イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。            (マルコによる福音書43941

 主イエスは先に、神の国について5つの譬えを用いて話された。そこで語られたことは、御言葉の種が私たちの中に蒔かれると、それがひとりでに成長し、神の国(神の支配)として実を結ぶということであった。
 それに続く箇所では、主イエスによる奇跡の出来事が記されて行くのだが、それらの奇跡は、主イエスの神通力や超能力が働いて起こるのではなく、主の御言葉の力によって、主イエスと人々との間に新しい関係(神の国)が始まる出来事なのである。
 主イエスは、譬えを語られた後、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。それは、異邦人の地への福音を届けるという目的もあったが、湖上で突風に遭遇する体験を通して、弟子たちを訓練し、彼らを神の国の現実に招き入れるためでもあったのであろう。
 舟を漕ぎ出すと、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しなった。その中で主イエスが眠っておられるのに気付いた弟子たちは、主を起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。そこには、主イエスが「向こう岸に渡ろう」と言われた御言葉への信頼はなく、自分たちのために働いてくださらない主に対する不平・不満さえ見られる。まさに、「石だらけの地」に落ちた御言葉の種と同じ状態である。
 起き上がられた主は、標記のように言われると、すっかり凪になった。「黙れ。静まれ」との言葉は、風と湖に向かって言われたもので、主が自然をも支配されるお方であることを示すが、同時に、不信仰な弟子たちを神の国へ導くために、渾身の思いをもって語られた言葉ではないか。
 続けて、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と言われた。これは、単なる問いかけや嘆きの言葉ではなく、<私が一緒にいるのだから、何ら、怖がることはないではないか>との励ましの言葉であり、弟子たちを神の国(神の支配)に導き入れる御言葉である。弟子たちは、「いったい、この方はどなただろう」と言ったが、そこには、御言葉によって神の国の現実に触れた怖れ(畏敬の念)が表わされている。
 主は、これらの言葉をもって、私たちをも神の国へ招いておられる。

主日礼拝説教<要 旨> 2014年10月12日  山本 清牧師 

 聖  書:マルコによる福音書4:35-41 
 説教題:「
なぜ怖がるのか」 説教リストに戻る