父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。       (ルカによる福音書16364

 祭司ザカリアとその妻エリサベトは「二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった」(16)。だが、天使ガブリエルが現れ、エリサベトが男の子を産むと告げられたザカリアは「わたしは老人ですし、妻も年をとっています」と言って、天使の言葉を信じることができなかった。そのため、口が利けなくされた。このことは、救いの約束の実現を待っていながら、救い主を受け入れることが出来なかったイスラエルの民を代表し、不信仰な私たちの姿を表わしていると言える。そして、神の言葉を信じない者は口を閉ざされ、それを伝えることが出来なくされるのである。
 しかし、ザカリアの不信仰にもかかわらず、まもなくエリサベトは身ごもり、天使が告げた言葉は実現する。救いの御業は着々と進められるのだ。
 男の子が誕生し、八日目に名前をつける時になって、近所や親類の人々は習慣に従って父の名を取ってザカリアにしようとしたが、エリサベトは天使が命じたように「ヨハネとしなければなりません」と言った。人々は「親類にはそういう名のついた人はだれもいない」と言って、父親の意向を尋ねると、標記のように「この子の名はヨハネ」と答えた。その途端に口が開き、神を賛美し始めたので、人々は驚くとともに恐れさえ感じたという。天使の言葉を信じることが出来なかったザカリアであるが、神の憐れみの御業が進行する中で、その事実に圧倒されて天使の言葉に従う者とされて、口は開かれ、神の御心を伝え、賛美する者とされたのだ。これは私たちにも与えられるクリスマスの恵みである。
 ザカリアは聖霊に満たされて、「ザカリア賛歌」と呼ばれる預言の言葉を述べた。その中では生まれたヨハネの役割も述べてはいるが(7577)、大部分は救い主イエス・キリストの働きが語られている。主イエスのことを力強い救い主を表現する「救いの角」と述べ、高い所から地上の私たちを訪れる「あけぼのの光」と語っている。当時のユダヤも、現代の世界の状況も、光を見失い死が支配している暗黒状態であり、その中でイスラエルの民や私たちの不信仰があるのだが、神はそのような状況を深く憐れまれて、「あけぼのの光」を射し込ませられるのである。私たちは不信仰で力のない者であるが、救い主誕生の事実が進行する中で、ザカリアのように口を開かれて御言葉を伝え、小さなヨハネとして、「あけぼのの光」として来られた主イエスを指し示すことは出来るのではないだろうか。

主日礼拝説教<要 旨> 2015年12月13日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書1:57-80 
 説教題:「
主は恵み深い」 説教リストに戻る