「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。・・・人間の心から、悪い思いが出て来るのである。」  (マルコによる福音書71521 
 イエスの弟子たちの中に手を洗わずに食事をしている者がいるのを見たファリサイ派の人々と律法学者たちが、イエスのところに来て、「あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従っていない」と批判した。これは、律法に基づいたものではなく、衛生上の観点からでもなく、ユダヤ人が作って守っていた言い伝えによるものであった。
 これに対して主イエスは、「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている」と書かれているイザヤ書の言葉を引用して、彼らの偽善を指摘された。私たちも日常生活の中で、世間の常識や習慣や言い伝えを守ることで自分の正しさを偽装しながら、心は神から離れてしまっていることがあるのではないか。私たちは、主イエスが指摘されたように、「人間の言い伝えを大事にして、神の言葉を無にしている」8913節)のである。
 このあと主イエスは標記のように語られた。外から体の中に入る食べ物が人の心の中まで汚すのではない。問題は人の心から出て来る思いや言葉である。「心」とは、人間の人格の中心にあって、その人の人格を左右する。だからパウロは「信仰によってあなたの心の内にキリストを住まわせ」(エフェソ317)ることを勧めている。「心」は神との出会いの場であり、そこが汚れていては神と出会うことができない。
 では、どうすれば私たちの「心」を清めることが出来るのか。主イエスによれば、人間の言い伝えに捉われるのでなくて、神の言葉を大事にすることによる。神の言葉が、自己中心に凝り固まった考えから解放し、本来の自由を取り戻させてくれるのだ。エゼキエルは言う。「わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。」(エゼキエル3626)ここで「肉の心」とは、石のように血の通わない冷たく堅い心ではなく、血の通った、暖かい心、罪から解放された自由で生き生きした心のことであろう。それは、神の言であるイエス・キリストが住み給う心である。この心の実現のために、神はイエス・キリストをお遣わしになったのである。

 

主日礼拝説教<要 旨> 2015年5月3日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコによる福音書7:1-23 
 説教題:「
人間の戒めと神の言葉」 説教リストに戻る