「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」
                            (マルコによる福音書519 

 主イエスは「向こう岸に渡ろう」と言われて、わざわざガリラヤ湖の向こう岸の異邦人の地に来られた。舟から上がられると、悪霊に取りつかれた人がやって来た。彼は死が支配する墓場に住み、自分自身を失って、暴れまわったり、自分を打ちたたいたりしていた。この男の姿は、精神的障害の現れと見ることもできるが、罪の力に支配されている私たちの姿を指し示しているとも言える。
 彼はイエスを見ると、「いと高き神の子イエス」と呼ぶ。直感的にイエスの正体を見破ったのであろうが、これは信仰の告白ではなく、イエスの大きな力を感じて、苦し紛れの叫びを上げたのだろう。
 主イエスはこの男を憐れまれ、汚れた霊を追い出し、彼の名を問いかけて、失われた人格を取り戻させようとなさった。だが、彼は、自分たちをこの地方から追い出さないようにと願う。悪霊の支配から解放されることを拒否するのだ。ここにも、主の御手に自分を委ねようとしない私たちの姿が示されているのではないか。
 主イエスは諦めることなく、汚れた霊と向き合われ、悪霊どもを豚の中に送り込み、豚もろともに滅ぼされた。すると、汚れた霊に取りつかれていた男は正気を取り戻した。だが、これを見た人々は、イエスにその地方から出て行ってもらいたいと言い出す。彼らは豚が全滅したことを見て、この世的な利益や満足が失われることを怖れて、一人の人間の人格が回復したことを見ようとしない。ここに、現代の人々の姿を見ることが出来る。
 悪霊を追い出してもらった男は、イエスと一緒に行くことを願ったが、主は標記のように、自分の家に帰るよう命じられた。これは、この異邦の地に福音を伝える使命をお与えになったのである。主イエスは、この人を通して、この異邦人の地を救うために、わざわざ「向こう岸」に渡って来られたのだ。主イエスはまた、私たちとも出会うことによって、私たちを支配している悪霊(罪の力)から解放し、死が支配する墓場の生活から「自分の家」に帰って、主を証しする道を開いておられるのではないか。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年11月9日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコによる福音書5:1-20 
 説教題:「
墓場から自分の家へ」 説教リストに戻る