イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。         (マルコによる福音書61416 

 主イエスの宣教活動が知れ渡るようになって、人々の間で「主イエスとは何者なのか」が問題になり出し、標記のように洗礼者ヨハネの働きをイエスと結びつける考え方が広がった。それに対して福音書の記者は、主イエスを中心に、その光の下でヨハネを正しく見直そうと、ヨハネがヘロデによって殺された出来事を記す。
 そこに登場するヘロデは、ヘロデ大王の息子のヘロデ・アンティパスであるが、自分の兄弟であるフィリポの妻ヘロディアと結婚した。そのことをヨハネが律法(御言葉)に従って批判したので、ヨハネは牢につながれることになった。しかし、ヘロデは獄中のヨハネから教えを聞くうちに、ヨハネに尊敬の念を持つようになった。ヨハネの語る御言葉がヘロデの心に響いたからである。ところが、妻のヘロディアの方はヨハネを恨んでいて、殺したいと思っていた。ヘロデの誕生を祝う席で、ヘロディアの娘が踊って客を喜ばせたので、王は「欲しいものがあれば何でも言いなさい」と言うと、娘はヘロディアと相談して、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。ヘロデは心を痛めたが、客の手前、娘の願い通り、ヨハネの首をはねさせてしまった。こうして、ヘロデは神の言葉を聞く機会を自分で潰してしまった。このヘロデの姿の中に、自分の立場を守ろうとして御言葉通りに生きることのできない私たちの姿が示されている。
 ところが、ヨハネの死には大きな意味があった。それは、ヨハネの死をもって、何の罪もない主イエスが犠牲の小羊となって殺されることを指し示したということである。神の言葉を伝えたヨハネは命を奪われたが、ヨハネと入れ替わるようにして登場した主イエスの御言葉は、一層鋭く、力強く、確実に語られることになった。神の言葉は死ぬことがないのである。
 今年の米子伝道所の年間目標は「御言葉に生かされる」であった。私たちは、恵み豊かな御言葉をいただきながら、それを生かして来なかったのではないかとの反省の思いを抱かざるを得ない。だが、サタンが勝利を収めることはない。主の御言葉は決して死ぬことはなく、私たちの中に生き続けるのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年12月7日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコによる福音書6:14-29 
 説教題:「
神の言葉は死なず」 説教リストに戻る