わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、むしろ愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。            (エフェソの信徒への手紙41315 

 パウロは、教会が成長し、成熟に至るための勧めを、二つの面から語る。
 一つは、キリストの体である教会の一致を保つように努めること。そのためには、謙遜、柔和、寛容、忍耐といった、へりくだった態度が必要であるとしているが、それらは私たちが努力して生み出すというよりも、キリストが十字架に架かってくださったほどにへりくだられることによって、私たちを平和のきずなで結び、聖霊による一致を創り出してくださったので、私たちはもはや一つの体とされているのである。
 しかし、他面では、教会に属する一人一人には異なる賜物が与えられていて、それぞれの賜物を生かすことによって、異なる奉仕の仕方、働きの内容の違いがあってよい。それらが用いられることによって教会全体が造り上げられ、成長し、前進する。そこで大切になるのは、「信仰」と「知識」が車の両輪として必要であって、知識の伴わない信仰は、狂信・盲信・迷信に陥るし、逆に、信仰が伴わない知識は、行動に結びつかない頭の中だけの信仰になってしまう。
 そして、教会の目指すべき目標は、標記のように、「愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭(かしら)であるキリストに向かって成長することである。教会は、単に真理を語るだけのところではない。自分たちの正しさを主張するだけでなく、他の人のために真理を語る。他の人もキリストの愛に触れ、キリストに向かうことを願うのである。私たちの愛は脆く、壊れやすい。だが、キリストの愛が語られ、キリストの愛の中に包み込まれることによって、教会は一つの体となり、キリストに向かって成長を続けることができるのである。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年10月26日  山本 清牧師 

 聖  書:エフェソの信徒への手紙4:1-16 
 説教題:「
成熟した人間」 説教リストに戻る