主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
                     (エフェソの信徒への手紙61011 

 昨今の世界の情勢、わが国の動きは、「悪の諸霊」が働いていると思わざるを得ない。そのため、教会も厳しい状況の中に置かれている。だが、そこに働いているのは、得体の知れない魔力のようなものではなく、人間の罪が関わっている。これと戦うためには、悪い人間を排除したり、やっつければよいということではなく、何を大切にし、何を命の糧とするかという、信仰の戦いである。それは自分自身との戦いでもある。
 この「悪の諸霊」と戦うために、聖書は標記のように勧める。自分の力や自分の熱心や努力によって強くなるのではなくて、主の「偉大な力」によって、弱い私たちも強くされるのである。また、「悪魔の策略に対抗して立つことができるように」と勧める。私たちは教会に来て、「立つ」ことよりも座って憩うことを望む傾向があるが、「敵前感」(敵の前にある危機感=小林和夫を持って、立ち上がるべきなのである。そして、悪魔と戦うために身に着けるべき「神の武具」が列挙されている。
 第一は、真理の帯。信仰告白で言い表されている福音の真理である。第二は、正義の胸当て。私たちは不義なる者であるが、キリストが私たちの正義となってくださった。第三は、平和の福音という履物。キリストによってもたらされた平和の福音を宣べ伝えつつ、悪魔と戦うのである。第四は、信仰の盾。悪魔が放つ誘惑・疑い・失望の火の矢が心の中に投げ込まれて燃え上がらないためには、主に対する信頼の心が盾になる。第五は、救いの兜。キリストの十字架の贖いによって与えられた救いをかぶっているなら、永遠の命が奪われることはない。以上の武具はすべて、身を守るものであったが、第六の霊の剣は攻撃用の武具。それは、悪魔を倒すことのできる神の言葉である。主イエスも悪魔の誘惑に御言葉で勝たれた。
 このような武具を身に着けると共に大切なことは、「御前感」(神の前にあるとの自覚=小林和夫をもって「絶えず目を覚まして根気よく祈り続ける」18)ことである。祈りは自分のためだけではなく、共に戦う「すべての聖なる者たち」との「一体感」をもって、互いに祈り合うことが必要である。

主日礼拝説教<要 旨> 2015年2月15日  山本 清牧師 

 聖  書:エフェソの信徒への手紙6:10-24 
 説教題:「
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