祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。(1)
 ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。(15)
                    (マルコによる福音書15115 

 大祭司らは、主イエスが自らをメシアとして神を冒涜したとして、死刑を決議したが(14:64)、この理由では政治の世界には通じないために、再度、最高法院を開いて、訴えの理由を、主イエスが自らをユダヤ人の王としたことに「すり替え」をした上で、ローマ総督ピラトに引き渡した。
 しかし、ピラトは、主イエスに罪を見出すことが出来ず、祭司長たちが主イエスを引き渡したのはねたみのためであることを見抜いていた。(10)そこで、祭りの度ごとに囚人を釈放する慣習に従って、主イエスを釈放することを群衆に提案したが、彼らは、暴動を起こして投獄されていたバラバの釈放を要求し、主イエスを「十字架につけろ」と叫んだ。彼らは主イエスがユダヤ人の王になることを期待していたのであろうが、黙って何も答えない主イエスを見て、裏切られたという思いに至ったのであろう。こうして、群衆も主イエスを十字架へと引き渡したのである。
 ピラトは、主イエスに罪がないことを認めながら、群衆の声に押されて、正義を貫くことが出来ず、自己保身のために主イエスを十字架へと引き渡した。こうして、「引き渡し」のバトンタッチが続いて、十字架が決定的となった。
 一方、この一連の引き渡しによって、バラバが釈放され、主イエスの命との交換のような形で、死を免れた。このバラバに起こったことは、私たち一人一人にも起こっていることではないか。私たちも主イエスの身代わりの十字架によって、永遠の死から釈放されて、救いへと引き渡されたのだ。最高法院は、主イエスが神を「冒涜」したとして、十字架への引き渡しを行なったのであるが、ピラトの引き渡しを介して、神は私たちを罪による死から救い出して、神の国へ引き渡してくださったのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2015年3月15日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコによる福音書15:1-15 
 説教題:「
十字架への引き渡し」 説教リストに戻る