 日露関係
  ・ ロシアへの直接投資ブ-ム
  ・ 貿易額は数年間で3倍以上の200億ドル強 → 久しぶり日本の黒字
  ・ 領土問題と経済関係の兼ね合い
  ・ ロシアでの日本文化ブ-ム → 精神面の強い日本の文化「祝詞」、村上春樹書著等
  ・ 日本で静かに高まるロシア文化への関心(新しい形)

 アジアの中にロシアをどう位置づける? 6者会議の行方
 北氷洋が解けると 船舶の航路が変わる
2008. 1 .23(水) 国際情勢講演会「国連大使の任務を終えて」     於いて  ホテルセントラ−ザ博多

    講師 : 国際協力機構(JICA)副理事長局  前国連大使      大島賢三氏
 
 はじめに
 大島氏は、日本が1956年国連加入から17人目の大使として2年6ヶ月の勤務を終え、現在JICA(理事長 緒方貞子氏)に勤務している。氏は、2001年1月から国連事務局次長として、2年間に勤務し、主に人道問題に取り組んできた経緯があり、国連事務に精通していたことが、北朝鮮核開発問題等制裁決議に向けた取り組みが迅速に取り運べたものと考えられる。

 当初勤務の2001年9月11日、ニュ−ヨ−クの貿易センタ-等、アルカイダによるテロが発生、翌10月アナン事務総長のノ−ベル平和賞の後、アフガン戦争→イラク→フセイン→アフリカ・ス−ダン、アンゴラ、コンゴ等内紛が相次いだ。コンゴ内紛では、200万人が死亡したが、人道援助が進まない状況があった。
  そのころ日本は、国連分担金は、米国についで第二位でODA、人道援助等国際貢献に務めていた。加盟国192カ国中160カ国が日本の常任理事国入りを支持していた。このように地道に積み上げてきた国連財産を失うことのないように努めるべきである。 

 国連は、当初51カ国で発足し、戦勝国5カ国が安保理で拒否権を持つ常任理事国ある。現在、192カ国が加入している。
 戦勝国5カ国のなかで主に英、仏、米が案をまとめ、ロシア、中国に図るというやり方が一般的である。 
  
 安保理改革について
  戦勝国制の廃止を訴える。国連の財政は、当初戦勝国5カ国で70%を賄っていたが、50年後40%を切っている。例えば
   日本、ドイツ、ブラジル、インドで  26%
   仏、ロシア、中国  で        16%        
   アフリカ51カ国は当初日本の常任理事国入りを容認する態度をとっていたが硬化させた。内向きの日本に変身した。ODA削減、PKO80位による。
 
  各国民は、国連をどう見ているか。国連観: 肯定的 日本50%  米国民 23%  平均 13%

 これからの国連
  気候変動、温暖化、ポスト京都等を国連の場で取り上げることとなる。また、日本は、国際的に責任ある地位を維持しなければならない。
  水の問題や大気汚染等国境を越えてくる時代となった。
2008. 1 .19(土) 「魏志倭人伝の考古学−耶馬大国への道」               : 伊都国歴史博物館

  講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)
  

    
           第 10 回   投  馬  国(とうまこく)


1. 倭人伝に見える投馬国

   南投馬国に至る。水行二十日、官を弥弥といい、副を弥弥那利という。五万余戸ばかり。

2. 投馬国の位置をめぐる諸説

  (1) 投馬国九州説
    ア. 肥後玉名郡 ・ 琢磨郡     (新井白石 『外国之事調書』)
    イ. 肥後国 益城郡当麻郷      (藤井甚太郎 『邪馬台国の所在に就いて』)
    ウ. 日向国 児湯郡妻(都万)    (本居宣長 『馭戒慨言』
    エ. 筑後国 三潴郡、下妻・上妻郡 (白鳥庫吉 『卑弥呼問題の解決』)
    オ. 薩摩国 薩摩郡          (吉田東伍 『日韓古史断』)
    カ. 大分県 日田郡五馬       (富来隆 『魏志「邪馬台」の新考察』)
 
    キ. 豊の国(豊前・豊後)       (村上義男 『邪馬台国と金印』)

  (2) 投馬国瀬戸内沿岸説
    ア. 備後国 沼隈郡鞆         (新井白石 『古史通或問』)
    イ. 播磨国 須磨            (新井白石 『古史通或問』)
    ウ. 周防国 佐婆郡玉祖郷      (内藤虎次郎 『卑弥呼考』)
    エ. 岡山県玉野市玉 ・ 倉敷市玉島 ・ 岡山市
                           (青木慶一 『邪馬台の美姫』、 大山峻峰『周旋五千里の国邪馬台国を探る』) 
  (3) 投馬国日本海沿岸説
    ア. 出 雲                (笠井新也 『邪馬台国は大和である』) 
    イ. 丹 馬                (山田孝雄 『狗奴国考 古代東国文化の中心』)

  (4) 投馬国は西都市妻付近      (小林幹男 1985「投馬国 南水行すること二十日 女王国第二番目の大国」『歴史と旅』)
                         
3.  投馬国吉備地方説 (玉野市玉地域 西谷教授有力視)
 
    ・魏志倭人伝には帯方郡から邪馬台国までの行程を
     「狗邪韓国
 →(千余里水行一日) ・対馬国 →(千余里水行一日) ・一支国 →(千余里水行一日) ・末廬国 →(陸路五百里一日) ・伊都国 →(百里陸路一日) ・奴国  → (百里陸路一日) ・不弥国 →(水行二十日) ・投馬国 →(水行十日陸路一日) 邪馬台国」と記載があり、投馬国は吉備地方であれば矛盾が少ない。また、大集落や王墓の存在、出土品、地理関係、以降の営み遺跡等からも可能性が高い。
  
  (1) 弥生時代の遺跡−岡山県倉敷市・上東遺跡

     周囲を海に囲まれた日本列島では、海は障壁であると同時に物流の大動脈であった。そのため、古くから航路にあたる各地の要所に港が作られたと思われる。上東遺跡では、全国2例目となる弥生時代の港と考えられる波止場状遺構が発見された。推定される規模は、最大幅約14M、長さは、45M以上で、瀬戸内海に面し、海上交易の窓口として重要な役割を果たしていたと考えらる。
     この波止場状の遺構からは、700点以上の弥生土器が出土している。多くは完形で、意図的に穴をあけたものもあり、航海の安全を願って海の神に捧げたものと思われる。特筆されるのが、中国(新)製の貨泉と朝鮮半島製の瓦質(がしつ)土器の出土でここが、国際交易の窓口であったことを示している。(岡山県古代吉備文化財センタ−)


  (2) 銅鐸・貨泉の発見例 − 高塚遺跡

  (3) 楯築弥生墳丘墓 
 
      楯築墳丘墓は、日本最大の弥生墳丘墓である。形は、円形の主墳丘の北東と南西に突出部が付属しており、全長は78.5M以上と推定される。墳頂部には5個以上の巨大な立石があるほか、墳丘斜面にも二重に列石が施されていた。
楯築墳丘墓は規模はもちろん、墓で行う儀礼のル−ルを完成し、西日本各地の墳墓祭祀に大きな影響を与えた画期的な弥生王墓である。

4. 吉備地方における初期の前方後円墳
   
 (1) 浦間茶臼山古墳
     全長140M、後円部径約80M、高さ約14M,前方部前面の幅約60M
     中国製獣帯鏡片、銅鏃、鉄鏃、鉄剣など出土。

 (2) 中山茶臼山古墳(宮内庁管理)
     全長120M、後円部径約80M、高さ約12M。
     西方約3、4キロ程の眼下に楯築、鯉喰、雲山鳥打などの弥生墳丘墓が仰望される。大吉備彦命の墓という伝承がある。
2008. 1. 1
年が明けた。 今年はどんな年だろうか。 福岡市西区飯盛神社に初詣に行く。毎年武者祭が行われる。日本三大文殊堂の傍らで
恒例のたき火を囲む風景がある。


2007.12.26  九州大学 アジア理解講座                          : 九州大学六本松キャンパス510教室

        「新たな世代の育成に挑む中央アジアタジキスタン」

 講演者 : 杢尾 雪絵氏(UNICEFタジキスタン事務所代表)・・2006年11月30日NHK放送 「プロフェショナル 仕事の流儀 心にいつも青空を −ユニセフ タジキスタン代表 杢尾 雪絵−」に出演

         
    タジキスタンにおける貧困削減戦略とその実施にあたってのチャレンジ

  中央アジアの国々には、アフガニスタンやカザフスタン等「スタン」 という国名が多い。このスタンとは「土地」という意味であり、タジキ民族の土地がタジキスタンである。(人口約700万人)
 タジキは、旧ソビエト連邦の一部とされていた。(1924〜1991) ソビエト崩壊後、独立したものの権力の主導権をめぐって内戦が続いた。(1992〜1997) 秋野氏が狙撃された国である。現在は治安も安定し、安全な生活が出来るようになった。
 国土の東半分は大半が4000mの高地であり、7000m級の山脈地もある。
 ソビエト時代は、計画経済であったため、タジキは、綿花の生産が主たる産業とされた。ソ連崩壊後は、ロシアの援助が途絶え、貧困国家となる。しかし、埋蔵資源がり、GTPは、毎年8%の伸びがあるが、どちらかというと近隣諸国(主に経済好調ロシア)への出稼ぎによる仕送りに頼っているのが大きい。
 ・ 貧困ライン  総人口に占める貧困の割合  1999年・・83%  2003年・・64% 2004年 57%と徐々にではあるがラインの降下現象が見られる。 

 経済復興への取り組み : この地域の国々は、日本の戦国時代に近く、ほぼ独裁国家であり、政権が交代することはない。政権の座を降りると殺されるか国外に逃亡するしかない。閣僚にも決定権が乏しく、外国からの援助が国民へ行き渡るという保証がない。
 この中で児童の死亡率向上の公的支出を認めさせると言うことは容易でない。
 
 児童貧困の緩和 : 貧困が貧困を生む状況の改革は容易でない。
  
 5歳未満児死亡率 :  1名/13名 (2003年)・・ 主に感染症による死亡

 近年の経済成長と栄養不良: 6歳児未満の発育不全あるいは衰弱した児童 が多い(栄養の偏りが原因)

 安全な飲み水と衛生へのアクセス :上水道の設備はない。首都(ジュナンテ)でも飲める水の供給はない。地方では川の水や干害用水を飲み水としており感染症の要因となっている。村に水道が一カ所。個人の家には水道はない。(水はあるがシステムがない)
 
  基礎教育の就学率 : 6歳児 7% 7歳児 59% 8歳児10%・・・・男の出稼ぎが多いため農繁期の手伝いを子供が行う。また、女子は、仕事の担い手として早期結婚が多い。子供(5〜14歳)の10%が児童労働に従事している。また、子供の12%が出生届がない。
 
 伝いたいメッセ−ジ : 子供が経済発展の思惑に溺れている。子供と成人の貧困は同でない。別の枠組みが必要である。

 財政不足 :  政府の財政で全てがまかなわれる状況にない。経理システムが弱い。援助国、援助機関はパリ宣言に基づく国家オ−ナ−シップをつくることが必要。

 マクロ環境 : 経済不安定、政治的敏感、独裁政治が要因。

ユニセフの使命 : 
 ユニセフは、子どもの権利の保護および子どもの基本的ニ−ズの充足、子どもの潜在的能力を十分に引き出すための機会を拡大すべく、国際連合総会により委任されている。ユニセフは「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)を規範とし、子どもの権利が恒久的な倫理原則として、また、子どもに対する国際的な行動基盤として確立されるように務める。
 
 UNIEHF : 
  子ども達に関する政策の立案とサ−ビスの専門的標準として基準提供を支援する。
  地方政府のキャパシィティ強化
  コミニティ重視の計画と実施
  政策と主流化のために国家レベルへのフィ−ドバックのメカニズム
  市民生活との同盟を構築する


 菊池康子氏(日本赤十字社事業局国際部国際援助課)・・2年間タジキスタンに勤務

  
 1. タジキスタンにおける政府開発援助(ODA)と草の根・人間の安全保障資金協力の位置づけ


 2. 草の根・人間の安全保障無償資金の動向

  ・ 案件数(190件)  ・支援額(1件当たり1000万円以下) ・支援分野  ・ 地域等について
  ・ 人間の安全保障理念の導入
  ・ 今後の支援の方向性
     農業振興に通じた村落貧困の削減
     農業インフラ整備分野の重点支援

  ・ 事業効果(現地のキャパシティ)

  
 3.日本NGO無償資金協力とは
    認定NGO「難民を助ける会(AAR)」のタジキスタンにおける活動例

 4. 写真による紹介

 



2007. 12 .22(土) 「魏志倭人伝の考古学−耶馬大国への道」               : 伊都国歴史博物館

  講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)
  

    
           第 9 回   不  弥  国(ふみこく)


