「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。  (マルコによる福音書635b37a

 五つのパンと二匹の魚で五千人以上もの人が満腹したという出来事によって、聖書が伝えようとしていることは、単に主イエスの不思議な力に対する驚きではない。これは、弟子たちを教育訓練中の出来事であり、このことを通して、これから主イエスが弟子たちと人々のために何をしようとしておられるのかを示されたのだ。それを知る鍵は以下の3点である。
 第一の鍵は、伝道に派遣した弟子たちが帰って来て報告したときに、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われたことである。弟子たちはそれなりの成果を収めて帰って来て、多少得意げに報告したのではなかろうか。それに対する主の言葉は、ねぎらいの気持ちも込められているが、同時に、自己満足に陥るのではなく、静かな所で神に向き合うことによって、霊的な補給を行うべきことを教えられたのではないか。私たちも、年間目標の「御言葉が実を結ぶ」ために、礼拝ごとに霊の糧の補給が必要であることを忘れてはならない。
 第二の鍵は、主イエスのところへ押し寄せる大勢の群衆を見て、「飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」ことである。弟子たちの伝道活動にもかかわらず、なお多くの人々が救いを求めている様子を、主は深く憐れまれたのだ。この「深く憐れみ」という言葉は「内臓をえぐる」という意味がある語である。そこには、御自分の命さえも惜しまない十字架の愛が表わされている。
 第三の鍵は、人々を解散させることを提案した弟子たちに対して、「あなたがたが、彼らに食べ物を与えなさい」と言われたことである。確かに、弟子たちの使命は福音を伝えることであって空腹を満たすことではないし、これだけ大勢の人の腹を満たすことは不可能と考えたのももっともである。だが、それは責任回避に過ぎないのではないかとの指摘である。様々な重荷を負い、癒しを求めている人々を放っておいて、「御言葉が実を結ぶ」のか、と問われている。私たちが持っているものはわずかであっても、主が共にいてくださることを忘れてはならない。主は私たちのような者をも用いて、多くの人々の霊肉の空腹を満たしてくださるのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2015年1月11日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコによる福音書6:30-44 
 説教題:「
憐れみのパン」 説教リストに戻る