イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」                    (マルコによる福音書1021 

 ある人が主イエスのところにやって来て、「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」と質問すると、主は、ユダヤ人ならだれでも知っている「十戒」の後半の隣人との関係についての戒めを挙げて、「あなたは知っているはずだ」と言われた。するとその人は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と、自信を持って答えた。彼は、そんな当たり前の掟を守る以上の善い行いを積むことによって永遠の命を得たいと考えていたのである。ところが主イエスは標記のように言われたので、その人は悲しみながら立ち去らざるを得なかった。
 この人は持っている財産を惜しんで、主の言葉に従うことが出来なかったのであるが、私たちも、財産や地位、名誉、家族、仕事、趣味、ボランティア活動など、手放せないものがあるので、永遠の命を諦めるしかないのであろうか。
 ここで大切なことは、「わたしに従いなさい」と言われていることであって、私たちが人生において、また日常生活の中で大切にしていることが、主に従うことを妨げているなら、それを捨てることである。それは、自分の力や功績で永遠の命を獲得しようとする生き方を捨てて、主イエスを信頼して、全てを委ねる生き方に変えなさいということである。
 このあと、主イエスが「神の国に入る(=永遠の命を受け継ぐ)のは、なんと難しいことか」とおっしゃったので、弟子たちは驚くのであるが、主は弟子たちを見つめて、「人間にできることではないが、神にはできる」と言われた。この言葉を、神は全能者だから何でも出来るという意味に受け止めては間違う。主は立ち去った人も、弟子たちをも、慈しみをもって見つめられたことが記されている。主が見つめられた裏には、十字架へと向かわれる主イエスの覚悟が込められていることを見なければならない。「神には何でもできる」とは、愛する独り子さえも十字架に架けることができるということなのだ。主イエスは、自分の功績を積むことでは永遠の命を受け継ぐことができない私たちのために、神の御心に従って、十字架への道を歩み給うたのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2015年11月8日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコによる福音書10:17-31 
 説教題:「
永遠の命を受け継ぐには」 説教リストに戻る