  
1 倭人伝に見える不弥国(全22文字で表現)
 
   
 東行して不弥国に至には百里。官を多模といい、副を卑奴母離という。千余家あり。
 
   
  2 不弥国の位置をめぐって
    所在については諸説がある。

  (1) 嘉穂説 (飯塚市付近) 通説
      明治25年に嘉麻郡と穂波郡を統合した。



  (2) 宇美説
     参考:
     不弥国と倭人伝の国々(西谷正)

  魏志倭人伝」の冒頭には、次のようなよく知られた一節がある。
  「倭人は、帯方郡の東南の大海の中におり、山がちな島の上にそれぞれ国邑を定めている。もともと百余国があって、漢の時代に中国へ朝見に来たものがあった。現在、使者や通訳の往来のある国が三十国ある。」
 この記述や、北部九州における考古学の調査成果から見て、弥生時代中期後半のころ、北部九州を中心に百箇所余りの地域社会があり、その多くが中国の漢帝国と外交関係を結んだ結果、国と認証されていたようである。その後、弥生時代終末期にあたる魏王朝の時代になるとそれらの中の三十国が外交交渉を持ったことが伺える。三十国の中には、耶馬大国を頂点として、倭国すなわち日本列島の各地に、大小さまざまな国々があった。そのうち、福岡平野にあった奴国には、倭人伝によると、二万余戸の人家があった。その規模は、七万余戸の耶馬大国や五万余戸の投馬国についで大きい国であった。そして、奴国の近くには不弥国があった。不弥国については、倭人伝は、次のように記している。

  『奴国から東に進んで不弥国まで行くには百里。長官は多模(たも)と呼ばれ、副官は卑奴母離(ひなもり)と呼ばれ、千余戸の人家がある。』

 ここで不弥国の所在をめぐって、周知のとおり、諸説があるが、現在の宇美町付近もその一つの候補地であった。おそらく、宇美が不弥に通じることや、伊都国(前原市付近)と奴国までの間を百里とする距離観に基づく地理的位置などが主要な論拠であろう。
  さて、列島各地に国々を比定するとき、状況証拠としていくつかの条件がある。まず、当時の国の領域に関してこれまでしばしば指摘されてきたように、明治28年まで続いて来、現在もその名残りを一部にとどめる地方行政単位としての郡が一つの目安になる。このような郡は、律令制時代の郡(こおり)に始まるが、更にさかのぼって古墳時代のころの県(あがた)に由来する。ちなみに、奴国は、儺県(ながあがた)(『日本書紀』仲哀紀8年)から、那珂郡(『延喜式』神名帳・『和名類聚帳』)、奈珂郡・仲郡(8世紀前半須恵器刻書銘)へと変遷している。
 このことから逆に類推して、宇美(『古事記』中巻−仲哀天皇の頃)や宇瀰(『日本書紀』神功皇后摂政前記−仲哀天皇9年12     月の項)を含む糟屋郡域に一つの国を想定することは可能である。
 次に、不弥国の時代つまり弥生時代後期の拠点集落や墳丘墓・居館などの遺跡や、後漢鏡などの顕著な遺構や遺物の発見が待たれる。この点に関連して、不弥国に続く大和政権もしくは古墳時代の初期の大型の前方後円墳である光正寺古墳の存在意義は大きい。このような古墳が突如として出現する背景には、光正寺古墳の築造基盤となる地域社会が前代に形成されていたことを意味するからである。このような地域社会こそ不弥国ではなかったろうか。

 3 糟屋郡域の遺跡群
    (1) 稲作の始まり−粕屋町 江辻遺跡
    (2) 首長墓の登場−古賀市・馬渡束ケ浦遺跡
  
 4 粕屋郡域における初期前方後円墳
    (1) 福岡市・香住ヶ丘古墳 
    (2) 宇美町・光正寺古墳
 



2007.12.16(日) 国際シンポジウム 「水中文化遺産と考古学」              於いて: 福岡市博物館講堂

                 −海底遺跡ミュ−ジアム構想の実現に向けて−

   第1部  基調報告
      1 日本の水中考古学             石原渉氏
      2 オ−ストラリアにおける海事考古学   ロス・アンダ−ソン氏 
   
   第2部
1 海底遺跡ミュ−ジアム構想

 1) 長崎県五島市小値賀島と海底遺跡    小値賀島町歴史民族資料館        塚原 博氏

 ア  小値賀町(おじかちょう)は、九州の北西海上に連なる五島列島の北部に位置し、主島の小値賀島を中心に大小17の島嶼群で構成されている。内有人島は6島のみである。
 五島列島北端の宇久島は九州平戸島南端とは、直線距離にして約30キロ、南端の福江島は、長崎市野母崎先端から78キロにあって、この両端間約90キロの間には140余の大小の島々が群集している。     
  五島列島は古称を「知詞島」といい、古事記の国土創成神話に登場する。また、肥前国風土記の末羅郡の項に「近島」とあって、景行天皇の九州征討説話として『沢山の島があるが有人の島は二島で、第一島を小近と言い土蜘蛛大耳がおり、第二の島は「大近」といい土蜘蛛垂耳が居た。』としている。同書は、『西に船を泊つる停まり二処あり、一処の名は相子田の停まり20余りの船を泊つべし、一処の名は川原の浦といい10余りの泊つべし。遣唐使はこの停まりより船立ちして西に向かう。』と記している。
  近年五島列島における近代以降にかかる遺跡調査が進展し、序々にではあるが考古学的な資料が蓄積されつつある。
  今回紹介するのは五島列島北部に位置し、中世松浦党の主体であったとされる源(松浦)氏に関わりの深い小値賀島周辺海域の海底に所在する、沈没交易船の積載物と推測される資料である。

 イ 小値賀島の歴史地理的位置
    
  海路による大陸との交渉を示す五島列島最古の資料は、縄文時代前期に搬入された朝鮮半島隆起文土器で小値賀町野崎島野首遺跡及び新上五島町頭ヶ島白浜遺跡から出土している。以降弥生・古墳・古代と断続的に朝鮮半島系の遺物は知られているが、各時代を通し量的には多くなく、当該時代には朝鮮半島〜対馬〜壱岐〜北部九州という主要ル−ト圏外にあったことが伺われる。
  ところが8世紀初頭に遣唐使船団の中国渡航航路として開発された東シナ海横断ル−トが、9世紀の前半代には中国商船の本邦来航路ル−トとほぼ重複したことによって再び五島列島が中央政府に注目されることになる。
 当時肥前国の領域であった五島列島と平戸島についても時の朝廷は太宰府からの建議を認め、平戸島を上値嘉郡に五島列島を下値嘉郡となしてこの2郡を、もって新たに値嘉嶋を創設し島司・郡領をおくことが決定された。(三代実録貞観18年「876年」)
  それは、九州西北部沿岸地域が、当時増加しつつあった鴻櫨舘(博多湾)と唐船の主要航路にあたる対応策と考えられる。
  以来、現代に至るまで西北部九州沿岸地域は日本以西の海路として多くの船舶の往来が認められ、その中には、遭難等による破船もしくは沈没した船舶も多かったことが想像される。
.
 ウ 小値賀島の水中文化遺産
   ・ 山見沖海底遺跡
   平成4年にサンプルの採集を行った結果、回収した6点の陶磁器がいずれも16世紀末から17世紀初頭のタイ産陶磁器であることが判明した。これに基づき平成13年(2001)五島列島で初めて簡易潜水器具を用いて海底の調査を実施した。この結果、87点のサンプル資料を回収した。
            内訳は   国産肥前磁器              2点 
                   中国産陶磁器              8点
                   ベトナム産の可能性のあるもの   1点
                   タイ産                   70点     
                   その他(ハンネラ土器、移動式竈等   6点
 であった。

 ・ 交易船にかかる海中遺物

  中世の交易船に関する考古資料の一つに、中国船が使用したと推測される定型的名加工を施した「碇石」がある。
  現在、その分布はロシアのウラジオストックから中国海南省西沙群島まで広範囲に広がっており、確認された総数は管見のかぎり66本である。
  現在の分布の中心は賀方湾周辺で18本以上、次いで前方湾を中心とする小値賀島海域で13本が確認されている。

 2) 鷹島海底遺跡−出土遺物と遺跡の形成過程     アジア水中考古学研究所会員  小川 光彦氏

  長崎県北松浦郡松浦市の鷹島は伊万里湾の開口部にあり、中世の国際交易都市として栄えた博多と中国や朝鮮半島を繋ぐ航路上に位置している。「蒙古来襲」として知られる弘安の役(1281年)の際には、暴風雨により元軍が壊滅的な打撃を受けた地とされ、以前より周辺海域から「唐壺」と呼ばれる中国陶器壺が多く引揚げられていた。
  鷹島での水中考古学調査は1980年に始まる。各種の探査機器も導入して行われ、サンプルとして引き揚げられた中国陶磁器や調査団に持ち込まれた「至元十四年九月造」の銘を持ち「管軍総把印」と刻まれた青銅印は、元軍の存在を示すには十分な資料となり、翌年には埋蔵文化財包蔵地として登録されている。
  また、「鷹島海底遺跡」として文化財保護法の下、発掘調査や開発行為に関しては事前の届出や通知が義務付けられている。
  島内には対馬小太郎、兵衛次郎の墓と伝えられる元寇関連の史跡や地名を多く遺し、また対岸の松浦市には松浦党関連の遺跡とされる楼階田遺跡が位置する。

              ・ 鷹島海底遺跡の調査経過
              ・ 出土遺物の概要
              ・ 鷹島海底遺跡様相と形成過程
              ・ 鷹島海底遺跡の可能性
     
 3) 推定「いろは丸」の調査       吉崎 伸氏   水中考古学研究所理事長
   
   慶応3年(1867年)坂本龍馬の率いる海援隊は、蒸気船「いろは丸」を仕立てて,大阪へ向けて長崎を出港した。ところが、瀬戸内海備後灘で紀州船の蒸気船「明光丸」と衝突して沈没した。これが後に「いろは丸事件」として幕末史をにぎわす海南訴訟事件へと発展することになる。
   いろは丸は伊予大洲藩の船で衝突時は、海援隊が借用していたものである。文献資料によると元来は1862年にイギリスのギリ−ノックで建造された「サ−ラ」という名の蒸気船であったとみられる。鉄製の船体で、重約160トン、全長54m、幅5.4m、3本のマストを有し、45馬力の蒸気機関を搭載したスクリュ−推進船であったとする説が有力である。
  1989年いろは丸は鞆の浦の有志で結成された「鞆を愛する会」によって発見された。その後、水中考古学研究が3次に渡って調査を実施し、船体を確認、滑車や陶磁器類などを引き揚げた。そして2005年、第4次調査の計画が持ち上がり、再び水中考古学研究所が担当することとなった。

   @ いろは丸第4次調査
     ・ 位置と環境
       いろは丸は広島県福山市走島町宇治島南方4kmの瀬戸内海、水深27mの海底に沈んでいる。ここは瀬戸内海中央部、愛媛県の高縄半島と香川県の庄内半島に抱かれた備後灘の東端にあたる。周辺海域の透明度は極めて低く海底付近ではほとんど視界はない。
              
    ・ 調査方法
      探査機器や測量機器類による
         
    ・ 発掘調査の方法
      調査海域に繋留した台船を基地とし、潜水したダイバ−がエア−リストを用いて海底に堆積する浮泥土を発掘し遺構を検出する方法。

    ・ 調査結果
      船体について→これまでの調査と合わせて船体の規模が全長約36.5m、最大幅約5.6mであることが分かった。            船体は鉄製で中央付近にボイラ−とみられる施設があり蒸気船である。船体の上部は大きく削平ていることも分かった。 
      
    ・ 遺物について
      今回の調査で積荷の一部が明らかとなった。鮫皮の台座と鮫皮を収納した木箱である。鮫皮と朱は当時の長崎貿易における収益性の高い品で、海援隊(龍馬)が目指した交易の実態が明らかになった。
2007.12.12   歴史講座 「 邪馬台国を訪ねて」   : 於いて    アクロス福岡  円形ホ-ル
                     
    講師: 橋口達也 氏(文学博士)      第一回「弥生時代の戦い」         

  

  1 はじめに
 
    1)  いかにして戦いの痕跡を考古学的に証明するか?
     @ 防壁、 柵、 濠等の防禦集落
     A 武器の存在
     B 殺傷された人骨(集団的闘争による)
     C 武器の副葬
     D 武器型祭器
     E 戦いの場面を表した造形品等の存在

