イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」
こう言って息を引き取られた。百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。

                        (ルカによる福音書234647

 上記の主イエスの叫びは、「十字架上の七言」の最後の言葉である。ここで主イエスは「父よ」という最も近しい間柄の呼びかけをされ、「わたしの霊」即ち、御自身の存在のすべてを神に委ねておられる。ここに父なる神への絶対的な信頼を聴き取ることが出来る。この神への信頼こそが罪のないお方であることそのものであり、そのお方の十字架の死であるからこそ、私たちの罪の贖いとなるのであり、死ぬべき私たちが新しい命を与えられることにつながるのである。
 主イエスの死に伴って、太陽は光を失い、全地が暗くなった。これは偶然の自然現象ではなく、神が光を創造されたことの逆のことが起こっているということであり、世の光である主イエスを受け入れられない人間に対する神の審きを示している。だが、その神の審きを、主が代わって受けられたので、もはや光が失われることはないし、全地が永遠に暗くなることもないのである。また、神殿の至聖所を仕切る幕が裂けたのは、そこで大祭司によって行われた動物の犠牲による贖いの必要がなくなり、すべての人がイエス・キリストの贖いによって神のもとに近づくことが出来るようになったことを示している。
 これらの出来事の一部始終を見ていた異邦人である百人隊長が、「本当に、このひとは正しい人だった」と言ったのは、単にローマ法上の罪がないというだけでなく、上に述べたような、神との深い信頼関係にあることを知って、胸を打たれたということであろう。
 息を引き取られた主イエスの遺体を、最高法院の議員の一人であったアリマタヤのヨセフが引き取って、自分の墓に葬った。彼はこれまで、立場上、主イエスとの係わりを公にして来なかったが、ここでこのような行動に踏み切ることが出来たのも、父なる神への主イエスの絶大なる信頼を知って、この方こそ神の国をもたらせてくださるお方に違いないとの確信を持つに至ったからではないだろうか。主イエスは私たちをも、父なる神と御自身との愛と信頼の関係の中に、私たちをも招き入れようとしておられるのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2016年3月20日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書23:44-56 
 説教題:「
死んで葬られ」 説教リストに戻る