あなたがたは、以前は暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。(エフェソの信徒への手紙58 

 筆者は、キリストに出会う以前の古い生き方を、「暗闇でした」と語る。その暗闇とは、「むなしい言葉に惑わされてはなりません」(6)と警告しているように、罪にまみれた心から出て来る言葉がもたらすものと考えているようである。私たちは言葉によって、暗闇に引き込まれたり、他人を引き込んだりする危うさを持っていることを自覚すべきであろう。
 しかし、筆者は標記のように、「今は主に結ばれて、光となっています」と断定的に語る。と言っても、私たち自身の中から光が出るようになったのではなく、「主に結ばれて」とあるように、光源であるキリストの光を照り返す者とされたということである。そして、光がもたらす実として、善意、正義、真実を挙げる。
 そのような「光の子」として生きる際に心得るべきことを4つ勧める。
(1)何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。――この世の価値判断や、自分の知識・好みによるのでなく、神の御心を問うことである。そのためには御心を問う祈りが欠かせない。
(2)実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。――これは、人々の罪を暴き出という意味ではなく、光でいます神の御前に引き出すことによって、彼らもまた、キリストの救いを受けて、霊的に死んだ状態から光の子として甦ることを述べているのだろう。
(3)細かく気を配って、時をよく用いなさい。――自分自身と周囲の状況をよく見極めて、神から与えられた掛け替えのない時をよく用いると共に、御心を見極める分別を持つことを勧める。
(4)酒に酔ったように自分を見失うのではなく、霊に満たされて賛美の歌を歌いなさい。――「霊に満たされ」とは、理知的な判断を捨てて、ものに憑かれたように精神が高揚することではない。「詩編と賛歌と霊的な歌によって」とあるように、礼拝が想定されている。御言葉に耳を傾け、賛美と祈りによって神と語り合うことによって、「霊に満たされ」た感謝の礼拝に導かれるのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年12月14日  山本 清牧師 

 聖  書:エフェソの信徒への手紙5:6-20 
 説教題:「
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