 2 弥生時代の武器
 
    1) 武器の出現
        弥生時代開始期に磨製石剣、 磨製石鏃等の武器は導入されているが、まだ戦いに用いられていない。
    2) 殺傷人骨の出現と武器  
        早期末に殺傷人骨が現れる。このことは磨製石剣、 磨製石鏃を武器として使用したことを示している。
    3) 武器の副葬の開始
        早期末に磨製石剣、 磨製石鏃の副葬が始まる。
    4) 青銅製武器(剣、矛、戈)の出現と青銅製武器の副葬  
        農業共同体の成立と首長層の出現。
    5) 副葬用に作られた武器(明器銅戈)
        武器への尊崇の念の発生、すなわち後に青銅製武器が祭祀品化する要素の出現。
    6) 武器の折損、研ぎ直し
        青銅製武器が実用品であることについての別視点から追求。
    7) 鉄製武器の出現と普及
        短剣など
    8) 青銅製武器の祭祀品化

       
  3 弥生時代の戦い
 
    1) 戦いの発生と要因
    2) 集落間の戦いを経て、農業共同体の成立と首長層の出現 
       前期の終わり頃か?
    3) 共同体間の戦いを経て、地域的結合体「クニ」(中期中頃から後半)と盟主的首長層の成立
    4) 地方の覇権掌握へ向けての戦い
    5) いわゆる倭国大乱(古墳時代入口あたり)を経て統一国家の原則的形態の成立へ
        鳥取かみや遺跡で100体の人体骨(武器鉄製)発見。
        北部九州まとまっていたのではないか。



2007.12. 6      「少年犯罪の風景」 〜光市母子殺害事件の法廷で考えたこと〜   : 福岡市少年科学文化会館
  
    講師 : 作家 佐木隆三氏

               
 佐木氏は、2009年4月14日発生した、光市母子殺害事件について広島高等裁判所における公判から欠かさず傍聴を続けて詳細に被害者及び被告人の供述内容を取材されている。この講演では主に「犯罪被害者の人権」について講演された。
 佐木氏は、高等学校卒業後、八幡製鉄所(現新日本製鐵)に入社され、作家として昭和51年に小説『復讐するは我にあり』で直木賞を受賞、その後も『身分帳』で伊藤整文学賞を受賞される等活発な出筆活動を続けておられる。平成18年から、北九州市立文学館長に就任。

 一方、本件犯罪被害者の本村さんは「国立北九州高専」から「広島大学工学部」に編入され、卒業後「新日本製鐵」に入社、山口県光市にある同社の社員として勤務されている。

  また、被告人は、光市内の高等学校を卒業後、2009年4月から当地の水道会社員に採用された。同人が中学生の頃、母親は自宅で首つり自殺している。父親は、フイリピン女性と再婚し弟がいる。

 本村さんは、2001年、自ら「犯罪被害者の会」を結成して、被害者が直接公判廷で意見陳述が出来る道を開いた。これまでは、検事が被害者から録取した調書を作成し公判で読み上げていた。

  ・ 山口地裁「無期懲役」の判決。

  ・ 高裁では、被告人が同じ刑務所の同僚に対し「本村さんがどう騒ごうとも無期は勝ち取れる」旨の手紙を出したことが、検察官から   指摘されたが、裁判官はこれを大きな材料とせず、結果は「無期懲役」の判決。

  ・ 2005年 12月 最高裁で3審が始まる。

  ・ 2006年3月14日、公判に弁護人出廷せず。(理由:裁判員制度の模擬裁判の打ち合わせのため)
    被害者を含む多くの人が遠方から出向き入廷していた。このため裁判官は次回の公判を4月18日に指定した。

  ・ 弁護人は、裁判の引き延ばしを図った。過去、引き延ばしによって21年も時を要した裁判もあった。

  ・ 2006年6月20日、最高裁判決言い渡し。「2審は量刑で考慮すべき事実の評価を誤った。死刑回避の十分な理由は認められな   い。」として高等裁判所に差し戻し。控訴審では、1.2審の以外の「死刑を」回避する特に酌量すべき事情があるかどうかが最大の   争点。

  ・ 2007.12. 4までに第4審が行われ、この判決は2008年4月22日に言い渡される。

    検察側: 被告には2審で認定された以上の有利な情状はないと指摘。「差し戻し審では、事実を争って荒唐無稽な弁解をし、死          刑に処すべきことがより明らかになった」と主張。
    弁護側: 事実こそ大きな情状と主張。さらに「精神的に極めて幼い18歳と30日の少年による不幸で偶発的な事件で傷害致死で         ある」と主張。              


2007.11.17    「魏志倭人伝の考古学−耶馬大国への道」    : 伊都国歴史博物館

  講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)


  第 8    奴  国  (現福岡市)

   1 倭人伝に見える奴国

    東南、奴国に至るには百里。官をし馬觚(しまこ)といい、副を卑奴母離という。2万余戸あり。

   後漢書「倭伝」
    倭は韓の東南大海の中にあり、山島によって居をなしている。およそ百余国ある。武帝(前漢第7代、前140-前87在位)が朝 鮮を滅ぼしてから、使訳(使者)の漢に通じるものは、30ばかりの国である。国はみな王を称し、世々、統を伝える。その大倭王は耶馬台国におる。
   建武中元2年(光武帝、57)、倭の奴国が、貢を奉じて朝賀した。使人はみずから大夫と称した。倭国の極南界である。光武帝(後漢第一代、25―57在位)は、印綬(金印紫綬、志賀島発見の金印「漢委奴国王」であろう)を賜うた。
安帝(後漢第6代,107-125在位)の永初元年(107)、倭の国王帥升(すいしょう)(帥升、倭面土ヤマト説、九州イト説、委面説など)らが、生口160人を献じ、請見(面会を求める)を願うた。

   2 奴国の形成
    
    (1) 稲作の始まり
        弥生時代の早〜前期の主要な水田遺跡  板付遺跡の水田跡

    (2) 奴国の成立   弥生時代中期後半

    (3) 奴国王墓     須玖岡本遺跡


   3 奴国の遺跡

    (1) 国邑 = 拠点集落 ― 比恵 ・ 那珂遺跡

    (2) 衛星集落 ―安徳台遺跡 ・ 西新町遺跡

    (3) 手工業生産 ― 青銅器 ・ ガラス器


   4 奴国以後 
  
     前方後円墳の出現と儺県主 ― 那珂八幡古墳
 
  
   5 「早良国」の問題 ― 樋渡(弥生中期後半) ・ 吉武高木(弥生中期前半)遺跡
    



2007.10.13    「魏志倭人伝の考古学−耶馬大国への道」    : 伊都国歴史博物館

  講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

  第 7      伊都国 ・ 斯馬国 ( 現前原市 ・ 志摩町 )


 1 魏志倭人伝に見える
 伊都国・ 斯馬国
   東南、陸行すること五百里。
伊都国に至る。官を爾支(ぬし)と言い、副を泄謨觚柄渠觚(しまこへきこ)という。千余戸あり。  世々王ありて、皆女王国に統属す。郡使の往来、常に駐する所なり。


 2 伊都国の形成

  (1) 稲作の始まり
  (2) 伊都国の成立 − 弥生時代中世期後半
  (3) 伊都国の王墓 − 三雲南小路遺跡 ・井原遺跡

 3 伊都国の遺跡

  (1) 国邑 = 拠点集落  −  三雲 ・井原遺跡
  (2) 衛星集落 − 今宿五郎江・大塚遺跡
  (3) 王墓 −平原遺跡
  (4) 玉生産 − 潤地頭遺跡
  (5) 一大率

 4 
斯馬国の形成とその遺跡
 
  (1) 首長墓 − 久米遺跡

  (2) 国邑  = 拠点集落 − 一の町遺跡
  
 5 
伊都国・ 斯馬国以後
   前方後円墳の出現と伊覩県主(これあなたぬし) − 端山古墳 ・ 若八幡宮古墳 ・ 一貴山銚子塚古墳
 
                                  − 御道具山古墳


2007 10 5 (金) 国際情勢講演会「もっと知りたい人間の安全保障」  於いて  アクロス福岡円形ホ−ル

    講師 : 外務省国際協力局多国間協力長      大菅 岳史氏
 
         : 国連人間居住計画アジア太平洋事務所長  野田 順康氏
   

 人間の安全保障とは、貧困、環境破壊、紛争、感染症等、危機や脅威に晒された人々の生命や生活設計、尊厳を保護し 全ての人の自由と可能性を実現するために、人間中心の視点を重視する取り組みを統合し、強化しようとする考え方である。

 人は誰もが等しく豊かな可能性を持つ存在で、国籍、人種、性別等に関わらず、人間として尊重されるべきで、人々の創造的な営みの積み重ねが人類の発展を支えている。

 「人間の安全保障」は、1994年に」国連開発計画(UNDP)が提唱した概念ですが、2001年に創設した、緒方貞子氏(JICA理事長)とアマルティアセン氏(インドのノ−ベル経済学賞受賞)を共同議長する「人間の安全保障委員会」により国際社会で広く流通しつつある。

  また、日本政府の提案により、国連に信託基金としては最大規模の「人間の安全保障基金」が設立され、国際機関の活動の中に「人間の安全保障」の考え方を反映させ、人間一人ひとりに焦点を当て、保護と能力強化を図るプロジェクトを支援して行くことを目的としている。


2007. 9. 15魏志倭人伝の考古学−耶馬大国への道」    : 伊都国歴史博物館

  講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

  第 6      末  国 ( 現 唐津市 )

 1 魏志倭人伝に見える末廬国

   また、一海を渡ること千余里。末廬国に至る。四千戸あり。山海に濱いて居す。草木茂盛し、行くに前人をみず。好んで魚   鰒を捕らえ、水深浅となく、皆沈没してこれを取る。


 2 末廬国の遺跡
   
(1) 稲作の始まり
   唐津市菜畑遺跡に国内最古の水田遺跡ある。また、近年西九州自動車道関係の発掘調査において梅白遺跡、大江前遺跡、中原遺跡の調査から弥生時代から古墳時代の水田に伴う水路が発見され、水路からは弥生時代の始まり〜中頃にかけて多くの木製農具が、また、梅白遺跡では、弥生時代中期の大規模な水田も発見された。

 (2) 末廬国の成立 − 弥生時代中期後半?
 (3) 末廬国の王墓 − 桜馬場遺跡(唐津市桜馬場4丁目1285)
     昭和19年(1944)11月防空壕の工事中、甕棺がみつかり、その中から鏡(流雲文縁方格規矩四神鏡)などの遺物を    発見。

 3 末廬国の遺跡

 (1) 国邑=拠点集落 − 千々賀遺跡
 (2) 王墓 − 中原遺跡
          中原遺跡(弥生時代終末〜古墳時代初頭の墳墓)には、破砕された鏡や鉄剣、玉類などが副葬されていた。           また、近隣の久里双水前方後円墳(古墳時代前期)は唐津地域最大の前方後円墳。この隣に、双水柴山前方          後円墳もある。これらは、有力者個人のための墳墓である。
 (3) 高地性集落 − 上場台地・雨溜遺跡
 
 4 末廬国の生活

 (1) 農業 − 「濱山海居」の原風景
 (2) 漁労 − 「好捕魚水無深双淺皆沈没取之」の世界

 5 末廬国以後
   
   前方後円墳の出現と松浦県主 − 久里双水古墳


 6 末廬国と伊都国


2007  9  13 (金)  国連講演会「アジアに於ける日本の立場」     於いて  よみうりプラザ

    講師 : 外務省国際報道官   鶴岡 公二氏


   外務省に於けるアジアの定義  アジア大洋州局  米国、中国、韓国、ユウラシア大陸西はパキスタンまで
                                    南は、オ−ストらリア、ニュ−ジランド、南方諸島(トンガ)

   国連のアジアの定義     アジア地域、中東を含む
                     悲観的な見方が多い  
   世界の中で(26カ国に於ける)外国に対する好意度 
              
                      好意的           否定的
       カナダ            54%             14%
       日 本            54%             20% (中国、韓国からの否定が多い)
       UNON           53%
       フランス           50%  
       イギリス           45%
       中 国            42%
       インド            37%

   日本は昨年まで国連の「安全保障委員会」の「常任理事国」北朝鮮による核実験やミサイル発射等で活躍できたが、本年は無役である。この常任理事国になるには順番があり約20年に一度機会がある。しかし、これでは日本の役割が果たせないので、順番の回る国にお願いして常任理事国を譲り受けてもらう等してる。前年まではモンゴルからまた、パプアニュ−ギナにも働きかけている。
    対中国との関係改善  (小泉首相による関係悪化)  対中国: 投資  40%   一般国  20%
   日本のキャッチフレ−ズ
    ・ 日本は、考えるリ−ダ−
    ・ アジアを安定化させるリ−ダ−
    ・ アジアの国々と対等の立場で



2007. 8. 18魏志倭人伝の考古学−耶馬大国への道」    : 伊都国歴史博物館

  講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

  第 5     支 国 (  現壱岐市 )



 1 魏志倭人伝に見える一支国
   
   又、南一海を渡ること千余里。名づけて瀚海(かんかい)という。一支国に至る。官をまた卑狗といい、副を卑奴母離という。  方三百里ばかり。竹木叢林(ちくぼくそうりん)多く、三千ばかりの家あり。やや田地ありて、田を耕せども、なお食するに足ら  ず。また、南北に市糶(してき)す。


