その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」
                         (マルコによる福音書1615 

 元来のマルコ福音書は168節で終わっていた。その最後は、婦人たちが若者(天使)から主の復活のことを聞かされ、「震え上がり」、「恐ろしかった」ので「だれにも言わなかった」という記述で終わっている。これでは、後の弟子たちの働きにつながらないので、後代に、他の福音書などを参考にして、9節以下を加筆したのではないかと考えられている。
 そこには、他の福音書の要点だけしか書かれていないように見えるが、三つの出来事について共通して、「信じなかった」という言葉があることに注目したい。弟子たちは皆、主イエスから復活の予告を聞いていながらも、復活の主に出会ったという他の人の話を信じられなかったのである。私たちもまた、聖書を通して、復活の証言を聞くのであるが、なかなか信じられず、死の力の支配から抜け出すことが出来ないのである。
 そのような弟子たちに、主イエスが現れて、標記のように、「その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。」主イエスが深い愛を込めて私たちと出会ってくださるときには、優しく包み込んでくださるだけでなしに、私たちの不信仰を厳しくおとがめになるのである。ある人は、「主イエスに責められたおぼえのない人は、まだ本当にキリストに出会っていない」と言う。主イエスは私たちの不信仰を打ち砕こうとされるのである。
 だが、不思議なことに、標記によれば、主イエスは弟子たちの不信仰をおとがめになった直後に、全世界への福音の宣教を命じられたのである。主の復活により、既に救いが伝えられるべき新しい時代が始まっているのである。不完全な信仰しか持ち得ていない弟子たちも、そして私たちも、主が用いてくださることによって、福音は伝えられ、信じて洗礼を受けて救われる者が起こされるのである。そこでは、信じる者に奇跡的なしるしさえ伴い、「新しい言葉」が語られるようになるのだ。

主日礼拝説教<要 旨> 2015年4月12日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコによる福音書16:9-18 
 説教題:「
全世界に行って」 説教リストに戻る