「天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」(マルコによる福音書1069

 主イエスはガリラヤ地方での伝道拠点であったカファルナウムを去って、いよいよ十字架が待つエルサレムに向かわれるのであるが、ヨルダン川の向こう側を通って行かれた。そこはヘロデ王が治めている地域である。そのとき、ファリサイ派の人々がやって来て、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。この質問には、主イエスが律法について間違ったことを言ったら攻撃しようとする意図だけではく、もし「離縁することはいけない」と言ったなら、ヘロデ王に訴えて、同様の見解を述べて首を切られた洗礼者ヨハネと同じ運命を辿らせようとの魂胆が込められていたのである。
 それに対し主イエスは、「モーセは、あなたたちに何と命じたか」と問い返され、彼らが申命記241の掟に従って「離縁状を書いて離縁することを許しました」と答えると、主イエスは「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ」と言われた。それは<人間の頑なさから起こる罪を明らかにするための掟だ>という意味で、離縁は神のみ心ではなくて、人間の罪から来るものだということを述べられたのである。そして標記のように、神が男と女を創造されたことに遡って、離縁が御心ではないことを明らかにされた。 
 さらに、弟子たちの質問に答えて、「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる」とも述べられた。これは離縁がいかなる場合も許されないということではないが、そこに姦淫の罪が介在していないかを真剣に問い直すことが先決であることを述べられたのである。エフェソの信徒への手紙の中で、「人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」と書かれたあと、「この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです」と記されている。これは不信仰で無理解な弟子たちの罪をも赦されるキリストの十字架の愛を示す言葉である。その赦しの愛によって、夫婦の離縁も避けられるのである。
 
ここで夫婦の関係について述べられていることは、親子や兄弟や隣人の関係にも当てはまる。人間の罪の解決のために命を捨ててくださった主イエスの愛の恵みに立ち帰るとき、人間関係の回復が始まり、互いに御心に従う生き方ができるようにされるのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2015年10月11日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコによる福音書10:1-12 
 説教題:「
二人は一体となる」 説教リストに戻る