 2 一支国の遺跡

  (1) 国邑=王都(国都・首都)=拠点集落−原の辻遺跡
  (2) 衛星集落−カラカミ・車出遺跡
  (3) 渡海祭祀−天ガ原遺跡
  (4) 高地性集落


 3 一支国の生活

 
  (1)  生業と食生活−農業・漁労・狩猟・植物採集
   (2) 争い−武器・武具
   (3) 信仰−占い 

 4 一支国

   前方後円墳の出現と壱岐直

2007 7 28  北九州市戸畑地区の「山笠」を見学した。明るい時間帯は、ほこ12本が飾られ、夜は305個の提灯に変わる。



2007 7 26 (金)  国連講演会「世界規模で考える環境問題」  於いて  天神ビル11号会議室

    講師 : 外務省地球規模課題審議官  鶴岡公二氏



07 7 21 魏志倭人伝の考古学−耶馬大国への道」 : 伊都国歴史博物館

  講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

 4    対 馬 国 ( 現 対馬市 )

 
1.はじめに
   倭人伝に見える対馬国(弥生時代後期)
    始めて一海を渡ること千余里。対馬国に至る。その大官を卑狗(ひこ)といい、副を卑奴母離(ひなもり)という。居する   所絶島にして、方四百余里ばかり。土地山険にして深林多く、道路は禽鹿の径の如し。千余戸あり。良田無く、海物を食し  て自活し船に乗って南北に市糶(してき)す。

2. 対馬国以前
 (1)稲作の始まり一縄文時代終末期(弥生時代早期)

 (2)対馬国の成立一弥生時代中期後半

3. 対馬国の遺跡と遺物


 (1)峰町三根・下ガヤノキ遺跡

 (2)峰町佐賀・エーガ崎遺跡

 (3)峰町佐賀・小姓島遺跡

 (4)豊玉町佐保・シゲノダン遺跡,唐崎遺跡 (5)豊玉町仁位・ハロウ遺跡

 (6)上県町佐護・クビル遺跡

 (7)上対馬町古里・塔ノ首遺跡

 (8)美津島町久須保浦・かがり松鼻遺跡

 (9)峰町三根遺跡山辺区


4. 対馬国以後
  美津島町鶏知・出居塚

5. 船と航海

6. おわりに
  南北市耀の対馬国


7月1日から飾り山笠が公開された。15日の追い山まで15日間の祭りである。10日、市内13カ所の飾り山全てをバスや徒歩で見て回った。

櫛田神社7月10日「流舁き」の出発式が神殿で行われていた。

櫛田神社境内
太閤醍醐之花見 中野 親一作


神武天皇東征譚 中野 親一作



 決戦 川中島  置鮎 正弘作

ゲゲゲのきたろう 置鮎 正弘作
 投打走男鷹  置鮎琢磨作
 大江山武勲之誉  三宅 隆作





(表) 長政関ヶ原知略   三宅 隆作

 名槍黒田誉    中村 信喬作



キャナルシティ博多
功徳渡四海   置鮎琢磨作

 同
渡唐福徳誉   置鮎琢磨作

 同
ゲゲゲの鬼太郎  置鮎 正弘作



黒田長政関ヶ原合戦中村 信喬作 

 鶴亀吉兆舞  白水秀章作

ソラリア内
望峰壮絶阿蘇大宮司
 置鮎 正弘作

ソラリア内
蜀功赫赫三国志 小島慎二作

双冑千古勲   川崎修一作

希代豪槍蜻蛉切  川崎修一作

 祈愛染明王 室井聖太郎作
川中島決戦之誉 室井聖太郎作



 義経千本桜 中野 親一作

 アニメ名探偵コナン 中野浩作

 龍虎相討川中島 亀田 均作

 ゲゲゲの鬼太郎 亀田 均作



 上川端通り
 五条大橋優雅舞  田中勇作

 上川端通り
 創国須佐之男命 田中比呂志作

 川端中央街
 風林火山誉 中野 親一作 

 川端中央街
  ドラえもん   中野浩作

上川端通り  碇知盛壇浦散華

上川端通り  羅生門


2007  6  17  福岡市民オーケストラ第56回定期演奏会  
                                   於いて  アクロス福岡シンフォニーホール


 プログラム  
     ボロディン: 交響詩「中央アジアの草原にて」
        ドヴォルザーク:「チェロ協奏曲ロ短調
     
          1.Allegro assai
          2.Andante
          3.Allegro    
  
       ブラームス:交響曲第4番ホ短調
   
          1.Allegro non troppo
          2.Andante moderato
          3.Alleguo giocoso
          4.Alleguo enertgico e passionato 
 チェロは、木越 洋氏(NHK交響楽団主席奏者 桐朋学園大学講師 洗足学園大学教授)であったが、その威風堂々とした雰囲気とスケールの大きい朗々たる輝きに満席の聴衆はまさに「釘付け状態」でまろやかな美しい音色に酔いしれるようであった。
 
2007 6 16 「魏志倭人伝の考古学−耶馬大国への道」 : 伊都国歴史博物館

  


  講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

 第3回    狗邪韓国−魏志倭人伝の世界

  1 『魏志』倭人伝 狗邪(くや)韓国

  辰韓は、馬韓の東方に位置する。その地の故老たちが、代々いい伝えるところでは、自分たちは古の逃亡者の子孫で、秦の労役を逃れて韓の国へやって来たとき、馬韓がその東部の土地を割いて与えてくれたのだ、とのことである。その居住地の周りには城壁や柵がめぐらされる。彼らの言葉は馬韓とは異なり、国のことを邦といい、弓のことを弧といい、賊のことを寇(こう)といい、行酒(さかずきをまわして順々に酒を飲む)のこと行觴(こうしょう)と言い、互いに自分たちのことを徒と呼び合うなど秦の人の言葉と似た点があって、燕や斉の地における物の呼び名と共通点がある等だけに留まらない。楽浪郡の人のことを阿残(あざん)と呼ぶ。東方の人々は自分のことを阿と呼ぶが、楽浪の人はもともと自分の残余(のこり)だから「阿残」と呼ぶのだという。現在でも彼らのことを秦韓と呼ぶものがいる。もともと六国であったが、だんだんと分かれて十二国になった。

 弁辰も十二国からなりさらにいくつかの地方的な小さな中心地があって、それぞれに渠帥(首領)がいる。勢力の大きいものは臣智と呼ばれ、それより一等下がって険側、それより下がって樊わい(はんわい)、それより下がって殺奚(さつけい)、さらにその下に邑借と呼ばれる者がいる。
 已柢国(いてい)・不斯国(ふし)・弁辰弥離弥凍国(べんしんみりみとう)・弁辰接塗国(せっと)・勤耆国(きんき)・難弥離弥凍国(なんやみりみとう)・弁天古資弥凍国・弁天古淳是国・冉奚国(ぜんけい)・弁辰半路国・弁辰楽奴国・軍弥国(ぐんみ)・弁辰弥烏耶馬国(べんしんみうやば)・如湛国(じょたん)・弁辰甘路国・戸路国・州鮮国・弁辰狗邪国(くや)・弁辰走漕馬国(そうそうば)・弁辰安邪国(あんや)・弁辰とく廬国・斯廬国(しろ)・優由国(ゆうゆう)・などの国がある。

 弁韓と辰韓とを合わせて二十四国、大きな国は四、五千家からなり、小さな国は六、七百家からなって、あわせて四、五万戸がある。そのうちの十二国は辰王に属している。辰王の王位は、かって馬韓の者が即くことになって以来、代々ずっとそのままで来た。辰王の王位は(馬韓に限られていて、辰韓ものもが)自ら王位に即くことはできない。
 土地は肥えていて、五穀や稲を植えるのに適し、人々は蚕桑の業に通じて、衣を織る。牛や馬に乗ったり車を引かせたりする。婚姻の礼には、男女ではっきりした区別がある。大きな羽根を死者に随葬するが、死者に天高く飛んで行かせようと意図してそうするのである。この国は鉄を産し、韓・ ・倭はそれぞれここから鉄を手に入れている
物の交易にはすべて鉄を用い.て、ちょうど中国で銭を用いるようであり、また、その鉄を楽浪と帯方の二郡にも供給している。人々は歌舞や飲酒がすきで、認(大琴)、があるが、その形は筑に似て、演奏すればちゃんとした音楽をなす。子供が生まれると、すぐ石でその頭をおさえつけ扁平にしようとする。現在の辰韓の人はみな頭が扁平である。男女の様子は、倭人たちに近く、入れ墨もしている。歩兵戦に巧みで、兵器は馬韓と同じである。風習として道で人に会うと、みな足をとめて道をゆずり合う。

〔一〕 『魏略』にいう。確かに彼らが流亡の民であればこそ、馬韓の支配下にあるのである。
〔二〕 『魏略』にいう。その国で建物を作る時には、木材を横につみ重ねて作る。牢獄のよな格好である。
 
 弁辰は、辰韓の者と住む場所が入りくんでおり、彼らも居住地のまわりに城郭を作る。衣服や住居は辰韓と同じで、言語や掟も似ているが、鬼神の祭祀に違いがあり、竃はみな家の西側に置かれる。弁辰のうちの潰盧国は、倭と境界を接している。十二の国には、さらにそれぞれに王がいる。弁辰の人々の体つきは大がらであり、衣服は清潔で、髪を長くのばしている。また幅の広いきめの細かい布を織る。掟はきびしい。

 倭人は、帯方郡の東南の大海の中におりヽ山がちな島の上にそれぞれの国邑を定めている。
もともと百余国があって、漢の時代に中国へ朝見に来たものがあった。現在、使者や通訳の往来のある国が三十国ある。
 帯方郡から倭に行くには海岸にそって船で進み、韓国を経、南に進んだり、東に進んだりして、倭の北の海岸である狗邪(くや)韓国にいたる。そこまでが七千余里。そこではじめて〔海岸を離れて〕一つの海を渡る。その距離は一千余里。対馬国につく

2 狗邪国の遺跡と遺物

 (1) 慶尚南遊金海市 会規里貝塚(鳳凰台遺跡)

 (2) 慶尚南道金海市 良洞里遺跡

 (3) 慶尚南遊金海市 大成洞遺跡

 (4) 慶尚南遊金海市 府院洞(三政洞)遺跡

(5) 慶尚南遊金海市 池内洞遺跡

(6) 慶尚南道義昌郡 茶戸里遺跡


V 斯盧国の遺跡と遺物

   慶尚北道慶州市 朝陽洞遺跡 




2007 5 19    「魏志倭人伝の考古学−耶馬大国への道」 : 伊都国歴史博物館

  

  講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

 第2回    韓の国々−魏志倭人伝の世界

 1『後漢書』雑伝に見える簾斯(れんしん)の蘇馬提(そばし)による楽浪郡への朝貢(建武20)A.D.44

 2韓の国々−50余国の世界『正史三国志』から

 韓は、帯方郡の南にあり、東西は海で限られ、南は倭と境を接して、その広さは縦横四千里ばかりである。三つの種族があって、一つは馬韓(ぽかん)、二つめは辰韓(しんかん)、三つ目は弁韓(べんかん)である。辰韓というのは、古の辰国である。

 馬韓は三韓のうちの西部に位置する。その民は定住していて、穀物を植え、蚕桑の技術を知っていて、綿や布を作る。それぞれに長帥(酋長)がおり、大きなものは自らを臣智と呼びそれに次ぐものは、邑借(ゆうしやく)と呼ばれる。山海に間に敢らぱって住まいし、城郭はない。‥‥・楚離国など全部で五十余国がある。大きな国は一万余家、小さな国は数千家で全部あわせると十余万戸になる。

 朝鮮候の準は朝鮮王を僣称(せんしよう)していたが、燕(えん)から、逃亡してきた衛満の攻撃を受けて国を奪われ、その側近と宮女を引き連れて海に浮かび、韓の地に住み家を定めると、勝手に韓王を名乗った。その王系は途絶えたが、現在も韓の国にはその祭祀を続けている者がいる。漢の時代には楽浪郡の支配下に置かれ、季節ごと−に、役所にやってきて朝謁をしていた。‥‥・

 桓帝から霊帝の末年にかけてのころ(147−189)になると、韓稜(かんわい)の力が盛んとなって、楽浪郡やその配下の県の力ではそれを制することが出来ず、民衆は多く韓国に流入した。建安年間(196−220)、公孫康は屯有県以南の辺鄙な土地を分割して帯方郡を作り、公孫模や張敞らを遣ってこれまで取り遺されたその地の中国の移住民たちを結集し、兵をおこして雑種をうたせた。その結果、韓国に流入していた移住民たちも少しずつ戻ってくるようになった。これ以降、倭と韓とは帯方郡の支配を受けることになった。

