「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」 (ヨハネによる福音書845

 彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」(同87 
 主イエスが神殿で、神の愛の言葉を語っておられたとき、自分は正しいと自負している律法学者・ファリサイ派の人々が姦通の現場で捕えられた女を連れて来て、標記(45)のように主イエスに問いかけた。彼らは主を陥れるための道具としてこの女を利用していて、その人格を全く無視している。主イエスが「裁かずに赦してやれ」と答えれば、「モーセの律法に反する」として訴え、「律法の通りにしなさい」と答えれば、「罪人の友」というのは評判だけか」とか、「ローマの法律に反する」などと言って、主イエスを貶めようとしているのだ。
 これに対して主イエスは標記(7)のように言われて、彼らに自分の内面を問い直させられた。人は他人を裁くが、自分自身を問うことをしない。誰でも、他人の欠点や誤りはよく見えるが、自分自身に対しては甘く、自己正当化する。だが、御言葉は神と自分との関係を問い直させ、心を揺さぶる。主イエスの言葉は、過ちを見逃すものではないし、ただ戒めたり忠告を与えるだけのものではない。相手の欠けをも共に負い給う。
 主イエスの言葉を聞いた者たちは、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去った。誰もいなくなったとき、主が「だれもあなたを罪に定めなかったのか」と問われ、女が「主よ、だれも」と言うと、主は、「わたしもあなたを罪に定めない」と言われた。これは甘い赦しの言葉ではない。主はこの女の罪を御自分の十字架にまで持って行こうとされているのだ。そして、「行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と言われた。どこかへ逃げてしまうのではない。格好悪いから隠遁生活をするのでもない。罪との戦いをもって生きるようにと言われたのだ。新しい生活の場に出て行けということである。そこで、キリストと結びついた新しい生活が始まる。

特別伝道礼拝説教<要 旨> 2015年10月25日  植 省三郎教師 

 聖  書:ヨハネによる福音書8:1-11 
 説教題:「
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