イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである。
                         (マルコによる福音書65152 

 五つのパンと二匹の魚で五千人以上もの人が満腹したという「パンの出来事」では、弟子たちは人々を解散させようと提案したのに対して、主イエスは「飼い主のいない羊のような群衆」を深く憐れまれて、弟子たちが持っているわずかなものを用いて多くの人を満たされた。しかし、弟子たちは「心が鈍くなっていた」ので、主イエスの御心を理解できないでいた。
 そこで主イエスは、「弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ(45)られた。それは、弟子たちに主の御心を理解させるためであった。そして主イエスは一人、山で祈っておられた。それは弟子たちのことを思い、彼らのために何をなすべきかを確かめるためであろう。
 
一方、弟子たちは舟に乗って湖の真ん中に出ていたが、逆風のために漕ぎ悩んでいた。それを見た主イエスは、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。この「通り過ぎる」という言葉は、弟子たちを見過ごしにされたという意味ではなく、神と向き合うことの出来ない人間の前に、神が現臨し、働いておられることを示す表現である。主イエスは弟子たちと共に、向こう岸に進んで行こうとされたのである。だが、これを見た弟子たちは、幽霊だと思っておびえた。すると主は「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(50)と言われ、舟に乗り込まれると、風は静まった。だが、弟子たちは主イエスの御心を理解していなかったため、ただ驚くばかりであった。
 こうして、一行がゲネサレトに着くと、ここでも主イエスは人々の求めに応じて癒しの御業を行われた。この人々も主イエスの御心がよく分かっていたわけではないだろう。しかし、主イエスは彼らを深く憐れんで、癒されたのである。この主の憐みの御心は、心が鈍くパンの出来事を理解しない弟子たちに対する御心でもあり、同じように心の鈍い私たちに対する御心でもあるだろう。主は私たちのために御自身の命さえ注ぎ込もうとして、今日も先頭に立って働いていてくださるのだ。

主日礼拝説教<要 旨> 2015年1月18日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコによる福音書6:45-56 
 説教題:「
逆風の中を」 説教リストに戻る