 韓の諸国の臣智たちには邑君の印綬を授けそれに次ぐ実力者連には邑長の位号を授けた。この土地の人々は礼服やきく(頭巾)を好み,下戸のものたちが郡の役所に出て目通りをすると、みな礼服やきくを貸与され、自分で勝手に印綬や礼服やきくをあつらえて身につけるものが、千人以上もいる。‥・。
 彼らの間の統治機構は未発達で、国々の邑に主帥はいるが、地方の邑落は無秩序に散在し、それらをうまくまとめて行く者はいない。彼らには、ひざまずいて拝する礼はない。その住み家は、草屋根で土かべをめぐらせた建物で、形は家(つか)のよう、入口はその上部にある。一家すべてがその中で暮らし、長幼男女の別がない。その埋葬には、槨(墓室)はあるが棺は用いない。牛や馬に果ることを知らず、牛や馬はすべて副葬品にあてられてしまう。
 瑠(玉に似た美しい石)や珠(真珠)を財宝とし、上着に縫いつけて飾りとしたり、首や耳にぷら下げたりする。‥‥。
人々の性格は気が強く勇敢で、頭髪をぐるぐるまきにして結っただけでなにもかぷらない。その格好は、災(けい)の兵士たちと似ている。布製の抱(わたいれ)を着て足には皮の轜とう(靴の一種)をはく。
 その国都で大事業がおこされたり官の命令で城郭を築いたりするときには、若者たちの中でも勇敢で意気盛んな者たちは、それぞれに背中の皮に穴をあけ、太い綱でその穴を貫いて、さらに‐丈ばかりの木にその綱をかけわたし(?)一日じゆうかけ声をかけながら仕事をする。痛みは感じず、工事がはかどる上におおしい(?)とされる。

 毎年五月に種まきが終わると、鬼神を祭り、人々群集して歌舞し、昼夜ぷっ通しで酒を飲む。そのときに舞われる舞は、数十人が立ってーつながりになって地を踏み、手足を下げたり高く揚げたりして音楽に合わせる。中国の鐸舞に似たところがある。

 十月に農作業が終わったあとにも同様の行事がある。鬼神を信じ、国々の邑(みやこ)ではそれぞれ一人を選んで天神の祭りをつかさどらせ、その者を天君と呼ぶ。また、それぞれの国には、おのおのもう一つの邑(みやこ)があって、蘇塗(そと)という名で呼ばれる。そこには大きな木が立てれられ、それに鈴と太鼓とをぶら下げて、鬼神の祭祀を行う。

 逃亡者たちもその場所に逃げ込むと、つれ戻されることがないため、盛んに悪事を働<。蘇塗をたてることの意味は、仏教との浮屠(仏塔)りと似たところがあるが、そこで行われることは、一方は善事、一方は悪事と全然異なっている。彼らのうちでも北部び「楽浪・帯方」郡に近い国々の者たちは、まったく囚徒や奴婢が集まっているような状態である。特別の珍宝は産出しない。禽獣や草木はほぼ中国同じである。大きな栗の実を産し、梨ほどの大きさがあ
る。
また、細尾鶏(長尾鶏)を産し、その尾の長さはみな五尺以上もある。男とたちは時に入れ墨をする者がある。また、州胡(済州島)と呼ばれる民が、馬韓の西方の海の大きな島に住む。その人は身の丈がやや小さく、言葉は韓とは異なる。みな頭髪を剃っているのは鮮卑に似ているが、ただ革の衣服を着、牛や豚を盛んに飼う。着物は上着だけでしたはなく、ほとんど裸と変わらない。船で往来し、韓の土地にやってきて交易をおこなう。

3 馬韓の遺跡と遺物

 (1)京畿遺華城市一旗安里遺跡
   ・打捺文(たたき技法)土器の発掘

 (2)光州広城市光山区・新昌洞遺跡
   ・ 馬車の車輪(木製)及び馬具の発掘

 (3)全羅南道海南郡・郡谷里遺跡
   ・鉄器(釣り針、ナイフ、斧、貨泉等)

 (4)慶尚南道泗川市一助島遺跡
   ・初期オンドルの住居跡
   ・鹿角製刀子柄 小刀子
2007 5 17  国際情勢講演会      於  :   よみうりプラザ
  
  「インド:台頭するグロ−バル・パワ−」  佐渡島 志郎氏 外務省アジア大洋州局審議官                                    (修猷館高 東大卒  福岡出身)

 ● 急速な経済成長・・・ 年率8%の経済成長 アジア第3位の経済規模
  ・ GDP  8.544億ドル(06年 アジア第3位 世界第10位 ASEANの9割)
  ・ GDP成長率 9.0%(05年) (中国10.7% 06年)
  ・ 過去3年間の(2003〜05年)の平均成長率は8%
  ・ IT産業の急速な拡大(ソフトウエア輸出額は過去5年間で3倍)
 
 ● 巨大な人口・市場・・・世界第2位の人口、巨大な中間所得層
  ・ 人口 10億2702万人(世界第2位)
  ・ 2050年には15億人(世界第1位)になる見通し
  ・ 20歳未満の人口割合41%( 2005年推計 中国31% 米国28% 日本19%)
  ・ 中間所得層の増大(2001年 2.2億人 過去10年間で1.5倍)
  ・ 人口の半分を占める豊富な労働人口(15〜44歳)の人口が48%)

 ● 確立された民主主義、言論の自由・・安定した内政運営、独立以来ク−デタ−なし
  ・ マンモハン・シン政権(UPA政権)
    UPA(15政党の連合体)共通政策綱領の基本政策
     @ 社会的融和の維持・促進
     A 雇用を伴う最低7〜8%の経済成長
     B 農民の福祉向上
     C 女性の地位向上
     D 指定カ−スト等への教育雇用の提供
     E 起業家、科学者、技術者への支援
 に基づき、農村開発、雇用対策等の「社会的弱者に優しい政権」を基本としつつ、経済成長を維持すべく外資規制緩和、公的企業民営化等の経済自由化を推進(ただし、閣外協力する左派政党との調整も必要)
 外交面では、米国、中国等との関係を強化。また、パキスタンとの関係改善を推進。

 ● マンモハン・シン政権の課題

   ・ 貧困層の削減・・・人口の34.7%が一日1ドル以下で生活。
   ・ インフラ整備・・・・・今後10年間で約1500億ドルの外国直接投資(FDI)が必要。
   ・ 更なる経済改革・自由化・・具体例:外資規制緩和。関税引き下げ。労働者に過保護な法改正←閣外協力する左派連合が後ろ向き
 
 ● 国際社会での発言力・・非同盟諸国の中心国としての地位
  
 ● 地政学的な重要性・・シ−レ−ン上、ユ−ラシア大陸の中央
  ・ 面積328.7万KM2(世界第7位)  ロシアを除く欧州とほぼ同じ

 ● 世界規模のインド人ネットワ−ク・・在外インド人(印僑)の存在
  ・ 在外インド人(印僑) 約1500万〜2000万人(華僑約2000万人〜3000万人)

 ●多極化するインド外交

  米 国:  @ 戦略的パ−トナ−シップ関係
        A シン首相訪米(2005年7月)→民生用原子力協力に合意
        B ブッシュ大統領訪印(2006年3月)
        C インド最大の貿易相手国(貿易額を2009年までに約400億ドルにする目標を設定
 
  ロシア:  @ 伝統的な友好関係
        A プ−チン大統領訪印(2007年1月)→民生用原子力協力の促進に合意
        B 首脳同士が毎年相互訪問
        C インド軍装備の多くがロシア製

  中 国: 胡錦濤主席訪印(2006年11月)
         → 競争相手ではなくパ−トナ−
         → 民生用原子力協力の促進に合意
         → 貿易額を2010までに400億ドルにする目標を設定

  E U :  @ 第7回印EUサミット(2006年10月)→印・EU間のFTA交渉開始に合意
        A EUとの貿易額は年間約500億ドル
        B 英、仏等の欧州各国も個別にインドとの関係を強化

  日 本: @ インドは伝統的な親日国
        A シン首相訪日(2006年12月)→「戦略的グロ−バル・パ−トナ−シップ」に向けた共同声明発出
        B 首脳の毎年相互訪問に合意
        C EPA交渉を開始

  韓 国: @ カラ−ム大統領訪韓(2006年2月)
        A 包括的経済連携協定の交渉を実施中
        
  ASEAN: @ 第4回印ASEANサミット(2005年12月)
          → テロ対策、海上安全保障、災害、エネルギ―等の協力に合意
        A 印ASEAN経済連携協定を交渉中
        B 印シンガポ−ル包括的経済協力協定を締結
        C 印タイFTA枠組協定を締結

 中東・中央アジア:
        @ パキスタンとの関係改善 
        A アフガニスタンへの大規模援助
        B エネルギー確保等の観点から、イラン、トルクメニスタン、オ−マン、タジキスタン等の関係強化
  
 ● 最近の日印関係

  [政治・安全保障]
   @ 政治交流 : 閣僚の往来が活発化(04年:3件 → 05年9件 → 06年12件)
   A 海上保安当局間の交流 : 定期的な連携訓練(海賊対策、海難救助、通信等)を実施
   B 防衛当局間の交流 : 06年5月に防衛協力に関する共同文書に署名

  [経済]
   @ 日印間の経済関係は拡大傾向にあるが、両国の経済規模(アジア第1位、第3位)に比れば未だ限定的
   A 貿易総額は2002年以降増加傾向にあり、2006年の貿易総額は約84億ドルで前年比27%増
   B インドへの進出日系企業数は増加傾向(2007年2月時点で約480社が進出 過去1年で5割増加)進出企業の多くが黒字を計上
   C 日本からインドへの証券投資も活発であり、世界の対インド証券投資の中で2〜3割を占めている
   D 2007年1月から経済連携協定(EPA)交渉を開始
 
 [人の交流]
   @日印間における人の交流は未だ限定的
    ・ 人の往来数   2005年   日印間  約16万人   日中間  約555万人
    ・  訪日観光客   2005年         約1.4万人         約20.2万人
    ・ 在日留学生数  2006年           525人          74,292人
    ・ 在留邦人数   2005年          2,134人         114,899人 
    ・ 日本語学習者数2004年          約5千人           約31万人
    ・ 航空便数     2006年冬期       11/週            676/週

   A 文化交流促進(2007年日印交流年)日本語教育支援、学術交流促進、査証発給緩和、地方交流促進(岡山県、福岡県、福岡市)等実施


 [経済協力]
  @ 日本はインドに対する最大の二国間ドナ−であり、円借款を中心に経済協力を実施
  A 2003年度以降、インドは日本の円借款の最大の受取国(2005年度の供与額は約1555億円)
  B 経済成長の促進(電力、運輸等)、貧困・環境問題の改善、人材育成・人的交流拡充を重点目標として支援を実施
  C 無償資金居力は、基礎生活分野(特に医療分野)に対する協力を中心に実施
  D 泉総理大臣訪印に際して青年海外協力隊の派遣再開に合意


  5月 11日(金)  ヴァ−ナルレディ−ス 於:福岡センチュリ−ゴル倶楽部
 
 このゴルフ大会のギャラリ−参加は、連続4回目である。この日も横峯さくらには大勢のギャラリ−が付いてはいたが4番ホ-ルまでに3オ−バ−していた。16番グリ−ン周りで昼食を取り主力選手の到着を待った。さくらは8オ−バ−で到着し、ギャラリ−はもうなかった。やはり韓国勢が強い。日本選手では上原彩子がよかった。

 

2007 4 24  「九州大学アジア理解講座 アフガニスタンの平和と教育」  :  アクロス福岡 
  
 講師 :九州大学大学院 准教授 小松太郎氏 (元 JICAアフガニスタン)
 
  「アフガニスタンの女子教育(女性教師に関わる課題)及びマドラサについて


 アフガニスタンで本格的な復興が始まってから約5年が経つが、国土の荒廃はすさまじく、内戦の23年間国や社会の発展と安定、平和の根幹である人づくりが遅れ現在の教育開発に暗い陰を落としている。特に、女子・女性の教育が遅れている。
 今回は、アフガニスタン女子教育の発展に最も重要な役割を果たす女性教員に関わる問題と余り知られていないマドラサ(宗教学校)を取り上げ、現在のアフガニスタンが抱える平和と教育の課題への理解の一助としたい。
 
1. 平和とは、? すべての人の人権が認められる公正な社会

2. 女子教育の現状
     女子の就学率     1999年   6.4%
                   2005年   56%

     男子の就学率     1999年   54.8%
                   2005年   127% (就学年齢を超過したものを含む)

   成人女性の識字率は地方農村で極端に低い。農村女性の非識字率 90%(男性63%)

 ● なぜ、女子は学校に行かないか?。

   @ 文化・伝統   南アジアにおける「ジェンダ−規範」(女性隔離) 
   A 貧困       憲法では教育は無償となっているが諸経費が含まれないため通えない。
   B 衛生(水道や衛生設備がある学校は48%のみ)
   C 安全性(学校、教師、生徒への襲撃が増加傾向: 2006年上半期で2005年総数を上回る。女子教育の否定や政府への対抗が背景にある。)
   D 女性教師に関わる行政の問題

