僕の言葉を成就させ/使者の計画を実現させる。エルサレムに向かって、人が住み着く、と言い/ユダの町々に向かって、再建される、と言う。わたしは廃虚を再び興す。  (イザヤ書4426 

 イスラエルの民が捕囚となっていたバビロンには偶像が満ちており、そうした環境の中で長く暮らすうちに、偶像を心の拠り所とするようになっていたのであろう。私たちも、目に見える偶像だけでなく、心の内に作り上げる様々な偶像によって支配されていないだろうか。
 そのような現実に対して、預言者イザヤは、真の神が、「万物の造り主」(24)であり、「贖い主」(24)であることを述べると共に、偶像は人間が造ったものに過ぎず、人を救うことは出来ない(920)と語って、贖い主に立ち帰るように悔い改めを呼びかけ(2122)、偶像からの解放が、創造世界全体の喜びとなり、ひいては神の御栄光を輝かすことにつながると述べる(23)。
 その上で、イザヤは、バビロンにおいて様々な偶像を生み出して人々の心や生活を支配していた宗教指導者たち(占い師、知者)を退け、更に、標記のように、捕囚からの帰還とエルサレムの復興が行われる一方、繁栄の都バビロンが滅ぼされることを告げる。また、この神の御計画を成就するために、ペルシャ王キュロスが「主に油注がれた人」(51)として神に用いられると言うのである。神は、イスラエルの民の背きの罪のために、エルサレムを滅ぼされ、彼らを捕囚とされたのであるが、その神が、今度はキュロスを用いて、彼らを救い出し、廃墟となっていたエルサレムを再興なさるのである。
 このことは、私たちの背きや不信仰の故に、私たちの生活の舞台や礼拝の場が破壊されて廃虚になると同様のことが起こりかねないことを暗示していると、厳粛に受け止めねばならない。しかしそれと同時に、創造主であり贖い主である神は、私たちが悔い改めて立ち帰る機会を作ってくださるお方であることを示しているのではないか。このような神の救いの計画は、御子イエス・キリストの到来によって一層明確となった。キュロス王の出現は、イエス・キリストの出現を指し示す出来事であった。神は昔も今も変わりなく、お選びになった民を愛し、教会を用いて救いの計画を進めておられるのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年12月28日  山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書44:21-28 
 説教題:「
廃虚の再興」 説教リストに戻る