イスラエルの聖なる神/あなたを贖う主はこう言われる。わたしは主、あなたの神/わたしはあなたを教えて力をもたせ/あなたを導いて道を行かせる。わたしの戒めに耳を傾けるなら/あなたの平和は大河のように/恵みは海の波のようになる。    (イザヤ書481718 

 戦後70年の節目のこの年に、戦後の再出発の原点であった筈のものが、なしくずし的に崩壊しつつある。信仰者はそうした動きを批判するだけでは何もならない。この時に当たって、聖書から何を聴き取り、どんな生き方をするのか、神との関係がどうなっているのかが問われる。
 イザヤは、捕囚状態にあるイスラエルの民に、「これから起こる新しいことを知らせよう」(6)と述べて、神の言葉を告げる。「わたしは、わたしの名のために怒りを抑え、わたしの栄誉のために耐えて、お前を滅ぼさないようにした」(9)と。イスラエルの民は、御心に従わずに勝手なことをしたために、バビロン捕囚となってしまったが、神は怒りを抑えて、御自身の栄誉をかけて、当初の目的を達成なさろうとされるのである。
 そして主は言われる。「皆、集まって聞くがよい。…主の御腕となる人が、カルデア人に行うことを」(14)と。これは主がペルシャ王キュロスを用いて、バビロンを滅ぼされることを告げているのである。歴史の偶然や、国と国との力のバランスの変化がイスラエルの民を救うのではない。神が初めからの計画に従って、キュロスを用いられるのだ。私たちが罪の結果の捕囚状態から解放されて救いに入れられるのも、その主体は他でもなく神御自身である。神が歴史に介入なさるのだ。
 では、神は歴史にどのように介入されるのか。標記によれば、「あなたを贖う主」と述べられている。第二の出エジプトとされるバビロン捕囚からの解放も、単に苦しい状態からの政治的解放ではなくて、神が愛を込めて、罪の中にあるイスラエルの民を贖い出されたのである。このことは、御子イエス・キリストの十字架の贖いによる罪からの解放という第三の出エジプトを指し示している。その解放の結果、標記のように、「平和は大河のように、恵みは海の波のようになる」と言われている。政治的な妥協や、軍事バランスや、集団的自衛権を行使する「積極的平和」なんかによって平和が訪れるのではない。罪の問題が克服されることによって、真の平和が、滔々(とうとう)と流れて豊かさをもたらす大河のように、また変わることなく打ち寄せる波のようにもたらされるのである。
 最後に、「バビロンを出よ、…喜びの声をもって告げ知らせ、地の果てまで響かせ、届かせよ」(20)と命じられている。神の言葉を聞いて信じたら、現状のバビロンの生活から離れて、福音を地の果てまで伝える新しい生き方を始めることが求められる。

主日礼拝説教<要 旨> 2015年7月26日  山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書48:12-22 
 説教題:「
平和は大河のように」 説教リストに戻る