3. 女性教師の数と質
 
 ● デ−タから見る現状

   ・ 女性教師の数が足りなく、その多くが無資格である(特に地方)
   ・ 女性教員の割合は27%で、男女教師の全体の無資格者は8割。

 ● なぜ有資格の女性教師が不足しているのか

   ・ 教育を受けた女性の絶対数の不足(中等学校の女子就学率は5%である。:2004年男性20%)→ボトルネック問題

   ・ 女性教師の移動の制限と行政の問題(文化的理由と安全面の問題):監督業務の不履行

4. 日本の協力

   『アフガニスタン識字教育強化プロジェクト』 ODAが実施している識字教室
   教育省による識字教育の事業実施・管理能力の改善がその主な内容。成人(特に女性)の識字能力向上を目指すが、女子児童も同じ識字教室で学ぶ。女性研修者への配慮。

5. マドラサ(宗教学校)教育について

 ● マドラサとは、
 
   ・ コ−ランの教えに基づく宗教教育が主な学習内容(コ−ランの暗誦が基本)
   ・ アフガニスタンの約3分の1の学校がマドラサと考えられる

 ● 政府の方針と対抗勢力の戦略

   ・ 「テロリストの訓練機関」? 近代教育VS伝統教育
   ・ 「タリバン系」マドラサと「政府系」マドラサの開校(宗教4割、学問4割、英語コンピュタ−2割)
6. 「ハコモノ」でない国際協力
 
   ・伝統・文化と行政への働きかけと子供への学ぶ意欲の高さ : 機会の提供を図る

  「写真で見るアフガニスタンの一年 復興支援の日々

  カザスタン日本センタ−業務調整員(元JACAアフガニスタン) 丸山智恵子(s57年経済工学科卒)

 1.  アフガニスタン国際空港(タ−ミナルビルは日本の援助で新しくなった。)
 2.  マラライ病院(アフガン屈指の産科病院)−男性と女性は完全に区切られて接触出来ない。−少女婚が多く見られて、妊娠しても母胎が持たない場合も多いという。
 3.  保健省
 4.  アフガン初臨床検査技師国家試験−部族や親戚関係が強いため、試験が公正に行われない恐れがあり、筆記試験の答案用紙には氏名は書かない。(コ−ドのみ)
 5.  専門家御用達ゲストハウス
 6.  カブ−ル観光スポット−アフガニスタンンは、夏は乾燥し冬湿気が多い。山に木がないのはこれが原因か

 7.  冬のカブ−ル市内 
 8.  結婚式フィ−バ− −女性は平素、手首足首以外を男性に見られないようにしているが、このパ−ティ−は、男女別に行われるため、寒い中半袖のドレスで踊っていた。
2007 4 24  「王貞治展」   : 三越デパ−ト

  王貞治氏の素顔内容で世界のホ−ムラン王にふさわしいバット、ボ−ル、スパイクをはじめ、昨年の世界選手権での優勝トロピ−等映像でも楽しむことが出来る。
 改めて王監督の偉大さとスケ−ルの大きい人間を知ることが出来た。「実るほど頭を垂れる稲穂かな。」
2007 4 21  「魏志倭人伝の考古学−耶馬大国への道」 : 伊都国歴史博物館
  

  講師 : 伊都国歴史博物館名誉館長  西谷 正(九州大学名誉教授)

 第1回   帯方郡

1  倭人登場

 魏志倭人伝「三国志」巻三十「魏書」「烏丸鮮卑東夷伝」第三十「倭人条」原文書き出し「倭人在帯方東南大海之中依・・・」

2  3世紀前半の東アジア

  (1) 中国大陸 − 魏 ・ 呉 ・ 蜀
  (2) 朝鮮半島 − 楽浪 ・ 帯方郡 ・ 高句麗 ・ 東  ・   ・ 韓 
  (3) 日本列島 −  倭

3  魏の都 ・ 洛陽
  (1)  都 城
  (2)  墳 墓

4 楽浪 ・ 帯方郡の位置
  (1)  楽浪郡の位置
     楽浪郡は紀元前108年に朝鮮半島西北部に設置された前漢の郡の一つで、東夷世界における漢の出先機関の役割を果たした。一方、朝鮮半島南部の三韓地域,並びに日本列島の倭地域から見ると、漢の先進文化を取り入れる窓口として楽浪郡は位置づけられる。
 実際、楽浪郡の設置後、倭との交流も始まり、前漢の史書『漢書』地理志に「楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国をなす。歳時をもって来たりて、献見するという」と記され、倭の使節が楽浪郡を訪れたという出来事が、初めて中国の史書に記録されることになる。また、近年の発掘調査の成果によると、弥生時代中期後半(紀元前1世紀後半)以降、楽浪系土器などの漢式遺物も北部九州を中心に出土することが判明している。このように、楽浪郡と北部九州の交流が記録と出土品により明らかにされつつある。

  (2)  帯方郡の位置
 
5 帯方郡の遺跡
  (1) 郡治跡 − 智塔里土城
  (2) 墳 墓  − 帯方郡太守墓

6 魏の帯方郡と倭(邪馬台国)の伊都国
  2007  3  14   国際情勢講演会              於  天神ビル

   「安部政権の東アジア外交」 −外務報道官の視点から見えるもの−

  講師 : 坂場 三男  (外務省外務報道官) 


 かって日本の外務大臣は、50年代まで福田赳夫氏や小渕恵三氏等に代表される後に総理大臣になった人物が務めてきた経緯がある。ところが小泉総理の時、開口一番「ここは伏魔殿である」と言った方が大臣の椅子に座られ、日本外交の停滞を招いたことがある。以降、大物と言われる人が大臣になったことがない。

 麻生外務大臣は、別格であり「刑事コロンボ外交」と言われ、予め落としどころを発言し、それからその場に辿り着く方策を議論していく。そういう意味で分かり易い外交と外国では評判がよい。
 これまで日本の外交は、「受け身」外交であったが、「何を求めているかが、不明である」という批判もあった。今、主張する外交を目指しており、「分かり易く外交目的を果たす」ことに力点を置いている。(主張は、国益である)
 
 
 戦後の日本 : 外交を展開する上で大きな縛りがあった。それは、戦後処理である。現在も
  ・ 中国における「旧日本軍」の化学兵器の処理問題
  ・ 従軍慰安婦問題
 等がある。

  また、冷戦構造の中で日本の安全をどう守っていくかという問題もある。日米同盟があるが、これは安保条約に盛られたものである。しかし、条約は国家間の「契約」であり、紙切れであることに間違いない。昨年、安部総理が中国を訪問中に北朝鮮が核実験を行った。その日、総理はソウルで韓国大統領との会談を控えていた。
 しかし、安部総理は即、アメリカ大統領に電話をし「アメリカと日本との安保体制」を確認することを怠らず、その確認をもって韓国大統領との会談に臨んだ。
 しかし、韓国大統領は、会談の大半を延々と歴史問題
 ・ 竹島問題
 ・ 従軍慰安婦問題
に終始した。核実験のその日である。

 中国との関係

 中国とも歴史問題がある。中国は、小泉総理の時代は政治と経財を切り離し、政治に距離を置いてきた。安部総理の誕生は、小泉時代の対中外交の転換きっかけである。中国もこのきっかけを「改善の時」として待っていたものと思われる。
 外交の世界は「テクノロジ−」である。黒白をはっきりさせない「国際的な方法論」である。
 靖国問題について、中国との「密約説」を言う人がいるが、これははっきり否定である。安部総理は
「靖国に行くとも行かないとも言わない」と説明されているとおりの内容で妥協したのである。

 対中関係は、日本外交にとって長期的に見て「最大」の問題である。

 ○ 中国の圧倒的な経済力
 現在、中国のGDPは、日本の半分であるが、このまま成長を続けた場合、10年で日本を追い越し、30年でアメリカを上回り世界一位の経済大国になる。
  しかし、この間に「為替レ−トの変更」(元の切り上げ)があれば早くなる。

 ○ 一方、中国経済は崩壊するとも言われている。しかし、これも日本企業は、資本を投入しており大問題である。
  この問題(経済)と中国政治を考えるべきである。しかし現在、一党独裁の政治であるが、日本の隣国に13億人の国が存在する事実は認めなければならない。

  日本外交の在り方として

 @ 中国が東アジアに於いて責任ある国家として周辺地域国家の役割を果たす国とならないと困る。
 A 東アジア特殊な国家関係にある「ネガティブ」。中国を地域共同体に取り込む必要がある。

 B 共通の価値観外交を中国も加入して実現したい。法の支配に加盟して欲しい。
   (東アジア共同体)枠組みが必要。10年〜30年将来を見据えて。
 この共同体には、オーストラリア、ニュージランド、インドを加えたい日本に対して中国は反対である。
 C ODAの予算が削減されており、今後の日本外交に影響が心配される。BBC放送が調査していた海外援助で世界で一番貢献している国を調査した結果は、2年連続日本が一位であった。 
  

2007 3 20 もう一度見たい名画  「山の郵便配達」 鑑賞       シャネサロン パヴェリア

 1999年 中国映画 中国南方の険しい山岳地帯。愛犬と共に、雨の日も風の日も緑深い大自然のなかを村から村へ、人から人への思いを紡ぐ手紙を届ける年老いた郵便配達員。そして今日、後を継ぐ一人息子を連れて最後の配達に出掛ける。道なき道をあるいは冷たい川を渡り民泊しながらの配達する姿は使命感と山間に住む人たちへの愛情としか思えない。日本の田舎の古い姿と重なり合う風景が何とも言えない。

2007 3  7 地球市民講座「「大国化する中国」〜激動する巨大国家の実情  於 :都久志会館

     第4回 「中国社会の地殻変動」 〜日中関係への問いかけ〜

     講師: 東洋学園大学 人文学部教授   朱  建栄氏



1 序論 : 日中関係のマクロ的把握

 (1) 前進する過程における中間段階 :後退でなく、21世紀型の新しい関係を模索するプロセスにある。

 中国は依然として発展途上にあるが、上海を中心とする沿岸部は発展している。こういう中国をどう見ればよいのか。変化を捉える物差しを、また、講師自身中国出身の研究者として深層の変化をどう見るか全体的把握から取り上げたい。
 今、日中関係は20年〜30年前からすると考えられない関係となっている。
 日本の中国に対する国民感情は、20〜30年前78%が好意的に捉えていた。ところが現在は、30%台である。この背景には、東シナ海問題、中国人による犯罪、反日デモ等が考えられる。しかし、 72年国交樹立時の両国貿易は、
        日本の輸出は6億ドル、
             輸入は5億ドル
であったものが、06年実績は、2000億ドル
を越え、二国間貿易としては世界最大のものとなっている。

 また、文化交流面では、日本の各大学で学んでいる全外国人学生の60%は、中国からの留学生であり、日本の研究機関で約800人が教授及び助教授として研究している。企業も中国大学生を青田刈りしている現状もある。
 逆に日本から中国には、学生2万人、ビジネスマン10万人、観光客400万人が訪れている。この関係は他国にない例である。感情を解きたいが、片方だけを見て解してはならない。新しい関係を持つプロセス段階と言える。

         
(2) 最大の問題点 :具体的な対立より、相互理解の欠如と「アジアの両雄」時代への心理的不適応

 
・ 20年前、日本人は中国をどの程度理解していたのだろうか。イメージによって好印象を持っていたのではないだろうか。ここ5年ほどで加速的に変化(悪化)して来たが、相互理解が満たされていない状況である。
 中国人は、日本に観光に来て日本人に対するイメージが良い方向に変わって来ている。例えば、日本人の優しさであり、町が綺麗で歩いても「靴」が汚れない、マナーがよくルールが守られている。こと等から、良い印象を持ってきている。総合的な日中関係は、相互理解が大切である。

・ 世界の先進国日本は、発展途上国中国の特徴を認識して欲しい。
  昨年発生した水害で中国では、1200万人が被害を受け、1200人が死亡した。中国は国土も広く大きな国である。日本とは違う国情がある。先進国日本から見る基準と途上国の基準(物差し)は違うことを理解して欲しい。
 中国には最貧国民が、2400万人、インドでも2500万人がいる。しかし、日本人には、インドは遠くて見えていない。中国には、13億人が住んでいる。その中の2400万人である。中国社会では、貧しいながらも8割が自分の生活を中流層と考えている。

