一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」
                        (マルコによる福音書53839 

 会堂長ヤイロの娘が死にそうになったので、ヤイロは主のところに助けを求めてやって来た。イエスはすぐに出かけようとされたが、そこへ十二年間も出血が止まらない女が、イエスに癒してもらおうとやって来て、群衆に紛れてイエスの服に触れると、出血が止まった。この女のことで手間取っている間に、会堂長の家から使いが来て、娘が亡くなったことを告げた。だが、イエスは会堂長の家に出向き、標記のように言われた。人々はあざ笑ったが、イエスは娘の手を取って、「起きなさい」と言われると、娘は起き上がって歩き出した。
 この二つの奇跡物語で聖書が語ろうとする大事な点は、イエスが不思議な力を持っておられることよりも、出血の止まらなかった女と会堂長の信仰がどうなったのか、そして、主イエスと彼らの関係がどうなったのかという点である。女がイエスの服に触れたことを主が感じられたとき、「わたしの服に触れたのはだれか」と言って、女を探し出し、その女と人格的な関係を持とうとされて、彼女に「あなたの信仰があなたを救った」と宣言されることによって、この女の功利的・迷信的とも言える信仰を本物の信仰に創り変えられた。また、死の知らせ受けた会堂長には、「恐れることはない。ただ信じなさい」と言われ、イエスの言葉を信頼することを求められ、永遠の命を信じる信仰へと招き入れられた。
 私たちも、苦しい病や災害といった不幸に遭遇し、死と向き合わねばならない時が来る。だが、死がそこまで迫ってから慌てないよう、早目にイエスとの人格的な関係を深めておきたい。イエスはヤイロの娘の死について、「眠っているのだ」と言われた。死というのは人間の罪に対する神の裁きであって、眠っているという言葉で、その厳しい事実を誤魔化すことは出来ない。だが、主イエスは、私たちの罪の結果である死を、御自身の十字架で代わって負ってくださることによって、死を眠りに変えてくださるのである。だから、私たちは死を恐れる必要がない。私たちは終わりの日に、主の贖いの故に、眠りから覚めて、復活することが出来るのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年11月2日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコによる福音書5:21-43 
 説教題:「
眠りから起き上がる」 説教リストに戻る