ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。        (ローマの信徒への手紙32122 

 この手紙において、標記の箇所の手前までは、人間の罪について記されていて、「ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあって、正しい者は一人もいない」と述べ、ユダヤ人の大切にしてきた律法については、「律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされない」と言い切っていた。それは、光の見えない暗闇のような状況である。
 しかし、ここからは標記のように、「ところが今や」という言葉で、その暗闇の中に明るさをもたらす光について語り始める。その光源が「神の義(神の正しさ)」である。ユダヤ人は、神の義は律法によって示されていると受け止め、これを忠実に守ることを努めてきた。ところが、神の義は「律法とは別に(口語訳)」、しかも「律法と預言者によって立証されて」示されたと言う。「律法と預言者」とは旧約聖書の全体を意味するが、そこで指し示されて来たことは、救い主イエス・キリストであるから、結局、「神の義」はイエス・キリストの御言葉と御業によって、はっきりと示されたということである。
 続けて、キリストによって示された「神の義」の内容を語っているが、それは、「キリスト・イエスによる(十字架の)贖いの業を通して、神の恵みによって無償で義とされる」(24)ということである。
 そのような神の愛と憐みに満ちた「神の義」であるが、それが個々の人間の救いに結びつくために、鍵となるのが「信仰」である。ユダヤ人は律法を行うことによって義とされると考えて来たが、今や、イエス・キリストによって示された「神の義」という光の源を、ただ信じて感謝して受け取ることによって義とされるようになった、というのがパウロの告げる「福音」なのである。
 人間は本来、神の栄光を受けて輝くものとして造られたのであるが、傲慢にも自分の力で正しいことをして輝こうとして、罪に陥ってしまった。しかし今や、神はイエス・キリストの十字架の贖いの御業によって、神の義を貫いてくださった。そのことによって、暗闇の世界に神の栄光の光が射し込んで来たのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2016年2月21日  山本 清牧師 

 聖  書:ローマの信徒への手紙3:21-31 
 説教題:「
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