・歴史が道が違う。
 中国にとっての近代史・・・20年代30年代以降最大勢力が日本であった。31年の満州事変から37年7月7日の廬橋講事件により全面戦争となった。中国では「抗日戦争」と呼んでいるが、45年まで日本との戦いであった。これはどう理由をつけても「100%」侵略であった。相互の評価が違うことが感情化していた。
 また、日本の対中ODAに対し、中国からお礼がないと言う人がいる。これは、95%が円借款であり、08年には返済が終了する。ここにも文化の違いがある。
 日本では世話になったらお礼を言うのが当たり前であるが、中国や朝鮮半島の常識とは違う。
  「 大恩不言謝 」 
 お礼を言葉で表さないのが常識である。 相互理解が不十分なまま自分の判断で一方を攻めることは正しいことではない。
 90年代以降、バブルが弾けて方向が見えなった日本に閉塞感があった。この間、中国は予想以上に進展を図った。しかし、日本に遅れをとっていると思っている人が多数であり、大国化という認識はない。
 日本人は、韓国をライバルと思っていないが、中国には脅威論がある。しかし、正論でない。日中間には相互に「あんたには言われたくない」という感情がある。これが関係を複雑化している要因と思われる。

2 中国社会で起きている「第三革命

 (1)5億人に達した中間層と情報化時代が中国社会にもたらす四つの「地殻変動」

  A 「大量消費社会」へ マーケットとしての魅力が形成
   ・ 中国では毛沢東による第一革命
   ・ とう小平による「改革開放」第二革命
   ・ 収入面で見る中国社会
          最貧人口     2400万人(1.8%)
          低所得層        7億人(53%)
          中間層 (300万円から1200万円)5億人
                中流層   25000万人
                中産階級  25000万人
                 富裕層  1000万人 (0.8%)
   
   中間層の拡大は、購買力の向上が見込まれる。
   改革開放政策は、必要悪ではあったが、やむを得ない状況から出発せざるを得なかった、富裕  層に与えられた特権が制約を受けだした
   従来、上海政府は、中央政府の税金の1/5から1/6を負担していたが、これが発展障害とな  中国社会全体の発展阻害要因となった。(特権の付与)
   中央政府から地方特区(経済)へ上海、海外華僑等に投資を求めた。この結果、外貨が投入さ  れ上海及び沿岸部が発展した。

 B 権利意識の芽生え 8万件の「暴動」の見方
    ・ 衣食足りて欲望が涌く
    ・ 87000件権利意識の向上で不平が出た。
    ・ 移転補償金の要求
    ・ 環境破壊や河川汚染等  3割
    ・ 村と村との争い(利権闘争)4割
    ・ 政策不満           3割

 C ナショナリズムの台頭

 D 中長期的には政治の民主化を促進する基盤になる
    ・ 幾つかの地方で直接選挙が始まっている。今後、この方向は止まらないと考えられる。

(2) いくつかの注目点  

 A 中国政治の展望 : 来年の17回党大会後は、本格的胡錦濤時代


 B 経済路線 : 「共同富裕論」と安定成長路線への転換 但し格差の是正はあと

 C 人民元の切り上げ問題 : 対米貿易摩擦を緩和する手段としての側面

3 安部総理の訪中と日中関係の展望
 
 (1) 安部総理の早期訪中を実現させた日中両国の背景

 
・ 2002年まで中国で「反日デモ」はなかった。その後、米中が接近し、「小泉時代」にナショナリズムが台頭した。 1972年日中国交樹立時、中国国民は日本から賠償がもらえると考えていたが、当時の周恩来首相は、賠償は未来に対し負担を残すと言う理由(周恩来はドイツ留学の経験から)で「戦争の責任は日本国民でなく、戦争責任者にあるとし国民の理解を得た。小泉外交は両国国民を引き離してしまった。    

 (2) 胡錦濤主席の対日観  対日重視の三つの理由と制約要因

 (3) いくつかの具体的問題

  
  A  歴史問題 : 本音は「妥協点」の模索と「非政治問題化」
  B  北朝鮮の核実験に対する中国の厳しい反応と日中協力の可能性

 (4) 展望と提言

  A  本年7月の参議院選挙後が試練。 後退の可能性が低くなっている。
  B  「戦略的な互恵関係」の構築を目指して、日中は20年後の東アジアを見据えた対話と協力    関係を進めるべきである。

   ・ 今、中国と日本とは経済的にも強い結びつくがあり、両国の相互貿易は他に類を見ない規模である。多くの日本人が中国に駐留し上海では「日本語放送」も始まっている。

感想: かって日本と同盟関係にあったドイツは、戦後自国で「ナチス」による戦争犯罪を問い総括を行ったが、日本では過去の戦争を犯罪と考える人がいない。このことが、近隣諸国との摩擦の種となっている。客観的に証明されている「南京大虐殺」等現地に慰霊等くらいは建立しても良いのではないか。今、従軍慰安婦の問題が米国議会で取りざたされている。裸の王様か!


2007 2 28 地球市民講座「「大国化する中国」〜激動する巨大国家の実情  於 :都久志会館

     第3回「激動の中国」〜高度成長のジレンマ〜

     講師: 神田外国語大学 外国語学部中国語学科教授 興梠一郎氏 


  1 中国経済―高成長がはらむリスク

   ○ 政令不出 中南海(政府)  中央と地方の軋轢
     ・ 無視されたマクロコントロ−ル(政府指令)
     ・ 第11次5ヵ年計画 第17回党大会→出世 投資→GDP→投資→バブル 
     ・ 2006年後半「新規」プロジェクト投資額減
     ・ 引き締めの結果か、or 地方政府の数字操作か
    
   ○ 米国経済と言う不確定要因
     ・ 減速の懸念
     ・ 輸出への影響
     ・ 民主党の対中政策(人権問題と経済制裁)
     ・ 投資と輸出のダブル減の可能性はないか
     
   ○ 貿易黒字とバブル 
     ・ 三つの過多( 投資 融資 貿易黒字)
     ・ 貿易黒字→外貨準備急増→過剰流動性→融資急増→資産バブル(株 不動産投機)
       
   ○ 金融リスクを警戒する中央政府
     ・ 中国人民銀行(2006年中国金融安定報告)
     ・ 金融リスク警戒
     ・ 株式 社債市場未成熟→銀行にリスク集中

  2 中国指導部はどう見ているか
     

   ○ 指導部は「ジェットコ−スター(過山車)効果を憂慮

   ○ 2006年3月全人代政府活動報告(温家宝首相)
    ・ 食料価格低い 生産財価格高い→農民減収 
    ・ 耕地減少(乱開発工業用転用)→食糧安全に関わる
    ・ 固定資産投資→多すぎる
    ・ 生産過剰→製品価格下落 在庫増 利潤減 金融リスク(バブル)
    ・ 民衆の利益→医療 教育費高い 土地収用(地上げひどい) 環境汚染
    
   ○ 2006年7月24日 政治局会議(胡錦涛総書記)
    ・ 突出した矛盾がかいけつされていない
    ・ 投資増加が速やすぎる
    ・ 融資が多すぎる
    ・ エネルギー消耗が多すぎる
    ・ 環境圧力が増大(生活汚濁 河川汚染→農産物の汚染)
      
   ○ 2006年 12月 中央経済工作会議 
    ・ 成長の質を重視 快・好(速・質)→好・快(質・速)
    ・ 大きな起伏を防止(「ジェットコ−スタ−方式)
    ・ 三つの協調(「速度・質・効率」、「消費・投資・輸出」、「人口・資源・環境」)
    ・ 貿易黒字→外貨準備急増→過剰流動性→投資加熱・資産価格急上昇→金融リスク
    ・ 輸入拡大、対外投資、外資の質向上 (アフリカ ラテンアメリカ 北朝鮮)
    ・ 農業の現代化、支援
    ・ 内需拡大→農民と都市低所得者層底上げ 
    ・ 省エネ・環境問題→産業構造高度化、エネルギ−浪費・汚染垂れ流し企業の淘汰
    ・ 不動産価格高騰への対応(廉価な借家、エコノミー住宅、中古市場活性化)
    ・ 調和社会建設→医療費と学費高騰問題
                低所得者層の収入増
                中間層比重の拡大
                徴税強化
                独占企業の高額収入チェック
                雇用、教育、衛生、
                失業者、大学生の雇用問題
                社会保障整備

  ○  株式市場のクラッシュを警戒→2007年1月30日 成思危・全人代副委員長発言−英『フィナンシャルタイムス』とのインタビュ−(07年1月31日)
    ・ 「バブルが形成されている。投資家はリスクに注意せよ」と発言
    ・ 同紙のコメント→「彼の公開の談話は、中国指導部の考えを反映している。」
    ・ 中国政府筋→「中国銀行業監督管理委員会は、個人が自動車・不動産ロ−ンを株式投資に振り向けていないか、クレジットカードで株投資資金を手に入れていないか調査中。」
    ・ 国有資産監督監理委員会は、国有企業が融資を受けて株式投資を行っていると警戒。
    ・ 国有銀行にある預金が流用との疑いも。
 
 3 調和社会への試練−ざわめく民衆
   
  ○ 頻発する集団抗議
   ・ 農村→都市、 階層拡大、 組織化、 過激化、突発性  
   ・ 集団抗議 94年 1万件 73万人→ 04年 7万4000件、延べ376万人(公安発表)   
   ・ 労働争議 94年 2万件  8万人→ 03年 20万件 80万人
   ・ 実例: 定州(河北) 池州(安微) 万州(重慶)
   ・ 「非関連性暴動」への変質を懸念→西安(大学)、反日デモ、江西大学等
    
  ○ 軍「党規律処分条例」補充規定(05年8月17日)が映し出すもの
   ・ 党の指導に反対するスピ−チ、宣伝など禁止
   ・ ク-デタ-、反国家、反軍事活動の組織・参加者処分
   ・ デモ、座り込み、陳情処分、宗教活動参加処分
   ・ 勝手に出境、出国処分 

  ○ 二極分化する中国社会−「官僚資本家」支配と民衆
   ・ 物議をかもした階層構成票(陸学芸編『当世中国社会流動』社会科学文献出版社)04年
   ・ 組織力+経済力+教育レベル
   ・ トップは、国家・社会管理者(2.1%)、下層6割は、労働者(17.5%)、農民(42.9%)、失業者(4.8%)
    
  ○ 改革をめぐる論争
   ・ 改革への懐疑→「仇富」(金持ちを恨む)風潮を警戒→毛沢東流の階級闘争論への対応 
・ 国有企業「私物化」への反発(郎威平ブ-ム)
   ・ 外資による国有企業買収への反発(ナショナリジム) 
   ・ 「民族資本家」の覚醒→外資への」優遇策を批判
   ・ 新左派と自由主義者→「悪い市場経済」「良い市場経済」(世論の分裂が始まっている。)

  ○ 抵抗するメディアと知識人
   ・「氷点事件」が示すもの−プロバガンダと市場経済の間
   ・禁書処分への抗議運動(義和団)

 4 中国の外交戦略−平和的台頭への布石(調和社会を作るための外交)
 
  ○ 経済成長のための外交
   ・ 「なりをひそめる」から「やることはやる」への変化(ニュ-リ-ダ-出現が原因)

  ○ 周辺、大国、発展途上国、多国間(順序 国益を優先)
   ・ 大国(主に米国)圧力回避
   ・ 大国化への戦略(中央テレビの特集など)
    
  ○ 対日外交の基軸
   ・ 周辺環境
   ・ 対米関係、台湾関係との関連
   ・ 技術・資本の重要性
   ・ 反日デモのチャイナリスク論、嫌中意識警戒、ベトナム・インドへの」分散投資懸念

  ○ 北朝鮮核実験をどう見たか
   ・ 中国の経済プレゼンス→希少金属、マ−ケット
   ・ 国境貿易による東北振興
   ・ 対米・対日緩衝地帯
   ・ 米民主党政権の可能性、米朝急接近の懸念
   ・ 北朝鮮の戦略的価値いまだ高しと判断
 
  ○ 経済成長、資源外交、貿易摩擦
   ・ 米の世界からの脱却→隙間戦略
   ・ 中東→イラン・イラク
   ・ ラテンアメリカ→独立運動。資源
   ・ 中央アジア→スーダン
   ・ 課題→中国製品とバッティング、発展途上国の中国脅威論、カントリーリスク(拉致、内戦等)
     
  ○ 民主化ドミノと胡錦涛政権
   ・ 幻の4中全会胡錦涛講話
   ・ 外部の敵対勢力が国家指導者と政治制度を攻撃
   ・ 国内メディアは、政治体制改革の旗を掲げ、西側のブルジョア議会民主、人権、報道の自由を散布
   ・ 手をゆるめてはならない。メディアは世論管理を強化せよ
   ・ 米は、イデオロギ−からソ連を切り崩した(ゴルバチョフは罪人)、多元化、ブルジョア自由化でソ連を解体。

 5  これからの中国−水面下に潜むリスクを見据える、未来を見通す

  ○ 金融リスク−官僚主導経済と不良債権のブラックホ−ル
   ・ 不良債権は、いったいいくらあるのか?

