「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。・・・」                   (ルカによる福音書1:3031

 処女マリアへの受胎告知の場面である。だが、これはマリアに語られただけでなく、人類全体に向けて告げられた事柄であり、一人一人がこれをどう受け止めるかを問われる。
 ヨセフと婚約中で、男と関係したことのないマリアは、戸惑わざるを得ないことであり、率直に「どうして、そのようなことがありえましょう」と不信を表明する。私たちも、常識では受け入れることが出来ず、聖書が主イエスの誕生を美化しているなどと解釈してしまう。しかし、「イエス」とは「主は救い」という意味であり、天使は標記の告知に続いて、「その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」と述べて、生れる子が全世界の王として、永遠に私たちを支配するお方として来られることを告げる。これは、私たちが簡単に「はい、そうです」と言えることではない。しかし、幸いなことに私たちは、主イエスがこの世に誕生されてからの御業や御言葉を知らされている。十字架や復活のことも知っている。ここで天使が告げている言葉の背後には神様の並々ならぬ御決意が込められていることを想像することができる。これは大きな痛みを伴う<愛の冒険>なのだ。
 マリアの不信表明に対して天使は、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」と言い、「神にできないことは何一つない」と告げる。それは、神は全能だから可能だということではなく、独り子を十字架に架けるという大きな痛みを伴う道を敢えて選ぶことがお出来になるということである。このことは、処女マリアにとっても不安と恐れを伴う冒険であり、私たちにとっても、この天使の言葉に人生を託すことは冒険である。だが、マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と言って、天使の言葉に身を委ねた。私たちもマリアと共に、御言葉を信じて、全てを委ねたいものである。

主日礼拝説教<要 旨> 2015年11月29日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書1:26-38 
 説教題:「
お言葉どおり」 説教リストに戻る