園丁は答えた。「御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥しをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。
                        (ルカによる福音書1389 

 主イエスは終わりの日の厳しい裁きについて、色々な場面で弟子たちに教えて来られた。この日もそのような話をされていたちょうどそのとき、ローマの支配に抵抗していたガリラヤ人が神殿で礼拝しているときに、ローマ総督ピラトによって殺害されたというニュースが伝えられた。すると主イエスは、「ガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか」と問いかけられ、工事中のシロアムの塔の倒壊で死んだ十八人についても同様に問いかけられた。こうした不慮の事故や災害に遭遇するのは、その人に何か問題があったからではないかという因果応報的な考えに傾きがちである。しかし、主イエスは「決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」と言われて、他人の罪のことを考えるよりも、自分自身の罪のことを顧みて、悔い改めないならば、死の滅びを免れることが出来ないことを警告された。
 その上で一つの譬えを語られた。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』」このぶどう園の主人は父なる神であり、いちじくの木こそ、弟子たちであり、私たちのことである。ここで、「実を結ぶ」とは、神に背を向けて生きていた者が、方向転換して悔い改め、神の言葉を聴きつつ生きるようになることである。神は忍耐の後、私たちに悔い改めを迫っておられるのだ。譬えは更に続く。いちじくの世話をして来た園丁が標記のように言ったというのだ。この園丁とは、イエス・キリスト御自身のことである。園丁の執り成しによって、いちじくは切り倒されずに済んだように、キリストの十字架の執り成しによって、私たちは永遠の滅びを保留されているのだ。だが、それにも限度がある。私たちは主イエスの御言葉の肥しをいただいて、一日も早く悔い改めの実を結ぶ者とされたいものである。

 

特別伝道礼拝説教<要 旨> 2015年5月10日  山本 清牧師 

 聖  書:ルカによる福音書13:1-9 
 説教題:「
実を結ぶ人生」 説教リストに戻る