   ア 中国当局の見方
     @ 商業銀行→1640億米ドル(GDPの6.6%)
     A 他の預金機関→420億米ドル(GDPの1.7%)

   イ Ernst&Youngの試算(2006年3月) 9,110億米ドル(GDPの41%)
 
   ウ Fitch.Ratings→1640米億ドル+420米億ドル(中国当局発表)に加えて2700億米ドル
資産管理公司に1970米億ドル存在を指摘。合計6730米億ドル(GDPの27.3%)

   エ 財政部(省)「財政改革発展重大問題研究」課題チ−ム(2004年)2兆4000億米ドル〜3兆5000億元(2000年当時のGDPの約4割
          
   オ シンガポ−ル紙→ 中国人民銀行長が「国有資産管理公司に移管した分を含めれば、国有銀行の不良債権は、3兆5000億元で2000年のGDPの40%」と発言と報道(2001年5月20日付)

   カ 国務院発展研究センター「中国金融リスク評価報告(2004年〜2005年)は、2003年には約3兆元、翌年1〜9月には約2兆元が新規融資されたが、景気後退局面に入れば回収が難しいと指摘。

   キ 不動産開発会社の大半が国有企業。
   
   ク 国有銀行が大量の融資→不動産投機バブル→当局が把握できていない不良債券が増加している可能性。

   ケ 不動産バブルは大丈夫か→融資による土地購入(しかし4割は未開発)

   コ 政府関連デベロッパ−+国有銀行+官僚→モラルハザ−ド→金融リスク
  
   サ 銀行業監督管理委員会・唐双寧副委員長「不良債権の再発圧力は大きい」と発言(06年11月25日ロイタ−電)

   シ 不動産への投資規制の後、株式投資に流れた可能性もある。

 ○ 財政リスク→不透明な財政赤字の実態
   ・ 公式統計→2000億元、財務部研究プロジェクト試算→9兆元(2000年末)同年GDPの9割との見方もある。

   ・ 隠れ債務(公的金融機関の債務、政府部門設立の融資会社負債、資産管理会社の不良資産、地方政府が企業誘致で担保を提供した債権など)


 ○ 「調和社会建設」のための公共サ−ビスは可能か
   ・ 調和社会実現のための社会保障制度は確立できるか  
   ・ 医療保険→都市部45%なし、農村部9割なし
   ・ 衛生支出→政府17%、 企業27%、 個人56%
   ・ 診療代の6割は薬代
   ・ 年金→ 都市3割、農村15%
   ・ 住宅、学費(大学年間1万元、可処分所得→都市1万元、農村4000元)

 ○ 自立した経済システムが確立できるか
   ・ 外部依存経済←貿易の6割外資、独自のブランドの不在、技術力の外部依存
   ・ グロ−バル化と市場化の波に乗れるか−ラテンアメリカ化を懸念する内部の声
   ・ 生産拠点としての中国→マーケットの魅力は飽和か?
     外資減少06年上半期、実行ベース284億米ドル(前年同期比0.5%減)「中華工商時報」6年8月11日)
      ア インド・ベトナムなどが吸引力を増した
      イ 日本が国内に投資回帰させている
      ウ 中国の対外貿易の阻害要因が増え、外資の情熱が左右された
      エ 中国国内では、賃上げ、土地価格高騰,利潤減、マクロコントロ−ルによる抑制が要因、更に中国国内市場が思ったより小さく、「消費市場が人口の1%しかないことを発見」し、消費が伸びないため、投資リタ−ンが少ないことを悟った。

 ○ 伝統王朝としての中国共産党−資本主義経済システムの確立が可能なのか
   ・ 農業文明からの離脱は可能か→農業社会の市場化、グロ−バル化は可能か
   ・ (英)農地囲い込み→流民→プロレタリア−ト→都市化
   ・ (中)地上げ→失地農民→戸籍制度→都市と農村の分離固定
   ・ 伝統的統治システムの回帰→「官僚資本家」の復活
   ・ 「昇官発財」の伝統,清末「洋務運動」と「改革開放」の類似点、官僚買弁資本と資本主義
   ・ 共和国になれるか→辛亥革命、袁世凱の帝政復古、「革命政権」国民党の王朝化、そして「革命政権」共産党の王朝化?→「革命」か「改良」によるソフトランディング(市場化・グ      ロ−バル化)か

 6 日本は中国とどう向き合うのか
 
  ○ 経済一体化という現実
   ・ 第一の貿易パ−トナ−
   ・ 積極的な投資
   ・ 生産基地としてのメリット→日本の生産者、消費者
   ・ 市場としての魅力
   
  ○ 中国はどこへ向かうのか
   ・ 経済成長持続→市場化、グロ−バル化、民主化が鍵
   ・ 成功した場合→アジアのス−パ−・パワ−?日本の対応は?
   ・ 失敗した場合→民衆の求心力高める必要、左傾化?反グロ−バル・反市場政権の誕生?再国有化?
   ・ ミニ毛沢東、プ−チン、 チャベス?
   ・ 中国の政治・経済発展→「豊かで民主的な中国」→日本と東アジアへのメリット
   ・ 日本の安全保障コスト、地域経済の活性化、マ−ケットとしてのアジア、日本経済 
   ・ EUにおけるドイツとフランス
   ・ 課題は安定成長→市場経済を支える民主化が必要→しかし、国民の大半(農民6割を占める)の中での民主化とは何なのか?
   ・ 王朝の繁栄→官僚特権層への富の集中→格差拡大→革命→混乱→新h王朝のサイクルから脱却できるか?
     
感想:  本日(2/28)、上海の株式が大暴落した。そしてこの余波は世界に広がった。中国では、民衆・党役員・銀行等が、株取引に熱中している。個人は家や土地を担保にし、地方政府は地方財産を、銀行は銀行預金等を使って投資が行われているらしい。一時の日本のバブルを思い出す。今、中国経済が破綻したら、日本はどうなるのか。その可能性があるという前提は必要である。

7  2  21 地球市民講座「大国化する中国」〜激動する巨大国家の実情  於 :都久志会館

       第二回「中国の国家・外交戦略」〜「平和台頭」と「大国外交」

       講師: 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻・助教授 川島 真氏
  


   中国への目標
  (1) 歴史的に見る日本の中国論の問題点
  (2) 戦後の日本の中国論
  (3) 昨今の日本の中国論
  (4) 現在の三つの中国論

   中国を見る基本

  ■ 中国外交をどう見るか

  ■ 2006年の中国外交総論

   ● 高い評価が与えられる2006年外交
   ● 2006年の国際情勢に対する見方
    (1) 国際社会のパワーーバランスが加速的に調整・大国同士の実質的な協力増加
    (2) 国際的な問題がいっそう加熱。多極主義がいっそう発展
    (3) 文明間交流が加速、ソフトパワーによる競争が増加。
    (4) 経済面でのグローバル化に伴う地域間協力の増加。
   ● 中国外交のキーワード
    (1) 平和、発展、協力
    (2) 政策の基調は独立自主の和平外交政策、平和的発展、全方位外交など

   2006年の中国外交各論

  (1) 三大サミットと周辺外交
   ● 三大サミットとは
   ● 周辺外交の重視

  (2) 大国との協力関係
   ● アメリカ一国が突出することに否定的で多極化を容認
   ● 他の極との協力関係の深化

  (3) エネルギー外交
  (4) 国連重視の外交
  (5) 在外中国公民/法人の保護

   中国外交への不安と説明

  (1) 中国外交への懸念
  (2) パブリック・ディプオマシー 
       相手国の自国に対する印象を好転させること
  (3) 周辺外交と地域安全保障協力
  (4) 中国の軍事交流
  (5) 中国の国際的安全保障・平和協力
  (6) 中国の対外ODA
 
 ■ 日中関係と北朝鮮外交

感想: 近頃の世論調査によると日本人の6割の人が中国を嫌いな国に挙げるらしい。日中国交正常化時(昭和40年頃)は、約8割が親中派であった。そのころ町中で工人帽姿を見かけたこともあったのが、隔世の感がある。今回の講座は「中国の立場」に立った場合のものの見方を説明して貰った。
 今、世界の中で日本の立場、座標はどういう位置なのだろうか、考えたこともなかった。「日本の独りよがり」と「裸の王様振り」がよく理解出来た。
 
 


2007 2 14  地球市民講座「大国化する中国」〜激動する巨大国家の実情  都久志会館

        第1回「中国の軍事・安全保障戦略〜軍事力の増強と軍事外交の積極的展開」

             講師: 防衛省防衛研究所 主任研究官  松田 康博氏


     ・ 中国の戦略はどのようなものか
        安全保障戦略・・・ 戦略目標
                    達成のための手段
                     
     ・ 中国の能力はどこまで伸びているか
        軍事戦略の展開・・ 経済発展と国防費の増大
                     軍事力増強

     ・ 中国にとっての課題や障害は何か
        地域戦略に基づく軍事外交の展開・・ 戦略的パートナーシップ型
                                戦略配置型
                                周辺国・第三世界抱き込み型
                                先進国抱き込み型
                                牽制型
                                衝突回避+軍事力近代化促進型

感想: マスコミの報道と実体の相違点について理解が深まると同時に「日本の将来設計」が国民に示されていない現状について不安が増大した。中国は、しっかりした戦略と外交で確実に近代化されつつあり、近い将来軍事的に日本を抜くことは確かである。
 中国は、周囲国境線を多数の国と有している。この国の防衛線は全方位であり、島国日本とは意識も違う。また、国内的にも他民族構成で紛争を抱えており「内患」を日本に向けてくることが心配される。


007 2 11  「ものづくり立国」シンポジウム  イムズホール
                     基調講演   森永卓郎 獨協大教授

           「私がものづくりを目指した時」 
           パネリスト
             ・ 久住 有生(くずみ なおき)氏    左官 
             ・ 青木 豊彦(あおき とよひこ)氏   航空機部品及び金型製造業
             ・ 松井 龍哉(まつい たつや)氏    フラワー・ロボティクス代表
                                      早稲田大非常勤講師
             ・ 森永 卓郎(もりなが たくろう)氏  経済アナリスト
           コーネディネーター
             ・ 草野 満代(くさの みつよ)氏     フリーキャスター

           技能者による実演
             ・ 峰松 浩之(みねまつ ひろゆき)氏  (株)キタック社員(左官) 
               第44回技能五輪全国大会「左官職種」金メダル(佐賀県鹿島市)
 〈感想〉
 日本の経済発展を支えてきたのは町工場であったことは誰でもが知っている。また、元マーレーシア首相「マハティール氏」がマレーシア経済発展のモデルとしたのが日本の町工場であった。
 ところが、日本の経済発展に伴い「3高」がもてはやされ、「3K」(汚い、きつい、危険)が敬遠されるようになり、(マスコミのあおりもある)金の卵達の後を継ぐものが激減した。このことが技術国日本の地盤低下につながっている。
 今の若者達は高学歴になって行くが、定職に就かない若者は増えている。仕事に就いてもすぐやめる。高学歴は必ずしも幸せに結びつかない。昔は「石の上にも三年」と親から厳しく言われたものだ。続けることの難しさとそれを乗り越えられた喜びは格別なものであろう。
 相撲の世界では、今外国人力士が活躍している。昔、相撲取りは、中学卒業してすぐ入門し、厳しい稽古で強くなっていったことを思い出している。
 会場からの帰路、天神の岩田屋で「日本伝統工芸展」を見たが、何時見ても日本の伝統工芸品には感銘を受ける。

  蛇足:帰ってNHKのPM6:45ローカルニュースを見ていたら「小生の受講様子」がアップで放映されたのでびっくり。撮影されたことに気づかなかったから・・。

2007 1 24  国際情勢講演会   ホテルセントラーザ博多 

               「どうなる、今年の日本外交」   
        講師: 高島 肇久(たかしまはつひさ)氏 外務省参与 (元NHK報道局長)

 日本の国連非常任理事国の任期は、昨年末で切れたが、国連での日本の活動はどうあるべきか。非常任理事国として再選される道はないか。また、「PKO]活動の日本参加が少ない現状について(イラク及びインド洋上での自衛隊の活動はPKOではない)。中国のアフリカ進出及び北方四島の返還の方策について

2007 1  31  桂 文珍 独演会  アクロス福岡シンフォニーホール    

 古典落語に加えて、今、ファストフード店等で使われている接客用語は「日本語になっていない日本語」がマニュアルとなっており、この中から珍ぷんかんぷんな会話をコミカルに独演。       

2007 2  7  ドキュメンタリー映画  「不都合な真実」 鑑賞  主演 ゴア元副大統領 

 地球の温暖化進行は加速を増している。今、我々は何をなすべきか。 ゴア氏は1992年「地球の掟 文明と環境のバランスを求めて」を発表し地球温暖化防止を呼びかけていた。地球人なら一見すべき映画である。 
    
2007  2  16  ふるさとづくりセミナー「明石 元二郎」〜日露戦争勝利の立役者〜

     講師:   作家 江宮 隆之氏(山梨県在住)