神はキリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです
                    (コリントの信徒への手紙二 51819 

 今、アメリカの神学界では「嘆き」と「和解」がテーマになっていると言う。わが国でも、憎しみを込めて叫ばれる「ヘート・スピーチ」が問題になっており、中国・韓国との関係が戦後最悪の状態になっていて、「和解」ということが切実なテーマになっているし、私たち自身の中にも、争いがあり、和解を要する状態がある。
 そういう中でパウロは、「古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(17)と語り、「今後だれをも肉(生まれつきのままの人間)に従って知ろうとはしません」(16)との決意を述べる。パウロの中に何が起こったのか。それは、標記のように、神がキリストを通して私たちを御自分と和解させたという出来事である。神と私たちとの間には敵対関係(不倶戴天の関係)がある。しかし、そのことは私たち自身では気づかない。パウロも、自分が神を信じ、神の戒めを守っていることを誇り、キリスト者が間違っていると考えて迫害していた。生まれながらの私たちは、自分が神と敵対関係にあること、即ち「罪」に気づかない。だから、和解を必要とも思わない。そんな私たちのために、神の方から「どうしても和解したい」とお考えになったのである。
 和解とは仲直り(歩み寄り)ではない。神の方から一方的に行動を起こされた。パウロも、キリスト者を迫害することに狂奔していた中で、神がキリストを送って出会わされ、パウロは罰せられることなく、むしろ、新しい使命を与えられた。そのことによって、パウロは新しく創造されたのだ。
 こうしてパウロは、「キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい」(20)と言う。命令するのではないし、和解すべきだと言うのでもない。「あなたは、神によって愛され、和解されたのだ。どうか、それを受け取ってほしい」と語るのである。

特別伝道礼拝説教<要 旨> 2014年10月19日  青木 豊牧師 

 聖  書:コリントの信徒への手紙二5:16-21 
 説教題:「
和解させる神」 説教リストに戻る