天よ、露を滴らせよ。雲よ、正義を注げ。地が開いて、救いが実を結ぶように。恵みの御業が共に芽生えるように。わたしは主、それを創造する。                                (イザヤ書458 

 預言者イザヤは、バビロン捕囚の中にあったイスラエルの民がペルシャ王キュロスによって解放されることを告げたが、彼らにとって、異邦人によって救われるなどということは受け入れ難いことであった。私たちもまた、色々な意味の救いを期待していながら、聖書が告げる救いの御言葉を信頼せず、そこに身を投じることに不安を抱いてしまう。
 では、そのようなイスラエルの民に対して主はどのように語られたのか。
 主はまず、「わたしは彼の右の手を固く取り(1)と、神がキュロスを用いることを明らかにされ、「わたしは…青銅の扉を破り、鉄のかんぬきを折り、…隠された富をあなたに与える(23)と、神御自身がバビロンの城門の扉を破って、バビロンの都を征服すると言われる。だが、「わたしはあなたに力を与えたが、あなたは知らなかった(5)と言われるように、キュロス自身はそのことに気づかないのである。
 そして、キュロスによる解放に疑問を投げかける人たちに対しては、「災いだ、土の器のかけらにすぎないのに、自分の造り主と争う者は(9)と、神が自分たちの創造主であることを思い起こさせ、「わたしは正義によって彼を奮い立たせ」(13)と、神が変わらぬ愛と正義をもって、キュロスをお用いになることを明らかにされたのである。
 このような神の御心は標記の言葉に集約されている。ここで「正義」と「恵みの御業」は、神の御心を表わす同じ言葉から来ており、その御心によって「救いが実を結ぶ」のである。ここで「救い」とは、ただ人間が苦難や災いから逃れることではなく、罪の赦しを受けて、新しい命に生き返ることである。そして、「わたしは主、それを創造する」と言っておられるように、神御自身が救いを実現してくださるのであって、イスラエルの民の働きによるのではなく、キュロスの力によるのでもない。それは最終的には、神が遣わされた主イエス・キリストによって実現するのである。
 今年の年間目標「御言葉が実を結ぶ」を実現するのも、神の言(ことば)であるイエス・キリストなのだ。

主日礼拝説教<要 旨> 2015年1月25日  山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書45:1-13 
 説教題:「
救いを創造する神」 説教リストに戻る